市道金山線・横話

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ここでは市道金山線の再トレース時において知られた案件を派生的項目としてまとめて収録している。
なお、現地では終点側から辿ったが掲載順は起点からとなっている。
現地踏査日:2013/11/16
記事公開日:2013/12/30
《 金山線沿いにある石切場? 》
本路線は基本的にやや急な山地の中腹を沿って進んでいる。道中は何処の野山でも見られるような土の斜面なのだが、一ヶ所ほど目立つ岩肌部分が存在する。
水路沿いに雑木が沢山生えているので、注意して歩いていなければ見落としてしまうだろう。


水路を跨いで近づいてみた。
11月ともなれば草木の伸びも停まる時期だったので接近は容易だった。

岩は概して黒っぽい。黒いとなるとどうしても石炭を想起するが、まったく質的に異なっていた。触った感じは非常に硬い。


道路の路盤材にかつて使われていたような感じの岩である。
表面は不定形で、自然のものか適当に割り取ったのかは分からなかった。


あるのはただ巨大な岩だけ…周辺に人工物は見当たらない。
自然の産物だろうか…


もしかすると昔の石切場の可能性は…などと考えてみたくなった。高さは10m程度、横幅は30mくらいあった。


白岩公園に観られるような岩とはまったく質的に異なっている。平滑な部分がなく尖っている。

露岩などというものはそれほど珍しいものではない。極端な話、足元の地山も同様のものが埋まっている。表面は木の枝や葉の腐った堆積物があるが、それを掘れば土が現れ、更に掘り進めれば最終的には岩になる。そうでなければ山の形を保てるはずがない。
しかし市道沿いをずっと歩いた限りでは、殆どの場所が何処にでもあるような景観の山道なのに対し、ここだけが荒くれだった露岩なのである。それも道から離れて若干の平坦部分があり、そこからほぼ垂直に岩が切り立っている状態だ。

この場所を動画撮影している。

[再生時間: 29秒]


恐らくそんな大層なものではなく自然の産物だろう。ただ、道中が単調な山の斜面に水路という景観ばかり続く中で異様な場所ではあった。
《 桃山配水池へ抜ける近道 》
本路線の終点に近い側にある分岐路は、桃山方面へ抜ける近道だったと考えられる。


これは1974〜78年に撮影された地理院による現地付近の航空映像である。


本路線を横切って桃山配水池へ向かう山道が見えている。恐らく配水池が完成する以前から道は存在していて、峠越えの近道になっていたのではないかと推測される。

また、航空映像ではこの近道が始まる付近一帯が棚田として写っている。
この痕跡は現在でも市道沿いにみることができる。


市道が水路に沿って山際に貼り付く中、半月状の平らな土地ができている。
棚田の縁となる畦畔部分も直線的に遺っている。


現在は最上段のこの部分を含めて谷地すべての田が失われている。中山浄水場により沢の下から田へ向かう道がなくなったことも遠因だろうか。
《 金山について 》
金山(かなやま)は市道金山線の終点、市道崩金山線の合流点付近一帯の小字である。この字を含む認定市道としては以下のものが知られる。
関連記事: 市道上条金山線市道崩金山線市道金山線
古くから人々の暮らしがあった地と推測される以上、金山の名称の由来は今となっては決定的なことを言えない。表記から見れば「金にまつわる山」が想起される。砂金が産出していたのではないだろうかという想像が働くのは自然で、沢の奥には当時砂金を採ったとされる大きな窪地が存在するという。[1]
金と言えば霜降山(城山)に埋められた黄金の鶏にまつわる伝説が有名だが、この鶏は金山で得られた金によって造られたという。[2]実際にこの地でいつ頃どの程度砂金の産出があったのかは調査が必要である。しかしかつて金山では何かの鉱物が産出していたのは確からしい。

居能にある金山温泉は、採掘者が金山地区出身であったことによる命名とされる。現在も「旅館かなやま」として存在しており、建屋の前に石碑を見ることができる。
派生記事: 金山温泉の石碑
金山から尾根一つ隔てた県道沿いに中山川が流れている。別の仮説だが、金山は中山を元にして意図的に造られたアナログかも知れない。ただしそのような経緯で発生した地名が他にあるかは調べられていない。
出典および編集追記:

1. 市道崩金山線走破時に出会った地元在住民からの聞き取りによる。現在は孟宗竹の侵入で原形が分からないかも知れないという。現地への接近は困難で、市道より窪地らしき地形を視認するにとどまった。詳しくは移植公開された市道崩金山線の記事を参照。

2. 同じく地元在住民からの聞き取りによる。

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