市道金山線

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記事作成日:2019/8/19
最終編集日:2022/11/26
市道金山(かなやま)線は、中山浄水場より上水を桃山配水池へ押し上げる斜路の途中に始点を持つ山道同然の認定市道で、金山地区に一軒ある民家前の市道崩金山線の途中に終点がある。 写真は道中の様子。


現在の経路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。は起点、矢印は終点を表している。
経路のGeoJSONデータは こちら


中山浄水場の裏手の山中腹部を通る山道である。全線未舗装路であり四輪が通行していた履歴はおそらく無い。かつて馬の背堤の水を藤山の栄ヶ迫池(三段堤)へ送っていた用水路に沿って通っており、水路の管理道だったと思われる。現在は殆ど通行されておらず荒れているが、地元在住者が道を塞ぐ倒木などは処理しているようである。用水路の横断部分で道が削られている場所があり、二輪でも乗っての通り抜けは不可能。
《 経路の概要 》
中山浄水場の上水を桃山配水池へ押し上げる斜路の途中から始まっている。物理的にはこの場所は十字路となっており、栄ヶ迫池の横を通ってきた市道藤曲門前線がここで右折し斜路を桃山配水池方向へ登っている。本路線は管路を横切って更に山沿いへ進む経路となっている。

季節によっては進行方向も分からなくなるほど藪に覆われるが、日当たりの良い起点付近が笹藪になっているだけであり、その先には比較的安泰な山道が続いている。


進行方向右側が山で、道に沿って素掘りの灌漑用水路がある。
左側は中山浄水場の沢地であるが、木々が繁茂しているため見通しはまるで利かない。


水路は痕跡を残すのみであり明らかに水を通されていない。崩れた場所には塩ビ管が布設されているので平成初期頃までは使われていた可能性がある。

大きなカーブを2つ過ぎた先の右側に平坦な場所があり、黒々とした露岩の断面が現れる場所がある。
季節によっては枯れ木に隠されて見えづらくなる。


この岩質は黒岩山周辺のものに似ている。高さは十数メートルあり、下側には打ち欠かれた石が散らばっている。断面が平面的なものもあるので、自然の産物ではなく採石を行っていたのではないかと推察している。詳細は以下の派生記事を参照。
派生記事: 石切場の跡地?
進行方向左側の谷地の傾斜が緩やかになる場所に、中山浄水場方面からの配電線が見えてくる。この先に存在していた民家への給電線と思われる。同じ場所に水路の上へ岩を置いて橋を造り、山側の方へ登っていく枝道に出会う。


桃山2号配水池裏の方へ伸びているので、開立より金山地区へ向かう近道であろう。ただし現在もまだ辿っての検証はしていない。
派生記事: 桃山配水池へ抜ける近道
この道は過去に作成した派生記事の記述通り、昔の峠越えの近道であったと思われる。航空映像では沿線に棚田が健在であり、中山浄水場建設後は棚田まで往来する道が他にないので、開立側から山を越えていたのかも知れない。また、この場所に棚田が存在できるのも馬の背堤から栄ヶ迫池へ水を送る灌漑用水路が本路線沿いに通っていたためであろう。

また、この近くで中山浄水場側へ張り出した尾根の下の方に正体不明のコンクリート基礎跡がみられる。これは2019年の訪問時に発見されていた。2022年の再訪時に改めて検証を行い、かつてこの辺りを東西に横切っていた送電線の基礎跡の可能性が高いとみている。詳細は以下の派生記事を参照。
派生記事: 正体不明のコンクリート基礎跡
配電線のコンクリート柱が近くに立つ辺りから藪の繁茂が酷くなる。
この辺りは灌漑用水路そのものが消失しており、元々の道の踏み跡も不明瞭である。


進行方向左の谷地側の植生が変わり、竹藪が目立つようになる。


やがて進行方向正面にコンクリート配電線柱が見えるようになり、民家が見え始める。


藪を突破して民家の前へ出てきたところが本路線の終点である。


民家の前を市道崩金山線が通過している。この路線も宇部変電所横の山越え地点からここまでは全く普請されていない荒れ道である。
《 Googleストリートビュー 》
採取されておらず今後もデータ採取される可能性はない。利用実態を勘案するなら将来的に認定市道を抹消されるかも知れない。
《 金山について 》
藤山校区において金山(かなやま)とは本路線の終点、市道崩金山線の合流点付近一帯の小字である。この字を含む認定市道としては本路線の他に市道上条金山線市道崩金山線が知られる。ただし上記路線の終点にあてられた金山は厳密には異なる小字である。ある程度の中域を指す地名だった可能性もある。

古くから人々の暮らしがあった地と推測される以上、金山の名称の由来は今となっては決定的なことを言えない。表記から見れば「金にまつわる山」が想起される。砂金が産出していたのではないだろうかという想像が働くのは自然で、沢の奥には当時砂金を採ったとされる大きな窪地が存在すると言われる。金と言えば霜降山(城山)に埋められた黄金の鶏にまつわる伝説が有名だが、この鶏は金山で得られた金によって造られたという。[1]

現在まで調べられた限りでは金山地区に砂金が採取できていたことを記述する資料が見つからない。実際にどの程度砂金の産出があったかは調査を要する。ゴールドの義での金ではなく広義の鉱物を指すのかも知れない。

居能の市道助田平原線沿いにある金山温泉は、採掘者が金山地区出身であったことによる命名である。現在も「旅館かなやま」として存在しており、建屋の前に石碑を見ることができる。
派生記事: 金山温泉の石碑
【 丸尾原にある金山 】
丸尾駅の横を通り海の方へ下っていく道沿いに金山(かねやま)という地名がある。道路沿いに今もある小さな溜め池は金山だんぽと呼ばれる。「だんぽ」とは水の溜まった地を意味する言葉で、藤山村のダブと語義が同じかも知れない。
この項目は溜め池カテゴリに金山だんぽの総括記事を作成した折りには移動する
初めて本路線を自転車突破したときの肉弾戦レポート。後半にリベンジを行っている。全4巻。
時系列記事: 市道金山線【1】
なお、上記の記事に用いられている写真は撮り直しを行った後に削除され原典画像が存在しないものもある。
出典および編集追記:

1. 市道崩金山線走破時に出会った地元在住民からの聞き取りによる。現在は孟宗竹の侵入で原形が分からないかも知れないという。現地への接近は困難で、市道より窪地らしき地形を視認するにとどまった。詳しくは移植公開された市道崩金山線の記事を参照。
《 個人的関わり 》
金山地区はもちろん桃山や中山まで範囲を拡げても親戚や知人などに関する個人的関わりはない。しかし本路線を知ったのは、市道路課で認定市道の台帳を閲覧するようになったかなり初期のことである。当時は市道と言えば市道路課が整然と管理する道で、四輪が安泰に通れるのが普通で、例外的に自転車や歩行者のみによって通行可能な道を指すものと考えていた。

市道路課の路線台帳では、およそ道などありそうにもないように思える桃山配水池の北側に何本もの認定市道が記載されている。本路線はまだ台地図に道路と思しきものが描かれた上をなぞっているために安泰と思われただけで、終点で合流することとなる市道崩金山線に至っては台地図に破線の記載すらなく、等高線が描かれた山地を直線的に登るというあり得ない経路で記述されている。

初めて自転車での通り抜けを企てたときは安泰に通れるだろうと考えていたので、起点と分かる場所へ来たとき何処から入るべきかまるで分からないことに困惑した。道中は倒木が数ヶ所あり自転車押し歩きでも担ぐ場面があった。更に終点付近は完全に藪化し徒歩でも通過困難であった。この未だかつてない酷い状態な市道の通り抜け成果はただちに当時の地域SNSうべっちゃでも報告されている。後に当サイトでも記事化し、その折りに認定番号と合わせて「564(コロシ)の金山線」などと呼んでいた。

道中の荒れ具合の酷さと沿線の単調な景観から、初期の時系列記事では「多分もう訪れることはないだろう」と書いているが、実際にはその後数回通っている。これは桃山配水池や中山浄水場が近くにあることに依る。桃山配水池に関しては「にんげんのGO!」の”大人の社会見学”で放映され、この過程で追加の写真を撮影する必要性から本路線の再撮影を合わせて行っている。時期的に藪が薄かったのに乗じて本路線を外れて沢地を下り、中山浄水場の撮影ができないか試している。この過程で前述の未知のコンクリート基礎が発見されている。
【 近年の変化 】
以下、最終編集日の直近における再訪時の変化である。

通行需要が殆どない路線ではあるが、まったく放置されているわけでもなく経路を塞ぐ倒木は切断され片付けられている。管理主体である市道路課か地元在住者が定期的に巡回し対処しているようである。他方、水路が横切る場所で道が抉れている場所はそのままであり、自転車など二輪を通す場合には担ぎ歩きの場面がある。

終点の市道崩金山線との合流地点にある一軒家は、2019年までに居住者がなくなっており廃屋と化している。

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