市道金山線・派生記事【2】

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ここでは市道金山線の沿線にある派生的項目としてまとめて収録している。
なお、OneDrive ベースの派生記事が既に作成されているが、外部依存であり画像が表示されなくなるリスクがあるため、画像をローカル参照に変更し一部を最新のものに差し替えて派生記事を作成し直している。
《 石切場の跡地? 》
項目作成日:2019/8/19
本路線は基本的にやや急な山地の中腹を沿って進んでいる。道中は何処の野山でも見られるような土の斜面なのだが、一ヶ所ほど目立つ岩肌部分が存在する。
水路沿いに雑木が沢山生えているので、注意して歩いていなければ見落としてしまうだろう。


岩は概して黒っぽい。黒いとなるとどうしても石炭を想起するが、まったく質的に異なっていた。触った感じは非常に硬い。


道路の路盤材にかつて使われていたような感じの岩である。
表面は不定形で、一部には平面的に削ぎ落とされたような断面がみられる岩もあった。


高さは7〜8メートル程度、横幅は20mくらいあった。


同種の露岩がみられる場所としては、黒岩から片倉方面へ向かう市道沿いの民家裏手に壮大な岩場がある。この近辺には昔採石所があったことが知られている。本路線沿いのこの場所は規模が小さく、アクセス道もないので人工的なものとしても本格的な採石場ではない。

それでも岩肌の真下にはさまざまな形の破片が大量に散らばっているので、岩を割る過程で生じたのかも知れない。


本件に関して、中山浄水場で勤務したこともあるという市上下水道局員に尋ねている。採石の話は知らないということだった。
《 開立方面への近道 》
項目作成日:2013/12/30
本路線の終点に近い側にある分岐路は、桃山方面へ抜ける近道だったと考えられる。
写真は起点側から撮影した分岐地点。用水路の上に渡るための石が置かれている。


これは1974〜78年に撮影された地理院による現地付近の航空映像である。


本路線を横切って桃山配水池へ向かう山道が見えている。恐らく配水池が完成する以前から道は存在していて、峠越えの近道になっていたと推測される。桃山2号配水池を訪れたとき、裏側から斜面を下っていく踏み跡を確認できている。しかし実際に往還可能かはまだ調べられていない。

また、航空映像ではこの近道が始まる付近一帯に棚田が写っている。
この痕跡は現在でも市道沿いにみることができる。


市道が水路に沿って山際に貼り付く中、半月状の平らな土地ができている。
棚田の縁となる畦畔部分も直線的に遺っている。


現在は最上段のこの部分を含めて谷地すべての田が失われている。草が伸びて低木が侵入しているものの不自然に平坦な場所があることでかつて田が存在したことが窺える。
《 未知のコンクリート構造物 》
項目作成日:2019/8/19
最終編集日:2022/11/27
2019年3月に本路線道中の写真再撮影を主な目的に自転車で訪れている。既に知られている派生的項目に対応する物件の写真を撮り直した。時期的に藪漕ぎが容易であり見通しも相対的に利くので、本路線から斜面を下ることで中山浄水場を外から撮影できないだろうかと考え、起点から2つ目のカーブで自転車を停めて尾根を下り始めた。


思ったよりも樹木の枝が生い茂り、残念ながら浄水場を外から見渡せるほどの視界が得られなかった。
代わりに尾根のかなり低い場所に明白な構造物を見つけた。


構造物があると推定される場所の位置図である。


最初それは排水用の側溝に見えた。しかし近づくにつれて溝ではなく斜面に造られたコンクリート基礎構造物らしいことが分かった。


それは中山浄水場から尾根を伝い、本路線の終点付近で見られる配電線のコンクリート柱がある近くである。


電線の向こうをズーム撮影する。中山浄水場の緩速濾過池や川砂のストックヤードが見えていた。
この見え方から現在位置を特定できそうだ。


さて…このコンクリート構造物を分かりやすく撮影するには…意外に手間取った。
急な斜面にあるので足場が定めづらいのである。


幅50cmくらい、厚みが80cmくらいだろうか。下側がもっと埋まっているかも知れない。
全体はやや細長いT字型をしていて見るからに古そうだ。


コンクリートの端の方にナットを固定するボルトが埋め込まれていた。
建屋か何かの基礎らしいことは確実だ。


しかしこれ以外の手がかりは何も得られなかった。

最初に思ったのは、中山浄水場に関する何かの構造物の基礎跡という仮説である。中山浄水場は目と鼻の先だ。この構造物より先で尾根は急に落ち込んでいて登り直すのが大変と思ったので、実際あとどの程度下れば浄水場のフェンスに行き当たるかは分からない。小屋か何かあったのかも知れないが、それにしては基礎がこれのみでは少な過ぎる。

同年8月1日に担当者随伴で中山浄水場を見学する機会があった。そのときまだこの構造物のことを覚えていたので、担当者に(先の石切場らしき跡地も含めて)尋ねている。担当者は過去に中山浄水場に詰めての勤務経験があり、周辺の土地にはある程度の知見があった。しかし石切場の存在は知らないし、この構造物の基礎跡のようなものは中山浄水場のものでは恐らくないだろうという回答だった。浄水場の敷地は現在ではフェンスで完全に囲まれており、敷地自体は昔から変わっていない。浄水場の構外に関連する小屋などを建てることは考え難いというのが理由だった。

次に考えられたのが昔の送電鉄塔の基礎跡という仮説である。昭和初期制作のスタンフォード地図では、現在では存在しない送電線が浄水場付近を東西に伸びるように描かれている。


これは上記の地理院地図で示された場所のかなり近くを横切っている。この経路をたどる高容量の送電鉄塔は現在では存在しないが、代わりにすぐ近くに一般家庭向けの6.6kVのコンクリート電柱があり、おそらく現在も生きている。表面に露出したボルトは、上に建て込む鋼材をナットで固定するためとすれば説明はつく。

2022年11月下旬に現地を再訪したとき、基礎コンクリートに含まれる骨材を調べてみた。
素材からこの構造物の年代推定を行おうと思ったのである。


近年のものならば含まれる骨材は砕石場で人工的に破砕されたものが用いられる。川砂を採取できていた時代では河原の丸っこい石が含まれていることが多い。現地の基礎には、近くで産出する蛇紋岩を破砕したような簡素なものが用いられているように見えた。このことと尾根の斜面にわざわざ造る必要がある重厚なコンクリート構造物と言えば、送電線の基礎以外に思い付かない。

この構造物の正体が解明される可能性は甚だ薄い。そもそも現地は市道とは名ばかりで今や殆ど人の往来が無い山道のそれも藪の斜面を下った途中にそれは存在する。こんな場所まで踏み込まれ発見される可能性自体が極めて低いだろう。
出典および編集追記:

1. できあがった上水をポンプで桃山の高台へ押し上げる以上、中山浄水場は一般企業に比べて電力消費量が大きいと考えられる。金山より尾根一つ隔てた南側に宇部変電所があるので、かつてそこから給電線が通っていたのかも知れない。

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