市道助田平原線・横話【2】

市道インデックスに戻る

《 藤山八十八箇所・第49番 》
現地踏査日:2014/1/7
記事公開日:2014/1/8
本路線と市道居能駅厚東川線の起点がある交差点の近くに藤山八十八箇所の第49番が存在する。
左側に見えるのが居能郵便局である。


祠の所在場所を地図で示す。


この祠は本路線から分岐する別の細い道に面している。
この路地は認定市道ではなく地元管理の道である


正面から撮影。
建築ブロック基礎の上に木製の御堂が載っている。
ブロックの表面には継ぎ目が目立たないよう薄くモルタル仕上げされている。


御堂には扉がついていて、風で煽られないようにラッチを掛けられるようになっていた。
各自拝むときに紐を外して開くらしい。


扉を開いて撮影。


新しい花が活けてあった。
ロウソクも置かれた直後のようで御堂を看ている方の存在は明らかだ。


御堂の上部は木造である。
見たところかなり新しい感じだ。


釈迦如来の台座に49番と彫られている。


弘法大師には帽子とおべべが着せてあった。
台座の番号は経年変化で殆ど読み取れなくなっていた。


御堂を横から見たところ。
屋根はトタン張りだろうか。


祠のある近辺の鋭角三角形状の土地は恐らく私有地だろう。かつて建物があったのを更地に戻したように思える。しかし祠の横の細い通路やブロック塀が祠を避けている部分は昔からの共同の場所なのかも知れない。
《 居能郵便局 》
現地撮影日:2014/3/16
記事公開日:2014/3/17
本路線と市道居能駅厚東川線起点の交点に居能郵便局がある。


局舎の全景。


新しい局舎の外観から推測されるように、この特定局が開設されたのは平成期に入ってからである。昭和50年代後半に行った市内すべての郵便局の記念押印収集時には、他の場所も含めて居能郵便局という局は存在しなかった。したがって居能局の日付印は手元にない。

郵政相時代末期におけるこの近辺の特定局は、いずれも昔からの通りである市道上町線沿いにあった。藤山局と助田局がそうである。上町線は昔こそ街道であったものの車社会の現在では離合しづらい道なので、どちらかの局を移転し名前を居能局と改めて開局したように思う。具体的にどの局から移転したのかは今後調査する予定である。
《 金山温泉の石碑 》
現地踏査日:2014/3/16
記事公開日:2014/3/20
本路線で居能郵便局を過ぎた先の右側に金山温泉の石碑が存在する。


この石碑の設置されている場所を示す。


実はこの石碑は個人的案件である。かなやま温泉と表記された旅館の入口前に据えられている。


石碑の前で振り返って撮影。
前出の居能郵便局が先方に見える位置である。


2階建ての横には「旅館かなやま」の看板が見えている。


石碑の周辺は蛇紋岩らしき大きな岩が据えられていた。


石碑に接近して撮影。
設置時期は明治36年6月[1]で、開業25年を記念して造った石碑とされている。


明治36年に25周年ということから、温泉の設立は1878年まで遡れる。
この石碑は郷土史の書籍にはかならず登場する有名なものである。温泉名の金山とは、中山浄水場の更に山側にある金山地区のことで、金山出身者がこの地で温泉を掘り当てたことに由来する。
私が最初この石碑について書籍で情報を得たときには藤山村内ということしか分からず、それ故に金山地区に温泉があったのだろうと思っていた。金山については以下の派生記事にも記述している。
派生記事: 金山について
なお、この石碑の横が旅館の入口になっていて通路の先に玄関があった。しかし個人の家屋でもあり撮影は見合わせておいた。
出典および編集追記:

1. 丗(さんじゅう)は廿(にじゅう)と同様に昔から用いられてきた正規の漢字である。異体字として「卅」も同程度に用いられる。もっとも最近は殆ど見かけなくなった。

ホームに戻る