市道居能駅厚東川線

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記事作成日:2015/5/31
最終編集日:2019/1/9
市道居能駅厚東川線は、居能郵便局のある交差点から厚東川へ向かって直線的に伸びる路線に与えられた認定市道名である。
写真は路線中の一風景。


ルートラボを掲載する。


起点からすぐ宇部線の玉川踏切を横断する。その後は殆ど一直線に厚東川へ向かい市道厚東川西通り線へ接続される。接続点で厚東川西通り線は護岸沿いの経路として設定されているが、本路線の終点にあたる場所より上流側が未成区間となっているため事実上の一本道となっている。[1]
《 歴史 》
本路線の前身は居能開作の堤防道であった。いつの頃からかは不明だが玉川土手と呼ばれていたようである。
昭和開作の完工後土地の有効利用について協議され、昭和20年代後半に工場誘致の話が出た。でこぼこの目立つ土手道を均し拡げて産業道路(現在の国道190号)に接続されることとなり、産業道路と堤防との間にあった民家の多くが移転したという。[2]

道路拡幅時のコンクリート部分が経路中の随所にみられる。かつてこの外側が低く後から土砂を埋めて同じ高さにしたのかも知れない。


現在はアスファルトでオーバーレイないしは打換施工済みでコンクリート路区間はない。居能開作時の堤防は道路の下に埋もれているか拡幅工事時に撤去されたものと思われる。

短い路線なのでこのまま本編に全線レポートを記述する。もし総括の分量が増えたなら以下の道路レポート部分を別冊に分割する予定である。
現地撮影日:2015/5/26
記事公開日:2015/5/30
さて、この路線は小島方面や妻崎開作へ行くときの重要経路で何度も通るためかむしろ全路線を丁寧には撮影していなかった。
道路レポート向けに撮影するには青空の広がる天候で逆光方向にならない路線が好適である。この日は鍋倉方面へ正午までに行く用事があったので、そのまま居能方面へ向かった。居能開作の唐樋の写真を撮っておこうと思ったのである。

起点の写真。この場所は押しボタン式信号機のある十字路で、市道藤曲居能線の終点から撮影している。
ここで横切るのはメインの道となる市道助田平原線だ。右の角地には居能郵便局がある。


出発早々から乗り換える人も居ないだろうが相互に行き来できるようにリンクだけ載せておこう。
派生記事: 市道助田平原線|交点
既に公開済みのこのレポートでも少し触れているようにこの十字路の通行量は極めて多い。特にメインの道とこれから向かう本路線方面相互の往来が目立つ。車だけでなく自転車に乗った人や歩行者の姿もあった。最近行った当サイトの写真ポリシー改訂「無関係な車両や人を極力写し込まない」に則って努力するも、完全に車や人が視野に入らなくなるまで待てなかった。

さて、スタート早々に本路線は鉄道を横切ることになる。
先述のような理由により撮影できなかったので過去の写真を載せている


地名研究の兼ね合いもあって踏切や橋りょうは派生記事化する方針なので以下に記述している。
派生記事: 玉川踏切
ここで横切るのは宇部線と小野田線である。居能駅を出た時点で双方のレールは分岐しているので玉川踏切では「生きた」軌道を2条横切ることになる。しかし実際にはそれ以上にレールが遺っている。これから先にある工場群への貨物輸送を行った引き込み線の遺構だ。

踏切を渡ってすぐ右側に奇妙なパイプのようなものが道路敷の下へ突き刺さっているのを見るだろう。


こんな塩梅である。
水色に塗装された大きな管が逆くの字に折れる形で地表部に現れ本路線の下を通っている。


現在ではこれが何であるか完全に分かっていて、宇部興産(株)管理の工業用水管である。それも二条あるうちの後年造られた増強ルートとされている。いずれも企業局管理の平原分水槽より導かれている。
このパイプは宇部線からも見える。居能駅を出た電車の窓から奇妙なパイプが沼地の端を這っているのが見えていて正体が何なのか不思議でならなかったのを思い出す。当時はパイプは薄い灰色だった。しかし…この話を今すると道路レポートがいつまで経っても前へ進まない…既に写真は充分採取しているのでいずれ記事化しよう。

パイプが道路下へ突き刺さっている反対側の奥は柵がない窪地のようになっている。
工業用水管は左側へ向かう管理道の下に埋設されている


ここで本路線は玉川を横断する。すぐ左側の下流側は常時浅い水に浸る沼地状になっていて水気を好む生物の楽園だ。この道を散歩する人たちには結構知られているらしい。
派生記事: カメの楽園
この辺り一帯は本路線の進行方向右側が居能開作、左側が昭和開作である。もっとも新しい昭和開作でも既に干拓より半世紀以上が経過している。しかしいずれの開作地も工場や後述するような排水処理設備関連の建屋で占められ民家は極めて少ない。アパートも後述する市道昭和開作岩鼻線の入口付近に最近建ったもの程度である。
居能開作側はすべて埋め立て地のように見えるが、かなり最近まで沼地のようになっていた。これはかつての藤山村時代、田にあてていた水の排出分を一時貯留するもので、ダブと呼ばれていた。上述のカメの楽園から本路線に沿って溝状にダブからの排出路があり、道路下には3ヶ所の唐樋が設置されていた。
本件については玉川の項目で記述する…実際はこの場所にもっとも撮影時間を費やした

この溝状部分を過ぎた先の左側に協和発酵キリン宇部工場の入口がある。
進入路左側に協和アパートがあり、その前に以前からちょっと気になっているものを見つけている。


上の写真でも見えるようにアパートの前にソテツが植わっていて石のベンチのようなものが設置されている。昭和開作にまつわる何かかも知れないと思い、以前近くまで行って撮影している。以下を参照。
この撮影には道路レポートよりも早い時期に行っている
派生記事: 協和アパート前の御旅所
開作地を突き進むので路線の道中は直線的で起伏も殆どない。遠くには既に終点の位置も見える。
道路の端に久しぶりあの標識を見つけた。


近接して撮った写真はこちらに。
派生記事: 美化ピカロード標識
開作地自体は平坦にしても道路は土手道を拡げて造られている。土手の分だけ高さを持っている。したがって開作地へ降りていく道があるなら分岐部分に若干の下り坂を持つ。

このピカロード標識の先に右へ下っていく道に出会う。
企業やアパートへ出入りする通路が多い中、分岐する唯一の認定市道である。


記事を書くかどうか未定だがリンクテキストのみ設置しておく。
派生記事: 市道昭和開作平原線
この分岐点が起点となっていて鉄道を横切る場所が狭くなっていて四輪は通れない。しかし平原方面へ行く近道なので単車などがよく通っている。また、先に述べた工業用水管について古い管が埋設されている経路でもある。

実際、道路を斜めに横切るように工業用水の鋳鉄蓋が路上に見えている。


その少し先には工業用水管の埋設標が立っていた。
企業局2期のもので道路沿いに昭和開作の末端部にある工場群へ向かっている。


思えば進行方向左側は舗装されない状態の地面が剥き出しになっていてアスファルト舗装部分からは分離されている。なぜか鋼製のガードレールではなく木の杭を打ち込んでトラロープを張るという素朴な造りだ。
勝手な想像だが、これは工業用水管を埋設した施工跡だろう。ロープで仕切っているのは比較的浅い位置を管が布設されているので大型トラックなどの重量物が駐車スペースとして利用するのを防ぐためだろう。交通量の多い道路ならキチンと鋼製のガードレールを連ねるところである。あるいは本来なら歩行者や自転車向けの自歩道を造るのだろうが、往来は専ら自動車でたまに自転車を見かけるにしても歩く人は殆ど居ない。

そして大型トラックの路駐はこのあたり結構目立つ。工場への資材運搬関連が殆どである。搬入搬出後にここで一息ついたり昼食を摂ったりの余剰地になっているようだ。


現在工事中の空き地を挟んでその先に西部浄化センターがある。


記事化のあては今のところないがインデックスのみ付けておいた。
派生記事: 西部浄化センター
この辺りから道路にセンターラインが現れる。
道路規格としては玉川踏切を渡った先から殆ど同じ幅だ。


そして終点へ到着。
道路としては一本道で左直角カーブになるが、この先は市道厚東川西通り線になる。
ドアを開けて休んでいる駐車車両があったので離れて撮影している


終点より振り返って撮影。


この終点位置はかつて厚東川において最も下流側にある渡し場だった。「居能の渡し」と呼ばれていたこの場所には説明板などは立っていない。対岸の市道厚東川西通り線には標識柱が設置されている。
地名としては字昭和開作なのだが、歴史的経緯からかつて渡場と呼ばれていた時代があったかも知れない。この先の市道厚東川西通り線に並行して設置されている配電線の柱に渡場というプレートが見えていたからだ。

相応に交通量はあるものの現状の道路規格で充分間に合っている路線であるので、この先大きく道路景観が変わることはなさそうだ。
《 Googleストリートビュー 》
どういう訳か本路線は対面交通で相応な交通量のある認定市道でありながらストリートビューの映像は未採取である。本路線の終点にあたる市道厚東川東通り線の起点からT字路部分までも採取されていない。この理由は、恐らく現在こそ湾岸道路およびその下を通る厚東川新橋によって厚東川西岸側へ移動できるのだが、一連の道が造られる以前は昭和開作の埋め立て地で行き止まりであったことに因ると思われる。次にデータ採取される折には掲載されるだろう。
《 記事公開後の変化 》
・2018年のはじめにダブのある辺りに玉川ポンプ場建設の工事看板が設置された。このエリアは市道昭和開作平原線の起点付近までに及ぶ。5月頃までには周辺一帯が工事区域となりフェンスが設置され立入禁止となっている。
《 個人的関わり 》
居能方面に知り合いが居なかったため幼少期から訪れた記憶が殆どない。親父の運転する車でも通ったことはないと思われる。道路レポート部でも言及している通り終点で市道厚東川東通り線の途中に接続され、かつて厚東川新橋が架かっていないうちは完全な一本道で同じ道を引き返す以外なかった。

現在では自転車において厚南区の小島方面へ行く折の第一選択路となる。ただし本路線部は交通量が多く路面の状態もあまり良くないため積極的には通りたくない経路である。
湾岸道路を自転車で通れればといつも思うのだが…実現する可能性はほぼゼロだろう
出典および編集追記:

1.「FBページ|2019/1/8の投稿

2.「なつかしい藤山」p.53
ただし昭和中期の航空映像を調べると玉川踏切以西は既に線形ができていて産業道路から西海岸通りを連絡する区間が未成である。民家の立ち退きがあったのは現在の市道藤曲居能線に相当する区間であろう。

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