市道杉河内線【1】

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現地撮影日:2014/9/7
記事公開日:2016/7/19
本路線の走破からは2年近くが経過している。総括記事でも書いた通り沿線中に特筆すべきものは何もない。わざわざ自転車で訪れたのはこの先にある山陽新幹線関連のネタも確かにあったものの、本路線そのものについては「現地でのある調べごと」が目的だった。そして結論的に言って、現地には私の所望するものは何も見つからなかった。

したがって道中は沿線の寂しい山野の写真ばかり連なる単調なレポートとなる。Googleストリートビューが入って来ておらず今後も恐らくその予定もないだろうから、純粋な暇つぶしとして読んで頂きたい。現地で一体何を探していたのかについては、巻末で記述している。

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時系列では国道2号の市境、今坂峠まで自転車で走り、そこにある周防と長門の国境碑を撮影してきた帰路である。時刻は既に午後4時が近い。今回は田の小野に車を置くハイブリッド方式で訪れているもののそろそろあまり遠くには行かれない時間だった。

国道2号をどんどん下っている。
さて、次のターゲットはそろそろだろうか…


この入口だ。
この辺りで川を渡って南へ向かう道はそんなに多くはない。


唐突に始まったが、国道2号沿線は山中の集落である。国道と甲山川が頻繁に位置を入れ替えつつ東西に伸びている。かつて山陽街道が通り、山中は道中の宿泊地の一つだった。また、明治期に現在の山陽本線が通されることになったとき候補経路の一つに挙がっていた地でもある。もっとも現況は善和を経由する形で大きく南へ迂回する経路となったのであるが…
何故この経路になったかは諸説ある[1]

さて、賑わいは国道を往来する車ばかりで民家はそれほど多くない山中の集落から更に離れる形で本路線を進むこととなる。その先にあるものは…これといったものはない。期待されても困るので早めに言っておくが…

道幅は普通車一台ギリギリというところか。軽四でも余剰地を見つけなければ離合は無理だ。
最初に甲山川を渡る。白いガードレールのみの橋で名称は分からなかった。


橋を渡り終えた対岸に花崗岩の石柱が建っていた。
これは何だろう。


反対側から撮影している。この石柱にも何の文字もみられなかった。
祭りのとき幟を固定する石柱だろうか。


出はじめからエラく慎重に周囲を調べている。まあこの道に関してはそれも一つの目的だ。裏付けとなるものが現地に存在していてくれれば…という気持ちがあった。
それが何であるかは最後に述べる

殆ど破壊されて何が書かれていたか分からない立て札。
この道で間違いない筈なのだが、もしかすると「農道につき農業関係者以外は通行禁止」であったのではという気になった。


認定市道なら道路管理者が制限を加えない限りいつ誰が通行しようが自由だ。図体の大きな車が頻繁に通れば早く道が傷むという実情はあれど通行は問題ない。まして自転車なら尚更である。

道路と田畑の間はぎっしりと目の粗い金網で仕切られている。
野生動物が里山から下りてきて田畑を荒らす最近の傾向への対策だ。


振り返って撮影。
国道沿いに民家が並ぶ山中集落である。のどかな風景もここが見納めだ。


今はネットな時代だ。自分がこれから行こうとする場所や道路がどんな状態かは航空映像などで下調べできる。この道を通るのはまったく生まれて初めてだが、それでも民家が見られるのは国道沿い程度でここから先は寂しい山の中になることは事前に分かっていた。

細い沢地の一つをゆるゆると上っていく。
鉄網は張られているものの沿線には既に耕作されていない田畑もみられた。


沢地の上端である。ここで道路だけになり畑は消失する。
それでも先に電力を必要とする家があるのか、電信柱が道路の外に立っていた。


出だしからまだ一台の車にもすれ違っていない。それでも道路はアスファルト舗装されていてしかも割と新しい感じだ。
この家庭用電線の柱もそれほど古くはなさそうだが…まずは最初の調べ事だ。


電柱に取り付けられている標識の板。
「ヤマナカ」というカタカナ表記と電柱番号が書かれていた。


ヤマナカは言うまでもなく地名の山中である。国道2号沿いの山中地区から枝線を引っ張って来ているのだろうからとても順当な名称である。しかし私が期待していた情報はそこにはなくがっかりした。私の求める情報がもし現地にあるならそろそろこの辺りからだということは分かっていた。

やや急な坂を上ると正面に溜め池が見えてきた。
道は溜め池を避けるように左側へ迂回していた。


それほど大きな溜め池ではないし水も濁っていた。
残念ながら格別変わった外観のものでもない。


道路沿いにあるから名前は分からないにしても人が管理している灌漑用水向けの溜め池だろう。今どきよほど山奥にでも入らなければ、堰堤や樋門を持たないまったく自然の溜め池など皆無と言っていい。このことは古くから水量のある川に乏しく灌漑用水を自力で確保せざるを得なかった中四国地方では特に目立つ。ごく小さな沢地ですら適度に整形して水を溜める努力が払われてきた。

総括でも言及しているように、この辺りは南北に細長い沢地で似たような大きさと形状の細長い溜め池が3つ連続している。後で述べるから今は多くを語らないが、この溜め池は昔からのものであるし恐らく名前を持っていた筈なのだ。この道に関しては当面それを探るのも目的の一つであった。しかし現地には立て札を含めて何も見つからなかった。

本路線は最初の溜め池を過ぎたところで大きく右へ曲がり、2つ目の溜め池の堰堤上を通って位置関係を入れ替える。


それにしても何もない。人工物が。
舗装された道と電柱を除けば百年程度昔も景色があまり変わらなかったのではないかと思われる程だ。


その先にあった栗石造りの花壇みたいなもの。
これはちょっと訳が分からない。路肩の補強目的なのだろうけどこんなものは初めて目にした。


それほど高度を変えることなく3つ目の溜め池が現れた。
どれもが同じサイズで道路の位置関係も変わらないため、写真だけでは同じ場所を走り回っているように見える。


市街地に近い溜め池だと学童の興味を惹いてしまう危険から「泳いではいけません」などの立て札が過保護的に設置されているのが常だ。ここにはそれがない。いや、溜め池どころかさっきから文字で訴えかけてくる情報源すら殆ど見つからないのだった。
これは多分何も得られないだろうなあ…
現地から得られる情報は期待薄だった。まあ殆ど期待もしていなかったが、やはりそうだったか…といった感触があった。

(「市道杉河内線【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 個人的には地形由来説を支持している。甲山川の蛇行が多く河川周辺も狭いため橋りょうとトンネルが多くなるのを避けて焼野経由を採用したのだろう。

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