市道一ノ坂黒瀬線【1】

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現地踏査日:2012/1/29
記事公開日:2012/2/20
小野の方へ来る折りにはぜひとも調べてみたい市道があった。

その名は市道一ノ坂黒瀬線。これと言って特殊な読み方の地名ではなく、何処にでもあるようなローカルの一市道である。
しかしその特異性は私が初めて市の道路河川管理課で調べたときから理解していたし、小野地区の地名をよくご存じの方なら既に何かをお気づきになったかも知れない。

私は一ノ坂地区でいくつか見いだしている「物件」の踏査を遂行するために、まず厚東川ダム関連の設備になる「左岸曝気循環設備棟」を踏査し、そこへ車を留め置いていた。


市道一ノ坂黒瀬線はそこからすぐ近くにあるので、歩いて踏査することにした。

ここが市道の起点になる。
国道490号はこの先で右にカーブを描き、狭隘なことで知られる小野隧道に向かう。


反対側から撮影。
国道の両側にかなり古い一対の石碑があり、市道の起点はその手前にある。


地方で普通に見られる程度の幅を持った市道である。
緩くカーブしつつ小野湖の方へ降りていた。


下ってすぐの所に車が置ける平場があり、その傍らに石仏が祀られていた。
左岸曝気循環設備棟への通路ではなくここに停めれば良かった…


石仏は一枚だけ撮影しておいて現地で眺めるだけにとどめておいた。
派生記事: 三界萬霊
市道はその先更に下っていく。
アスファルト舗装路に傷みが少ない。エッジ部分がまだ綺麗で、割と最近舗装し替えたようだ。


両側にいくつもの民家への分岐を伴いつつ、市道は次第に先細りになっていく。


この先で道は二叉に分岐しており、正面の道には軽トラが停まっていた。
後から思えばここに車が停まっていたのは大変に残念な事態だった。


それと言うのも右側の分岐はタイヤ跡の明白さからすると本線に思えるのだが民家に通じる私道で、市道の経路は直進だからだ。即ち市道上に軽トラが鎮座していることになる。

まあ、自分は歩きだから軽トラの横をすり抜けて先へ進むこと自体困難はないだろう。しかしどのような場合でも踏査中の写真を撮る際になるべくナンバーの入った車を入れないよう留意しているので、この場所に車があって撮影アングルが限られるのは如何ともし難かった。

この近辺はかなり近いところまで小野湖の汀が迫ってきている。
護岸整備されておらず昔のままのようだ。


「小野湖を利用される皆さんへ」の案内板。
他の県管理ダム湖同様、小野湖も湖面は解放されていてバス釣りやボート競技目的で利用されている。
それにしても湖面の状態は、場所によっては…


こんな感じで入り江部分は風が吹き寄せるせいでゴミが酷い。先に訪れた左岸曝気循環設備棟の入り江でも同様だった。


この撮影後、軽トラの横をすり抜けて先に進んだ。
市道の行く末がどうなっているかはおよその見当はついていた。

アスファルトの路面はコンクリート打ちっ放しに変わり、しかも間断なく打ち寄せる湖水によって削り取られていた。


削られた舗装の末端部分。
もう随分前からこのようになっていたらしい。


コンクリート路面が露出している突端まで歩いて振り返って撮影。


民家の敷地との境は石垣になっていて、コンクリート部分が削れて無くなった先まで伸びていた。


石垣の上部には泥水で洗われた痕跡がある。水位が上昇すれば石垣のかなり上の方まで隠れるらしい。


全く明らかだが、ここから先は車はもちろん歩いてでも進行できない。
この場所を地図で示してみた。


湖水面が下がれば、あるいは民家の石垣に沿ってもう少し先の方まで市道が伸びているのが見えるかも知れない。しかし何処かで小野湖に呑み込まれてしまう事実を思えば、ここが行き止まりという主張に異を唱える読者は居ないだろう。

ところが…
どういう理由か分からないが、道路管理上ではこの市道が奇妙なことになっていたのだ。
ここは市道の終点ではない。
終点でなければどういう事態になるか想像がつくだろう。
市道は小野湖の中まで続いている!!
より正確に言えば、この市道は小野湖の上を渡るか潜るか分からないが、路線上は対岸の黒瀬地区まで続いていることになっているのだ。

言うまでもなく私が現地を訪れる前から市の道路河川管理課でこの市道の名称と共にそのことを知っていた。
一体、どんな状況になっているのだろうか…そのことを実地に見聞したくてやって来たのである。

このことに関連あるのか不明だが、壊れたコンクリート路面の端から湖底へ降りていく水没コンクリート階段を見つけた。


それは破れた舗装の先端から直角に曲がるように湖底へ伸びていた。


これは何を意味するのだろう…
もしかして階段市道になっているなんてことは…
何処まで続き、どの位の深さがあるやらも知れない階段へ向かうことなど出来ない。しかし詳細な写真を撮っておきたい私の意に反して上の2枚の写真を撮影した直後、全く塩梅悪いことが起きた。
この場所にボートを横付けする地元民が…
実は早くから分かっていた。
私が最初にここを訪れてカメラを構えていたときから若干沖合いに2人乗りのボートが徘徊していたのだ。まさか私を不審者と思って戻って来られたなどと悪意には取りたくないが…
しかしこんな場所に来る人は普通は考えられず…軽トラの車上荒らしではないかと勘違いされたのかも…
恐らく本当にたまたま作業を終えて接岸するタイミングだったのだろう。この場所に戻ってきてボートを陸揚げする段取りに入ろうとしていた。

言われなくともカメラを持った私がこの場所でうろうろしていては陸揚げの邪魔になるのは明らかで、まだ撮影途中ながらこれ以上ここに居る訳にはいかなかったのである。
いくら市道とは言っても外部から押しかけている以上私の立場は限りなく弱い

そこから離れて小野湖の右岸を写す。
対岸に少しばかり見えかけている橋は、市道櫟原線に属する黒瀬橋である。
県道を車で走ったときここで橋を撮影したので名前が判明している


ズーム撮影。
右岸まで直線距離で400m程度離れている。


このことから分かるように、対岸の周辺地域は黒瀬と呼ばれる地域らしい。経路図では全く適当に描いているものの、対岸の何処かに到達することでこの市道は終点到着となる。

上の写真を撮影後も暫く遠巻きに先ほどの場所を眺めていた。誰も居なくなったならもう一度あの場所を詳細に撮影しようと思ったからだ。しかしボートを陸揚げしてからも道具の撤収に時間がかかるらしかった。それで私は完全に再撮影を諦めて立ち去った。

さて、これが市道路河川管理課の保有する地図に書き込まれていた市道一ノ坂黒瀬線の経路図である。


国土地理院の地図にはこの市道の表記すら無いが、実際には車が通行可能な程度の幅員を持っている。
道路河川管理課が保有している地図には概ねこのような感じで経路図が書き込まれていた。
市道が湖面に没する位置までは地図の通りだが、そこから先は小野湖のどの辺りで左へ曲がり、対岸のどのあたりに接続されるか等は全く不明である。また、当たり前だが湖上を渡る部分に橋などなく、正確に辿るためにはボートが必須になる。

こんな素朴な疑問がわき起こるのは当然だろう。
どうして存在しない経路が認定市道になっているのだろう…
国道490号から分岐するこの道が認定市道とされる事には奇特性はない。山間部なり溜め池なりで行く手を阻まれ行き止まりになる道で認定市道となっている例は他にも沢山ある。
普通なら小野湖の汀へ到達する場所を終点にするだろう。しかし実際には通行不可能な小野湖の上を渡る形で対岸の黒瀬まで到達して終点となっており、大いに疑問だ。

この経路選定の理由について勝手にいろいろな仮説を立ててみた。
(1) この位置に橋を架ける計画があった。
(2) 小野湖が湛水される以前から存在していた古道が認定市道のまま遺っていた。
(3) かつて一ノ坂・黒瀬間に渡し船が出ていた経路をそのまま認定市道にした。
まず (1) はほぼあり得ないと思う。少なくとも小野湖に市が独自で架橋するという計画を聞いたことがないし、何よりもこの場所に橋を架ける必要性に薄い。対岸との行き来を可能にするなら、普通は両岸との距離が短い場所を選定する筈だ。
湖水面との高度を確保する必要があるから国道から直接架橋するはず

(2) は先の架橋説よりは有りそうな話だ。認定市道は成立の時期こそ古くても昭和中期からのものが多いが、道や呼称そのものは更に古くからあった筈だ。
戦前期、まだ現在の小野湖底に集落があった時期には間違いなく道も存在していた。黒瀬まで湖上を伸びる経路は、今は湖底に沈んでいる部分を示しているのではないかとも思える。直線で描いているのは、湖底に没して現在では詳細な経路が分からない(そしてもう恐らく誰にも分からない)からだろう。
小野湖底に没しているかつての古道が未だに現役市道の一部として経路認定されているとすれば、なかなかにロマンのある話である。
個人的には古道説であればと願うのだが…恐らくそうではないだろう

(3) が最近になって思いついた仮説で、真偽を検証するにはこの場所から市の運営する渡し船が出ていたかを調べる必要がある。黒瀬までは距離的には離れているものの、対岸との往来需要があったかも知れない。何より一ノ坂側は実際に今でもボートを接岸する場所として使われている。しかしそうとなればかなり昔まで遡る筈だ。
現在の黒瀬は数十年も前から人の住まない地区で地図からも地名表記が抹消されている

もう一つ気になるのが、道路河川管理課の路線一覧ファイルで見た備考欄である。電算で打ち出されたと思われるリストの備考欄に「トセン」とカタカナ表記されていたのを覚えている。
リストでこの文字を見つけた時点では担当者には尋ねなかったが、これは渡船(渡線?)を意味するのではないかと思う。この市道と似たような状況に置かれている市道がもう一つあり(市道臼木櫟原線)その備考欄にも同様の表記があったからだ。

遺憾ながら、もう道路河川管理課では真実を知ることは恐らくできないだろう。
今回、撮影途中で立ち去ったものの、案外あのボートを操縦していた地元住民は真実を知っていらっしゃるのかも知れない。
もっともあの場所でカメラを構える私の存在自体が奇特で気軽に尋ねられる状況ではなかった…
【追記】(2012/9/28)

後日、二度にわたって現地を再訪した。
二度目となった最近の低水位時期の踏査で前回充分に調べられなかった部分が明らかになったので、この記事を前編として続編を書いた。
(「市道一ノ坂黒瀬線【2】」へ続く)

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