市道平原権田畑線【1】

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記事作成日:2020/11/1
最終編集日:2021/1/2
9月27日のこと、私は小野地区の広範囲を題材採取する目的で車に自転車を積み込むハイブリッド方式で下小野をスタートした。小野地区の市道の画像が極端に少なく、採取しておきたかいのも目的にあった。

市道平原権田畑線はそのうちの一つであり、この日の出発拠点からもっとも遠い場所にある市道だった。現地でリアルタイムに確認できる手段を持ち合わせていない(スマホなどは持ってない)ので、分岐路やランドマークになる構造物を頭に入れて沿線の風景などを撮影しつつ現地に向かっていた。

市道下小野平原市小野線を進んでいて、目的の市道が始まる分岐路にやって来た。
左側に見える石碑は田圃開拓記念碑だった


この場所の地図を示す。


市道下小野平原市小野線はこのまま北上していく。この石碑が据えられている三差路で右折し山の中へ分け入る市道が目的のものだ。
ここより丁寧に撮影しつつ自転車を漕いだ。

平原自治会館前を過ぎると、今走っている市道より幅の広い対面交通の道を横切る。
これは確か美祢農林による広域農道である。


十字路を過ぎて道幅が少し狭くなった。
先で再び右へ分かれる三差路に出会った。
この分岐点に立像が祀られていた。三界萬霊塔だろう。


右への分岐は市道前原線である。比較的近年認定市道となった路線だが、分岐路にこの像があるということは古くからある道なのかも知れない。

ギアチェンジしなくてもゆっくり登って行ける程度の坂道が続く。
前方に秀麗な形をした山々、実った稲穂の田んぼ、そして茶色い瓦の目立つ民家が散らばっている。典型的な里山の風景だ。


天気が良く収穫時の季節でもあり、多くの田で農家の方が刈り取り作業をしていた。長閑な風景ではあるが、忙しそうに作業する方が多い傍らでのんびりと自転車を漕いでいく自分が思いきり浮いていた。

総括記事でも書いている通り、この市道は塩見峠を越えて嘉川方面に向かう経路を取っている。峠越えがあるということは、殆ど下り坂に出会うことなく高度を稼いでいる筈だ。
実際、沿線にある最後の民家を見送ってから坂がややきつくなった。


写真を撮りながら進んでいるため、降りて自転車を押し歩きした。

正面にさっきの秀麗な形をした山が見えている。名前は分からない。地理院地図にも載っていない。
これから進む昔ながらの道は、この美麗な山の裏側を回り込んで峠越えしているようである。


同じ位の道の分岐でちょっと迷いかけた。
峠を越えていくのだから、ここは当然左だ。


道路の中央には一定幅で切り取り舗装し直したような痕がみられる。
路側ではなく道路の中央だから、汚水管を埋設したのだろう。汚水の処理は個別の浄化槽ではなく集落単位で持つ浄化槽で処理しているようだ。
こういうのは現地である程度観察しているし、そこで見落としていても写真を見ることで後から気付くこともあるわけだ。

何処の山間部でもありがちな道路を進み、最後の大きな三差路に出会う。
左側はやや高度を下げているから進むべきは右の分岐とすぐに分かった。


左側の分岐は市道東市小野線で、ここから下って棯小野方面へ抜けている。県道に抜けられるということで、ここまでの車の往来需要はあるわけだ。しかし現地で自転車を押し歩きしている間一台の車も通らなかった。

ここから先がほぼ単独の古道で往来が少ないせいか、舗装はされているものの車が頻繁に通る形跡が感じられない。路上には枯れ葉が少し溜まっていた。

その舗装路もここまでだ。
それより民家に向かって下っていく道と更に標高を上げていく道に分岐していた。


どちらの道も山道の風合いである。そして峠に向かうのだから未舗装路になっている方が市道と推測できた。

背丈の低い草が生えていてなかなか良い感じの山道である。
まだ四輪が入れる程度の幅があった。しかし地面に轍の跡はみられなかった。


これぞ山岳市道といった風合いの石積み。
しかしそれを愛でる間もなくその先に「また例の奴か…」とゲンナリさせられるものが目に入ってきた。


鋼鉄製の門扉である。
ここでも山越えに向かう古道がフェンス門扉で塞がれていた。


ここでも…と言ったのは、近年まったく普通に見られる光景だからだ。

登山道のような公共の山道は元より、認定市道ですら途中経路がフェンスなどで塞がれているのは珍しくない。個人的には中国縦貫道の仏坂トンネルに向かう市道柳小野宗国線の踏査で初めて体験し、勝手に開けて入っていいものかどうか分からず大いに困惑した。記事にしていないだけで、その他にも市道末信線や市道東谷線でも鉄柵が置かれていたり塞がれていたりするのを観測している。

フェンス門扉に触ってみた。ラッチで2箇所を留めてあるだけで南京錠は付属していなかった。しかしラッチを外して押しても引っ張っても門扉は開かなかった。この先が古道なのは確かなのだが…ここを通らず迂回して先へ進める場所があるかも知れない。

後で調べよう。
それと言うのもフェンスのすぐ左側にかなり目立つ大きな御堂があったからだ。


御堂自体は比較的新しいものらしかった。御堂の中には石仏ではなく自然石らしきものが納められていた。いわゆる無文字庚申だろう。この場所に分岐路はなくいよいよ山へ分け入る場所なので、道中の安全祈願で建てられたものだろうか。

念のために御堂の裏側を含めてフェンス門扉を回避できる場所がないか探した。門扉の両側には延々と鉄格子の柵が続いていて回避できる場所は見つからなかった。
まあ、いいか…
無理して先へ進攻することもなかろう。小野方面のハイブリッド方式による訪問地の最後に回してしまったので、既に午後3時近かったからだ。

ここから先は間違いなく荒れた山道である。登山用具を要するような山でなくても午後3時という遅い時間から初めて訪れる山へ分け入るなんて非常識の部類だ。今からまた自転車を漕いで出発地点の下小野まで戻る時間も要るので、今日は下見ということで引き返した。

市道からは外れるが、帰りは未舗装路が始まる地点にあった下っていく坂道を通ってみた。


来るとき見えていたあの綺麗な形をした単独峰がすぐ目の前だ。
近傍の最高峰ではないが形が美しい。地元の方は何か名前を付けていらっしゃるのだろうか…


その道は最終的には再び市道へ合流した。

彼岸花の映える田畑と山、そして青空をバックに平原地区の集落を撮影。
地域に住む人々にとってはまったく日常の風景に過ぎない。他方、街中でコンクリートの灰色や道路の黒ばかり眺めている現代人には多彩な色調の視覚的刺激を得られたのではないだろうか。


この日は平原集会所まで引き返した後、ハイブリッド方式の出発地点まで農林の道を通って戻った。
アップダウンが非常に多く自転車で走るのは非常にきつかった
《 市道路課による回答 》
帰宅後、自転車で走った経路と市道名をチェックした。この過程で塞がれたフェンスのある山道が間違いなく市道平原権田畑線であることが判明した。[1]

公道は誰でも通行権を持つので、現地に災害があったり工事中で危険などの正当な理由がない限り通行が保証される。むしろ特段の理由もないのに道路管理者以外の誰でも物理的に塞いだり立入禁止の掲示物を出して通行を阻止する心理的抑圧を掛けるのは違法である。柵がしてあるのは野獣に田畑を荒らされる被害を防ぐためという切実な理由があるためで、キチンと柵を閉じておきさえすれば基本的に誰でも勝手に開けて通って構わない…この理解で間違いないと思ったが、念のために担当部署で確認してきた。

休み明けに市役所へ行く便があったとき市道路整備課へ立ち寄って柵の件について確認してきた。回答は極めて順当なもので、即ち公道を塞いで供用できなくすることはできないので基本的には誰でも開けて通って構わない、しかし地元民も獣害に悩まされているので柵をやり過ごした後は元の状態に戻しておくこと、もし近くに地元在住者があれば声を掛けてから通るのが望ましいということだった。地元在住者以外の者が殆ど誰も訪れない山道へ進もうとすれば、何があったのだろうかと不安を覚えることもあるからだ。

公道に設置された柵は開けて通って良いことは一般には周知されておらず、道が柵で塞がれていれば立入禁止と考えるのが普通である。認定市道や里道のような場合は堂々と開けて通れるのだが、私有地に至る私道だと勝手に柵を開けて入ればただちに不法侵入となる。この両者を区別する容易な方法はない。なので近くに地元在住者の姿があれば一声掛けて確認するのがベストだろう。
一連の記述は里道の通行に関する記事を作成した折に移動する
《 近年の変化 》
金網の門扉を開けて通って良いことを確認後、初回踏査のちょうど一ヶ月後に車で本路線の進攻可能地点まで移動し、そこから歩行踏査を行っている。このときの時系列記事は(高いリスクを取って行った歩行踏査であるが故に)限定公開としている。詳細は総括記事の関連記事リンクを参照。
出典および編集追記:

1. このチェックは「うべ情報マップ」で地形図表示モードにすることで容易に可能である。

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