市道柳小野宗国線【4】

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(「市道柳小野宗国線【3】」の続き)

障壁を2つ越した先から市道は段々と荒れ始め、その途中には厳しい障壁の設置理由を裏付ける元となる廃家電製品の墓場があった。やがて市道は中国自動車道に接近し、どうやらその下をくぐるようでボックスカルバートに向かっていた。

これほど酷い廃道状態だから閉塞しているのでは…とも思われた。
大丈夫、ちゃんと抜けられそうだ。


断面は2m角程度の正方形でかなり狭い。サイズはともかく、入口の直前で市道は折れ曲がって取り付いているから軽トラでも通行は無理だ。

ボックスカルバートの位置を特定するための”小郡16”のプレートが貼ってあった。
起点側にあるI.C.の地名を基準に番号を振っているのだろうか…


入る前から分かっていたことだが、ボックスカルバートには中間に明かり部分があった。仏坂トンネルを前に上下線が離れて中央に緩衝地帯があるので、そこへ出るための点検通路らしい。


もはや市道ではなく中国自動車道のネタになるのだが、この明かり区間から緩衝地帯へ登る管理用階段が設置されていた。もちろん門扉があって進むことはできない。
高速道路の敷地内は無条件に立入禁止だから入ろうという気も起こさなかった


人里離れた山奥ながら、中国自動車道は日本の東西を結ぶ大動脈の一つだ。いっときも車の流れが途絶えることがないらしく、大型トラックの吠えるようなエンジン音が響き渡っていた。

ボックスカルバートをくぐった先は今までになく荒れていそうな様子で先の道形が見えない。何だか悪い予感がした。


全く唐突だが、市道を辿る目的での踏査はここが終着地だった。
ボックスを経た先には数メートル四方の雑木が生えていない平場があるだけで、そこで市道はぷっつりと途絶えていたのだ。

意味が分からない。


草木の勢いも衰え始める12月ながら周囲の雑木と藪化が酷く、市道はこの先何処へも向かっている形跡が認められなかった。それでも可能な限り雑木林の中へ踏み込み、丹念に周囲を探った。

こんな状態なのだ。
もはやダブルトラックもシングルトラックも存在しない。木々の生え方は廃道上に進出した感じではなく、元から山にあったのと同じ姿だ。獣道の痕跡すら窺えない。


同じ場所から振り返って撮影。
まだボックスカルバートから10m程度しか離れていない。


どうしても…となれば、ここから雑木林の中へ踏み込み道なき道を彷徨う覚悟が要った。しかし私はそれほど執拗なリサーチを行うまでもなく、静かに結論付けた。
市道の到達可能地点はここまでだ。
ここまでの市道の経路を示そう。


既に述べた通り、市道が県道上に起点を持ち、沢を遡行して中国自動車道の下をくぐったこの場所まで含むことは市の道路河川管理課の保有する地図で確認済みだった。閲覧に供されているゼンリン©の地図では、中国自動車道の下をくぐるボックスカルバート部分までピンク色の実線が書き込まれていた。
但しそこから先はどうなっているか分からなかった。生憎その部分は宇部市の区域内でありながら山林しかないためにゼンリンにも収録されていなかったからだ。

路線名から推測するに、この市道は旧美東町の宗国地区へ向かうことを意図している。そのような市道の場合、終点は市境とされるのが通例である。
市道中野開作黒石目出線で山陽小野田市目出に向かう経路の市境が終点になっているのと同じ
しかしボックスをくぐった先までが認定市道で、ここから改めて宗国地区へ向かうのは経路として非効率的と思った。市境の峠を越えて往来するのが目的なら、もっと坂の少ない経路が考えられるからだ。
少なくとも現地を訪れたときはそう思った…しかしこの記事を書いている現時点ではまた別の仮説が浮かんでいる

何よりも腑に落ちないのは、アスファルト舗装まで施した道があり、安全に中国自動車道の下を通れるようにボックスカルバートまで拵えながら、その先に獣道レベルの踏み跡さえ全く存在しないという実態だ。

不自然な終わり方をしているこの市道にある一つの仮説が頭を過ぎった。
仏坂隧道に通じる古道とは無関係な
未成線だったのでは?
更に想像を巡らせれば、中国自動車道がここを通る以前からこの市道は存在していた…赤道なので中国自動車道と言えども潰してしまう訳にはいかない…しかし将来的にどの規模でこの道が整備されるかも不明な段階では最低スペックのボックスカルバートが確保されるだけだった…というシナリオが想起された。
したがって仮に未成線としても当初から四輪がガンガン通れる規模の市道に改良する意図はなかった筈だ。精々、人が歩いて峠越え出来る程度に整備するまでだろう。

市道の到達可能地点はここまで。
形式的な市道の終点は市境。
仏坂隧道に至る古道は別の経路。
現地の私は以上のような結論を下した。市道攻略としてはここまでであり、古道を辿って仏坂隧道を求めるなら他の経路を当たらなければならない。この場所から先に踏み跡を求めようがないし、全く成果が期待できそうにもない雑木林の中に入っていく気が起きなかった。

この場所を地図で示してみた。中心点が現在地になる。


地図にも中国自動車道の下へ潜り込むこのボックスカルバートの図が描かれている。既に見たようにボックスカルバートは入口部分で直角に近いくらい折れ曲がっているので、地図表記とはイメージが異なると思うが、中国自動車道を直角にくぐって反対側へ出てきている。

いくら行き止まりの市道とは言えこんな寂しい終わり方も無かろうに…と思いたいのとは裏腹に、場違いなほどここは騒々しかった。


終点側からボックスカルバートを撮影。
逆光がきつくてまともな写真にならない。上部にピンク色の気持ち悪い物体が覆い被さっているが、他ならぬ私の左手だ。
太陽の直射を少しでも和らげなければカメラが像を結ばない


誰も通らないのでボックスカルバート内部には灯りが点いていない。それどころか蛍光灯すら撤去されていた。当初はあったのかも知れないが。
市道沿いに続いていた電線はボックスカルバート内部の電源用だったのかも…


ボックスカルバートをくぐって戻ってきたところを振り返って撮影。
中国自動車道の斜面を登る階段らしきものがある。フェンスの内側なのでもちろん到達できない。
今思えばこの先はもうちょっと執着しておいても良かった…


しかしこの市道が古道の経路と無縁なら、他に候補となる経路がなければならない。
ボックスカルバートから先があの状況なら引き返す以外なかったのだが、かと言って簡単に撤収はしたくなかった。何しろあの障壁だ。二度三度と気軽に足を運べる場所ではない。

この市道以外にも心当たりがあった。大ありだ。
さっき藪の中に粗大ゴミが投棄されていた、あの分岐点である。


廃家電製品の墓場に戻ってきた。
”仏坂12”の表示板が貼られた電信柱。最初に来たときからその横に太い沢筋を遡行する山道があるのを見逃さなかった。


仏坂隧道の所在地として考えている方向としては些かの疑念があるが、古道としては大いに怪しい。かつてそれなりの往来があったと思われる古道としては充分な道幅を持っていたからだ。

市道の攻略はもう終わった。当然、ここは先を偵察しなければならない。
派生記事: 仏坂隧道(初回探索・宇部市側)
再び同じ場所へ戻ってきたとき、この”廃家電製品の墓場”付近に割と新しいタイヤ痕を見つけた。
例のアナログテレビを投棄に来た車が遺したものだろうか。
あれほどきつい障壁が2ヶ所もあるのに突破して車を乗り入れた?


当初のミッションを終えたなら後片付けが待っている。

まずは2番目の障壁の金網を通り過ごし、番線を元通りに結わえておいた。


それから初めに思い切り手こずった障壁のところまで戻ってきた。
障壁の向こう側で腕組みしてしかめ顔して待っている人など誰も居なかった。


ここも元通り番線を結わえておいた。
倒れかかったトタン板は持ち上げるたびにバタンバタンと音がうるさいので放置しておいた。


民家の方は本当に外出中だったのか、はたまた山歩きの人間だから大丈夫と放置だったのだろうか…
最後の最後まで誰一人として接触することはなかった。


車を転回するには、民家の入口を使わなければならない。さすがに自分でヤリタイ放題している上にバックで乗り込んで排気ガスのお土産を撒き散らすのは気が引けた。
それで(実際かなり大変だったのだが)起点まで全線バックで退出した。

バック走行のままあの石仏の前で停車した。
何も語らず、恐らく百年以上のときをここで過ごしてきた石仏たち。小さな庚申塚や道祖神を見つけることは割とあるが、これほどまとまって数体置かれているのはあまり例がない。やはりここは重要な古道の入口だったのだろうか…


仏坂隧道の宇部市側がどうなっているかを知るには、この市道を辿るのが最短なのは確かだ。しかし今まで述べてきたような事情があるので、残念ながら二度目はないと言わざるを得ない。いくら正当な理由があれど、足繁く通って幾度もあの障壁を解いては入り…を繰り返していたら、最後には厄介なトラブルに巻き込まれそうな気がする。

今後は美祢市側から峠を越えてアクセスするなど、別の方法を検討するようになると思う。
しかしあの障壁はどう思っても現状ベストとは思えない…市の方でどうにかしましょうよ…

【路線データ】

名称市道柳小野宗国線
路線番号771
起点県道231号美祢小郡線・柳小野バス停付近
終点不定
延長約800m
通行制限民家より先は車両通行不能。
備考実質的に一軒の民家のみが利用している。障壁より先は歩行者さえも通行困難。

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください

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