私は困難な障壁2ヶ所をやり過ごして市道柳小野宗国線を歩行踏査していた。それは中国自動車道のボックスカルバートを抜けた先で道の形を失い、その先はどうしても踏み跡を見つけることができなかった。
そこで市道に関しては形式的には市境が終点、実質的にはボックスカルバートをくぐった先までが通行可能区間でその先は未成線なのだろう…という暫定的な結論を出し、市道踏査を終了させた。
市道レポートを冒頭からお読み頂いた方はお分かりのように、私は単にこの市道の走破だけが目的で訪れているのではなかった。この市道が到達する中国自動車道の仏坂トンネル付近に、岩をくり抜いた素堀りの隧道があるという情報を得ていたからだ。その存在自体は確定的で、先駆者によって美祢市側の坑口が確認されている。貫通していることも確からしいが、宇部市側では何処に坑口があるのかなどを含めて充分な情報がなかった。それで市道走破と共に、徹底的な調査を行おうということになった次第であった。
(記事では「仏坂隧道」と表記しているがこれは中国自動車道の「仏坂トンネル」に倣って暫定的にそう呼んでいるだけであって確定的な名称ではないことをお断りしておく)
残念ながら市道の終点はその候補地ではなさそうだったが、市道の途中で私は仏坂隧道に至る古道の候補地としてかなり怪しい場所を見つけていた。
地図で示せば概ねこのあたりになる。
(※ 注:Yahoo!地図の等高線が抹消され地図から地形が判別できないため地理院地図に差し替えた)
ここに至るまで既に仏坂隧道の美祢市側の坑口はどのあたりになるかは(まだ訪ねてはいないのだが)地図上で把握していた。
遺憾ながら市道を外れて沢を遡行する経路は、ハッキリ言って仏坂隧道の所在場所からは離れる方向だ。しかし現実問題として市道のボックスカルバートをくぐった先に何も踏み跡が見つからないこと、古道がこの近辺の最も大きな沢筋を遡行するのは妥当でありがちな経路と考えたからだ。
竹が倒れかかっていて観るからに通る人は少なそうだが、踏み跡はしっかり着いている。古道のレベルならこの広さは国道並みだ。
踏み跡の部分は竹も進出していない。意外に普請する人が居るのかも知れない。
周囲の藪が開け、割と広い平場に出てきた。沢の一番奥になるようだ。
農薬などを入れる袋だろうか。ビニールシートのようにも思える。まだこの近辺は山が浅いのだろうか意外に人工物が見かけられる。
踏み跡は水の流れる沢へ向かって一旦下っていた。
岩場の目立つ沢だった。
驚いたことにここまで人の手が入っている。手前に古い鉄管が見えるだろうか。
写真では分かりづらいが、鉄管はかなり急な角度な沢に沿って伸びていた。
鉄管は酷く錆び付いているものの綻びはない。沢下まで山の水を導いているのだろうか。
広い幅の踏み跡もここまでだった。この先は明確な踏み跡がない。しかし鉄管が沢の上方まで伸びている限り、人の手が入っていることは間違いない。
鉄管は地面に接する部分にはコンクリートの基礎で支え、宙づりになる場所では支柱による架台で支えられていた。折れ点が全くない直線状だ。
既に明確な道はない。
沢筋は岩場で木が寄り付かないので、鉄管を手摺り代わりに何とか遡行することはできた。しかし現時点で既に古道というイメージは薄い。
かなり苦労して鉄管の先端部分にやって来たのだが、そこには”こんな人里離れた山奥なのに…”とでも言いたくなるような光景があった。
清涼な山の湧き水を鉄管で導いて…と考えたかったのだが、その先にあったのはコンクリート桝と鋳鉄蓋という、およそ自然の湧き水からはかけ離れた工作物だった。特にコンクリート桝に設置された錆び付いた鋳鉄蓋は、街中の汚水槽を想像させてゲッソリした。
近くにはプラスチックのバケツがうち捨てられていて何とも興ざめする光景だった。
沢は当然更に先まで伸びていたし、水道管のような細いパイプが沢に沿って更に上方へ続いていた。それほど幅もない沢なのに水量は多い。
しかし最も肝心な道らしき跡は何処にも続いていなかった。
古道というのは見せかけで、単にこの水場まで行き来するために後から造った道なのだろうか…
人の手が入った地であることを裏付けるもう一つの怪しいものがあった。
この沢の上部に築かれた栗石積みである。
どう観ても自然に出来たものではない。何かの目的あって人為的に寄せ集めて積んだのだろう。平場を造るためのようにも思える。
接近して詳細を確かめたかったが、現在居る場所からカメラに収めるのが精一杯だった。
沢地は暗くてピントが合わず、失敗写真を量産した。
石塁の上部を確かめることも沢を遡行することもままならなかった。
藪に悩まされることはなかったが、この場所は不安定な浮き石が多く足場がなかった。湿りがちな石の上を登るのは滑りやすく危険だし、登るだけで大変なのに安全に降りて来られる自信がなかった。
この沢地の向こうに”物件”が見えているなら、あらゆる手を尽くしてでも到達を試みただろう。残念ながらここは古道をイメージさせるあらゆる要素に欠けていた。ここまで続いた踏み跡も山の湧き水を利用するための管理道だったのだろう。
そこで先の写真を撮影した後すみやかに引き返した。結局、この枝道は古道に関する何の手がかりも提供しなかった。
現地の地図に主要な目標物を描き込んでみた。
(同じ場所の地図を こちら からも開くことができる)
仮にこれが仏坂隧道に至る古道だとすれば、沢の何処かでヘアピンカーブ状に折り返し、標高を上げつつ中国自動車道の方へ向かう筈だ。地図表記が正しければ、美祢市側の坑口は中国自動車道の仏坂トンネルに近い場所にあるからだ。宇部市側の坑口もそんなに離れた場所にはなるまい。
しかし実際には切り返すような明白な道は見当たらなかった。
あるいはこの先アッサリと峠を越えて美祢市側へ向かうのでは…という展開も一応は想定していた。ここに人の往来があったなら、仏坂隧道以前に峠を越える経路が必ず有り得るからだ。
目的の坑口に達することはできず、端から雲を掴むような踏査になったのは致し方なかった。そもそも当初は市道が古道と一致し、仏坂隧道の市境までが経路になると信じていたのだ。
先駆者の談話によれば、 という。
(後日単独で現地入りし水の溜まる隧道内を歩いて強引に反対側へ到達したということだ)
宇部市側のどこかに坑口があることは確かで、相当に長い間誰も通らなくなってしまい急速な勢いで自然に還っているのだろうか…
できれば宇部市側から坑口を見つけたかったのだが、事はそう簡単には運ばなかった。
かくなる上はどうでも美祢市側から踏査してみなければなるまい。
(「 仏坂隧道(初回踏査・美祢市側)」へ続く)