市道奥宇内線【2】

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(「市道奥宇内線【1】」の続き)

さて、冒頭では勢いに任せて”第二部では…”なんて書いてしまったが、何から書き始めようか。

クサい喩えで我ながら鼻白むのだが、それこそ市道奥宇内線に関しては、
言葉にならない程のドラマがあった。
幸いなことにそのような想い出深い道を幾本も持っているのだが、この市道は私の中ではトップスリーに入るレベルだ。
勿体ぶらず言えば、今から十数年前のこと、私自身
この市道の施工に携わった。
のである。
それ故にこの市道自体はもちろん、最初はどんな場所だったのか、道路構造にどんな特質があるのか、最初から最後まで殆ど全部知り尽くしている。
そのことを踏まえて、回想録風に書かせて頂きたい。
物語として成立させるために若干の脚色があるかも知れないことをお断りしておく

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20代後半だった私は、当時は土木工事現場の主に測量業務を担当していた。
土木部長の辞令が出た。
「すた君、来週から小野に行ってくれんかね?」
辞令は絶対である。もっとも絶対服従という意味ではなく、場数を多く踏むことで経験を積むのだから、新しい現場で新しい技術を覚えるのはむしろ歓迎すべきことだった。それまで私は小さな現場での手伝い的な役務を担当し、測量の用事がなくなればまた別の現場へ…という感じで転々としていた。
ただ私にとっての懸念材料は、小野の何処で何をするのやら全く分からないという事実だった。
土木部長は付け足した。
「小野の奥宇内という所だ。市の道路改良の仕事で、H氏には図面一式を渡している。測量のばんこ(手伝い)をやって欲しいんじゃが…」
翌日、私は一旦会社事務所へ上がり、そこから現場監督のH氏に先導されて北へ向いて走った。小野の街並みまでも相当遠い印象があるのだが、そこを過ぎて細い道に入り、そこをまた延々と走ることになった。どれだけ山奥深い場所なのだろう…と少々不安になった。
そしてこの場所から車を乗り入れ、程なくして停車した。


私が初めてこの現場を訪れたとき、この市道の入口までは既に舗装まで出来上がっていた。ただし写真で左側に見える家はまだ無かったと思う。
前編では石碑の写真を丹念に撮影しているが当時の私はこの石碑について存在すら全く知らなかった

意外にもこの市道は現在、溜め池に向かう小道があるこの場所までキチンと舗装されていた。その先はバリケードが設置され車両通行止めになっていた。


更にこの先がどうなっていたか、私は着工前の状況を観ているからハッキリ断言できる。
溜め池の真横に急斜面を沿って歩く
細い獣道があるだけだった。
市道は美祢市側からも先行して造られていたようで、市境を越えて宇部市入りし溜め池の上端までは同じ規格の道が舗装路まで出来上がっていた。(但しまだ舗装はされていなかった)溜め池の横は殆ど崖のような状態になっていて、獣道はここで急坂を登り崖の上を通っていた。即ち溜め池の横の部分だけが市道の車両通行不能区間となっていたのである。今回発注された「市道奥宇内線道路改良工事」(工事名は違うかも知れない…)は、この溜め池に沿って”新タイプの擁壁”を設置して車道幅を確保し、市道奥宇内線を全通させるというものであった。

工事は12月から年を跨いで3月くらいまでだった。通行不能区間となっている溜め池の真横に同じ規格の道路を通すので、工事を安全に行うためには溜め池の水を抜かなければならない。そのために田畑へ灌水する必要のない冬場が選ばれたようだ。
実際私たちが現地入りしたときには溜め池の水位は最低限まで下げられていた

私がH氏に連れられて現地へ赴いたのはこの市道改良工事が落札された直後であり、まだ現場ハウスも設置されていなかった。私たちは活動拠点を設けるべく業者に依頼し、当時はまだこの世に出たばかりのユニットハウスを搬入し据え付けてもらうことになった。上の写真では右側に入る道があり、現在は盛土されていて宇内調整池となっているが、かつては平場で現場事務所があった。

ここがユニットハウスを据え付け工事現場事務所としていた場所だ。
当時から遺っているものと言えば、左側の排水側溝くらいのものである。それは私たちがこの地を訪れたときには既に据え付けられていた。


カーブの内側ということは地形的には沢地とも言えた。そのために排水側溝が据えられたのだろうが、それにしてもこの場所はやたら水気が多く、雨が降らなくても常にジュクジュクと山の湧き水が平場を濡らしていた。しかも粘性土なので水を含むとトロトロになって極めて支持力が乏しかった。しかしここ以外近くにユニットハウスを据えられる場所はなかった。
外注業者は最初にユニットハウスを据えるためのミニバックホウをトラッククレーンから降ろしたのだが、ゴムキャタを履いたバックホウがこの平場へ降りた途端にはまった。転回しようと動くたびに水気を含んだ粘土が捏ね回され、しばしば身動きが取れなくなった。ユニットハウスの脚をそのまま地面に降ろすと自重でズブズブ嵌るので、脚に下駄を履かせて据え付ける必要があった。朝から設置を始めて、業者と付きっきりでハウスの設置だけで夕方までかかったのを覚えている。

現地で寝泊まりすることはないにしても、平日は朝から晩まで活動拠点となる訳だから相応の設備が必要だった。私たちは当初から監督3人のチームで臨んだので、デスクも人数分の3台揃えていた。ユニットハウスは6畳の広さを持つものを2つ繋げた形態で、中央には昼食をとったり図面を拡げるためのテーブルを置いた。この他にスタッフや掛け矢などを置く物置、簡易トイレが必要だった。汚れては困るレベルなどの機器はハウスへ持ち込み、雨に濡れても良い垂木の杭などはハウス横の屋外に置いてビニールシートを被せた。

時期柄、当然石油ストーブも必要だった。
灯油の買いだしはHさんが行った…もちろん自腹ではなく会社持ちで
夕方には暗くなるから電気は必要だったし、リース会社や下請け、材料発注の連絡に必要なので電話も現場事務所用に番号を取得した。
まだ漸くポケベルが出廻り始めた頃の事でケータイなど当然なかった
私たちがこの地を去った後同じ場所に宇内調整池が造られたことから分かるように、当時はまだここまで水道が来ていなかった。しかし飲み水自体は昼食のお茶程度だったし、泥で汚れた靴を洗いたいなら現場ハウス前に小川があったからさほど不便はなかった。
すぐ靴が泥まみれになるのでハウスに泥を持ち込まないよう入口に泥落としネットを敷いていた

現場で測量を行うのが主な仕事なので、私がユニットハウスのデスクに向かうのは昼食と測量用の計算を行うとき位のものだった。机は市道側に向けていたので、デスクに向かうとこの景色が眺められた。
調整池のために盛土されているので当時の視座はこれよりもう少し低かった


忙しく現場を右往左往しているときに景色など悠長に眺められるわけがない。また、当時の自分は今ほど里山の造詣に興味を示さなかった。
しかしユニットハウスがあったこの場所からの景色は、意識しなくても脳裏に刻み込まれていたようだ。


この撮影をしたとき、たまたま野焼きをしていたのだろうか…遠くに煙がたなびくのが見えた。これを見て私には当時この地でよく観られた炭焼き小屋の煙に重ね合わされた。

街中とは違う山奥の仕事なので、奥宇内住民との接点は殆どなかった。工事の進捗状況が気になってたまに現場を観に来る方くらいのもので、まだ自分も若かったし折衝事はHさんの担当だから、個人的にお世話になった方はなかった。
しかしどなたかは分からないが、奥宇内にお住まいの方からH氏を通して炭を分けて頂いたことがある。炭焼き小屋を持っていて市場にも出しているのだが、割れたり欠けたりして市場に出せないけどモノは充分に使えるからどうぞ使って下さい…とわざわざ現場事務所まで持って来られたのだった。

頂いた炭は結構な量があったので、私たち3人で分けて持ち帰った。その炭は、親父が外で焼き肉をするときに使った。市販の炭よりずっと火力が強く、しかも長時間熾を保っていた。親父が今までない程に良質な炭だと感心していた。

この地に住む人々の温かさに触れた半面、奥宇内の冬がどれほど厳しいものかは、その後ほどなくして身を以て知ることとなった。
ある雪の日のこと。市内でみぞれが降って一時は路面にもシャーベット状に積もるほどのときがあった。どこの工事現場も同様だが、雪だからと言って休むわけにはいかない。私はいつものように国道490号を経由して現場に向かった。
国道はところどころで凍結していたが、ある程度住民の通行がある市道上小野下宇内線までは除雪されていた。しかし我が工事現場の起点を前に唖然とさせられた。
全く現場ハウスへ近づけない。
この写真で最初の左への折れ点がある場所に工事用のバリカー(単管を3本組み合わせた長めのバリケード)を据えていた。
工事現場に入られないように業務が終わって帰るときは常に入口のバリカーを閉めていた
バリカーの位置までは何とか歩いて到達できたが、そこから先へは道が何処にあるやら全く分からない程の積雪だった。


車を乗り入れられないと判断したので、私はユニットハウスの鍵と書類を持って歩いた。ところがバリカーを越えて踏み出すや、太ももまでずっぽり埋まって足を引き抜けなかった。もちろん長靴を履いていたのだが、股下まで雪が積もっている状態で、歩いていこうにも次の一歩を踏み出せなかった。バリカーから先は私たち以外誰も通らないので除雪されている筈もなかった。
その後ほどなくしてメンバーが到着したものの、この日は現場での作業を諦め、会社事務所に戻って書類作業をすることになった。

工事の流れは書類に始まる。即ちどんな手順でどれ位の期間で竣工に漕ぎ着けるのかのスケジュール表(施工計画書)を会社だけでなく市道路課にも提出しなければならない。他にも施工下請け業者の選定、使用する資材の材料承認、実行予算の作成、現地住民への説明会開催など想像する以上にすべきことがある。それらはすべて現場代理人たるH氏の担当だった。私は現地の測量関連を一任されていたので、図面(平面図・縦断図・横断図・構造図)を穴のあくほど眺め、頭に入れ、ここに何が出来るかはもちろんどの位置にどのタイミングで設置すべきかの指針となる測量データの作成にかかった。

現場にあって最初にすべき作業は、未成区間となっている溜め池斜面に道路線形を描き出すことだった。現地にある中心線の測量杭をチェックし、それを元に山のどの辺りから斜面を切り始めて道路の路肩がどの辺に来て…というイメージが分かるように木製の指標(丁張)を設置するのである。
中心線の測量杭は設計段階で測量コンサル会社が現地へ落としていた…中心線付近の見通しが利くようにあらかたの伐採も終わっていた
丁張は実際に山の斜面を切り始める作業に必要なだけではなく、地元住民を集めて現場説明会を行うときの最も視覚的に分かりやすい情報を提供する。それ故にとりわけ急がれた作業だった。

この現場の場合、既に起点・終点側は舗装まで完成しており、舗装天に中心点の鋲が設置されていたので図面のデータより現場合わせ優先となる場合が多く、原理的には難しいことはなかった。測量にあたっての困難は、溜め池横の急峻な地形にあった。

車両通行不能区間になっている位だから、溜め池の横はかなりきつい斜面になっていた。人が往来する獣道も斜面を避けて溜め池より10m位高い崖の上を通っていた。およそ平場がなく、私はここに車が離合できる程の車道が出来るというイメージが湧かなかった。
コンサルが遺した中心線の杭は概ね獣道に沿って存在していたが、そこから直角方向に道路幅員分に相当する左右の位置を確定する作業は本当に難儀した。何しろ今から切り崩そうとする斜面に位置を出すのだから、まともに接近できる場所なわけがない。中心線から右側はとてつもない藪の中、左側は溜め池に面する物凄い急斜面である。足を滑らせれば溜め池へボチャンという場所に杭を打ち丁張を掛けるのだ。
もっとも安全第一だから雨天など本当に滑って転落しそうなほど足元が悪い日は中止した

中心点から路肩の位置を割り出すにはテープを張って角度を測る必要があった。当時既に光波測量機器(レーザーを飛ばして距離と角度から水平距離に換算してデジタル表示する)はあったが、極めて高価で会社に2台しかなく、既に主要な現場へ渡っていたので、中心点から直角に振った方向へ伸縮の少ないスチールテープを可能な限り水平に引っ張って距離と角度を割り出す原始的な作業もあった。
如何にも大雑把な測量に思えるが土工の段階ではミリ単位の精密な測量は要らない…どのみち施工中に杭は飛ばされるので切土完了後再度設置する際に精密な測量に切り替えていくのである

特に離れた引照点から中心点をチェックするときなど、山の木々が繁茂しているので測量機器で見通すことが出来ない場面がしばしばあった。自然破壊の謗りを免れないのを覚悟で、機器を見通せる範囲で木の枝を伐採することは日常的に行われた。
道路敷となる部分はいずれ伐採後片切掘削されるのであまり拘りはなかった

冬の寒い中、スチールテープを引っ張る手も悴んだ。測量がなければ現場は前に進まない。粉雪が舞う中でも殆ど終日外でトランシット、レベル、スタッフ、そして測量杭に使う垂木の杭や釘などを持って歩き回る日々が続いた。
昼休みはユニットハウスに戻って昼食を取った。家から持参した弁当が有り得ないほど冷え冷えだったし、石油ストーブの灯油がすぐなくなった。寒さは確かにストレスだったが、仕事自体はさほど苦痛ではなかった。現場チームの人間関係に負うところが大きかったと思う。
回想するに仕事の内容よりもどのメンバーで施工するかは無視できない大きな要素…人間関係の悪いチームでは必ずと言っていいほどロクでもないトラブルが起きる

さて、私限定の思い出話をつらつら展開しても読者は退屈だろうから、そろそろこの工事および市道奥宇内線の主眼部分に移りたい。それは最も困難な溜め池横の崖に車を通せる幅を確保すべく擁壁を設置する工種だ。

工事費レベルでも伐採やバックホウによる片切掘削などは殆ど問題にならない。もっとも重要で工事費の比率も高かったのが、溜め池に面する部分の擁壁だった。

私はその擁壁について前編では”新しいタイプの擁壁”とだけ述べた。実は現在では同種の擁壁は県内の至る所で見受けられ、そう珍しいものではない。ただ前もって言っておけば、この種の擁壁および工法は恐らく開発されて日が浅かった。県内でも同タイプの擁壁の施工例は一例しかなく、そして宇部市にあってはこの市道奥宇内線が初めての施工例となるのだった。
これなんだよね…この情報って表に出しちゃって良かったんだろうかと^^;

それが何処にあるかと言うと…
さっき何気なく通ったこの場所だ。この真下なのだ。


土木工事というものは自然が相手だから施工場所や条件は毎回殆ど必ず異なる。しかし意外にも設置される擁壁や道路のタイプは規格化されているので、毎回同じようなものを違う場所に造るケースが殆どだ。だから施工にあたっては慣れが結構大きな要素となる。
市道奥宇内線の場合、後で述べるような事情により、設置される擁壁が全く今までと異なるタイプということが問題だった。即ちやったことのある人が居ない。社内にはもちろん市内にも。不慣れどころか要領が分からないのは当然だ。
私たちは資料を取り寄せ、最初のうちは擁壁製造業者の立ち合い指導が必要だった。

技術的な詳しい話は後回しにして、まずは実物を観てもらうために再び淡々と現地の写真を紹介しよう。

(「市道奥宇内線【3】」へ続く)

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