市道東宮地線・横話

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ここでは、市道東宮地線の派生的記事をまとめて収録している。但しこの記事を制作する現時点では派生記事の寄せ集めと言うよりはある一つの調査に対する時系列記事が主になる。
《 小さなピーク 》
現地撮影日:2015/10/7
記事公開日:2015/10/13
本編側で示唆したように、上記の県営住宅に隣接する南京納住宅付近には、かつて現在の北琴芝一丁目において唯一標高10mを越える小さな領域が存在していた場所である。

改めてそのエリアを含む拡大地理院地図を載せる。


地理院地図では東西に約30m、南北に約60mの等高線がみられる。この等高線はすぐ西側にある等高線の上ランクに位置し、窪地の記号もない[1]のでこの内側は標高10mを越えるエリアである。

かつて住んでいた現在の恩田町5丁目にも類似する小領域を地理院地図で確認していたこともあり、この場所の特異性についてもほぼ同じ頃に見つけていた。最近、小羽山まで自転車で向かう用件があってたまたま工学部通りを通ったときにこのエリアの件を思い出したのでサクッと撮影した。アジト帰宅後、その写真を元にFacebookメンバー向けにこの場所の特異性を見つける問題[2]として投げかけてみた。

正直な話、先出のYahoo!地図では等高線が現れないので穴の空くほど眺めていようが把握しようがない。実際、等高線の見える地理院地図を提示してもなお正答者は現れなかった。社会や地理の授業で最近等高線の読み方を習った小中学生でもなければ、そんな所へ目を向ける人など僅少だろう。
正答者が現れなかったので、出題した以上は明快に分かる形での説明責任があるだろう。そこで別の日に現地での検証を兼ねて説明用の写真を撮って来た。

標高10m以上のエリアは本路線と工学部通りに挟まれたアパート敷地内にある。
その出入り口は工学部通りにのみ存在し、アパートに向かって軽いスロープになっている。


このアパートは公営住宅ではないのでこういった用件での立ち入りは問題があるだろうが、極力無関係な部屋などを写し込まないアングルで撮っているのでご了承を…

今や解答は写真に写っている建物などの人工物ではなく地山という地形に依存する。したがってここからは現在自分が居る場所の標高と、そこからの相対的な昇降を強く意識し観察する必要がある。

まずは「工学部通りに対して登りスロープになっている」ことが重要だ。
アパートに背を向けて撮影している。正確にどの程度かは分からないが工学部通りよりも1mは高い。


舗装された駐車スペース部分は集水勾配を考慮しなければほぼフラットだった。
ここが通路兼駐車スペースの西の端である。地理院地図ではここまでの間に10m超過エリアが存在することになっている。


しかし駐車スペースにそんな起伏などありはしない。アパート建築時に平らに均したのだろう。痕跡としても高い部分は観測されなかった。

西の端側。ここは忠実に地理院地図で2本の補助等高線が現れる状況を反映した地形となっている。
実際、視座から宇部工業高校のグラウンドまでは10m程度の高低差が生じていた。


ついでながらこの部分も分析しておくと、グラウンド部分は広範囲に手が加わっている筈だ。必要な面積が確保できるまでアパートのある東側を削り、発生土を西側へ押し出してフラットな領域を造るなどしている。工学部通りはそのままだと高低差がきついのでスムーズに車が通れるよう後年高い場所を削り土を押し出して縦断勾配を和らげていると思われる。[3]

同じアパート敷地内の反対側の端。
敷地内で相対的に地山レベルが高い場所と言えばこの辺りしかない。


しかしここが高いからと言っても精々舗装面から10cm程度だし、何よりも既に地山ではない。
全体にフラットで端に低木が生えフェンスも設置されているのだから人の手が入っている。


では、このアパート敷地外でより高い場所があるのだろうか。一旦退出し、本路線を戻る形で県営住宅の方を調べた。

県住の駐車場からの撮影。先ほど訪れた南京納住宅の反対側になる。
駐車場の端に練積ブロックが見えている。


したがって県営住宅は概ね南京納住宅より1m程度は低い。しかも各棟があるエリアはどこも同じなので高い場所はなさそうだ。
現状ではこの高低差部分のみが地理院地図の高い部分の現れとも言える。本来なら段差を遺さずに県営住宅側とツラ(同一レベル)になるまで削った方が土地として使い手が良い。そうすれば大量の土砂が発生してしまうからか、堅い岩盤があったためにひな壇状に遺したのだろう。

その先にある集会所の方へ向かっていた。さすがにもうこの辺りは改変で何処もフラットである。


玄関部分に海抜7.7mのサインが出ていた。
これは今の調査を行っている局面では大変に役立った。


この海抜7.7mが集会所の玄関付近のものと考えると、多少の起伏を考慮しても県営住宅の敷地内すべてが平均的に8m以下と言える。そして既に見たように南京納住宅は1m足らずの練積ブロックで隔てられた敷地に建っていた。その南京納住宅の何処にも駐車場レベル以上に高い場所はなかった…

一連の観測結果より、地理院地図にみられる標高10mを越えるエリアはもはや存在しないと結論付けられる。アパートを建てるにあたって平坦地を確保するために高い部分を削り押し広げられた結果だ。

なおも地理院地図の記述を信じるとすると、工学部を隔てて等高線が閉曲線を描いているということは、少なくとも地理院地図向けの測量を行ったときには小さなピークを形成していたことになる。それは遙か昔からの自然地勢だろうか。もしそうならこのピークに恩田長沢の源山の如き何かの名称が与えられていた可能性もある。

現在ある地勢から判断してその可能性は薄い。この場所は単独の丘陵部ではなく、北側にある尾根の続きと思われるからだ。

工学部通りから先ほどの南京納住宅入り口付近を撮影している。
道路は緩やかな坂になっているが南側の敷地は道路面より遙かに高く石積みとなっている。


ほぼ同じ場所の北側の様子。
こちらも明白に道路面より高い。民家は南側にあるものと同程度のレベルにある。


石積みの天端ラインは南京納住宅入り口の高さに近接するので、現在の工学部通り以前の地山ラインはずっと高い場所にあったようだ。この場所は地理院地図の10mピークと繋がるか、精々周辺より少し低い程度だっただろう。単独ピークと言えるほどの存在ではなかったように思われるのである。

新しい道路や宅地造成で地勢は刻々と変わりつつも、地理院地図は即座に変更を反映するのではなくタイムラグが大きい。このため既に供用開始している道路が未記載だったり既に存在しない橋が記載されていたり[4]する。
地理院地図の10m超過領域を示す閉曲線は、工学部通りが現在の状態になった後、南京納住宅や県営住宅ができる以前の戸建て住宅時代のものと想像される。

地図に古い地勢情報がそのまま残されている場合、現地へ赴いたとき地図との相違に当惑するかも知れない。代わりにその地がかつてどのような地勢であったかを掘り起こすとき、本件のような興味深い題材を与えてくれることもある。

宇部市の場合、地理院地図の海抜10mラインを辿ることで人々がこの地に暮らし始める前の最初期の波打ち際を推測できると言われている。個人的にはその下の補助標高線となる5mラインから上が地山の始まり、即ち人々が恒久的な住居を構えることのできた領域と考えている。古来からの居住可能地域を推察する補助資料として、市内全域で地理院地図の5mおよび10m等高線を忠実にトレースし可視化した上載せデータの制作が求められている。
大変に根気の要る作業…途中までやりかけてはいるんですが…
【 個人的関わり 】
この地勢に気づく以前においてこの場所付近への個人的関わりは、思い出せる範囲で二度ほどあった。
一度は大学卒業後のこと、通信教育においてある数学の問題がどうしても解決できず困っていたところ、ある数学の教授に声をかけられ一緒に考えてみようと言われたことである。どういう経緯で紹介されたのかは覚えていない。自分は該当問題を持って自転車で教授宅へ行った。問題は最終的に解決はできたが、私が悪戦苦闘していた直接的な方法では複雑化するばかりで解けないことが分かった。n次の自然対数を基とした式の不定積分を求める問題だった。解決後、教授にブランデー入りの濃いコーヒーを頂いたものの、強烈に効いて何度もトイレへ通うことになったのを覚えている。訪問したのは後にも先にもこの一度きりだった。
具体的な場所や教授のお名前も覚えているがここでは省略する

もう一つは就職後のこと、個人宅の駐車場か敷地確保か何かで測量の手伝いに来たことがあった。この場所は南京納住宅と宇部工業高校の間あたりだったと思う。業務のことでもあり詳細なことはまったく思い出せない。
出典および編集追記:

1. 地理院地図の正規の表記では、内側に向かって低くなる窪地では閉曲線の内側に短い線分を書き加えるか中心に向かう矢印を表記することになっている。自然由来の地形では秋吉台のドリーネをはじめ涸れた溜め池や落盤跡、人工由来では部分的に埋め遺された沢地や露天掘り地などに現れる。
市内でも東小羽山5丁目付近に存在する

2.「2015/10/6のタイムライン(要ログイン)

3. この根拠は宇部工業高校グラウンドから工学部通りを挟んで北側にある住宅地が軒並み道路面より低い位置にあることからの推察である。

4. 例えば工学部通りの旧起点となる西宮橋は既に落とされていながらこの記事を書く現時点では未だに橋と道路が記載されている

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