黒岩開古道【1】

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現地踏査日:2014/11/15
記事公開日:2015/1/3
黒岩橋への訪問は2013年に行い既に記事化もされている。市道黒岩線についても早くから分かっていた。しかし黒杭村がどの辺りにあるかの情報を得たのはそれより後のことであるし、これから向かおうとしている道が鍵を握っていそうだと感じたのは更に後だった。

先行して記事化している開黒岩古道の記事の通り、去年の1月に開側から進攻したときはまったく歯が立たない藪に阻まれ通り抜けに失敗した。
その後書籍[1]で黒杭村在住者が寄進されたとされる道標の写真を目にした。そのような道標が存在するなら、この道沿いである可能性が高いと睨んだ。他に道標を要するほどの道が考えられなかったからだ。

ここから開側まで抜けることについてはかなり楽観視していた。車では無理かも知れないが地図には明白な道として記載されている。そして1月は一年のうちでも草木の勢いが衰え藪道を攻略するのに有利な時期だ。前回突破できなかった区間はごく短く、少しばかり藪漕ぎを辛抱すれば開側へ抜けられるだろうと考えたのだ。

古道の黒岩側入口はすぐ分かった…と言うか、実はこの日現地を訪れる前から分かっていた。


以前、黒岩橋を撮りに来たとき周辺の写真を丹念に撮っていた。このとき橋を渡った先にある右カーブ手前の分岐路を含む場所も撮影している。
市道黒岩線は何処も駐車禁止にはなっていない。そして前回撮った写真から下り右カーブの外側が大きく膨らんでいて車を停めても邪魔にならないことをあらかじめ知っていた。

この道で間違いない。
未舗装路だが幅は結構広くて普通車でも通れる規格だ。


市道がもの凄い勢いで下っていくのに対し古道は平坦に伸びていた。
藪の隙間から下の方へ市道が見えていた。


今度こそ行けるだろうと感じた。
開側から来たときよりも道の状態がずっと良い。適宜道普請されているのだろうか。


市道が見えなくなってから暫く進んだところで迷わせる分岐路に出会った。
同じ幅の道は若干折れる形で左に伸びている。直進は道幅が狭まるし荒れている感じだ。


道の線形からすればここは直進のような気がする。
まだ何とか道は見えるが…あまり気の進まない荒れようだ。


進行方向から折れる形の線形というのはちょっと考え難い気はした。
しかし敢えて最初から難しい方を試すこともない。楽をしたい気持ちもあってまずはまずは幅広の道が続く左側の分岐を進んでみた。


あ、これは違う…と思った瞬間だ。
緩やかな坂を登り切った先には無縁仏を合祀している石仏が据えられていた。


敢えて詳細な写真は掲載しないが共同墓地らしかった。いくつかは藪に埋もれて無縁仏化していたが、普請されている区画は榊などが備えられていた。
ここまで幅広で草刈りもされていたのは墓参という通行需要があるからに過ぎなかったのだ。

一応、その先を偵察してみた。
辛うじて道らしき痕跡は窺える。しかし方向からして違う。これは黒岩山の登山道に繋がるかも知れないと思った。


再び分岐点まで戻る。
やはり腹をくくってちょっと気乗りしない右の荒れ道へ突入することになりそうだ。


道はある…確かに道の形にはなっていた。


しかし安泰に進めたのはものの十数メートル程度のことだった。
そこで酷い藪に阻まれ道の形が失われた。


大きな木は生えていない。だからかつて道だったと言われれば納得はいく。
それにしてこの道に間違いないとばかりに藪の中へ突っ込んで行くだけの確信は持てなかった。


もし先に道標らしき石碑が見えかけていたなら、それこそ万障繰り合わせて突撃していた。開側から攻略したとき出会った屋根の抜け落ちたスレート倉庫でも見えていれば、通り抜けまではいかなくとも遠方から撮影できる場所までは進攻するだろう。現状はそのいずれにもほど遠かった。
実務上の問題もあった。シダ系などの柔らかい草ならまだしもイバラや葛系の衣服に引っかかって足止めを喰らわせる植物が多かったのだ。こういう場所を突破するには素手では無理である。短い区間なら注意深くイバラ等を取り除いて進攻するが、この先どれだけイバラ道が続いているか知れない状況ならとてもモチベーションが保てない。

耐性がないと言われそうだがダメと見切ったものは本当にダメだ。
服にイバラが食い込んで身動きできなくなった写真を撮ることになってしまう前にアッサリと引き返した。[2]


このような状況で、結局黒岩側からも同様な藪に阻まれ通り抜けを断念することとなった。
墓地への分岐路を外れてすぐ進攻不能状態となったので、地図上での最終到達可能地点はこの辺りと考えている。それでも完全に通れなくなっている区間は高々100m程度と思われる。この先で最高地点を通過する峠になっているようだ。
地図では明瞭に記載はされていないが、西片倉集会所の下を通って沢を遡行して南へ進む別の道がある。道標はこの道と古道との交点に設置されているのかも知れない。

読者情報によると、この道は数年前までは徒歩のみならず四輪も通り抜け可能で途中にランドマーク的存在となる大きな樹木があったという。[3]したがって見かけ上藪で包まれているだけで道としては存続している筈である。しかしこの区間を真っ当に攻略するなら時期を問わず鎌や剪定バサミなど道を切り拓く道具の携行が要ると思う。区間が長ければ鎌や剪定バサミでは役不足で草刈り機すら必携になるかも知れない。

剪定バサミ程度の小道具なら調達して車で乗り付け再度攻略を試みるかも知れないが、まさか草刈り機をレンタルしてまでは考えていない。この記事を書いている時点で頭に浮かんだ別のもっとインテリジェンスの感じられる手段を取るだろう。是が非でもこの古道を通り抜けようとするのが目的ではなく、黒杭村に関する情報を得ることに主眼があるので。
なお、たまさか現地を視察しようと試みる読者があるなら、不法投棄の車両と誤認されるのを避けるため車は市道黒岩線に停め置き、この未舗装路部分には乗り入れないことをお勧めする。

藪漕ぎ可能な時期を狙って再訪したいと考えているが今のところ時期は何時になるか分からない。新しい情報が得られたなら追記する。
《 記事公開後の変化 》
本件に関しては暫く放置状態になっていたが、2015年12月に本記事を元に黒岩側からの進攻を行い、道標が見つかったという読者からの報告があった。[4]報告によれば通行困難な藪状態は10m程度でそこを過ぎれば同程度の規格をもった山道が続いているという。

黒岩側にはまだ踏み跡が遺っているということなので、すぐに現地の再調査を行った。継続記事として案内する。

(「黒岩開古道【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「歴史散策かわかみ」p.19

2. 道の形が喪われる程の酷い藪の中を漕ぐことに関して最近かなり意欲減退しているのは否めない。
これは体力的な問題ではなく最近イノシシの出現がかなり頻繁に報告されているからである。宇部坂下池の初踏査時にイノシシに遭遇しており、大型の個体に攻撃されれば生命に関わる。イノシシ問題は目下山野の踏査においても最大の脅威と認識している。

3.「FB版|2014/12/5の投稿」に寄せられた読者コメント情報による。(要ログイン)

4.「2015/12/17の投稿に対する読者コメント(要ログイン)

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