黒岩開古道【2】

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現地踏査日:2015/12/19
記事公開日:2015/12/27
(「黒岩開古道【1】」の続き)

地図では黒岩と開を連絡する道が記載されており、どうやらその道中に黒杭村出身者が設置したとされる私設の道標があるらしい…そこまで分かっていながら現地への進攻は黒岩・開側の双方から試しつつも頓挫していた。踏み跡が完全にかき消されどの方向へ道が伸びているかの推測もつかない荒れようだったし、その藪状態がどれほど続いているかも分からなかった。アジトからやや遠いこともありこの方面への踏査は放置状態になっていた。

この12月のこと、既に公開済みの記事を元に黒岩側からの進攻を行い、道標が見つかったという報告がFBメンバーから寄せられた。[1]報告によれば通行困難な藪状態はわずか10m程度でそこを過ぎれば再び歩きやすい山道が続いていたという。発見された道標は前もって読んでいた郷土関連の書籍[2]と同じ幅広な山道の傍らにあり、採寸された写真も寄せられた。

私には俄に信じがたい情報として受け止められた。去年は11月という幾分藪の勢いが弱まる時期でありながら現地は本当に進攻意欲を萎えさせる状況だったからだ。しかし私が見てきたような酷い藪がずっと続いているわけではなかったこと、今回突撃してくれたメンバーによって踏み跡が確立され通りやすくなったことから、改めて調査しようと思った。
例によって詳細な写真付きレポートも期待されているようなので…

報告を受けた週の土曜日は19日で、この日は午後からときわ湖水ホールで開催される憩いの家に関する第3回目のワークショップへの出席が予定されていた。そこで午前中に家仕事を手早く済ませてワークショップ参加前に現地再調査を行った。

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古道の黒岩側入口である。
総括記事に続けて掲載された初回踏査にもある同じアングルの写真なので細かな説明は不要だろう。


常盤公園でのワークショップ参加者には駐車料金が免除されることもあり、踏査時間の確保を最優先として車でやってきた。今回は下を通る新しい道(市道黒岩片倉線)を経て旧道を登ってきたので車の向きが前回と逆になっている。

12月も中旬なのに今日はかなり暖かだ。天気もすこぶる良い。
充分な防寒対策をとっていたのだが逆に暑いくらいだ。


ところで…藪漕ぎが想定されるのだが準備は整っているのだろうか。
大丈夫。今回は寒さ対策のみならず藪漕ぎに向いた格好をしている。
あまりにも可愛らしい手袋の理由については[3]を参照


週二回の運動で履いているのとは別にこのほど新しいウェアの上下を買った。生地が内と外の二重になっているので風が通らずとても暖かい。それから実際履いてみて気づいたことなのだが、表面が滑りやすく生地の目が細かくできていて藪漕ぎをしても枝先が引っかかったりほいとが付いたりしにくいのである。上下セットで2,000円にしてはなかなかに良い買い物だった。夏場は多分暑くて履いていられないだろうけど、秋冬は藪漕ぎの多い季節である。今後は藪漕ぎだけではなく草丈がある山道を歩くときもこういった「ほいと耐性」があるウェア[3]を着用しようと思った。

さて初回踏査でも出会った分岐点である。
左側の方の道が本線のように思えるが、こちらは墓場で行き止まりなことが分かっている。


ここは直進が正解なのだ。
しかしその先が荒れていて断念せざるを得なかった。今も前回とそう変わりないように見える。


恐らく前回引き返した場所。
現在とてそう安泰ではない。笹が生い茂っているし今まで歩いてきた程度の道幅はみられなかった。


道標の報告者によってある程度踏まれているとは言ってもやはり相当な藪状態だった。先がどうなっているか分からない。しかし方向を変えずに進めば大丈夫だろう…足元を確認しつつ真っ直ぐ突き進んだ。

確かに藪区間はそう長くはなかった。笹藪が切れた先に再び同様の道の続きが見えかけていた。


藪区間を抜けたところ。
両側の道幅が広がり元の道の外観を回復している。


前回来たときは救い難いほどの藪だったのだが、結局は荒れて進攻困難になっていたのはものの10m程度だった。

再び藪漕ぎ開始地点まで戻って進行状況を動画で再現してみた。

[再生時間: 27秒]


どうしてここだけ激藪状態になっていたのだろう。

原因は日当たりの良さにあった。
この区間だけ道の両脇に高い木々がないので日照が良く、背の低い雑草も勢力拡大しやすい場所になっていたのだ。


この状況はかつて市道金山線の起点で出会った酷い藪とよく似ている。あの市道も起点と終点付近に壮絶な藪があった。特に起点側は日当たりが良く笹藪になっていたために道が喪われていると感じられた。
笹藪それ自体は棘などを持たず一般には与しやすいタイプである。しかしやや幅広な葉を沢山つけるために視界が著しく遮られる。このため実際の藪漕ぎ難易度はそう高くないにしても視覚的にはかなり厳しい藪に映る。また、密集度が高ければ自然の竹垣同様な堅牢さをもち、先への進攻は殆ど不可能になる。特に踏み跡探しでは専ら目視頼りなので、笹藪化はあるべき筈の古道を消し去る大きな脅威と言えるだろう。

道幅は元に戻ったものの墓場に向かうあの道の分岐よりは荒れていた。
さすがにあの笹藪を隔ててこちら側への来訪者は少ないらしく、ただの山歩き人と本気度の高い挑戦者をより分けているようだった。


もの凄く古そうな投棄物。全体が錆び付いて色を失い至る所破損している。
元が何であったかの想像もつかなかった。


これに限らず道端の左右には結構な量の投棄物がみられた。ペットボトル容器などそれほど古くないゴミ類も目立ち、通行可能だった時期にかなりの不法投棄物が持ち込まれたことを窺わせた。人目につきづらく四輪が物理的に通り抜け可能な山道の宿命である。

藪で塞がれていたのは本当にさきほどのあの場所だけだった。
両側に雑木が並んで日照が少ないせいか古道部分には殆ど背丈の低い植物が進出していない。


線形はなべて直線的で高低差もなくフラットな道である。
この場所で現在歩いている古道の人工的な部分を見つけた。


左側の少し高くなっている地山である。
道自体はほぼフラットで直線的なのに道の左外側だけが1m程度高い。


これは昔からの自然発生的地形ではなく道幅を確保するために人為的に切り崩した部分と思われる。登山道や近道を含めた自然発生的な踏み跡などでは通常あまりこのような改変はみられない。道が地山のなりに起伏するものである。
物理的に四輪も通れそうな幅は、古道では高規格道の部類だ。地山をなぞる道ならここでストンと下りになる筈だが、ある程度削って一定勾配にしている。現代の道造りなら普通にみられる施工で、荷車を労力少なく牽いて通せるように均したのではと想像される。

道は尾根伝いを進んでいるようで両側はどちらも低くなっていた。更に進むと木々が疎らになりやや明るくなってきた。
古道外側のかなり広い範囲にわたって平坦になっている。


両側の木々が退いて平坦部分が更に両側へ広がった。
遠くまで視界が効くわけではないがこの広さは印象的だった。


道端の切り取られた地山さえ目視して気づくわけだから、それより明白な地形変化は尚更である。
この場所で進行方向右側に深くえぐり取ったような溝状の部分を見つけた。


それはかなり急な勾配で沢地を下っていたので、道とみなすには無理があるように思われた。しかし水の流れだけでこれほど深く削られるかという疑念がある。溝か道かは分からないが人工的に掘られたように感じられた。気になって先の方を凝視したところ…
何かがあるのでは…?
数歩踏み込み、カーブしている溝状から先の直線部分をズームしている。
その一番奥には何か石積みのようなものが見えるようだ。


最初これを見つけたとき、溝の先に石で囲まれた昔の貯水池のようなものがあるのでは…と思われた。あるいはこれが道だったら両側が崩れないように積まれた石積みかも知れない…しかし足元はかなり悪く、溝の中を歩くのは大変な労力が予想された。

後で検証しよう。どのみち引き返さなければならないのだ。まずは報告のあった道標を探そう…

そうして古道に戻り少し進んだとき、まさにその目標物が前方左側に見つかった。
あった!あれだ!


写真ではまだ分からないだろうが肉眼では既に捉えていた。

(「黒岩開古道【3】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「FB|2015/12/17の更新通知」に対するコメント。(要ログイン)

2.「歴史散策かわかみ」p.72

3.「FB|ホイトプルーフという概念」として説明されている。(要ログイン)市外在住者にとって「ほいと」は全く聞き慣れない言葉であろう。詳しい説明は「ほいと」を参照。
なお、装着している手袋があまりにも可愛い過ぎるのではという指摘があるが、これは偶に身に着けるものくらいパッと明るいものを使いたいという気持ちの他に自分の身を守るという実用的な意味もある。身に着けているものはジャンパーからズボンから靴、帽子に至るまですべて黒である。何か一点くらい極めて目立つ色彩のものを持っていなければ、不測の事態が起きたとき遠くから自分の存在に気づいてもらうのが難しくなる。

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