恩田町5丁目の生活道【8】

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(「恩田町5丁目の生活道【7】」の続き)

位置記号の示す場所については「恩田町5丁目・第2区画マップ」を参照して下さい。

《 恩田バス停道(R→T) 》
現地撮影日:2015/1/28
項目記述日:2017/5/20
くじ屋へ通っていた道で現在の松尾水路を横切り中長沢の丘陵部へ登る途中から国道190号へ向かう枝道が伸びている。
R地点から国道方面を向いて撮影。


5年前のR地点の様子。
バス停へ向かう小径に沿って平屋があった。横断水路には既にグレーチングが掛かっているがレンガの坂道はまだ健在であった。[2010/4/14]


現在は平屋は退いて建築ブロックとなっている。しかし下側のレンガ積みは昔からのままである。
このレンガは恐らくR地点よりくじ屋側へ伸びる場所にあったレンガ坂に使われたものと同時期だろう。
大量に流用されているのでかつてこの場所にレンガ造りの倉庫があったのかも知れない


この道は外観から経路まで殆ど昔のままを保っている。中長沢の西側斜面中腹を辿る経路で、東側にある現在の市道長沢源山線と同様な自然発生の道と思われる。


畑の境目を過ぎると右側は焼肉店の駐車場となる。花壇を兼用したレンガで仕切られているが、昔はずっと畑だった。
小径は僅かに登っているので下の畑との高低差は少しずつ開いていたと思う。


小径の途中に西の方へ向かう分岐がある。


現在は周囲を簡素な木製の塀で囲まれた空き地となっている。
その後この塀が鋼製のものに更新されているのを確認した


この道は昔からあるようだが通った記憶が全然ない。家から農道を通るときバス停へ行くかくじ屋へ行くかのどちらかだったが、この道はどの用途にもそぐわなかった。それ故に記事化の予定はなかったのだが、最近写真を撮り直す折にこの経路も採取したのでざっと書いておいた。
時系列記事: 通った記憶のない道(U→V)
この区画にある解き除けられた家かどちらかが小学校時代の同級の家だったような記憶がある。
しかし数十年前のことであり遊びに行った頻度もそう高くなかったせいか詳しいことを思い出せない。


農道はやや屈曲して国道に向かう。既にここからも国道を行き交う車の喧噪が聞こえている。
右側の焼肉屋の敷地は当然まだなく、昔は一段低い畑地だった。


ここにも昔ながらの造りがみられる。

民家の敷地から水路が出ていて、木戸で塞がれる格好になっている。
同様のものがぐにゃんぐにゃん道の途中にもあった。
現代では殆ど見かけなくなったが昔は割と普通に見られる光景だった。


T地点到着。
前方は国道190号である。眺めは当然昔とは変わっている。


冒頭に書いたように以前の恩田バス停はこの小径を出たほぼ正面にあった。市街部へ向かうバスはこの前に停まっていたのである。昭和50年代に長沢の沢地国道寄りにスーパーダイイチが出来た頃からバス停の位置を東寄りに移動している。これは国道の拡幅整備の時期と一致するかも知れない。

T地点から振り返って撮影。
学童期からの眺めとは全然違っている。まず電柱などなかったし左側は変電所まで見透せていた。


右側の建物も当初はなかったのだが、時代の流れは速い。ここにあった国重ビルと呼ばれるコンクリート2階建ての建物は2016年頃には撤去され現在は砂利敷の更地になっている。


このビルには学習塾と花屋さんがテナントとして入っていた。
《 通った記憶がない道(U→V) 》
現地撮影日:2017/5/14
項目記述日:2017/5/19
最後にこの経路の分岐点へ戻って、学童期に通った記憶がまったくない里道を撮影しておいた。


若干の登りとなっている。この高低差はレンガ坂に向かって登る尾根部分に対応している。しかし高低差はそれほどない。


既に家が解き除けられているので最初期がどうだったかは分からない。もし民家が農道に接して建っていたならかなり圧迫感のある道だっただろう。

こちらも最初の数十メートル程度が狭くその先は市道側から四輪が入って来れる道となっている。


申し訳ないが全然周辺の景観について学童期の頃どうだったかを語れない。
右側の月極駐車場はまだなかったと思う。


市道へ近づくにつれて塀は植え込みに変わっている。
ここからも国道の恩田交差点が一部見えかけている。


V地点より振り返って撮影。


私にとっては何の記憶もないが、あれでもこの地区にかつて住んでいらした方が当時を偲ばれる参考になるかも知れない。もっともその確率は極めて低いのだが…

(「恩田町5丁目の生活道【9】」へ続く)
出典および編集追記:

1.

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