市道長沢源山線

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記事作成日:2015/6/13
最終編集日:2022/1/9
市道長沢源山(ながさわ・げんやま)線は、恩田町5丁目を通る認定市道である。
写真は宇部興産恩田長沢独身寮付近の風景。


現在の経路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。は起点、矢印は終点を表している。
経路のGeoJSONデータは こちら


上記に示されるようにほぼ直線的に南下する短い路線である。

路線名の長沢は路線の属する地域一帯のかつての小字で、恩田長沢と呼ばれていた。終点名に現れる源山が示すものは終点付近の小高い丘に対する名前と思われていたが、古書の山に該当するものは見当たらない。これは源山墓地のある字源山が由来であり、初期には現在の終点から逆方向の北に向かって源山まで伸びる道が経路として認定された結果と推測される。
したがって派生記事に書いている終点付近の丘陵部を源山とする説は誤りと考えている
《 概要 》
起点は市道神原町草江線が国道190号を横切った先にある。
写真は起点部分を北に向いて撮影。先に見えるのは国道190号である。


経路は直線的だが、途中で軽く屈曲しているため起点から終点は見通せない。起点より向かって左側がやや高く右側は低い。即ち南北に伸びる尾根の中腹を下っていくような経路をとっている。

宇部興産恩田長沢独身寮の前を過ぎて右側に2階建ての集合住宅が見える辺りに、路線沿いに於いての小さな分水界がある。
起点からここまで左端にある側溝は、ここで道路下をくぐって沢地へ排出されている。写真は終点側から撮影。


縦断勾配が小さく折れているのが分かる。現在は独身寮の敷地の一部となっているが、この勾配変わりを少し終点側へ進んだところに鉄工所社宅グラウンドの入口があった。進入路のコンクリート舗装を剥がして盛土することで駐車場の一部になっており、昔の痕跡は窺えない。

グリーンタウン入口の分岐を過ぎると、緩やかな下り勾配となる。
東側の丘陵部側面に築かれた石積みが次第に高くなることで下り勾配と分かる。


特徴的な石積みの下は自由勾配側溝が布設されており、以前はねぶりつけた自然の路肩だった。このことで石積みの見かけの高さは低くなった。

終点は市道笹山岬台線にT字路として接続される。


T字路の左側はこんもりとした森のようになっていたが、後述するように2022年に入って家が解き除けられ造成された。
【 交通状況 】
1.2車線相当幅のアスファルト舗装路でセンターラインや路側帯はない。路肩はかつて舗装材をねぶり着けただけで蓋のない側溝があり離合困難だったが、平成期に入って側溝が自由勾配側溝に更新され実質的な道路幅が拡がった。

かつて朝の登校時間帯には地元在住者以外の四輪の通行ができなかったが、現在は通行車両や時間帯の制限がなくなっている。全区間駐車禁止である。枝道はグリーンタウンへ降りる地元管理道のみで、四輪の通り抜けはできない。
見初変電所付近への狭い道を介しての到達は可能

近年、車で岬八王子方面から神原に向かうとき本路線をしばしば通過する。即ち見初変電所前で市道笹山岬台線へ右折し、本路線を終点側から走って恩田東交差点へ出るルートである。
橙色が一般的に選択される経路、赤色がショートカットである。


地図でも明らかなように橙色の正規ルートの方が距離は短い。しかしこのルートだと国道190号恩田交差点、市道恩田則貞線交点、市道神原町草江線合流点で3箇所信号で交通整理された地点を通過する。特に恩田交差点と神原町草江線へ出る信号は非常に長い。

赤のルートだと笹山岬台線と本路線はセンターラインのないやや狭い道で恩田東交差点、恩田則貞線、市道恩田線の合流点と信号も3箇所だが、市道神原町草江線の交通量が非常に多く信号の青時間も長いため待ち時間が少なくて済む分だけ早い。この状況を周知したドライバーが相応にあるようで、笹山岬台線へ入る側に右折し本路線を通り抜ける車がかなり多い。
《 歴史 》
現在の経路に限定すれば、低い尾根の中腹を末端部に向かって直線的に進んでいるため、自然発生由来の道とは考え難い。あるいは早期に尾根の頂上部が切り崩されて土地利用が進み、中腹を縫うような経路であったものを拡げた道かも知れない。
琴芝通りの北側が類似した構造となっている。

これは昭和初期に制作されたスタンフォード地図の恩田長沢に本路線の大まかな経路を書き込んだものである。
赤線が現在の路線の経路、薄桃色は現在の国道190号の大まかな経路である。


起点付近でカーブして草江方面に向かっているのは、現在の市道神原町草江線の後半部分である。この道は昭和期以前から整備されていた。終点となる位置にある市道笹山岬台線の原型と思われる道は記載されているが、本路線は何も描かれていない。あっても獣道程度の道で、市道長沢源山線の名が与えられ経路が定められたのは戦後から昭和40年代までの間と思われる。昭和44年度の市道一覧表には路線番号142番に市道長沢源山線として記載されている。
恩田町5丁目を2012年に訪れたとき撮影された写真を元にした全区間にわたっての詳細なレポート。単巻。
派生記事: 市道長沢源山線【1】
本路線に分岐点を持つ生活道路類すべての詳細レポート。昭和後期の宅地化改変以前の農道などの情報を含む。
派生記事: 恩田町5丁目の生活道
《 Googleストリートビュー 》
全線採取されている。起点からの映像を示す。

《 記事公開後の変化 》
後述するような個人的理由により、沿線の変化は昭和中期から把握している。道路そのものに対する変化はあまりないが、民家の建て替わりが著しい。沿線にある昭和中期の木造平屋民家で遺っているものが少なくなっている。

・恐らく昭和50年半ばまでに東側の丘陵部に整然と並んでいた鉄工所社宅が殆どすべて取り壊された。社宅の入口とグラウンドにあった2箇所のスロープは宇部興産恩田長沢独身寮となったときどちらも潰されて現在の位置にスロープがつけ直された。

・昭和60年代までに側溝が造られ道幅が実質的に拡がった。それまでは軽四でも離合が困難な狭い道だった。

・昭和61年に西側の沢地にあった田が一部を残して埋め潰されグリーンタウンと呼ばれる新興住宅地となった。このとき本路線の中間地点に住宅地へ降りる取り付け道が造られた。以前はキャベツ畑だった。

・平成初期に起点側前半部に汚水管が布設されている。このとき宇部興産長沢独身寮下にあった住宅群も水洗化された。

・2022年1月上旬に現地を訪れて終点側角地にあった屋敷と森を含む一帯がすべて除却され更地になっていたことが判明した。


私およびうちの家族と個人的な関わりはなかったが、角にとても大きな樹木が生えていて子どもの頃から森のような雰囲気がある印象的な場所だった。市道笹山岬台線に面する石積みは今もそのまま遺っている。
《 個人的関わり 》
本路線は紛れもなく、私が今までの生涯において最も密接に関わってきた市道である。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

現在では沿線に住んでいらっしゃる方々との個人的繋がりは皆無となったが、想い出の地でもあり、題材の採取および変化を記録する目的でしばしば通行している。
《 地名としての長沢 》
情報この記事は恩田町5丁目にかつて存在した字長沢について記述しています。
厚南区東須恵にある長沢については こちら を参照してください。

長沢(ながさわ・ながそう[1]は本路線の起点より南側一帯にかつて存在していた小字である。
写真は長沢の名を現在も伝える宇部興産(株)の恩田長沢独身寮の銘板。


冒頭のタグで示したように長沢という地名は市内にいくつか存在する。一般にはJR小野田線の駅名にもなっている長門長沢の知名度の方が高いと思われるが、ここでは本路線に現れている長沢について記述する。
【 地名の由来 】
長沢という地名は地形を如実に反映している。即ち南北に伸びる長い沢地があったことによる。市道に対して東側に丘陵部、西側が沢地である。沢地の西寄りを岬明神川の上流にあたる松尾水路が流れている。かつては丘陵部と沢地の高低差がもっとあった筈だが、丘陵部は早期に削られて集合住宅が造られ、後年沢地は新興住宅地向けに地上げされている。
【 現在の状況 】
昭和61年11月25日に施工された第14次住居表示により恩田町5丁目となった。[2]恩田町においてもっとも最後に実施された住居表示である。それ以前に使われていた住所は専ら恩田長沢であった。当時は区表記も用いられていたせいか、古い郵便物を見ると宇部市東区恩田長沢という書き方が多い。住居表示以前の正確な所在地表記は大字沖宇部字長沢であった。

本路線の沿線に存在する民家は概ね住居表示改訂以前からの住民であり、恩田長沢という地名表記は知っている筈である。他方、長沢にあった田を埋めることで誕生したグリーンタウンは昭和61年初頭のことなので、居住開始後ほどなくして恩田町5丁目に住居表示変更されたと思われる。
現在では恩田長沢寮以外に長沢を明示したものは家庭用向け配電線の経路板くらいしかない。市道の名称は一般には殆ど表に出ない情報であり数十年間住んでいながら路線名を知らなかった。
出典および編集追記:

1.「ふるさと恩田」(ふるさと恩田編集委員会)p.80
明治時代は恩田山の中心が現在の国道190号相当の道を元として南北に前講・后講と分かれていて長沢は恩田山に属してはいるものの恩田の外れの地として長沢寄り(ながそうより)と呼ばれていたという。
もっとも恩田長沢へ移り住んで以来長沢は「ながさわ」とだけ呼んでいて「ながそう」の読みを聞いたことは数十年間暮らしている間に一度もない。現在も長沢と表記した場合は「ながさわ」とだけ呼ばれている。ただし地名に沢が含まれて「そう」と発音する例は全国至る所に存在する。
わたらせ渓谷鐵道の沢入駅など

2.「第14次住居表示|宇部市

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