市道長沢源山線

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記事作成日:2015/6/13
最終編集日:2019/3/16
市道長沢源山(ながさわ・げんやま)線は、恩田町5丁目を通る認定市道である。
写真は恩田町5丁目の標示板が見える路線中の風景。


ルートラボを示す。


上記に示されるようにほぼ直線的に南下する短い路線である。
《 概要 》
路線名の長沢は路線の属する地域一帯のかつての小字で、恩田長沢と呼ばれていた。終点名に現れる源山についてはそのような小字および慣用地名の類が存在した形跡はない。終点付近にあった丘陵部を指すものかも知れないと考えているが詳細は不明である。源山墓地として知られる小字とは方向がまったく異なるため別物である。詳細は以下の派生記事で考察している。
派生記事: 源山と思われる丘陵部
本路線の起点は市道神原町草江線が国道190号を横切った先にある。ルートラボの経路は直線的だが、途中で軽く屈曲しているため起点から終点は見通せない。終点は市道笹山岬台線にT字路として接続される。終点で笹山岬台線側が屈曲していてT字路に面して社有地となっているため、踏み付け道時代からこの経路が確定していたのかも知れない。

等高線の現れる国土地理院の地図で眺めてみると実際に本路線を通るとき目に見える以上の情報を与える。起点および国道190号付近には目立った起伏は見られないが、長沢の由来になったと思われる沢部分が認められる。溝状領域の沢に対して東側は細長い丘陵部になっている。市道は沢と丘陵部の中間、つまり丘陵部の中腹をなぞるように下っていることが分かる。この下り勾配は実際に本路線を自転車で起点側から走るともっともよく体感される。視覚的には宇部興産独身寮を過ぎた先で社有地側の石積みが次第に高くなっていくことでも確認できる。
【 交通状況 】
1.2車線相当幅のアスファルト舗装路でセンターラインや路側帯はない。路肩はかつて舗装材をねぶり着けただけで蓋のない側溝があったが、平成期に入って自由勾配側溝が布設され実質的な道路幅が拡がった。しかしながら現在も離合には注意を要する幅であり学童の歩行も多いため朝の時間帯は起点側からの一般車両進入が禁止されている。

かつては生活道のような位置づけだったものの、市道神原町草江線の新区間が完成してからは恩田交差点を経由せず通れるようになったため、従来よりは通り抜け需要が発生していると思われる。
恩田町5丁目を2012年に訪れたとき撮影された写真を元にした全区間にわたっての詳細なレポート。単巻。
派生記事: 市道長沢源山線【1】
本路線に分岐点を持つ生活道路類すべての詳細レポート。昭和後期の宅地化改変以前の農道などの情報を含む。
派生記事: 恩田町5丁目の生活道
《 Googleストリートビュー 》
全線採取されている。起点からの映像を示す。

グリーンタウン内の宅地内道路は採取されていない。
《 記事公開後の変化 》
市道沿線の土地利用に関しては概ね飽和状態で、築50年を経過した民家などが少しずつ姿を消している。
《 個人的関わり 》
本路線は紛れもなく、私が今までの生涯において最も密接に関わってきた市道である。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

《 地名としての長沢 》
情報この記事は恩田町5丁目にかつて存在した字長沢について記述しています。
厚南区東須恵にある長沢(長門長沢駅)については こちら を参照してください。

長沢(ながさわ・ながそう[1]は本路線の起点より南側一帯にかつて存在していた小字である。
写真は長沢の名を現在も伝える宇部興産(株)の恩田長沢独身寮の銘板。


冒頭のタグで示したように長沢という地名は市内にいくつか存在する。一般にはJR小野田線の駅名にもなっている長門長沢の知名度の方が高いと思われるが、ここでは本路線に現れている長沢について記述する。
【 地名の由来 】
長沢はその名が与えられた場所の地形を如実に反映している典型的な地勢由来の地名である。即ちそのまま南北に伸びる長い沢地があったことによる。現在は丘陵部だった場所は削られ、沢地だった場所は新興住宅地向けに地上げされているため分かりづらくなっているが、人々が住み始めた初期は現在よりももっと起伏が明瞭だったと考えられる。

現在でも注意深く観察することで「長い沢」を窺い知ることができる。マクロ的には地理院地図で検証可能である。


地図に設定された十字点の東側には南北に伸びる丘陵部、西側にはやはり南北に伸びる沢が等高線として反映されている。丘陵部を挟んだ東側は赤岸であり、こちらにも北へ向かって沢地が伸びている。沢地には自然発生的な小川が流れ、現在の五十目山で合流している。それぞれの小川は岬明神川および中川と呼ばれ、人々の関わりが始まる以前から存在していた自然河川と思われる。
【 現在の状況 】
昭和61年11月25日に施工された第14次住居表示により恩田町5丁目となった。[2]恩田町においてもっとも最後に実施された住居表示である。それ以前に使われていた住所は専ら恩田長沢であった。当時は区表記も用いられていたせいか、古い郵便物を見ると宇部市東区恩田長沢という書き方がかなり多い。恩田町以前における区分では正確には大字恩田字長沢となるものの既に字を冠する表記法はみられなくなっていた。

本路線の沿線に存在する民家は概ね住居表示改訂以前からの住民であり、恩田長沢という地名表記は知っている筈である。他方、長沢にあった田を埋めることで誕生したグリーンタウンは昭和61年初頭のことなので、居住開始後ほどなくして恩田町5丁目に住居表示変更されたと思われる。
現在では恩田長沢寮以外に長沢を明示したものは家庭用向け配電線の経路板くらいしかない。市道の名称は一般には殆ど表に出ない情報であり数十年間住んでいながら路線名を知らなかった。
出典および編集追記:

1.「ふるさと恩田」(ふるさと恩田編集委員会)p.80
明治時代は恩田山の中心が現在の国道190号相当の道を元として南北に前講・后講と分かれていて長沢は恩田山に属してはいるものの恩田の外れの地として長沢寄り(ながそうより)と呼ばれていたという。
もっとも恩田長沢へ移り住んで以来長沢は「ながさわ」とだけ呼んでいて「ながそう」の読みを聞いたことは数十年間暮らしている間に一度もない。現在も長沢と表記した場合は「ながさわ」とだけ呼ばれている。ただし地名に沢が含まれて「そう」と発音する例は全国至る所に存在する。
わたらせ渓谷鐵道の沢入駅など

2.「第14次住居表示|宇部市

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