笹山町1丁目の生活道【1】

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現地撮影日:2012/6/3
最終編集日:2018/1/23
本編では笹山町1丁目(恩田小学校)周辺のその他の道路・通路を解説付きで相乗せ記事として掲載している。
項目が増えた場合などで構成が変動する可能性がある。

《 恩田小学校・南門から東門に至る道 》
市道恩田小学校線は南門の前で終点となるのだが、そこから更に右へ入る狭い道があり、車も一応は通行できる。
学校所有の私道という扱いになっているらしい…もっとも自己責任の前提で一般車両の通行は問題ない模様


この道は正門の横へ出て来るものの、かなり狭い上に国道には中央分離帯があって恩田交差点方面に出られない。したがって車の通り抜け目的で利用されることは殆どなさそうだ。

登下校する子どもが異なる門の間を行き来することは通常あり得ないので、沿線に家がある子ども以外はこの道は通らないと思う。小学校にいた頃からこの道は知っていたし、回数こそ少ないが中学生になってから自転車で通ったこともある。しかし車で通ったことは一度もない。

出っ張ったプールを避けるようにカーブしている。[1]


小学校敷地を囲むフェンスとしては過剰防衛ではないかと思える有刺鉄線付き仕様である。
フェンスの設置はかなり昔のことで、基礎部分の割石を適当に埋め込んだコンクリート部分は更に古い。


この先のカーブで外側に歩いて通れる程度の細い道が伸びている。
地図を見る限りでは市道恩田八王子線の一方通行区間付近に出られるようだが、この小道の存在は全く頭になかった。一度も通った記憶がない。


随所で写真を撮りながらなので、自転車に乗らずゆっくり押し歩きしている。
周囲を見渡しながら当時の記憶を検索していたのだが、残念ながら殆ど何も思い出せない。左側敷地に見える体育館が当時のものではないせいもあるだろうか。


正面に国道190号が見え始める頃、道幅はかなり狭くなる。殆ど車が通らないからか、舗装されていながらもアスファルトの油分が抜けて表面はかなり傷んでいる様子だ。


東門のすぐ横に出てくる。国道190号のすぐ傍である。


ついでながら現在の恩田小学校東門を撮影しておいた。今しがた出てきた小道は左側のレンガ塀の手前になる。
遺憾ながら写真に見えているもので幼少期時代からのままを保っているものは一つもない。


鉄筋3階建ての「新校舎」は、外壁を塗り替えられていた。門を跨ぐアーチは存在しなかったし、門柱のレンガも後からのものである。まあそれらは景観や保守上必要なことは理解できるとして…
閉ざされた冷たい鉄扉と
ゴチャゴチャ書かれた注意書きが哀しい。
「無断立入禁止」の掲示に至っては、まるで学校の構内が危険を伴う工場みたいでなかなかに痛い。
形だけでも掲示を出して門扉を設置しなければ事件があったとき学校の管理責任を問われるわけで、実質的に責任回避の飾りに過ぎない。
もし私が変質者ならこんな子供騙しな鉄扉など易々と越えて校内に入るだろう

いつから学校は刑務所の如く囲いの内側に閉ざされた存在になってしまったのだろうか。おかしいと思わなければならない。[2]

下手をすれば、恩田小学校の写真を頼りにこのホームページを訪れた子どもたちが他記事の物件に興味をもって訪れ、大怪我を負ったなら「そんな危険な記事を掲載したあなたの責任だから損害賠償を請求する」なんてことになるのだろうか…
《 南門から旧西門に至る道 》
南門の近くにあった元文房具店の横から運動場の外側に沿って伸びる細い道がある。


文房具店が跡形もなくなってしまった現在もこの小道だけは当時の姿そのままに今も遺っている。

この場所の拡大表示である。


あぜ道同然の踏み跡なので、詳細な経路もよく拾い上げているYahoo!地図ですら経路として表記されていない。実際には上の地図でグラウンドとして表示されている色違い部分を伝うように踏み跡が伸びている。即ち色の濃い領域は小学校の敷地である。

言うまでもなく四輪は通れず、人および平均以上の運転技巧を持つ自転車乗りが通ることのできる道だ。ここの段差は結構きつい。慣れない人は自転車を降りて押し歩きする方が賢明だろう。


振り返って撮影している。
この場所は農道同然の道ながら曲がりも傾斜もきつい。


進行方向は真西で逆光を浴びる形になるので、変則的だが進攻しつつ振り返った状態での撮影になる。
最初のカーブを過ぎると、あぜ道同然の道はほぼ直線になる。


グラウンドとあぜ道の間にネットフェンスが建てられ、防球ネットが張られている。昔は防球ネットどころかフェンスすらなく植え込みだけだった。
植え込みの間から出入りしていた記憶がある


進行方向の西に向かって撮影。
ここも昔から変わらない印象深い場所で、あぜ道とその下の沢地に位置する家の屋根がほぼ同じ高さになっている。


どうにかすればあぜ道からそのまま民家の差し掛け屋根の上に登れてしまいそうだ。
昔ならこの小道を行き交っていて屋根の上に登って騒いだ…なんてドーカン坊主が居るに違いない。
さすがに私はしなかったし登ったという悪ガキの話も聞かない


ここがグラウンドの南西の端になる。
南門との行き来は自転車までだが、ここからは普通車がどうにか通れる程の道が国道まで続いている。


グラウンドに沿って直角に曲がる。ここまで国道から車で乗り入れられるものの、沢地からは家一軒分の高低差がついているから相互に行き来はできない。
階段があるので人の行き来は可能



ここからは東門へ向かうのと同様の舗装路である。幅は東門のそれよりも若干広い。
その途中で直角の分岐路があり、グラウンド側もフェンスが内側へ後退し広くなっている。


ここに通常使用されない旧西門がある。
門扉はあるので、資材の搬入や管理など必要に応じて使っているのだろう。
この旧西門の反対側の道は市道五反田笹山線の途中に繋がっている


この通路に面する門は昔からあるにはあった。ここと同一場所ではなくもう少し校舎寄りの位置だったかも知れない。石段ないしはコンクリート階段で3段くらいの階段を造っただけの出入口だった。幅は現在のフェンス門扉の倍くらいあったと思う。
旧西門と書いたもののこの出入口に通称があったかどうかも分からない。それと言うのも私たちが小学校を卒業するまでにこの門は封鎖されたからだ。
出入口の階段は遺したままでネットフェンスが張り巡らされた

西側部分のフェンス部分。
建築ブロック積みの上にネットフェンス2段という仕様だ。支柱から錆が流れ出てかなり古そうだが、それでも東側にあったネットフェンスよりはずっと新しい。


国道取り付け部分でこの道は少し折れ曲がる。


この出入口に接して西の通用口がある。
現在の西通用口の様子。
「新校舎」の両端に東門とこの通用口が位置していることになる。


このスロープは門というよりは教職員の車の出入りに使われていたようで、児童が登下校で通ることは殆どなかったと思う。
少なくともこの門から出入りしていた級友を一人も知らない
休日は部外者の侵入を防ぎたいからか、防鳥ネットを張っている。

国道190号の歩道より撮影している。
国道はこれよりJR宇部線を跨ぎ越すために少しずつ高度を上げている。


なお、この場所の真下には宇部興産(株)常盤用水路が通じており、国道沿いに埋設されていた導水管が国道を離れ、上の写真で左側に見えるあぜ道に向かう地点でもある。詳細は以下の派生記事を参照。
派生記事: 宇部興産常盤工業用水【3】
恩田小学校は北側が国道に接しており、この両端以外に門および通用口はない。したがって小学校敷地の辺としては北に位置していながら「北門」は存在しない。
マイナーなネタだが、幼少期の私たちの間では北門は”存在しない”の一つの象徴的な言葉で、こんな駄洒落が同級生の間で語られていた。
「『北門』は、学校に来たもんから入れるんだぞ。」
こういう事情で、恩田小学校には正門という扱いの東門、真裏になる南門が児童の登下校として扱われていた。西門は扉のつかないスロープに過ぎず、グラウンドに面した旧西門は早期に閉鎖されていた。

以上の記述は私の在校していた当時による分析で、年代によって呼称や扱いの差異があるかも知れない。

(「笹山町1丁目の生活道【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. この異常な線形の理由はよく分からない。しかし学校の敷地がきれいな方形状をしていることは稀でしばしば角に凹凸のイレギュラーが生じている。これは完全にフラットな領域を確保することが難しく、部分的に起伏のあった部分の削り残しに依るものではないかとも考えられている。「FBタイムライン|くねり曲がり折れた道の理由」も参照。(要ログイン)

2. 些か排他的で冷たい印象を与えることと本当に用事がある外来者までも戸惑わせてしまうからか最近の傾向として校門に事務所を通すことを前提に用事の有る方はご自分で開けて下さいなどの告知が出ている場合がある。これは恩田小学校に限らない。

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