島1丁目の生活道【3】

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(「島1丁目の生活道【2】」の続き)
別ウィンドウのマップを閉じてしまった方はこの「島1丁目マップ」を再度開いて下さい。
カーブを曲がった内側はこの集合住宅の別の入口だった。
玄関らしき部分に石材が並べられていたが…


いくら何でもこの造りは当初のものではないだろう。石材は元からあったものを流用したのだろうが、破損や不陸が酷かったなどの理由で再度敷き並べたように思える。ここまで観てきた玄関部分はすべて石畳となるように隙間無く敷き詰めたものだけだったからだ。そうでなければ端が綺麗に整った石材なのにわざわざ隙間を空けて砕石を充填したりはしないものである。
断言はできない…当初からこのような意匠だった可能性も一応はある

入口部分には橋に設置される親柱のようなものが据えられていた。
生活道を通る車もたまにあるようで、タイヤをぶつけて擦った跡があった。埋め込まれている石材も一部は中ほどで折れていた。


それにしてもこの道は酷い。集合住宅の駐車場があれほど整備されていながら、それらとは無縁な路地は殆ど砂利道状態、アスファルト舗装も至る所剥げまくっていた。


この砂利道の先、市道に接続される部分がJ地点になる。
特に言及すべき道でもなさそうだ…と言うか、できれば自転車を通したくない。こういう道を乗り回しているとしまいにはパンクしそうな気がする。
買った直後に末信でパンクし小松原の自転車店まで延々押し歩きすることになった苦い経験がある


路地は四輪なら辛うじて通れそうな幅だったが、恐らく殆ど通る人が居ないのだろう。
まして地元管理の道である。認定市道なら予算さえつけば道が荒れて危険だという報告があれば対処される余地もある。地元管理の生活道は補助がつく可能性はあっても、基本的に自治会などの財源をもって修繕しなければならない。居住密度の薄くなった地区が家屋と共に生活道も荒れていく所以だ。

ここは…どうしようか…
こっから遠巻きに写すだけでいいよね?
…ということでここにあるK地点の分岐からM地点に進むことに。
《 K→M区間 》
K地点からの入口である。
とても車では通れない狭さで、溝を跨ぐ部分だけに石材が置かれていた。地図では抜けられるように記載されているものの、現状は民家の庭先で行き止まりにでもなっていそうな様相だ。


この路地も砂利が散乱しているし先の方は自転車で乗って通れそうにもないので、またも自転車を留守番させて歩いて進攻した。

片側が化粧建築ブロック積み、屋敷側は一段の石積みを隔ててすぐ家屋である。石積みが家の基礎と同時に生活道との仕切り部分になっている。


M地点へ向けて若干下っているようで、石積み部分が3段にまで増えていた。


M地点へ到達して右を眺めて…あ、あの場所だ、と理解できた。
市道近くにあるあの白いガードパイプに見覚えがあった。そして既に市道島線の記事をご覧になった読者も同じ思いだろう。


M地点より進攻開始したK地点を振り返って撮影。
長さは民家一軒分、塀は赤レンガではなくコンクリートレンガ積みだった。
このタイプの塀自体も少なくなりつつある


M地点より左側は数メートル離れて別の分岐になっている。
分岐記号が多くなり過ぎるのでマップでは同じM地点としている


さて、分岐に沢山出会ったが何処から片付けようか…
さっき訪れたD地点に近いN地点はまだ見通してもいなかったので、そこから片付けようか。
《 M→N区間 》
この路地の片側には建築ブロック積みの上にネットフェンスが設置されていた。更に奥には赤い旧式のポストが見えている。
瞬時にそれが何の施設のものか理解できた。


ここが郷土資料館の裏側だったのか…


郷土資料館は旧図書館と同じ敷地にあって、小字マップや常盤池の資料を参照するために何度か訪れている。資料館の入口近くには旧式ポストや宇部鐵道時代の芝中橋に使われた親柱が設置されている。すぐ裏に路地が通っていて門扉が設置されていたことは分かっていた。しかしこの道には何処から到達できるのか分からなかった。
旧図書館や郷土資料館は島の高台にあるので、この周辺をうろつき歩いていれば近くまで到達できて当然である。しかし実際に歩いてみるとあの石畳の道から意外に近い気がした。
こんな近い場所にあるのなら、郷土資料館の敷地にちょっと立ち寄って撮り直したい写真が何枚かある。後でちょっと寄り道しよう。

この細い路地は最初味気ない建築ブロック+ネットフェンスという近代的な造りに過ぎないと思っていた。しかし下り坂に向かうと、昔ながらの姿を現し始めた。


建築ブロックの外側に古い石積みと笠石が据えられている。建築ブロックで囲障する以前からこの敷地部分が出来上がっていたのだろう。

足元はアスファルト舗装で、ゆっくりと下っていく。道幅も自転車で乗って通れる程度はある。
反対側の敷地は島地区では珍しい遊休地で、石積みのない畑のような空間が遺っていた。


坂の一番低いところで郷土資料館の敷地とは2m近い高低差である。


下から見上げたところ。敷地のすぐ内側は郷土資料館の建物だ。


下り坂のほぼ麓部分まで降りてきた。市道接続部のN地点は右側に連なる建築ブロックの先である。ここからも見透せるし特に面白そうなものも見当たらない。この位でいいだろう。


引き返すとき改めて郷土資料館の敷地を造る石積みを眺め、その精密さに感嘆した。


これって本当にバラバラな間知石の集まりなのだろうか…と訝りたくなる。
それぞれの間知石は全くの不定形なのに、噛み合った部分は細かな曲がり具合までしっくり合うように加工されているのだ。


最初からぴったり合う間知石のペアが定められた状態で搬入されたわけもない。恐らくは石工がここに石積みを築くにあたってしっくり合いそうな間知石の片割れを見つけてきて、隣接する石に噛み合うよう細かく削りながら合わせていったのだろう。このため各々の間知石はどれも形状が異なるし表面も微細な凹凸を持っていながら、隣接するどの石ともぴったり噛み合っている。素晴らしい。

郷土資料館の裏口前まで戻ってきた。
かつてはここからも出入りできていたらしい。門扉は施錠されていたので現在は一般来訪者向けには開放されていないようだ。


門扉は開かなかったが、門と塀との間が空いていてそこから出入りできそうだ。
思えばあの赤い旧式ポストなど、初めて郷土資料館を訪れてから最近の写真を撮っていなかったので、一通り新しく撮影し直そうと思った。

== ここで数分間の小休止がありました… ==


(「島1丁目の生活道【4】」へ続く)

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