《 市道島2号線接続部 》
現地撮影日:2013/10/27
記事公開日:2014/11/13
市道島2号線の起点から右側へ入る道に一部昔の道がみられる。記事公開日:2014/11/13
ここから入る道である。
地図で確認するまでもなくこの道は民家の敷地で行き止まりとなっている。私道の一部かも知れないし今すぐこの周辺が改変されることは考え難いが、市道島2号線の走破レポート向け撮影を行っている過程でちょっと立ち寄り、島地区の道を観察する上で興味深い題材があると考えて記事化した。
この道は既にアスファルト舗装となっている。
一定勾配で登り、両側の民家は石積みになっている。
民家の石積みや塀にも見るべきものがあるが、明らかに私的物件であるのでここでは公地に面している付属物に限定して解説する。
(ついでながらこの道の近隣および突き当たりにある民家に個人的関わりは何もない)
石積みの下端から市道側を撮影。
下の段にある民地との段差を均す形のスロープとなっている。道路幅を有効利用するために側面部分を島の石畳道と同様石積みとしている。
(居住者のある私有地なのでさすがに横から石積み側面の撮影はしなかった)
更に市道へ近い側には雨水向けの排水溝が造られている。
雨水排水部分は流水で道路や敷地側面が削れてしまわないように石積みされ、底面はレンガ敷きとなっていた。
下水道整備時代以前は家庭排水もここを流れていたのだろう。
現在は汚水幹線が近くまで来ているから流れ込むのは雨水のみである。見かけは綺麗とも思えない溝だが汚れた水が流れる要素はない。
それにしても使い終わった水がレンガ敷きの上を流れるとは一見もの凄く贅沢な造りに見える。現代ではレンガの使用自体が稀であり、使うにしても道路に敷き詰めるか垂直に積んで塀にする程度だ。排水路の底敷きに使われることはまずない。溝の幅に応じた出来合いのコンクリート側溝が容易に入手できるからである。
一般に昭和初期中期までの排水路は殆どが素堀りだった。民家のある敷地は侵食を防ぐために石積みとなっていることはあったものの、道路に面する側は概ね河川の土手と同様に粘土をねぶり付けただけの溝が普通だった。当時は農耕主体で田畑の近くに家があったし、透水性の低い粘土を踏み固めることで相応に機能を維持できた。ただし壊れやすく大水で緩くなったり、溝の端を踏むことで崩れやすかった。
島地区にはこういった自然粘土による溝が殆どなく、排水路のみならず通常の生活道も石材で固められている場所が目立つ。元々が小高い丘で侵食されやすいため防護の必要性があったこと、早い時期から有力者の住まう地域だったので相応な費用をかけてでも永く住み続けられる生活空間を保つ意識が働いたためだろう。
もの凄く緻密な石積み。
この部分は敷地の境界部分のうちでもより溝に近く、普通では目に付きづらい場所だ。
前の写真でも明らかなように、居住区を囲む石積みは谷積みで目地はモルタルが使われている。他方、溝部分のような低い場所は概ね布積みで目地材はない。代わりに空積みでも機能維持できるように極力隙間が生じないよう精密に接ぎ合わせている。溝の底敷きとなっているレンガは後年のものにせよ、側面の石積みはそれよりは早いだろう。
島地区では平成期に入って家屋がなくなり土地も転売された後に集合住宅が建てられる例が目立つ。新規築造する建屋に支障する古い構造物は取り壊されるが、基礎部分はそのままにされることが多い。数百年の時を経て安定化した石積みは盤石であり、コストをかけて取り除く理由がないことによる。このためお城を思わせる石積みで固められた敷地にモダンなマンションが建つという一種独特の風景になっている。
この他に島1地区で描き遺した道は残り少ないと思われるが、もし興味深い未採取の道が見つかればこの後に相載せ記事として追記する。