島2丁目の生活道【4】

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2025/7/28 画像リンク修正済み
(「島2丁目の生活道【3】」の続き)
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自転車を置き去りにしていたC地点まで一旦戻り、市道に沿ってE地点に移動した。
《 E〜D区間 》
初回調査時はD地点から辿っていた。この途中に未調査区間があるので改めて写真を撮り直した。


先の区間よりは幅が広いので、自転車は押し歩きで連れて行った。
土の地面で側溝はない。若干下っている。


よく見ると砂利道とはちょっと違う。
瓦を小さく破砕して擬似砕石状態にしたものを散布している。


実のところこのような道は砕石敷きの道に比べて歩きづらい。特に自転車の場合、瓦の破片に乗り上げるとタイヤが横滑りして大変に乗り心地の悪い道である。しかし昭和の中後期までは瓦の破片を砕石代わりに散布した道は普通に見られた。
何も敷かなければ土の地面の道である。その方が普通は歩きやすい。ところが雨が長く降ればぬかるんで足は汚れるし滑りやすくなる。しかも人の往来により捏ね回された地面は著しく変形してしまい、乾いても大変に歩きづらい。

現代でも未舗装路の道に砕石を敷くのは保守面を考えてのことである。土だと雨降りのとき通行があればすぐぬかるんでしまうが、砕石敷きの場合、地表部に若干溜まっても砕石の間で水を保持できるので、足を濡らさず歩ける。特に車社会になるとタイヤの轍掘れやスリップもある程度抑えられる。時間経過と共に雨水は少しずつ流れるので道部分は殆ど傷むことがない。[1]生活道の場合、むしろ雨が降ったとき人が踏み付けることによって瓦の破片が柔らかな地面にめり込み、一部は一体化する。

昔の人は屋根瓦を葺き替えるとき、すべて木枠で造った滑り台を屋根にたなげて丁寧に降ろし、庭の片隅に積んでいた。農機具小屋を造るとき古いが形を保っている瓦を再利用できるし、平板で堅牢な瓦は積んで土塀の骨格部分にも使えた。使いでのない割れた瓦も最後の利用法として小さく砕いて道に散布したのである。現代社会からすれば究極のリサイクルがどの集落でも日常のこととして成り立っていた。

レンガ塀の見えるところから右へ入る路地がある。そこがD地点だ。
ここの造りが奇妙なことになっている。


数十センチの段差部分が石畳になっている。
普通なら前後に接続される道に砕石を入れるなどして等しい高さに擦り付けるものである。
あまりにも短い区間のせいかこの石畳部分は地図には記載されていなかった。


D地点到達。
ここから伸びる路地は後で調査するとして…先の短い部分が石畳になっていたのは、左側に見えるレンガ塀の入口の高さが道に埋もれてしまわないためだろうか。


後で戻ってくることとして更に先へ進む。
レンガ塀の途切れた先にも興味深いイレギュラーな区間がある。


土の地面の道はここまでで、先はやや急な下りで幅が半分程度に狭くなる。
ここにも隠れた石畳道があった。


6m程度の長さを石畳の単勾配で造っている。両側は石積みで側溝部分はない。
この石畳部分も地図には記載されていなかった。


石畳から先は改変されていてアスファルト舗装になっていた。
下の敷地とは家半軒分の高低差があって建築ブロックで仕切られていた。


この先につい先ほど訪れた石畳+石段の道がある。
初めて訪れたときはここから辿ったのだった。
この区間は昔はかなり狭い路地だったのでは…


《 D〜F区間 》
さて、D地点に戻ってきた。2丁目最後の区間である。
この先も生活道ながら前回は辿っていなかった。地図では一箇所の折れ点を含めて市道まで出られることが分かっている。


レンガ塀と石積み+建築ブロックの塀に挟まれた路地である。
何だか民家の庭へ入り込んでしまいそうな様相だ。


路地が細いので自転車を置いて歩いた。

個人の工房らしき家屋が隣接している。ここは本当に生活道なのかちょっと自信がない。地図で描かれているのは物理的に通れる路地で、それが生活道か私道かは分からないからだ。
あまりにも新しい家屋が石積みに近接しており、生活道と言うには苦しい気がする。


これも調査のうち…とその先へ進攻させていただく。地図によれば真っ直ぐ進んで右へ折れる場所がF地点だ。
そうして出てきたところは…

F地点の左側を眺めている。
地図にある通り確かに道はなく、畑に隣接してやや幅の広い溝が伸びている。昔からのものかどうかは分からなかった。
気にはなったがまさか溝の中を歩くわけにもいかない


地図によると、F地点から右へ折れる部分は段差を示す記述になっている。そのためここにも石段があるのでは…と期待した。
残念ながら石段ではなかった。
石段は一番下の痕跡部分だけで、その上に建築ブロックを敷き並べコンクリートで固められていた。


わざわざブロックを敷いて高くする筈もないから、地山が元から高かったのだろう。そこには石畳があったのか、それとも道自体存在しなかったのかは分からない。いずれにしても建築ブロック横置きの階段は傍目にも平成初期か精々昭和後期の改変で、カメラで追う価値はまったくない。

集合住宅の裏を通ってそのまま市道へ抜けることはできるようだった。しかし先を辿る価値をまったくないばかりか、居住者のあるワンルームのベランダを掠めて通るような状態だったので先は追わなかった。


F地点から振り返って撮影。
現地改変が著しく、地図で期待していたほどの眺めは得られなかった。


D地点にある若干の高低差を埋める短い石畳。
この部分も低い位置はコンクリートで擦り付けているから後年の改変かも知れない。


これにて2丁目の生活道の殆どすべてをカメラに収めた。今すぐこれらが変わりゆくこともないだろうが、何もされないままに月日が流れて気が付いたら元の姿が失われ、誰も現地のデジタル映像を遺していなかった…という事態は回避できるだろう。

砂利、瓦の破片、レンガの欠片…これらも次に生活道へ手が加えられるとき一掃されてしまうのだろうか…


この日はE〜Q〜R区間を調査したとき最後に見つけたあの階段を下から確認してアジトに帰った。

別の日、造成が途中まで完了しているあの場所を訪れてかつて存在した生活道の痕跡を調査している。本件については記事が整い次第、以下のリンクをアクティブにする。
(書きかけ記事に写真を追加しました)

(「島1丁目の生活道【8】」へ続く)
出典および編集追記:

1. この原理を現代版に置き換えたのがいわゆる排水性(透水性)舗装である。

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