宇部市内の通りの名称概説

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記事作成日:2017/3/28
最終編集日:2019/1/5
ここでは、宇部市に関する通り名全般について概説している。
通りについての一般的事項は[1]を、市内において既に認知されている通り一覧は[2]を参照されたい。また、市内の五十音順によるすべての通り名は通り名インデックスに掲載されている。
《 一般的事項 》
宇部市内全体で考えた場合、通り名は旧宇部村相当の市街部に集中している。南は海に面し、東西に細長く北は丘陵部が控えているため、東西の通りは長く南北の通りは短い傾向にある。東西に長く伸びる通りに対して南北に直交する道が数多く引けるため、数としては南北の通りが圧倒的に多い。これは東西に細長く伸びる緑ヶ浜と呼ばれてきた砂州をたどる形で最初期の道が造られ、軸となってきたことに依る。常盤通りおよび松山通りがそうで、現在も市街部を経由する主要な道路となっている。

JR宇部線の前身である宇部軽便鉄道が早くから存在し、駅周辺に人の流れがあったため、駅名を元にした通り名がいくつか存在する。ただし一定量の往来が条件であり、駅のすぐ横を通る道が必ずしも駅名を冠した通り名となっているとは限らない。
次いで古くから架けられていた橋名も通り名を構成する。特に真締川の下流部の新川を横切る橋において顕著である。ただしこれも主要な橋名を冠する通り名がすべて存在するわけではないのは駅名と同様である。最も主要な橋である新川橋を元にした新川通りという呼称も考えられるが、その存在は資料では確認できていない。これはコンクリート永代橋としての新川橋が架かった時期と常盤通りが誕生した時期がほぼ同時期であり、[3]新川通りという名を与える以前に常盤通りの呼称が定着していたためと思われる。

郊外では著名な通り名のついた道はごく少ない。例えば県道宇部船木線自体は宇部駅の正面に向かう区間において明白な通り名が存在していそうなものだが、固定された通り名は与えられていない。あるとしても恐らく宇部駅前「の」通りの如く、助詞「の」を伴った仮称のものだろう。
その他東岐波や船木地区なども地図に記載されたり行政によって公称されている著名な通りはない。しかし市街部では古地図を調べることによって現在既に唱えられていない通り名も判明しているので、これらの地区でも地元在住民限定でかなり周知されている通り名が存在していた可能性がある。
【 目抜き通り 】
前述の通り、市街地では緑ヶ浜の砂州をたどる形の道造りが行われており、現在そのまま国道190号の一部となっている。歴史的にはこれらすべての道は市費および渡邊祐策翁による私費により建設されていて昭和中期までは東西線、南北線として市が管理していた。国道490号に相当する起点から琴崎までの区間が南北の代表的な参宮通りで、この起点を中心に東側が松山通り、西側の中央町三差路までを常盤通りとする呼称が定着している。一連の通りは大通りや目抜き通りであることに変わりはないが、そのような呼ばれ方をすることは殆どない。
【 最新の通り名 】
国道190号の常盤公園入口三差路から正面玄関前を経て石炭記念館前で西へ折り返して野中五差路へ到達する経路を常盤公園通り、市道北琴芝鍋倉町線相当区間を山大病院通りと命名されたものが市内でもっとも新しい事例である。[1] この区間の端と中ほどに数ヶ所通り名を明示した標識が設置されているが、未だ市民への浸透度は高くない。
出典および編集追記:

1. 宇部日報 2015年5月30日付の記事による。
《 収録範囲 》
当サイトにおいて収録範囲は、以下の条件を満たすものに限定している。
(1) 当該名称を表示したものが現地確認できるもの。
(2) 当該名称を記載する地図や文書が確認できるもの。
多くの在住民によって通り名が呼ばれているものでも、それを明示する表示板や客観資料がないうちは収録していない。他方、現在は用いられない通り名でも歴史資料で確認できるものは収録している。収録対象もそのまま「〜通り」と呼ばれるもののみならず一定の経路を指す通称名・愛称の部類も含めている。
【 別称 】
同じ通りが後年別の名称でも呼ばれるようになったものがいくつか存在する。それらは備考欄に別称を記載した。発生時期の早いものを主項目、後のものを従項目としている。
《 対象区間 》
管理上の起点と終点が明瞭に定められている認定市道・県道・国道とは異なり、自然発生的に呼ばれるようになった背景から通り名には対象となる区間が不明瞭なものがかなりある。通り名がそのまま路線名となっている認定市道については、起点・終点および経路は現況の市道に一致すると考えて掲載している。
《 「〜通り」と「〜道路」 》
通り名の呼称としてどちらが採用されるかは慣習的な要素が大きい。例えば常盤通り・松山通りは専ら「通り」とだけ呼ばれ、常盤道路や松山道路と呼ばれることはない。他方、参宮通りは比較的近年まで参宮道路という呼ばれ方が優勢であった。産業通りは現在でも耳にするものの産業道路という呼び名の方がやや優勢である。一般には「〜通り」と呼んだ場合はその経路の往来が意識され、「〜道路」の場合は道としての全体像が意識される。「〜道路」の呼称のみ存在する場合はここには含めずその他の車道に収録した。
《 地名との関連性 》
市街部での初期の町名の命名法として、通り名をそのまま援用している事例がある。昭和12年の宇部市街図では笹山通り一丁目や岬駅通り一丁目といった記述が見られ、通りを中心に命名されていった過程が窺える。

現在は通り名をそのまま用いた町名は一つも存在しない。過去に存在した通り名を含んだ町名表記さえも稀であり、沼バス停付近の電話ボックスにある参宮通5丁目の表記は今のところ現地確認できる唯一の事例である。


しかし公衆ボックスに表示があるので、現在の沼X丁目という住居表示改訂以前に援用されていたのではないかと思われる。
したがって小字表記は一部を除いて更に早い時期に廃れていたと考えられる
《 個人的関わり 》
宇部市内の通り名を収録する考え自体は、当サイトの構築以前から存在していた。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

この総括記事は現行の通り名を含めて地域SNSで得られた情報や地図などを参照した上で知られる限りの市内の通り名をまとめた最新版である。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 通り

2.「Wikipedia - 宇部市|道路|宇部市内の通り

3. コンクリート製の初代新川橋が架けられたのは明治41年である。常盤通りが誕生したのはその2年後とされる。詳細は常盤通りの項目を参照。

4. このブログ記事は地域SNSが廃止されるまでに回収され MHTML ドキュメントとして保存されている。

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