産業道路

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記事公開日:2016/5/20
最終編集日:2018/5/19
宇部市において一般に産業道路と言った場合、ある特定の道路における一定区間を指している。ただしその指し示す範囲は時代により若干異なっている。以下、この呼称が用いられた時期に分けて解説する。
《 現代認識されている産業道路 》
この記事が制作された現時点において宇部市で産業道路と言った場合、西側は国道190号鍋倉交差点、東側は概ね国道490号(参宮通り)と県道琴芝際波線の交点である神原交差点との区間を指すことが多い。人によっては更に東側の市道神原町草江線へ及ぶ区間を含めて呼ぶ場合もある。また、産業通りと呼ばれることもある。
写真は総合庁舎横の県道区間。


現在における産業道路は慣習的な呼称であり、明確に起点や終点が定められているわけではない。道路管理上の区分としては、県道と市道で構成される。即ち東からみた場合神原交差点から記念館前交差点までは県道琴芝際波線、記念館前交差点から鍋倉交差点までは市道小串通り鍋倉線となっている。神原交差点より東側は市道神原町草江線である。一連の経路は都市計画道路鍋倉草江線に含まれている。
【 道路の仕様 】
後述するように産業道路は昭和の早期に施工された仕様に一部手を加えつつ現在も使われている。重交通に耐える道路造りが意図されて殆どの区間はコンクリート舗装である。
産業道路に限らずコンクリート舗装はセンターライン相当部の縦断方向と10m間隔で横断方向に施工継ぎ目が発生する。このため車で走ると電車の如くカタコトと音がする。コンクリートは堅牢ではあるが弾力性に乏しいため車での乗り心地は悪い。

コンクリートの舗設厚は20cm程度で打換が困難なため、現在アスファルト舗装となっている区間もその多くがオーバーレイである。このため見かけはアスファルト舗装路なものの既設コンクリートのジョイント部分に沿って割れ目が入っていることが多い。


また、道路の下に後から埋設施工するのが困難なため、路面掘削も水道管などの道路横断方向への埋設に限定されていたが、近年は雨水渠やガス管埋設の必要が生じ、縦断方向にコンクリート版を切除し部分的にアスファルト舗装で打ち換えた区間ができている。
【 利用状況 】
一部に厚南方面へ向かう県道を含んでいるため交通量は極めて多い。夜間を除いて殆ど車が途切れることがなく、平日でも信号機のない場所での横断は困難かつ危険である。

市街部を東西に通る主要な経路としては南から順に国道190号、寿橋通り(市道宇部新川恩田線)、産業道路、浜バイパス(国道190号バイパス候補)の4路線があるが、交通の要所である藤山交差点から明瞭な形で繋がっているのは3路線であり、更に浜バイパスはこの記事を作成する現時点で西梶返三差路止まりなので、必然的に国道と産業道路に交通が集中しがちである。浜バイパスが西梶返まで通じた後はかなり緩和されたものの、依然として産業道路の往来需要は高い。
産業道路はこれら3路線のうち最も規格が低い対面交通である。それにも関わらず交通需要が多いのは、遠回りがなく物理的な最短距離に近いこと、進行方向に迷う交差点曲がりがないことに依るものだろう。昔からの道であり、通り慣れた道を選好するドライバーの存在も推測される。

センターラインを有する対面交通仕様だが、片車線あたりの幅は充分に広い。路側部にもゆとりがあるので、右折車両があっても中央に寄っていれば後続車は左側をすり抜け可能である。このため幅員が狭まっている記念館前交差点を除いて右折車両の影響で直進車両が滞留することは少ない。主要な市道との十字路には信号機が設置されているものの連動性が良く、4車線でより高規格な浜バイパスよりも走行しやすいと感じるドライバーもある。

自歩道は車道空間とは分離された状態で上下線に備わっている。県道相当区間はインターロッキングだが、市道部分は通常のアスファルト舗装である。鍋倉交差点側は自歩道が荒れていて自転車が走りづらい状態だったが数年前に改修された。ただし初期に施工されたインターロッキング部分は、後年の樹木の伸張により根が持ち上がることで不陸を生じている部分が目立つ。

歩道と車道の間へ等間隔にイチョウの木が植えられている。この移植は平成期に入ってからのもので、特に神原交差点から樋ノ口橋にかけての県道相当区間に集中している。植栽時に雌雄の選定を行わなかったため、雌の木がかなり含まれていて毎年秋口にはギンナンが落果し往来する車両に踏み潰され清掃上における頭痛の種となっている。
自家消費分のために落果分を採取し持ち帰る人もある

産業道路は全区間駐車禁止指定である。またセンターラインの設定から追い越し禁止と思われるが、片側の車線幅があるため厳密には守られていない。強引な追い越しは殆どないが、神原交差点方面へ向かい右折する車両は、信号の変わり目が近いタイミングではしばしば右折レーン分離区間に差し掛かるよりはるか手前から直進車を追い越して曲がっていく例がみられる。

産業道路は全区間がバス路線となっている。小松原通りバス停のようにバス停摺付を持たないものもあるが、運行本数がそれほど多くないせいか現行のまま運用されている。
【 主要な経由地 】
県道琴芝際波線の起点、市道神原町草江線の起点、国道490号の通過地点。
神原交差点
市道琴芝通り南京納川津線との交点。産業道路で唯一の歩車分離式信号機が設置されている。
琴芝交差点
市道栄町線の終点。現在は三差路であるが将来的に市道栄町線を慶進高校方向へ延伸し十字路とする都市計画道路が策定されている。
派生記事: 総合庁舎前三差路
真締川を横断する橋。平成期の真締川護岸改修工事に伴い両岸を嵩上げし架け替えられている。
派生記事: 樋ノ口橋
県道琴芝際波線の右折点、市道小串通り線の終点、市道小串通り鍋倉線の起点。
記念館前交差点
市道浜通り線との交点。陸橋が異様に低い。また、神原交差点方面への車線において走行車線シフトのイレギュラーが生じている地点でもある。
浜通り交差点
市道小串通り鍋倉線の終点、国道190号の合流点。
鍋倉交差点
【 近年の変化 】
2014年頃に神原交差点付近から琴芝交差点にかけての鍋倉方面行き車線のコンクリート版を一部切除し雨水渠が埋設された。従来は道路の横断勾配によって路側に寄せ排水していたが、滞水が目立つため雨水渠が埋設されている。写真は雨水渠敷設施工時の撮影。


2015年に市道神原町草江線側へ試験的に自転車レーンが設置された。これは市の管理する区間であること、学生の往来需要が高いこと、そして産業道路の幅広な車道故に自転車専用の走行空間を確保するのが比較的容易だったからである。
現在、自転車レーンは神原交差点止まりで県道区間には及んでいないが、将来的に西へ延伸される可能性がある。その折りには前述のイチョウの木の移植が必要になるかも知れない。

2016年5月に記念館前交差点から神原方面行き車線にガス管が埋設される工事が施工された。このため平日の施工時間中はかなりの渋滞が生じていた。
【 産業道路という呼称が使用されている例 】
宇部市立図書館の玄関前には、県道側への退出を規制する立て札の説明において産業道路の語が用いられている。


この近辺は県道琴芝際波線になるのだが、市民にとっては産業道路の方がはるかに馴染みがあるためである。
《 歴史 》
以下、産業道路の成り立ちから現在に至るまでの変遷を記述する。
【 最初期の道について 】
直線的な産業道路の線形から推察されるように、人の往来によって自然発生した道ではなく内陸開作によってできた田の畔が由来と考えられる。市制記念として制作された大正11年発刊の宇部市新地圖にも現在の神原交差点付近に十字路がみられる。ただし東西にわたって直線状の道が整えられたのは恐らく昭和初期であろう。

初めて産業道路の語が用いられ、全体計画が成された時期は現在一般に知られているよりももっと長い区間に及んでいた。東の端は現在の恩田交差点に始まり、今も知られている産業道路を含んで鍋倉交差点から更に西へ延びていた。その先は藤山小学校の下を通る国道190号の旧道区間、更に厚南村の東割を経て丸河内から小野田市入りし小野田市街部へ向かうまでを産業道路と呼んでいた。この経路では厚東川を渡る大橋部分が中核的であり、昭和6年の不景気時に失業対策事業も兼ねて宇部と小野田の両都市を連絡する幹線道路造りの一環として着手されている。厚南村側の産業道路において厚東川大橋から丸河内までの約9.4km区間が起工されたのは昭和14年11月であった。[1]

鵜の島付近を通すとき、道路線形にかかっていた蛇紋岩から成る鵜の島を破砕して路盤材に流用したことはよく知られる。この時期は昭和8年頃とされている。[2]
一連の路線の初期における道路規格はほぼ共通である。現在はそのままが遺る区間は少ないが、厚東川大橋に向かう旧道部分(市道藤曲厚東川線)にコンクリート路がみられる。


厚東川大橋以西の国道部分は4車線拡幅されたとき全面的に打ち替えられたようで、コンクリート路部分は存在しない。ただし流川交差点から西側は一部線形改良がなされ、昔の道路敷にコンクリート路部分が残っている。また、市境を過ぎて丸河内から小野田市街へ下っていく旧国道部分は昭和50年頃までコンクリート路だった。[3]

現在市立図書館がある場所はかつて宇部紡績工場があったことは夙に知られるが、大正初期に造られたため産業道路の整備以前から存在していた。紡績工場は現在の産業道路に対して斜めに立地しており、角地部分が産業道路にかかってしまったらしく、北側の角を切り欠いた形で存在していた。この切り欠きに相当する壁は現在も図書館入口横に遺っている。

また、市立図書館前から真締川を渡って渡辺翁記念会館の横を通るまでの区間は、現在の意味での産業道路において唯一目立つ緩いカーブとなっている。特に記念館横の屈曲は顕著である。
写真は小串通り歩道橋上から西側を向いて撮影している


この原因は宇部紡績工場のところで工場の敷地喪失を最小限にするために可能な限り北側を通したこと、渡辺翁記念会館の手前には島地区の尾根が南東へ沈み込む地点があり、掘削土量を減らすために南側へシフトする必要があったことによると考えている。[4]この事情により、記念会館前交差点は正規の十字ではなくやや捻れて交わっている。
出典および編集追記:

1.「なつかしい藤山」p.45〜46

2.「宇部郷土史話」p.81

3. 当時母の知り合いが丸河内に居てバスで訪問したことがある。帰りにバス停で待機していたとき前面道路が今よりもずっと狭くコンクリート道路だったような記憶がある。

4.「FBタイムライン|意図がまるで読めない7枚の写真(2017/6/28)(要ログイン)
《 個人的関わり 》
注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

車での走行は業務と日常を問わず比較的多い。藤山交差点と国道490号(参宮通り)の梶返付近の往還を考えた場合、産業道路経由と浜バイパス(山大病院通り)経由が存在するが、条件によっては対面交通の産業道路の方が効率が良い場合がある。4車線の浜バイパスの方が平均航行速度が高そうに見えて、歩車分離式信号機が2ヶ所ある上に前後の信号と連動しない押しボタン式信号で頻繁に横断リクエストが発せられるため、運転テンポは悪い。このことを嫌気して、距離的には明白に遠い産業道路を経由することがよくある。
《 その他市内における産業道路 》
船木の岡ノ坂から山陽小野田市境までの区間は産業道路(楠町道産業道路線)と呼ばれていたようである。平成期に入って宇部市と合併し、楠町配下の町道はすべて宇部市道に移管された。


宇部市移管後は宇部市道産業道路線となっている。なお、2016年頃より県道宇部船木線の有帆地区からこの路線の山陽小野田市側へ接続するような道路改良工事が進められており、本路線も含めて当該県道へ付け替えられるかも知れない。

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