新川橋

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情報この記事は国道190号の新川橋について記述しています。
JR宇部線の新川橋りょうについては こちら を参照してください。

記事作成日:2017/1/13
最終編集日:2020/10/27
新川(しんかわ)橋と呼ばれる車および歩行者向けの橋は3つあり、現行の国道190号常盤通り真締川を横切る橋、その橋に付随して架かる歩行者向けの橋、そして下流十数メートルほど離れて川に対して直角に架かる橋である。
写真は国道の新川橋。下流の旧橋から撮影している。


国道の橋の位置を地図で示す。


歩行者向けの橋はすぐ北側に併設される形で架かっている。他方、昔の橋は国道の橋とは異なり川に対して直角に架かっている。以下、それぞれ項目を分けて記述する。
現役の新川橋
常盤通りの西側の端にある。下流側の古い橋と区別するために地図では新川大橋と書かれていることが多い。[a1]昭和27年3月完工。


親柱は橋の名称(漢字表記・平かな表記)と河川名、架橋年月の4点セットで、石材を組み上げて出来たかなり立派なものである。上部には笠が付属し、鉄格子の内部にはかつて夜間点灯していたことが窺える配線の痕跡がみられる。しかし夜間点灯されている状態の写真はもちろん、いつ頃まで点灯されていたかも確認できていない。

欄干はコンクリート造りで中間に鉄パイプ2本掛けとなっている。欄干の天端までの高さは1mにも満たず道路橋の欄干としては異例に低い。国道を往来する車の転落事故などの話は聞いていない。

橋の幅は上下線合わせて4車線相当で、後述する歩行者向けの橋が上流側に別途架かっているため、事実上の車両専用橋となっている。また、河川に対してやや斜めに架かっている。これは戦後に着手した50m道路の中心線が新川とは直交しないことによる。この場所に架けられた橋としては初代で拡幅などの変更は行われていない。[a2]

新川橋は真締川の新川区間に架かるうちで流水面対策が充分にとられていない橋となっている。他の橋は(鉄道の新川橋りょうも含めて)上部構造はそのままで嵩上げしたり橋そのものを高く架け替えている。国土交通省では新川橋の改造の必要性を認識しているものの、現在のところ架け替えの時期などは明らかになっていない。詳細は現代の橋が抱える問題についての項を参照。
歩行者向けの橋
国道の橋と並行して上流側に架かっている。常盤通りの車両交通量が多くなり、歩行者が安全に渡れるように別途架けられた。昭和41年12月竣工。長らく時期が分かっていなかったが、国道側から橋の躯体に竣工プレートが確認された。
新川まつりの歩行者天国時に車道より撮影している


現在は自転車同士でも余裕で離合できる程の幅があるが、単一の橋に異なる橋脚がみられることから、後年幅を拡げて架け替え整備したと思われる。
出典および編集追記:

a1. 市役所横に設置された住居表示案内板も含めて、一般的な地図では新川大橋と表記されている。しかし親柱の石版には新川橋と彫られている。このため当サイトでは国道190号に架かる車道の橋を一貫して新川橋と表記している。

a2.「宇部ふるさと歴史散歩」p.103 に”飛行場を作るのかと疑われた50メートル道路”の解説で新川橋を撮影した写真が掲載されている。写真では橋の欄干や親柱は現在と同じ状態で、道路の側道部分も既にみえている。
旧新川橋
常盤通りの現役橋より十数メートル下流側に存在する。昭和12年2月竣工。


旧橋の欄干は当時のものを遺すが、いわゆる4点セットのうち2つが欠けている。早期に喪われたようで現在は新川橋の漢字表記と竣工年月を記載したブロンズプレートのみが存在し、欠けたプレートの位置は親柱と同じ色のモルタルで塗り潰されている。この逸失は戦後の混乱期による盗難と考えられている。[b1]

欄干は部分的に空隙を造った石材の壁であり重厚感がある。空隙部分は荒い鉄格子になっているが、転落を防ぐための後年の追加施工かも知れない。橋脚の構造も戦前期のものにしては重厚で、後年補修されている可能性がある。

旧橋は新川に対して直角に架かっている。当時まだ高度な技術を要する架橋について橋の長さを最短にするための工夫であり、同様の造りは緑橋にもみられる。

先述のように旧橋は昭和12年の架橋であるが、その後架け替えずに何度か橋面の変更を行っている。現在の新川橋が架かる昭和27年までは旧橋が東西の交通を担っており、車道よりも一段高く歩道が造られていた。

宇部大空襲のとき旧橋に焼夷弾が当たったときの痕跡が永らく遺っており、橋の東側に説明板が置かれていた。この痕跡は歩道部分を削って車道と同一にする改良工事を施したことによって消失した。
標識柱と説明板は暫くそのままだったが、現在はどちらも除去されている。
写真は標識柱が存在していた2016年2月の撮影


旧橋は当初、現在の常盤通りの橋を架ける折りに落とされる予定だった。前後の通りが既になく橋自体も近い位置に重複して架かるため存在意義がないとも考えられた。しかし旧橋を温存し戦時期の道筋を今に伝える遺構とする必要性を訴えたのは元市長の藤田氏と言われる。[要出典]

温存後も平成期まで橋面が異様な色でペイントされているなどあまり管理されていない様相だったが、2012年頃橋面を明るい色で舗設し直し、更に花壇を設けてオブジェも据えるなどして景観造りに貢献している。現在は四輪の通行は橋前後の礎石で塞がれ、歩行者と自転車のみが通れるようになっている。橋の両岸に繋がる真締川公園の一部に含まれ、橋そのものも市公園緑地課の管理地となっている。
【 旧橋以前の橋について 】
江戸期に新川が掘削されたことで内陸部の水浸し状態は幾分緩和され耕作面積の拡大に貢献はしたが、以前は繋がった砂州だった場所が新川で分断されることとなり当然ながら往来は不便になった。最初期の新川は現在の川幅の半分以下とみられるものの潮が差せば渡れないことに変わりはなく、初期は短い距離ながら船渡しを利用したり干潮時を利用して飛び石伝いに渡られていたようである。
以上の記述は将来的に新川の記事を作成したときには移動される

この地に木橋が架けられたのは明治36年とされる。[b2]石橋が架けられたのは明治41年であり近年親柱が再発見されたことから、新川の東西に人が集まり始めて往来需要が高まってから架け替えられたと思われる。天候や水位を気にすることなく荷物を載せた馬や人力車も安全に通れることは大きな歓迎をもたらしたのは想像に難くなく、宇部百景と称して市内随所を撮影した画像の中には新川橋の全容を東西から撮影したモノクロ画像が知られる。

現地にある旧橋は昭和12年架橋で、後に両側に歩行者が安全に通行できるよう一段高い歩道部分が設置された。
出典および編集追記:

b1. 恐らく戦時中の金属供出令に依るものではなく盗難である。理由はもし供出なら2枚のプレートのみ遺すとは考え難いからである。
全て供出するよう要請されたところを特に大事な橋の名称と架橋年月を記したプレートのみ遺すよう嘆願した可能性はある

2.「新川から宇部へ」(高野義祐)p.47
国道の新川橋の親柱を中心に周辺を合わせて調べたときのレポート。全2巻。この総括記事よりも数年前に作成されているため、記述内容に差違があるかも知れない。(2013/6/19)
時系列記事: 新川橋【1】

上流の橋 上流側に架かる橋に移動 下流側に架かる橋に移動 下流の橋
緑橋新錦橋

《 近年の変化 》
・2013年の始め頃に橋面を明るい色で再塗装された。それ以前からアスファルト舗装されていたが、表面に趣味の悪い原色のペイント(赤や緑)が施され、それらもかなり剥げかかっていてかなりみすぼらしい状態だった。渡邊翁記念館の中庭に施工されている脱色系アスファルトと同資材のようである。その後、橋の前後に花壇も追加設置された。この花壇は当初は木枠による仮置きのようなもので、その後石材で囲われた恒久的なものに変更されている。花壇に合わせて橋の東側に棒人間のような彫刻も設置された。

・2014年3月に東岸側現役橋と旧橋の間のスペースに建っていた納税推進に関する広告塔が撤去された。


納税推進の広告塔は細めの三角柱であり、それ以前は更に大きな交通安全啓発の表示塔だった。撤去後は暫く基礎コンクリートのみ残る写真のような状態だったが、後に基礎を残したままその周囲が花壇となった。

・2017年1月上旬より国道の橋および歩行者向けの橋の補修工事が始まった。[c1]


橋の拡幅などは行われないようである。また、下流側の旧橋や歩道橋は対象外である。
出典および編集追記:

c1.「FBページ|2017/1/12の投稿(要ログイン)
《 現在の橋の抱える問題について 》
記事作成日:2017/8/4
前述の通り新川橋は昭和27年竣工であり、既に半世紀が経過している。橋の老朽化については点検と補修を重ねて対処してきたが、補修だけでは解消できない以下の問題を抱えている。
(1) 4車線相当の幅しかないため橋の前後で車線減少が起きている。
(2) 建設当時のまま嵩上げされておらず河川氾濫に対して脆弱かも知れない。
市役所側から走行したとき橋の手前で側道がなくなりバス専用レーンも消えるので、見かけ上の道路幅が半分になっている。実際には側道は通常の走行帯ではないためそれほど酷いボトルネックとなっている訳ではないが、橋の前後で走行車線・追い越し車線がイレギュラーになっている。特に国道190号を走りたい場合、橋を渡ってすぐ追い越し車線側へシフトしなければ先の新町三差路で強制的に左折レーンへ押し込められてしまう。市外からのドライバーには困惑を招いているかも知れない。

以上は常盤通り側の観点からの問題だが、河川を横断する橋という機能上から言えば災害リスクの問題もある。真締川において樋ノ口橋より下流側は江戸期に掘削された新川と呼ばれる区間であり、現在でも海水が遡行する。満潮時と豪雨が重なれば水位が上昇するため、橋の高さは流水面から相応な高さを確保する必要がある。この区間に架かる橋で嵩上げ対処されていないのは新川橋の他に寿橋がある。寿橋は橋の中央部をやや上げているが、新川橋はフラットである上に交通量が多いため懸念されている。

今のところ河川氾濫に伴い通行止めになったことはないが、満潮時と未曾有の台風による高波および豪雨が重なれば橋桁のかなり近いところまで水に浸る可能性がある。もっとも常盤通り自体沖ノ山と呼ばれる東西に長い砂州上に造られており、新川橋も前後の橋に比べて相応な高度を保っているため、橋が低いからと言ってここから破堤して市役所周辺が水害に遭う危険性は内陸部に比べて相対的に低い。
むしろ新川橋より低い上流の緑橋や寿橋周辺の水害の方が懸念材料

この他に新川橋は車道部の欄干が低く、普通車でもハンドル操作を誤れば川へ転落するというリスクがある。
写真は当面の補修が終了した2017年6月上旬の撮影


この状況は厚東川に架かっていた旧琴川橋と同様で、旧琴川橋では欄干に鉄棒を追加設置することで当座を凌いできた。[d1]しかし新川橋では仮設物の設置も行われていない。欄干の内側にも外側にも余裕がなく仮設物の取り付け自体が困難なこと、走行車両の転落リスクが低いこと、景観を著しく損ねることなどに依るものと思われる。
【 改修の手法について 】
国道190号を管理する国土交通省でも新川橋架け替えの必要性は認識しているようである。ただし今のところ具体的な時期や橋の仕様については明らかになっていない。前後の道路の状況から改修後の橋は6車線相当の幅を要し、しかも現在の橋よりも高く架け替える必要がある。新川橋を往来する車両は極めて多いため、旧来のように一旦橋を落として架け替えるといった手法は採れない。通行可能な車線を絞り、旧来の橋脚や上部構造を嵩上げ補強または架け替えし、切り替えつつ施工する以外ないと思われる。

新川橋の両岸には真締川沿いの道(市道真締川東通り線市道真締川西通り線)が通っており、橋を嵩上げした場合の取り付けが困難になる。他方、東通り線については現在協議が進行している宇部市庁舎建て替えにおいて、廃道化処理し真締川公園と繋げることで市民のくつろぎスペースにしてはどうかという案が提示されている。[d2]
写真は庁舎建て替えワークショップ時に提示された素案の模型…東通り線の一部が塞がれているのが分かる


両方の市道とも常盤通りで分断されているため車両の通行需要はそれほど多くはない。また、橋の嵩上げ高が1m未満であれば市道への取り付けも周辺部のスロープだけで対応可能とも思われる。
出典および編集追記:

d1. 2017年7月30日に新しい琴川橋が供用開始されると共に欄干の低い旧琴川橋は通行止めとなっている。

d2.「宇部市新庁舎建設市民ワークショップ(基本設計編)」の意見交換による。特に第10回ワークショップ便りに同趣旨の意見が提出されている。
《 その他の話題 》
・2007年の夏、内海へ迷い込んだと思われるアザラシの子どもが新川橋の下へ定期的に訪れるという事件があった。[e1]このアザラシは真締川に因んで「マジちゃん」と命名された。[e2]噂を聞きつけてこのアザラシを一目見たいというドライバーが橋の前後で低速走行したり停車しがちになり新川橋付近での交通渋滞を招いたため、警察がパトロールし橋の上で停車しないようドライバーへ呼びかける一幕もあった。
新川の項目を作成した折りには上記の記述は移動する予定
出典および編集追記:

e1.「宇部日報|真締川河口に野生のアザラシ

e2.「山口宇部経済新聞|宇部・真締川のアザラシを「マジちゃん」と命名−サイトも開設

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