開1丁目の急坂

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記事作成日:2016/1/4
最終編集日:2023/4/9
開1丁目は丘陵部にあり、西側がかなり急な斜面となっている。西には小路ヶ池があってその横を通る市道沼風呂ヶ迫線に降りる道はどれもかなりの坂である。

このうち最も勾配のきつい北側にある道を開1丁目の急坂として掲載する。
写真は当該坂道の最上部から見下ろした映像。


この坂の始まり部分をポイントした地図を示す。


上の地図ではポイントした道を含めて同様の道が3本通っている。一番南側にあるのが市道開北住宅線で、他の2本は地元管理道である。
写真では場所の分かりやすさ優先で小路ヶ池を見下ろすアングルで撮影しているので、そう大した坂ではなさそうに見える。しかし実際現地で眺めてみると、もはや「非常識な坂道」とも言えるレベルである。
《 概要 》
市道沼風呂ヶ迫線からの撮影。


地元管理の道なので誰でも通れるものの、あまりにも急勾配で危険なため車両通行禁止の立て札が坂の上下に設置されている。アスファルト舗装されていて物理的には四輪の往来は可能。
実際に四輪での通行を試みた人もある模様


横から見たところ。
宅盤の外周部に築かれたブロック積み擁壁の目地が平行であることを目安にされたい。


舗装は坂の始まり部分周辺はコンクリートで、坂そのものはアスファルト舗装である。これほど急な坂だとロードローラーなどの重機で転圧することは殆ど不可能で、舗設は手引き(合材を取り下ろして人力で均すこと)で転圧はプレート施工と思われる。
【 検証 】
この急坂は下を通る市道沼風呂ヶ迫線の建設以前からあった上の住宅地から降りられるようにスロープをつけたことで発生したと考えられる。

南側を通っている認定市道の名称より、早くから開北住宅として宅地開発されていた。開北住宅の開発は昭和24年で、隣接する開南住宅の昭和23年度に次いで市内で最初に建設された本格的な公営団地であった。[1]

現在の開1丁目付近の航空映像。
地理院地図からの引用であり、比較しやすいように急坂の始まる位置を印で示している。


地理院地図の1961〜1969年に撮影された航空映像。
小路ヶ池を望む東岸ギリギリまで住宅地だったことが窺える。


小路ヶ池に一番近い数軒の民家がなくなり道路になっている。昭和40年代に小路ヶ池の東岸を通る市道沼風呂ヶ迫線を建設したとき住宅が取り壊され、元からあった高台より市道へ降りられるようにスロープをつけたことで発生したようである。

風呂ヶ迫寄りもほぼ同じ高さの丘陵部となっていて、両岸は深さ10m以上の沢で分断された格好になっている。この沢地を遡行する形で常盤用水路が通じている。当初、不自然に幅が広く深い沢は常盤用水路の開渠掘削など人工的な地勢改変によるものではないかと思われていたが、元から原形となる沢地が存在していたことが上記の航空映像で判明した。
《 個人的関わり 》
小路ヶ池沿いを通る市道沼風呂ヶ迫線自体も風呂ヶ迫の交差点を前にして急な坂となる。この付近が丘陵部へ登る開始地点であることは認識されていたが、市道開北住宅線を含めて開1丁目方面への道を通ったことは一度もなかった。

この急な坂道は自力で見つけたものではなく、FBページ側へ寄せられた読者からのものである。[2]小路ヶ池前あたりから開1丁目に登るケーブルカーの索道のような道が見えるが、あれは一体道なのか何なのか気になっているという報告が始まりだった。
初めて現地調査へ向かったのは2013/12/22のことだった。しかしこのとき市道開北住宅線の一つ南側の地区道を撮影し、それほどムチャクチャな坂ではないのではと感じた。その後、更にもう一つ北側に地区道があることを知り、一週間後の29日に初めて訪れている。この詳細な顛末は後続の時系列記事を参照されたい。
読者からの報告を受けて初めて現地調査したときのレポート。全2巻。
時系列記事: 開1丁目の急坂【1】(2016/1/5)
なお、本文中には「常盤用水路の隧道を短くするために人工的に掘り割ったのでは」と推測しているが、現在では自然な沢地を利用したものとして否定されている。

最終編集日において Twitter に公開した写真。
外部サイト: 開1丁目の激坂|宇部マニアックス ツイッター支店
出典および編集追記:

1.「厚南を生きた人たち」(江本主幹)p.128

2.「FB|宇部マニアックス」のメッセージ機能を用いて2013/12/8に読者から寄せられた情報による。
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