滑坂

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記事作成日:2021/2/20
最終編集日:2022/3/21
滑(なめら)坂[1]とは市道東小串西小串線の西小串3丁目に存在する緩やかで長い坂である。
映像は滑坂の開始地点付近。


この場所を十字ポインタで示した地理院地図である。


坂の南側には民家の古い石積みとセメントレンガ塀が連なっている。
民家居住者の姓名を冠した名前の坂として呼ばれることもある。[2]


この道は小串往還路の一部で、村役場が上宇部にあった時代から小串方面との往還に通行されていた。大まかな経路や起伏はそれほど変わっていないが、小串土地区画整理事業に伴い周辺の路地が大きく改変され昔の面影は殆どなくなっている。

多くの郷土資料に滑坂の記述がみられ、昔から知られる印象的な坂道だったようである。名称の由来は明らかでない。この辺りの小字名は風呂ノ浴であり、滑という字名はこの辺りにみられない。迫田坂のように足元が悪く滑りやすい坂道だったか、いわゆる「なめら石」が産出したかのいずれかだろうか。

当サイトでは永らく滑坂をこの往還路からやや離れた異なる場所を案内してしまっていた。近年、渡邊塾の会合で小串小学校付近の手描き地図に滑坂の記載を見ることで誤りが判明した。以下の項目に詳細を記述している。
《 誤った場所が案内された原因について 》
当サイトでは永らく滑坂を小串北向地蔵のすぐ先にある少し上ってすぐ下る小さな坂として案内していた。(→関連記事リンク
この場所である。


この根拠は、宇部ふるさと歴史散歩 p.38 に収録されている地図である。
地図では明らかにこの場所を滑坂として案内されていた。


最初に滑坂の派生記事を作成したのは2013年だった。当時は上記の書籍が題材探しのバイブル的存在であり、当サイトのみならず多くの場所で出典として利用してきた。後に多くの書籍や手描きの地図などに接し、この場所が滑坂だとすると前後の文脈と位置関係が合わない不自然さに気付いていた。

宇部ふるさと歴史散歩の著者である黒木氏は市内の多くの場所を実地に訪れている第一人者で、小串周辺地区に関しても多くの記述を遺しているので、滑坂の位置を誤解していたとは思えない。上記の地図で滑坂が違う位置に案内されているのは、この場所から現在の県道琴芝際波線へ出る手前までを一続きの坂道と考えていたか、あるいはまったく単純に製本時における活字配置ミスであろう。

既に作成済みの”誤った”滑坂の派生記事を削除するには及ばないので、新規にこの総括記事を作成し、以前の派生記事は関連記事リンクから案内するように変更した。以前の派生記事には末尾に正しい滑坂の位置についてこの総括記事へのリンクを追加した。
《 近年の変化 》
・2021年11月末までに滑坂沿いにあった屋敷が解き除けられ周辺全ての宅地造成が始まった。


開発区域の面積は2,997.44m2であり、工期は2011年11月5日〜2022年1月31日であった。

・2022年3月現在で分譲地はマストタウン西小串と命名され、建築条件付で宅地分譲中である。家が建ち並べば滑坂周辺の景観も一変すると思われる。家が建っておらず滑坂より直接市街地が見える状態の写真は採取済み。
《 Googleストリートビュー 》
滑坂の下から県道へ向かって上る方向に設定している。

初期に滑坂と考えていた起伏に関する記事。
派生記事: 滑坂
出典および編集追記:

1. スメラ坂と表記した書籍も存在する。「緑濱の真砂」では滑坂にスメラサカの読みを与えている。


2. 下条在住者からの聞き取りに依る。

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