恩田のレンガ坂★

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記事公開日:2017/5/22
およそレンガの坂道は市内に複数箇所あると思われるが、ここでは個人的関わりの深さからまったく恣意的に現在の恩田町5丁目にかつて存在した里道の坂道を恩田のレンガ坂として記述する。
写真は坂の始まり部分からの撮影。


この場所をポイントした地図を示す。


後述するように、このレンガ敷きの坂道はもう存在しない。現地へ行っても何の痕跡も残っていない。以下の写真は、なくなる前に定期的に訪れて撮影していた中からの抜粋である。
恩田を去った後、当時始めた自転車での市内散歩で十数年振りに現地を訪れ、幼少期のままの姿で遺っていたことに感激し、それ以降はこの方面を訪れる折に立ち寄って記録していた。

レンガは至る所が欠けており、元は建屋などに使われていたものを再使用したものであることが窺える。
レンガそのものの配置も縦横が整わず適当に敷き詰められていた。


レンガは素焼きの赤茶けたものだけでなくコンクリート製のも混じっていた。欠けているため平坦にはならず、隙間にモルタルを充填した形跡もみられる。

外観の古さから分かるように、このレンガ坂は私が恩田へ越してきた昭和40年代半ばには既にこの状態だった。
この前後の里道については恩田町5丁目の生活道として詳細に記録されている。レンガ坂道より国道方面および西側の市道に向かう生活道については以下を参照。
記事項目中のアルファベットは基準地点を示す
時系列記事: 恩田バス停道(R→T)|くじ屋街道(R→S)
個人的な想い出のある道なので本記事にそのまま書くと、この里道は幼少期から学童期にかけてくじ屋へ駄菓子を買いに行くときかならず通っていた場所だった。周辺の生活道でレンガが敷かれた部分はここだけだった。
この場所だけレンガが敷かれている理由は幼少期から推測できていた。丘陵部へ向かって登り坂がきつくなっている上に地山は粘性土で、雨が降ると酷くぬかるんで滑りやすかった。坂を歩きやすくするために角地にあったレンガ積みの建屋を解くとき供出されたのではないかと思われる。

レンガ敷きの堅い地面のお陰で滑ることはなかったが、徒歩はともかく自転車で通るときは衝撃がかかり乗り心地は悪かった。このためレンガ部分を避けて外側の土が残っている場所を乗って通ることもあった。
上記の写真でも自転車が通った轍がみられる

レンガ坂は2010年まで原型を保っていたが、その後2013年までに角地の平屋が解き除けられたとき上半分が取り除かれた。更に2015年に入るまでにすべてのレンガが除去されてスロープ部はコンクリート、その先はアスファルト舗装されて四輪の通行可能な幅がある部分はすべて舗装路となっている。
《 レンガ坂の変遷 》
全体が健全だった最後期に撮影した写真。
外側の畑地は雨が降ると酷くぬかるんでいた。[2010/2/17]


この角にあった木造平屋倉庫が解き除けられた後、高い側の半分のレンガが取り除かれ砂利敷に変わっている。[2013/6/28]


建築工事のため砂利敷の里道部分はアスファルト舗装路となった。
接道義務の規定によりこの部分までは民家の自己負担で施工されているものと思われる。[2013/11/24]


現在の状況。
車の入らない十字路部分までの里道区間にあったレンガもすべて取り除かれコンクリート路となった。
この部分は自治会側の負担で施工されているかも知れない。[2017/5/14]


レンガ坂のときは坂の中ほどが膨らむいびつな勾配で通りづらかったが、コンクリート路となった今は単勾配に変わっていて平坦性も良好である。どの程度の通行需要があるか分からないが自転車でも問題なく通れる。ただし往年のレンガは既に一欠片も遺っていない。
《 個人的関わり 》
幼少期の個人的関わりは本文に記述した通りである。

恩田を去った後に初めてこの場所を訪れたのは2009年4月10日のことである。その後、当時参加したばかりの地域SNSに写真付きの記事を掲載し大変な反響を呼んだ。なお、地域SNSは既に閉鎖され存在しないが記事はアーカイブされている。以下に当時の表示状態に基づいて再現している。
アーカイブされたファイルそのものは読者コメントや私の個人情報が表示されているため掲載できない

注意以下に地域SNS掲載時の投稿を掲載しています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

この記事は地域SNSに参加したかなり初期のものらしく、参加会員で初対面の方3名から丁寧な挨拶と共に共感するコメントを寄せられている。

当時の願いとは裏腹にレンガの坂道はなくなってしまったのだが、既に写真の記録を遺してあるため現在では特に後悔はない。むしろ吸い寄せられるように現地を訪れ、カメラで記録することができただけで充分である。後世へ記録をとどめて欲しいというレンガ坂の物言わぬ声を感じた。更にこのレンガ坂が喪われたことで、むしろその時点で未だ遺っている周辺の里道や景色の撮影は活性化した。恩田のレンガ坂は、かつて自分が幼少期に育った恩田長沢(恩田町5丁目)の記事造りに向かう原点となった案件とも言える。

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