およそレンガの坂道は市内に複数箇所あると思われるが、ここでは個人的関わりの深さからまったく恣意的に現在の恩田町5丁目にかつて存在した里道の坂道を
恩田のレンガ坂として記述する。
写真は坂の始まり部分からの撮影。
この場所をポイントした地図を示す。
後述するように、
このレンガ敷きの坂道はもう存在しない。現地へ行っても何の痕跡も残っていない。以下の写真は、なくなる前に定期的に訪れて撮影していた中からの抜粋である。
恩田を去った後、当時始めた自転車での市内散歩で十数年振りに現地を訪れ、幼少期のままの姿で遺っていたことに感激し、それ以降はこの方面を訪れる折に立ち寄って記録していた。
レンガは至る所が欠けており、元は建屋などに使われていたものを再使用したものであることが窺える。
レンガそのものの配置も縦横が整わず適当に敷き詰められていた。
レンガは素焼きの赤茶けたものだけでなくコンクリート製のも混じっていた。欠けているため平坦にはならず、隙間にモルタルを充填した形跡もみられる。
外観の古さから分かるように、このレンガ坂は私が恩田へ越してきた昭和40年代半ばには既にこの状態だった。
この前後の里道については恩田町5丁目の生活道として詳細に記録されている。レンガ坂道より国道方面および西側の市道に向かう生活道については以下を参照。
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記事項目中のアルファベットは基準地点を示す)
個人的な想い出のある道なので本記事にそのまま書くと、この里道は幼少期から学童期にかけてくじ屋へ駄菓子を買いに行くときかならず通っていた場所だった。周辺の生活道でレンガが敷かれた部分はここだけだった。
この場所だけレンガが敷かれている理由は幼少期から推測できていた。丘陵部へ向かって登り坂がきつくなっている上に地山は粘性土で、雨が降ると酷くぬかるんで滑りやすかった。坂を歩きやすくするために角地にあったレンガ積みの建屋を解くとき供出されたのではないかと思われる。
レンガ敷きの堅い地面のお陰で滑ることはなかったが、徒歩はともかく自転車で通るときは衝撃がかかり乗り心地は悪かった。このためレンガ部分を避けて外側の土が残っている場所を乗って通ることもあった。
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上記の写真でも自転車が通った轍がみられる)
レンガ坂は2010年まで原型を保っていたが、その後2013年までに角地の平屋が解き除けられたとき上半分が取り除かれた。更に2015年に入るまでにすべてのレンガが除去されてスロープ部はコンクリート、その先はアスファルト舗装されて四輪の通行可能な幅がある部分はすべて舗装路となっている。
《 レンガ坂の変遷 》
全体が健全だった最後期に撮影した写真。
外側の畑地は雨が降ると酷くぬかるんでいた。
[2010/2/17]
この角にあった木造平屋倉庫が解き除けられた後、高い側の半分のレンガが取り除かれ砂利敷に変わっている。
[2013/6/28]
建築工事のため砂利敷の里道部分はアスファルト舗装路となった。
接道義務の規定によりこの部分までは民家の自己負担で施工されているものと思われる。
[2013/11/24]
現在の状況。
車の入らない十字路部分までの里道区間にあったレンガもすべて取り除かれコンクリート路となった。
この部分は自治会側の負担で施工されているかも知れない。
[2017/5/14]
レンガ坂のときは坂の中ほどが膨らむいびつな勾配で通りづらかったが、コンクリート路となった今は単勾配に変わっていて平坦性も良好である。どの程度の通行需要があるか分からないが自転車でも問題なく通れる。ただし往年のレンガは既に一欠片も遺っていない。
《 個人的関わり 》
幼少期の個人的関わりは本文に記述した通りである。
恩田を去った後に初めてこの場所を訪れたのは2009年4月10日のことである。その後、当時参加したばかりの
地域SNSに写真付きの記事を掲載し大変な反響を呼んだ。なお、地域SNSは既に閉鎖され存在しないが記事はアーカイブされている。以下に当時の表示状態に基づいて再現している。
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アーカイブされたファイルそのものは読者コメントや私の個人情報が表示されているため掲載できない)
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思い出のレンガ坂(2009/5/30)
一ヶ月くらい前に撮った、何処にでもありそうな小道の画像です。
しみじみ感を出したいので、今回は語り口調を変えています。長文です。
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4月後半のある日の午後、穏やかな陽気に誘われて、私はデジカメを持って市内をポタリング(自転車での軽い散歩)していた。
たまたま自分が昔過ごしたエリア近くを走り、意外に変わらず今も残っている風景に触発され、ふと幼少期に見た一枚の風景が頭を過ぎった。
「あの坂道は今も残っているのだろうか…」
幼稚園から小学校低学年の頃、私の家の裏手は田畑が広がっていた。そこには一本の農道があり、並行してどぶ川が流れていた。花崗岩の板を並べただけの簡素な石橋を渡り、廃レンガの埋められた坂を上がった先に駄菓子屋があった。私はお小遣いの十円玉数枚をポケットに入れ、喜び勇んで駄菓子屋へ駆け足で向かっていたものだった。
小学校の登下校では国道沿いを歩くよう教えられていたが、日常生活では専らその農道を歩いていた。友達の家に行くにもバス停へ向かうにも、一番近道だったからだ。
農道は私が中学生の頃までは完全に残っていたのだが、やがて家の裏手が住宅地へ整備されることとなり、荒れ地や田畑は悉く整地された。どぶ川はコンクリート製の排水路に置き換わり、危ないからとフェンスが巡らされ、一部には蓋も掛けられた。もう高校生になっていた当時の私は古いものが失われつつあることは感じていたものの、便利さには替えられないし、そう深刻に考えてもいなかった。
私が駄菓子屋へ行くとき小走りした農道の殆どは失われてしまったものの、廃レンガで作られた坂道が残っていることは、幼少期を過ごしたその地を離れる数年前までは知っていた。しかし大人となれば交通の足は自然と車になる。それは自分も例外ではなく、車で通行できない農道が生活圏から離れていったのは必然的であった。
幸いなことに、今では私はもちろん、人は
今使われていないからとか古くなったからという、ただそれだけの理由で安易に捨て去り、破壊してしまうことの愚かさに気づき始めている。それは歴史的証人を失うことでもある。何かの形で遺さなければ、それは今を生きる人々の思い出に押し込められることになる。そしてやがて思い出を保持した人間がこの世を去れば、永遠に闇へ葬られてしまうだろう。
あの坂道はまだ残ってくれているだろうか?
それとも…
既に私のはるか昔の思い出を抱え込んだまま、消え去ってしまっているのだろうか?
十数年振りの訪問だから、原形を全く遺さない形での改変も覚悟していた。しかし何となく心がほんわりするような感触を覚えつつ、ゆっくりと自転車で近づいてみた。
当時のまま残っていた!!
廃レンガが敷き詰められた坂道は、数十年前と全く変わらぬ姿で今や大人になった私を迎えてくれたのであった。
一見、何処にでもあるようなレンガ敷きの道。別に産業遺産ではないし、恐らく道の名前すらないだろう。しかし少なくとも私がこの世に生を受けた時には既に存在していたに違いない、一見武骨なレンガ敷きの坂道。
車も通さないような細い農道は、この坂から軽トラ一台がやっと通るほどの幅になる。 昔からそうだった。そしてこの部分だけ、何故かレンガが敷き詰められているのも昔のままだった。
何故ここだけレンガが敷いてあったのだろうか?
子どもの頃から通っていたから、私は恐らくこうだろうという答を持っている。
レンガの隙間から赤土がのぞいているのが分かるだろう。そう、この道は元々赤土の坂だったのだ。近接して畑地があり、その境目は畑の土と赤土が混じった状態になっている。
雨降りのとき、このような道がどうなるか想像つくだろう。赤土のような粘性土は、水を含むと酷く滑るようになる。そんな中を人が歩き自転車が通れば、粘性土は水と練り混ぜられたようになって当分乾かない。乾けば路面は荒れる。いずれにしろ危険だし通行に不便極まりないのである。
それを見越して、
はるか昔にこの道を使う地域に居て古いレンガを持ち合わせていた人が、恐らく通行人の便宜をはかって敷いたのではないかと思われるのである。
使われているのは新しいレンガではない。色や形はバラバラだし、半分に欠けているものすらある。敷き詰め方もインターロッキングのような上品なものではなく、大きさの合うものを適当に埋め込んだだけである。レンガとレンガの間隙が広がってしまった部分には、後付けでモルタルを詰め込んだ部分もある。当初から新品のレンガを敷き詰めて作った道なら、こんな雑な作業はしないだろう。
確かに都会の歩道にみるレンガ道のような上品さはないかも知れない。しかし捨てればゴミとなるものを賢く再利用して造られた、如何にも素人仕立てのレンガ道。坂で滑りやすく雨の日は困るだろうからと、有志が古レンガを提供して作ったのであろう坂道。
見た目は武骨でも、今では失われかけていた人の温かさや優しさを感じないだろうか。
「残っていたのか…」
「そうか…残っていてくれていたのか…」
訳あってここに埋められた古レンガたちは、私が十円玉を握ってお菓子を買いに行っていた幼少期から、数え切れないほどの体験をして大人になってしまった今までずっと、身じろぎもせず多くの人々から踏みつけられることで第二の人生を歩んできたのであった。
これからも残っていて欲しい…
武骨だけど変わらずに残り続けるものがあってもいいじゃないか…
傍目には何事だろうかと訝られるかも知れないほど、私はこの場で身じろぎもせずしばし古レンガの坂道を見つめていた…
閲覧数 1,379 コメント 5 投稿日時 2009/05/30 23:21
この記事は地域SNSに参加したかなり初期のものらしく、参加会員で初対面の方3名から丁寧な挨拶と共に共感するコメントを寄せられている。
当時の願いとは裏腹にレンガの坂道はなくなってしまったのだが、既に写真の記録を遺してあるため現在では特に後悔はない。むしろ吸い寄せられるように現地を訪れ、カメラで記録することができただけで充分である。後世へ記録をとどめて欲しいというレンガ坂の物言わぬ声を感じた。更にこのレンガ坂が喪われたことで、むしろその時点で未だ遺っている周辺の里道や景色の撮影は活性化した。恩田のレンガ坂は、
かつて自分が幼少期に育った恩田長沢(恩田町5丁目)の記事造りに向かう原点となった案件とも言える。
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