馬守り坂

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記事作成日:2025/7/21
馬守り坂は西岐波地区の字野黒目、現在の県営大沢住宅下から高台に向かう坂道である。
写真は坂の途中からの撮影。


登り坂の下をポイントした地図を示す。


現在は坂の下は市道常盤公園江頭線、坂の上は県営住宅前を通る市道大沢住宅線を連絡する地区道である。アスファルト舗装されているが四輪の通行はできない。
《 成り立ち 》
床波と新川を結ぶ公道のうちで、西岐波村側にある顕著な坂道だった。名称の由来は、馬の背に荷物を載せたまま登らせるには負担が重すぎるため背中の荷を軽くしたり、同じ方面に向かう行商人などが協働して荷物を引き揚げたことに依る。当時は馬が重い荷を運ぶほぼ唯一の手段だったから、大切に扱っていたのである。

助け合いを勧めることから「一人で通ると馬の首がさがる」と言い伝えられてきた。[1] これは言い伝えを守らない人を戒める妖怪である。昔からの言い伝えにはしばしばこの手法が現れる。東岐波の西蓮寺坂には、夕暮れ以降通ろうとすると子を抱かせようとする幽霊の話があって「子を抱かしょう坂」の別名があり、溜め池で泳ぐと「えんこが足を引っ張って溺れさせる」という金山だんぽのような例がある。

人間以上の力をもつ牛馬は、運搬や農耕に重用された。だから老齢や病気で死ぬと手厚く葬られたことと黄幡社が結び着けられることがある。黄幡は王馬の転訛とする説がある。こうした黄幡社でも粗末にすると幽霊が現れ怖がらせるといった話がみられる。
《 現在の状況 》
市道常盤公園江頭線の接続点。


入口まで拡げられているが、すぐに狭い道になる。


一部の枝道が階段になっていて県営住宅の建設の影響を受けているようだ。


坂の中ほどで振り返っている。


ほぼ直線的に登って大沢県営住宅の横にでてくる。


かなり短い距離で高低差をこなしていて、自転車は押し歩きしなければまず登れない勾配だ。現代は車社会だから、散歩で通る以外この道を通る人は少ないだろう。
《 修正に至った経緯 》
馬守坂は、相当以前から市道常盤公園江頭線の派生記事として紹介していた。当時から市のホームページに市内各地の郷土史や史跡を紹介した文化財マップがあり、その中に常盤地区の史跡がよくまとめられているのを見ていた。そこで前掲の市道の時系列記事を作成した折に常盤ふれあいセンター横の十字路から先の長い下り坂を指すものと誤解して紹介していた。市道の概ね以下の区間である。


途中が山口宇部道路で分断されているとは言え、現在でも一続きの長い下り坂である。しかし「馬の荷を降ろして歩かせるべきと言えるほどの急な坂道」ではない。
更にこの道は遙か昔から自然発生した小径ではなく、明治後期に常盤池の本土手まで造られた道であることが判明している。


西岐波ふれあいセンター前にある郷土マップでもこの道から外れて南に向かう道を馬守坂として案内している。


しかし初期に時系列記事を作成した後、いくつかの資料に接しておかしいと感じてはいながらもそのままにしていた。最終的に[1]の資料に掲載されている写真に大沢県営住宅が背景に写り込んでいることから、撮影アングルの相違により場所が違うことを確信した。

この道は常盤池の本土手上が通れるようになった後に整備された府県道である。当然ながら常盤池築堤以前は道がなく、江頭方面から則貞草江方面に行くには馬守坂経由の道しかなかったと考えられる。

昭和2年作図のスタンフォード地図。
「大澤」の文字がある左側斜めに記載されている道が馬守坂を含む古道であろう。


宇部鐵道が床波まで延伸されたのは大正12年なので、鉄道や府県道ができる以前は宇部村・西岐波村を往来する経路が非常に制限される。そして馬守坂は行商人や旅人が遠回りなしに往来するには通らざるを得ない難所だったことが想像される。上記の古道は、後年おそらく大沢県営住宅の建設(早ければその前身にあたる大沢市営住宅)によって国道に出るまでの区間は消失している。
以前に作成していた誤った場所を記述している坂道の項目。
派生記事: 馬守り坂(2013/9/7)
出典および編集追記:

1.「文化財マップ|宇部市」の常盤地区マップ

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