牛転び坂

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記事作成日:2020/1/19
最終編集日:2025/7/11
情報この記事は所在地または物件名に疑義が差し挟まれます。物件名や記述内容の変更があり得ます。二次資料としての参照はお勧めしませんのでご留意下さい。(→牛転び坂としての命名に関する疑義

牛転び(うしころび)坂[1]市道維新山西山線の途中から分岐し、宇部護国神社裏手の高台に至る坂である。
写真は市道側にある坂の登り始め地点。


この場所をポイントした地図を示す。


南側からの道を辿ってここへ到達したとき、市道は蛇瀬川から離れて一貫して登っている。市道は右側の分岐であり、再び蛇瀬川に向かって下っていく。左側の分岐が猛烈な坂道を伴う地区道である。
《 概要 》
市道維新山西山線の小さな峠部分から左へ登っていくのが牛転び坂である。
市道は平坦かやや下り坂なので写真だけではどれほどの坂か分かりづらいかも知れない。


頂上付近までほぼ一本調子の勾配の坂道である。
下側の市道は蛇瀬川に向かって下っていくので、少し進んだだけで著しい高低差が生じる。坂道にはガードレールなどはいっさいない。


途中は若干カーブしているだけで見通しは利く。しかし道幅が相応にあっても坂の途中では軽四同士の離合も不可能か極めて困難である。


この坂の中腹より中宇部岡ノ辻の墓地へ向かう農道がある。

全く勾配が緩むこともないまま延々と続く。
高度が上がりきった先では両側に民家が数軒みられる。


漸く坂の勾配が緩み始めた辺り、右側の民家を過ぎたところで道は直角に左へ折れている。


概ねここまでを一つの坂道とみなすことができる。ただし直角に折れた先でも更に少しばかり登り坂が残っている。


これを登り切った辺りが周辺高台の最高地点で、これより先は概ね平坦な台地上を進むようになる。地区道自体は先に進むにつれて緩やかな下りになっている。
《 個人的関わり 》
牛転び坂の存在については[1]により知っていたが、初めて現地を訪れたのは記事向けの写真を撮った2013年2月より少し前のことである。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

《 近年の変化 》
・2020年1月17日に「小羽山ものしり博士づくり計画」のルート選定として校区内を歩き、小羽山ふれあいセンターより実際にこの坂道を登っている。これに先立ち、牛転び坂の写真を全面的に再撮影したのを利用して1月度のサンデー宇部のコラムに Vol.44 として「崩の坂と牛転び坂」を提出した。
《 牛転び坂としての命名に関する疑義 》
冒頭にタグを追加設置した通り、この坂道を「牛転び坂」と称することに対する疑義がある。現地に勾配のきつい坂があるのは確かだが、真に古くからある坂道なのか、あるいは牛転びという名称の由来について正しいかについて再調査する必要がある。これは以下の理由に依る。
(1) この坂道を案内する出典が[1]以外にないこと。
(2) 昭和初期の地図にもこの道の記載がまったくないこと。
(3) 牛転びという呼称のある山はここではなく離れた場所にあること。
現在のところ、この場所の坂道を「牛転び坂」としたものは[1]に限られる。そこには紛れもなくこの場所の坂道の写真が掲載されているが、小羽山地区を含む周辺地区の郷土資料を参照してもまったく記述がみられない。地元在住者を含むごく狭い範囲でそのように呼ばれていた可能性はあるが、未だ聞き取り調査はされていない。

昭和2年作図のスタンフォード地図には、宇部護国神社の裏手へ回り込む道の記載がまったくない。


道がまったく存在していなかったのではなく、牛馬に荷を牽かせて通る狭い道しかなかった可能性はある。この辺りの高台は字岡ノ辻であり、字名が表す程度に人馬の往来があったのかも知れない。しかしその道は昭和初期になってもまったく記載がないのは不自然である。

更に命名に関する最大の疑義は、この坂道がある場所の小字名にも山の名にも牛転びという名称がみられない点である。それどころか、享保年間に作成され藩に提出された地下上申の絵図を参照すると、現在の蛇瀬川を挟んで「い志ん山」(言うまでもなく現在の維新山)と「うしころひ山」と墨描きされた和紙が後から追加されている。(出典:地下上申 絵図)
この和紙の貼り付けは藩提出時と同時ではないにしても年数はそれほど離れていないだろう


これは現在の牛転び坂と呼ばれる坂の所在場所と比べて明らかに異なっている。蛇瀬川の東側は広田(絵図では廣田となっている)なので、広田地区に向かう坂道が牛転び坂であったものが取り違えられたのではないだろうか。
《 地名としての牛転について 》
坂道の名称としては牛転び坂であるが、今のところ出典は[1]のみである。小字絵図では坂道を登るときの左側と最後に左カーブする内側は字岡ノ辻であり、外側は字西山となっていて牛転という字名は坂に隣接しては知られない。地名明細書では川上村の広田小村にうし転として掲載されている。


現在の急坂がある場所は蛇瀬川の西側であり、そもそも広田のある川上村ではなく中宇部村である。したがって今のところ蛇瀬川を隔てて東にあった山の名前に由来するのだろうという推察のみである。

今のところ牛転という地名は地名明細書などに収録されたものか、牛転山以外に知られていない。類似する感じがする地名として、初期の小字絵図では牛転の近くに馬隠が記載されている。
以前に作成されていた牛転び坂の時系列レポート。本総括記事を作成した後で地区道カテゴリへ移動している。
ここにある岡ノ辻とは大字中宇部字岡ノ辻であり、西岐波にある岡ノ辻とは全く場所が異なる。
時系列記事: 岡ノ辻維新山地区道|牛転び坂
出典および編集追記:

1.「平成18年度小羽山まちづくりサークル」p.3

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