牛転び坂

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記事作成日:2020/1/19
最終編集日:2020/2/12
牛転び(うしころび)坂[1]市道維新山西山線の途中から分岐し、宇部護国神社裏手の高台に至る坂である。
写真は市道側にある坂の登り始め地点。


この場所をポイントした地図を示す。


南側からの道を辿ってここへ到達したとき、市道は蛇瀬川から離れて一貫して登っている。市道は右側の分岐であり、再び蛇瀬川に向かって下っていく。左側の分岐が猛烈な坂道を伴う地区道である。
《 概要 》
市道維新山西山線の小さな峠部分から左へ登っていくのが牛転び坂である。
市道は平坦かやや下り坂なので写真だけではどれほどの坂か分かりづらいかも知れない。


頂上付近までほぼ一本調子の勾配の坂道である。
下側の市道は蛇瀬川に向かって下っていくので、少し進んだだけで著しい高低差が生じる。坂道にはガードレールなどはいっさいない。


途中は若干カーブしているだけで見通しは利く。しかし道幅が相応にあっても坂の途中では軽四同士の離合も不可能か極めて困難である。


この坂の中腹より中宇部岡ノ辻の墓地へ向かう農道がある。

全く勾配が緩むこともないまま延々と続く。
高度が上がりきった先では両側に民家が数軒みられる。


漸く坂の勾配が緩み始めた辺り、右側の民家を過ぎたところで道は直角に左へ折れている。


概ねここまでを一つの坂道とみなすことができる。ただし直角に折れた先でも更に少しばかり登り坂が残っている。


これを登り切った辺りが周辺高台の最高地点で、これより先は概ね平坦な台地上を進むようになる。地区道自体は先に進むにつれて緩やかな下りになっている。
《 成り立ち 》
スタンフォード地図で現地付近を調べると、蛇瀬川の大曲がりをショートカットする現在の市道の路線は記載されているものの、護国神社の裏手へ回り込む道の記載がない。


これは道がまったく存在していなかったのではなく、牛馬に荷を牽かせて通る程度の道がなかったことに依ると思われる。そのことは登り始めから最高地点に至るまでの道そのものが字境界であることに依る。ましてその字名が岡ノ辻であり、これは高台にまみえる道筋に由来する。少なくとも字名の発祥と同程度の時期に踏みつけ道程度は存在していたと考えられる。
以前に作成されていた牛転び坂の時系列レポート。本総括記事を作成した後で地区道カテゴリへ移動している。
ここにある岡ノ辻とは大字中宇部字岡ノ辻であり、西岐波にある岡ノ辻とは全く場所が異なる。
時系列記事: 岡ノ辻維新山地区道|牛転び坂
出典および編集追記:

1.「平成18年度小羽山まちづくりサークル」p.3
《 個人的関わり 》
牛転び坂の存在については[1]により知っていたが、初めて現地を訪れたのは記事向けの写真を撮った2013年2月より少し前のことである。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

《 近年の変化 》
・2020年1月17日に「小羽山ものしり博士づくり計画」のルート選定として校区内を歩き、小羽山ふれあいセンターより実際にこの坂道を登っている。これに先立ち、牛転び坂の写真を全面的に再撮影したのを利用して1月度のサンデー宇部のコラムに Vol.44 として「崩の坂と牛転び坂」を提出している。
《 地名としての牛転について 》
坂道の名称としては牛転び坂であるが、今のところ出典は[1]のみである。小字絵図では坂道を登るときの左側と最後に左カーブする内側は字岡ノ辻であり、外側は字西山となっていて牛転という字名は坂に隣接しては知られない。しかし山口県地名大辞典の小字一覧には字牛転が収録されているし、最初期の小字絵図にも場所が完全に特定されない状態で字牛転が記載されている。また、地名明細書では川上村の広田小村にうし転として掲載されている。

字岡ノ辻在住者からの聞き取りにより、かつてこの周辺に牛転山という名称の山があったらしい。ただしそれはこの坂道を含む高台ではなく、蛇瀬川より東側の高台に対しての呼称かも知れない。両者は蛇瀬川を挟んで離れている。今のところ山の名前に由来するのだろうという推察のみである。

今のところ牛転という地名は地名明細書などに収録されたものか、牛転山以外に知られていない。類似する感じがする地名として、初期の小字絵図では牛転の近くに馬隠が記載されている。地名明細書にも馬隠(うまがくし)として同じ広田小村に属する小字名である。

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