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《 サイン 》
項目記述日:2021/4/5
最終編集日:2021/4/7
一般には本人によって書かれたことを明示するための筆記物。しばしば名前やペンネームを含むが、それらが入らない独自性のあるデザインも含む。印章による本人確認という習慣がない海外では商取引において自分の姓名がそのままサインとして認知されるが、印鑑が幅を利かせてきた日本では、一般に自分の姓名を記したものとサインの境が殆どない。芸能人のような本人の自筆を頻繁に求められる人に限定される。それは「生身の本人に出会って交流を持ったときの記念」という意味合いが強く、商取引とはおよそ無縁である。

ここでは、自分自身まったく縁が無いと思われていたサインを書くという奇遇な体験を通して、最近書かれたサインに関して記述する。
写真は後述するように、初めて特定の人物へ提供することを目的として専用の台紙に描かれたサイン。


後述するようにサインと言っても項目記述日現在の暫定的なものであり、今後は恐らく変動する。
【 サインを要することとなったきっかけ 】
メディアの露出に伴い、活動は元より姿や顔を覚えられてからは購読者および視聴者から声を掛けられることが起きるようになった。宇部日報社の取材やセミナーに伴う人物紹介で写真付き記事が載るので、その時点でも散発的ながら生じていた。この現象が加速したのは、山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」に出演してからだった。

今まで通りに市内で写真を撮っている合間でも知らない視聴者から声を掛けられることがあり、そのうちの一定割合で相応に熱烈なファンの存在があった。しかしサインを求められたことは一度もなかった。仮に求められていても書きようがなかっただろう。アイコンのような象徴物があれば当サイトを始めとする出版物に擦り込んでブランド化できるのだろうが、そこまで考えていなかった。

2021年4月4日に山口市湯田自動車学校で鉄道フェスタが開催され、そこで山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の隧道あるはずでしょうに関する物件のパネル展示と共に当時のエピソードを披露するトークショーが開催されることとなった。ここで隧道あるはずでしょうに出演したハッセーと私が招待され、トークショーに来て頂いた方へのお土産を入れた封筒にハッセー&宇部マニのサインを書くこととなったのである。

宇部マニアックスは当然ながらブランドであり私の実名ではないので、それを書くだけで一応サインの形にはなる。しかしそれではあまりにも捻りがなさ過ぎる。かと言ってイメージぴったりのサインを思いつけるほどの発想力はない。そこで過去にお忍びでの取材や小羽山小学校のすくすく教室で複数回披露したことがあるあのキーワードを書くことにした。それ以外で捻りのあるものが何もなかったのだ。

鉄道フェスタのスタッフの中に、隧道あるはずでしょうを視た後で放映された各物件へ実地に行って写真を撮影してきた猛者がいた。ハッセーと私のサインを得るためにわざわざ台紙を準備していたほどである。来訪者へサイン入り封筒を進呈する話は既に聞いていたので、このときまでに何を暫定サインとするかは決めていた。そうして描かれたのが冒頭のものである。
【 サインの意味 】
些か後付け的ではあるが、このサインを構成する文字や数値などには意味づけがされている。

最初の「宇部マニ」については関連リンク先に説明が書かれている。何のひねりもない楷書体で書かれているのは他に書ける字体がないこと、特段に工夫することなく自然に書けることに依る。これは俄仕立てで自分のキャラクターから乖離するものをサインにしても仕方が無いという考えに基づいている。

その下に書かれているのはステートナンバーである。この持つ意味も関連リンク先に記述している。ステートナンバーの仕様については未だ厳格に定義はしていない。しかし意味するところは明白で、サインを量産し手渡さない限りは常にユニークであり、同一のものが存在し得ない点にある。細かな数値を書き並べることで宇部マニアックスの各分野にみられる深掘りの視点と、細部にこだわり厳格な記録を取りたがる個人的なHSP体質を反映させている。
【 改良を要する点 】
捻りがないという点を差し置いても、現行の暫定サインには問題点がある。ステートナンバーを含めると非常に長いため、小物など面積の狭い部分にサインを求められたとき対処できない。更に書き終えるまでに時間がかかり量産ができない。量産を要するようになる場面がすぐ訪れることは考え難いが、いずれステートナンバーを含まず短く書き終えることができる簡略版を考える必要がある。

ちなみにハッセーに尋ねたところによると、今のサインは3代目で初期は宇部マニアックスの暫定サインのようなフルネームだったという。その後改良を加えて手早く書けるように簡略化された現在の形に落ち着いている。宇部マニがサインを求められ続けるような状況におかれるかどうかは未知数だが、今後の流れによっては同様の展開になるかも知れない。
【 自分以外の人物のサイン 】
2021年に山口ケーブルビジョン松田氏から差し出された視聴者および関係者向けの年賀状には、裏面の写真で被写体となっている人物がそれぞれサインを書いている。名前に由来するものが多いが、愛称を元にしたものや簡素なイラストを含むものもある。まだ目にはしていないが、ディレクターの松田氏自身もサインを持っている。真実ちゃんのサインは秀逸で、本人のキャラクターをよく表している。

サインは本人とコンタクトを持った人限定で手にする著作物なので、当サイトでもサインを書いた本人からの承諾や希望がないうちは掲載しない。当人と実際に会ってサインを手にするときまでの愉しみに残しておくこととする。分かりやすい識別子を持つことは覚えて頂くことに殊の外有効なので、LFでも採用されるかも知れない。
《 散歩 》
項目記述日:2022/3/20
最終編集日:2022/4/1
健康増進や気晴らしなど様々な目的をもって、自分の脚で歩くこと。 写真は散歩イベントで滑坂を歩く参加者。


散歩イベントでは道中にあるものを観察するが、個人的な散歩では明確な目的をもって行われないこともある。むしろ行き先が明確に定まり、特に業務に係るものについては散歩とは言わない。家から会社まで歩いて行くことを普通は散歩とは呼ばないだろう。

特定のルートをざっと一回りするように歩くことも散歩であり、実行中に景色を愛でたり周囲を観察したりといった動作は必須ではない。しかしある程度観察しなければ、例えば足元の石につまづくことがあるし道路の横断などでは車に注意しているだろう。散歩中には視覚や聴覚を働かせているのが普通で、積極的に散歩コースの沿線を観察しながら行うこともある。

散歩に「歩」の字があるくらいだから、一般には徒歩である。ジョギングを散歩とは言わないし、自転車で移動しながら景色を愛でてもそれは散歩と言うよりはポタリングと呼ばれる。そして個人的には従来は自転車での散歩が多く、徒歩による散歩は少なかった。理由は自転車での移動に慣れると景色の変化が起きる速度を身体が覚えてしまい、徒歩ではあまりに遅く感じられるからである。
【 散歩に対する初期の個人的所感 】
散歩の効用が説かれながらも、個人的には比較的最近まで散歩をあまり好まなかった。移動手段は専ら車と自転車で、特に物件探索や市街部の移動は自転車が主体だったので歩くことに慣れていなかったからである。これには自転車の移動速度と景色の変わるスピードが自分の中で標準化しており、徒歩だと景色の変わる速さがあまりにも遅くて退屈に感じられるのも理由だった。

観察対象をより精密に分析するなら、移動速度は反比例的に遅くなければならない。市街部を移動するにあたって自動車は一次近似、自転車を二次近似とするなら徒歩は三次的近似である。車だと車窓の風景が一瞬目に触れるだけだし、そもそも運転手が自分なら視覚的に得られる情報は更に少なくなる。自転車だと車より相対的に遅い分だけ視線を向けている対象物の時間を長くとれるし、もし視覚的刺激が異質のものだったら停まって観察したりあるいは引き返すことも容易である。徒歩でその機会が最大化されるので、もっとも精密化された観察が可能となる。

宇部マニさんぽのような企画が増加していることから分かるように、住み慣れた筈の市街部を舞台とした再発見的散歩の需要が高い。徒歩は一番手軽な移動手段でコストがかからずコース選定も容易であることから、発見的散歩というイベントにもよく馴染む。特に徒歩での移動比率が極めて高い高齢者には、普通に行っている散歩を介して足腰の鍛錬になり、郷土の再発見にもつながる。

これを受けて最近は車でいくつかのスポットを周り、そこから徒歩で探索を行うことが多くなった。自転車での射程距離にあるエリアは話題性のある物件を一通り調査済みであり、同じエリアから新たな発見を得るには観察をより精密化することが必要なのである。また、移動手段の前提が誰でも行い得る徒歩なので、集合場所から現地往復までの時間や現地での観察などタイムライン計測が比較的容易で興業的にプログラムを組みやすい。これは近年自治体が推進している「ウォーカブルな街造り」にも親和性が高い。
《 閾値 》
項目記述日:2019/7/13
刺激をゼロから段階的に変えていく過程において、明白に刺激を受けていると認識し始める最低の刺激量。典型的には五感を通して与えられるものが多いが、個人的には後述するようにさまざまな現象に妥当な説明を与えるボーダーラインとしての意味合いを込めて使っている。
【 感動の閾値 】
当サイトの管理人において、足元の郷土題材を探索し続けられることの一つの重要な要素と位置づけられている。同時に現代人は身の回りにある様々な「当たり前」のせいで、感動の閾値が上がり過ぎていることを警告している。感動の閾値があまりにも高いと、当人にとってよほど日頃から強い関心を持っているジャンルで相応な驚きや希少性の要素がなければ、現物を観て「素晴らしい」「面白い」などの反応を返せなくなる。

そうは言っても感動の閾値は能動的に押し下げられるものではない。郷土ジャンルに限定したとしても、国道で車が頻繁に行き交っている道路の橋を指して「これは凄い」「感動モノだ」と言っても殆どの人は納得しない。何がどう凄いのかを問われたとき「何故ならば…」と説明可能な裏付けを要するし、更にそれを予備知識のない一般人にも納得させられる見せ方(魅せ方)が要る。主要な観光地(高級な食材)は、特に説明無しで提供するだけで「凄さ」(美味しさ)を理解してもらえるが、そうでない題材(安い食材)は、一般の人が見て(味わって)納得してもらえるには、その題材の魅せ方(調理法)が重要となってくる。

未だ多くの観光は遠方へ旅行し、著名な観光地を訪れて写真を撮り、名物料理を食して温泉宿に泊まる…の如きステレオタイプに終始している。これはこれで従来タイプの旅行需要がなくなる筈もないので必要なのだが、価値観が多様化した現代社会ならより多くの需要に応える観光を供給していかなければならない。郷土の近場を自らの足で訪ね歩く地旅(じたび)はその先駆的活動で、将来的には様々な題材を供給し魅せることが求められる。

この種の活動に幾分慣れてくると、自分自身が持つ感動の閾値は確実に低くなっていく。そして同じ手法で別の題材を調べられるようになるし、先駆的に活動してノウハウを蓄積できればその方面での案内役を務められる。従来と趣向の異なる種の観光を経験することで他方面においても価値観の多様性について抵抗なく受けいれられるようになる。
【 閾値が下がることに関する問題 】
前項にあるような「感動の閾値を下げることで身の回りのモノをもっと面白く愛でることができるようになる」メリットに対して、このような意識の持ち方や思考形式は HSP にみられる負の影響を強めてしまうかも知れない。特に HSP が後天的に顕在化するものなら特に言えることである。ただしそのことは自身を振り返ってみて感じるものであり、一般には HSP は先天的な素因と思われており、個性(キャラクタ)の一形態であるとみなすのが妥当であろう。
《 地下 》
項目記述日:2019/5/16
最終編集日:2020/1/3
アンダーグラウンドの義である「地下(ちか)」ではなく、ここでは広義には古くからの地元在住者、狭義には先祖代々受け継がれたある特定の地へ住み続けている人を指す語。一般に「じげ」と読まれる。方言に近いものがあるために、分かりやすく「地下の者」と言うこともある。地元の人という意味合いを含めて「地(じ)の人」とも。

現在では一定年齢以上の方の会話にみられるだけだが、侮蔑的な意味合いはまったく含まない。少なくとも「部落の人」と呼ぶよりは遙かに穏当で誤解を招かない用法である。郷土関連の書籍でも地下の人という表記はしばしば見られる。「地下(ちか)」と混同しないために大抵は”地下(じげ)の人”のように表記される。上記のような定義よりもはるかに短く表現できるため、古語の部類ではあるが個人的には多用している。

地方部の高齢者は地下の人であることが多いのだが、常にそうとは限らない。嫁入り・婿入りした夫婦では配偶者の片方のみが地下ということになる。高齢者手前で身内などを通して土地を取得し家を構えた後に高齢者となった場合、夫婦共に地下でないこともある。
他ならぬ野山がそうである

当該地区の歴史や古い史跡の由来などを知りたいとき、地下の人々は有力な情報を持っていることが多い。よほど地元のことに無関心な人でない限り、永年にわたって地元の変化を見聞きしているだけに地区外の郷土史研究者並みの興味深い知識を蓄えている。このため地方の郷土誌研究会に所属し活動している方も多い。特に郷土関連の書籍ではあがって来ない昭和中後期以降の出来事について重要な情報提供者となる。

ある年代において広範囲に造成されベッドタウン化した地域は、それ以前から住み続けていた人は殆どないために地下という概念そのものがない。例えばあすとぴあや小羽山ニュータウンでは、現時点では地下の人は造成から外れた地区に以前から住んでいた人に限定される。しかし今後期間が経つにつれて小羽山ニュータウンの初期を知る人が減少することは確実であり、地下の人と呼んでいい状況に変わるかも知れない。
《 時系列 》
項目記述日:2019/10/18
最終編集日:2020/5/29
学校教育における歴史系教科の概念を拡張した言い換え語。時系列という語そのものは一般的であるが、当サイトの管理人は学校教育における日本史・世界史といった教科を「歴史」と呼ばずに時系列という語に置き換えて表現している部分が多い。

事改めて言い換える必要もないものを敢えて別の語で表現する裏には、過去の社会科の一部を構成する歴史系科目が如何にも退屈で面白みがなく、学習の意義を感じ取れていなかった個人的所感による。この原因は、私たちは何故歴史を学ばなければならないのかといったどの教科にも共通する根底部分が最初の段階でまるで伝えられていなかったためである。得てして過去の教科としての歴史教育は、過去に起きた主要なイベントやそこに関わる人物の暗記が偏重されていた。それは教養や一般常識の範疇からみて誤りとは言えないにせよ、当該教科教育の本質ではない。時間の流れと共に因果の連鎖を伴って続いている事実から何かをつかみ取ろうとする態度こそに教科教育の本質がある。それを表現するのに歴史という語だけでは不十分で、むしろ時系列と呼ぶ方が相応しいと考える。
ただし現実的には歴史という熟語が充分に熟成しているが故に言い換えは不可能だろう
【 歴史系科目が面白くない理由 】
カリキュラムに大幅な改訂が加えられていないなら、今でも義務教育と高等学校教育では歴史系科目が同心円構造をもって教育されている。即ち小学校課程ではヒトの誕生から文化に始まり、主要な出来事と人物を提示して起きた出来事を時系列に沿って並べる。主要な時代の別もここで導入される。中学校教育では再び同じ流れをやや詳細に国外との関連も含めて時系列に沿って学習する。高等学校教育では国内外の歴史を日本史・世界史という異なるカリキュラムで区分し、時系列に追って学ぶ。そこでは早い時期から関係者や研究者によって呼び習わされた言い回しが(学童に分かりやすいか否かが全く考慮されず)天下り式に教科書へ登場し、そのまま教諭によって伝承される。ある一族の権威や身分が代々受け継がれることとして「世襲(せしゅう)」の語が中学校の歴史の教科書に使われていた。私はこの言葉の読みも意味もまるで理解できなかった。「世の中を襲うってどういうこと?」と悩んだのだが、何ら説明されることのなく授業が進められたため私は永らくこの語は意味不明なままだった。
現代ならば脚註も設けずこのような熟語を書いた教科書は教科書検定で要修正項目として指摘されるべき

当時の歴史系科目の理解度は、殆ど定式化されたそれらの用語や年代を正確に記憶しているかのみによって判定されていた。ある出来事に即して当事者がどう思ったか、あるいはその事実を現代の時間軸における児童や生徒がどう感じるかは殆ど(あるいは全く)問題視されなかった。ある出来事の発生によって後年の人々の振る舞いに影を落としたとか、無関係に思える別の事件の遠因になっていたかの考察も殆ど求められなかった。教科に限らず「いつ・何処で・誰が・何をしたか」は常に重要であるし、特に歴史系科目では過去の事実を扱うのだから動かしようがない。それを正確に記憶として保持し、求められたとき正確に再現できることのみをもって習熟度が判定されていた。

歴史的イベントに身近さが感じられたり、両親や親戚に当該イベントに詳しい存在がある学童は相対的に理解度が高まる。テレビで歴史系のドラマを観ても共感を覚えることができたり、学校で習ったばかりのあのことかと感じることができる。他方、それらとはおよそ無縁な学童にとっては記憶に留めておくことが難しかったり、あるいは端からその意義を理解できていないことが多い。殊に年齢の低い学童であるほど、深遠な事実を掴むことよりも与えられた問題が「解ける・分かる」ことに喜びや意義を見出す。国語は会話や書籍に晒される時間が長ければ自然と使いこなされる。数学や英語は中核的な少ないルールを確実に覚えておいてそれを使いこなすことにより解決がはかれる学問である。理科は生物なら観察で、化学系なら実験を通してビジュアルな理解の助けとなる。方や歴史系の教科は、身近にそれが感じられる題材や人が居なければ、何もなしで理解を深めるなら覚えていく以外にない。

現代のみならず当時の社会人とて、歴史が嫌なら別に関わらなければ済むことだし、実際社会に出て仕事をする上で殆ど何の支障ももたらさなかった。学童や生徒はそうではない。評点が悪い生徒はそれだけで問題児である。人間誰しも良くなろうと努力する存在だから、普通は評点の悪さを改善したいと願う。しかし取り組む方法以前にその意義も示されないまま、個別に暗記することを求められ「どうしてそれが必要か?」に対する答は誰からも決して与えられなかった。

英語や数学は人並み以上の理解度を示しながらも、他の教科で平均より極めて悪い理解度という生徒は多い。あるいはその逆の生徒もまた然りであった。個人的には記憶しておくべき項目の少ない英語や数学に学習の困難はなかったが、歴史学習の対処法がまるで分からなかった。当たり前のことではあるがそれらに基本的法則は存在せず、ただ事実があるのみである。取り組む意義やどういう風に面白いか学童の興味を引き出す努力は払われておらず、親も教諭も一様にこう答えるだけであった:「歴史というものはとにかく覚える以外にないから」

人の記憶力に限界があることは、子どもながらも体得できていた。そうなれば無価値なことに余計な労力を使って記憶容量を割きたくなかった。それを覚えておくことで一体どんな面白いことが起きるのか?。どんな楽しいあるいは有益な役割を持つのか?。その提示なしに単に覚えろと言われても子供心にも納得いくものではない。そのように考えることは当時は理知的であるどころか、屁理屈ばかり捏ねて大人がやれと言うことを素直に実行しない悪い子とみなされた。社会科教育において郷土の山や川を観察することで体感できる地理のような科目は例外的存在であり、歴史関連の教科には最後の最後まで近づきたくない嫌悪の対象でしかなかった。学校教育から離れて社会人となった後、何故人は学校教育において当面役に立つとも思えない教科に関する事柄を丸暗記しなければならないのかについての消極的な回答を導き出した。それは社会人としての一般教養説と業務遂行能力説である。
【 各科目の学習を求められる消極的理由 】
一般に認知されている時代区分とその呼称程度の基礎知識は持っていなければ、多くの人々が普通に持ち合わせている情報なら「およそモノを知らない奴」という目で見られる。それをなるべく避けるために一般教養として情報を持っておくことが求められるというのが一般教養説である。もう一つの業務遂行能力説は、社会人としての素養により深く関わっている。それは当該教科の知識が実社会に出て必要とされるか否かについては関知しない。「これを学習してこの程度までは知識として持っておけ」と命じる上位組織の存在があるなら、何故それが必要なのかなどと説明を求めたり反論を試みたりするのではなく、人並みに実行できる能力が組織人として求められている。実際、社会に出て組織人となれば、特定の科目の学習という価値を感じない以上の理不尽な行動を強いられる場面が頻出する。上司が「やれ」と命じたことは、反人道的なことはもちろん反社会的・反法規的な行為ですら自らを押し殺してでも遂行しなければ組織人として不適格との烙印を押されるという冷厳なる事実がある。

まさかそのためだけに各教科の指導が置かれているとも言えず、そんな主張が唱えられたならば関連教科の指導員や専門家が嘆き悲しむだろう。近年の学校教育は当時よりも幾分合理的な状況に置かれていると信じるが、他方で無闇な暗記も学童や生徒の将来的な遂行能力をはかる上で他に適当な物差しとなるものがないというのもあるだろう。勉強を頑張ったけどダメだったとか、強く心に感じるところを一所懸命書いたけれども論理的整合性を欠く作文では、努力を認める主観的な評価ができても客観評価にはならない。結果として正誤の判定が容易な事柄の記銘量をもって「頭の良さ」の序列付けに使われるのは、現在とて同じであり致し方ないのかも知れない。
本項目と前項は歴史以外の教科学習にも通じることなので該当項目を作成した折りには移動する
【 時系列を基にした歴史学習の重要性の再認識 】
そうは言っても単に「丸暗記が嫌だった」「記憶することに意義を見いだせない」という理由だけで歴史およびその周辺の情報まで遠ざけてしまうのは不幸である。特に現在の自分がおかれているように郷土の歴史関連に関わることが日常生活の一部となっている身では、昨今の歴史的教科教育はマクロな部分 - 教科書に載るような全国レベルに通じる主要な事件とその周辺情報の学習 - に傾き過ぎていると感じる。ミクロな部分とは、自分たちが現に暮らしている郷土の成り立ちから更に微視的にみるなら学童や生徒自身の誕生から現在までの時間軸における流れの理解である。前者は郷土学習として小学校中学年の社会科教育に配当されている。ただしそれが全国レベルの入試は元より地域性ある公立高校の入試でも出題されることは、地域性による不均衡と評点をつける難しさを理由に殆どなされない。

このことについて2019年の忘年会で山口市へ滞在したとき、宿泊先のホテルから歴史的視点について半ば酒酔い運転状態で投稿している。[1]出典先はログインしなければ読めないので、重要で本質的な部分をここに抜粋した。

郷土学習以下のミクロな時系列の学習には、評点は不要である。それよりも歴史関連の教育の本質である「因果の連鎖」をより強調して伝え、学習者の興味を引き出すことが重要である。現代社会は郷土の成り立ちに関する知識を求めず、知らなくとも実生活にさほど困らないし社会人として安泰にやっていける。したがって大した関心を持つことなく暮らしていくのを非難する人は誰も居ない。ただし取り組みが特になされず郷土分野に従事する人々の層が薄くなるのは憂うべき事態である。端的に言って「誰が過去と今在る郷土の出来事や街並みを記録するのだろう」といった懸念が生じなければならない。

歴史学習が身近に感じられないのならば、もっとそれを現代に近い時間軸まで引き寄せ、かつ対象となる人物も自分のみに限定して考えてみるのが良い。学習にあたっての一番の土台となる部分に、不可逆的な時間の流れという目に見えない存在を強く意識する必要がある。これは思いの外容易で、学童や生徒に自分の写真や幼稚園児の想い出を再生させることで間接的に理解可能である。同時に自分以外でも親や自分の暮らす家、周辺の景色も変化していることを思い起こさせる。

こうした活動はおよそ従来からあった学校の教科学習からかけ離れすぎているように思われるかも知れないが、時系列学習の根底にあってこれらの大きな流れによって教科書に掲載されるような歴史が形成されている。ただ、現代の学校教育は依然として「何故必要なのか」についての説明が十分になされておらず、時系列学習としては本流から外れた枝葉のことまで触れられるように思える。
出典および編集追記:

1.「FBページ|2019/12/23の投稿
《 地旅 》
項目記述日:2019/6/4
最終編集日:2019/8/17
参加者自身の足で歩き、目で見て話を聞くなど範囲を限定する代わりにより深い情報を元に堪能する近隣地域の着地型観光を指す語。「じたび」と読む。
写真は観光コンベンション協会による地旅第一弾の実施風景。


観光コンベンション協会の提起した語であるが、全国的に同種の用語が既に存在していた模様。
【 企画化の背景 】
観光コンベンション協会と言えば、観光バスをチャーターして普段はまず入れない宇部・美祢高速道路(興産道路)を走行し、特別に見学が可能となる工場や作業所を見学する社会派ツアーが有名である。参加費用は大手観光会社が企画する小さな日帰り旅行並みだが、普段なかなか見られない場所への立ち入りや見学が参加者の興味をくすぐり、インフラツーリズムの流れにも乗って何年もの間好成績を保っていた。募集をかければすぐに定員で一杯になりキャンセル待ち状態だった。ところが2018年度での運営では同内容のツアーが初めて最低ラインの催行可能員数に到達せず開催が流れる事態となった。この状況について、参加したい人が一通り応募し終わった状態で新規を開拓しきれていないかツアー内容のマンネリ化が原因かも知れないと分析された。

これを受けて従来とはまったく異なり参加者自身の足で歩くことと一定範囲に限定した郷土再発見ツアー案が策定され、一例として渡邊祐策翁の生家である松巌園で宇部の歴史を感じ、島地区の古い里道を散策し、近くの食事処で休憩というプランが提示された。この案について観光コンベンション協会から渡邊塾の塾長へ2018年末までに伝えられた。

地旅は郷土を舞台に現在と過去を分析し理解を深めるという渡邊塾のコンセプトと実によく一致していたため、第一回の試みに対して渡邊塾を挙げてサポートしようという運びとなった。
【 ガイド 】
地旅の第一弾は渡辺翁記念会館に集合し、島の石畳道を歩いて渡邊祐策翁の生家である松巌園を訪ねて歴史遺産を元に人物像に触れ、再び島地区の里道を歩いてリモージュでお三時の休憩を挟み、渡辺翁記念会館へ移動してバックヤードツアーを実施して2階ロビーにある伝説のピアノを見学という内容だった。このうち松巌園での解説は塾長が、渡辺翁記念会館の2階ロビーにある伝説のピアノの解説など歴史的分野は局長が、そして島地区の里道にみられる石畳道や桃色レンガなどについては隊長である私が詳細説明役として対応した。[1]

第一回目の地旅は4月29日に開催され、終日雨というあいにくの天気にもかかわらず参加申込者全員が定刻前までに揃ったため予定時刻よりも早く出発することとなる好調な滑り出しだった。島地区の散策では参加者向けのマップを作成し配布した。マップには観光コンベンション協会のロゴの他に渡邊塾、SAKI-DORIプロジェクト、そして宇部マニアックスと制作協力者が印刷されている。雨降りでマップを拡げての解説が十分できなかった点はあったが、参加者の満足度はかなり高かったようである。
【 今後の予定 】
松巌園は春の藤棚の他に、秋口には紅葉が見頃となる。このため第一弾の開催時点で秋バージョンの開催が決定している。春の開催が告知された時点で既に関心度が高く、秋口の開催時には知らせて欲しいという問い合わせを個別に頂いている。

これとは別に渡邊塾から新たなプランを観光コンベンション協会へ提案することも検討されている。その一つとして、真締川(新川)を川沿いに辿り、現在架かる橋を昔のモノクロ写真と見比べながら歩く案が提示されている。新川を題材に撮影された初期のモノクロ写真が何枚か知られており、パンフレットに印刷して配布し同じ場所へ立って見比べてみるといったことが可能になるだろう。

同年7月に観光コンベンション協会を訪れ、第一弾参加者のレスポンスを得ると共に次回開催時の概要を聞いている。この過程で同種の発見的なプログラムの提案をお願いしたいと言われた。8月上旬に中山浄水場を見学する機会があり、数多くの驚くべき産業遺産を目にした。これを元に”宇部の歴史と水の流れをたどる地旅”のような構成ができないか考えているところである。
出典および編集追記:

1.「FBグループ|2018/12/30の投稿
《 執筆記念日 》
項目記述日:2019/6/8
最終編集日:2020/5/30
5月28日に勝手制定された記念日。これは、ノートへ筆記用具を用いて毎日記録を書くという日記を始めた昭和52年5月28日に由来する。
写真は段ボール箱の中に保管されている当時の日記ノート。


日記に由来するが故に本来なら日記記念日が正しいのだが、漢字の「記」が2つくっつくのが気持ち悪いこと、現在は毎日書くという日記ではなくむしろ一定のテーマに沿ったコラム執筆や記事制作など記述全般に重きを置いていることから、この項目を作成するときに執筆記念日と呼び替えている。内容的には日記を書き始めたことに起因する個人的記念日である。遙か昔のことでありながら、5月28日を何の意識もすることなく過ぎてしまったことが一度もない。この日になるとかならず当時のことを思い出し、何かの形で言及している。[1]

書き始めとなった昭和52年5月28日の日付をもつ日記帳は第一巻として保存されている。そこにはありがちな「今日から真面目に日記をつけることにする」の如き宣言文は何もない。いきなり全く普通の日常生活の記述から始まっている。しかしどうしてこの日から日記を書き始めたかについての理由は明確に分かっており、そのことは後年迎える記念日で何度も説明されている。

文章を書くことの関心や重要性、面白みは間違いなく実際に日記を書き始めたより以前から認識されていた。小学4年生のとき親父の車で高速を経由して富士登山旅行へ出かけたとき、車内で親父からもらった測量手帳のようなものに日記を書いていた記憶がある。残念ながらこの手帳自体はかなり早くに棄ててしまったようである。

また、日記ではないが小学3年生のときより学校の任意課題として出される「勉強日記」なるものがあった。教科を限定せず自分の中で印象に残ったものを自分の言葉で書き表すというシンプルなものである。制約がないため学校の勉強に関係するならいろいろなことを書くことができて、教諭は言葉ではなく検印をいくつか押すことで評価に代えていた。級友同士で検印の数を競うこともあったようで、適度な刺激になっていた。これより以前の小学1〜2年の作文ではこれといった評点はみられないことから、小学校中学年時の勉強日記が現在のような執筆好きの土台となっていることは自分としては確実と考えている。勉強日記は相当に重要なものと思っていたらしく、他の日記ノートと共に保管されている。

現在では本来の字義である「筆を執る」の筆どころか鉛筆やシャープペンシルで筆記することなど皆無で、専らキーボードを叩く作業に移行している。日々の記録という形での日記はつけておらず、FBタイムラインやページ、ホームページでの個別記事に記載する作成日といった形でバラバラに存在する。それでも考え方の微妙な変遷を時系列で追っていくのに日記は最適なツールであるとの判断は変えていない。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|5月28日は執筆記念日
《 自転車 》
そのまんま自転車なのだが、宇部マニ管理人が初期に乗り回していた自転車に関してはしばしば「じんしゃ」と読まれる。ときにはわざわざ分かるように平かなで表記される。[1]
写真は最初期に使用されていた「じでんしゃ」の現物。
既に廃車処理されていて現存しない


この奇妙な呼称は、ネットで購入したこのマウンテンバイク風なクロスバイクは耐久性があるものの、重くて無骨で電車のようにガタガタと振動が伝わり乗り心地が悪かったことに由来する。造語ではなく一般名詞の訛りの一形態なので、奇妙な語という印象は持たれつつも一般には充分に通じる。勝手呼称ではなく方言の一形態のようである。[2]

自転車は宇部マニ管理人の業務から遊びから主要な移動手段の一つである。狭い場所も容易に進攻可能でガソリンが要らずクリーン、心配機能(心肺機能だろw)の強化や足腰の増強にも適しており、維持費も安い。何よりも気になった物件に偶然出会うたびすぐ停止して調査を開始できる。当サイトではテーマ踏査における最適移動手段として推奨している。市内で開催される自転車関連のフォーラムやワークショップにもよく参加している。実際ネタではなく真面目な話になってしまうのだが、自転車の効用を説くだけでなく「一定距離を移動するのにもっともカロリー消費量の少ない手段」と位置づけ、自転車通行環境の整備や意見提出も行っている。
出典および編集追記:

1. かつては地域SNS記述文も含めてすべてそのように表記していたが、将来的に記事を承継するとき恥な部分を残すのを避けるためにすべて正規の漢字表記に置換された。

2. ATOKで「じでんしゃ」と入力すると『自転車《「じてんしゃ」の誤り 》』と表示される。
《 自動車 》
項目記述日:2022/10/9
最終編集日:2022/10/12
これもそのまま自動車であり、一般にクルマと表記される。ここでは特に自家用車(マイカー)について記述する。一般事項と言うよりは当サイトの管理者らしい特異な点があるからだ。

過去に何台か買い換えており、それらすべての履歴については当面ここには書かない。ただしそのいずれもこの後に述べる特質を持っている。
【 MT車志向 】
現在はスズキのワゴンRに乗っている。恐らく2012年頃に以前乗っていたクルマを廃車にして買い換えている。以前はカリーナに乗っていて、4人乗りの普通車だった。自分一人しか乗るあてがなく普通車は不要だったのだが、それ以前に乗っていた軽四の車検更新時期が近くなっていたため、車検を通さず暫定的にそのとき安価で入手できたクルマに変えたからだった。この辺りの判断や選定はすべてある自動車工場の方にお任せしている。

ワゴンRを選んだのは、メーカーや車種にこだわりがあったからではない。担当者に「MT車で自転車を積み込める中古車」という条件で探してもらった唯一の選択肢だったからである。MT車であることが最優先条件で、後部座席を平らにすれば自転車を載せられるのができれば欲しい追加条件だった。ワゴンRで初めて自転車搭載が実現し、踏査手法のハイブリッド方式として遠隔地の綿密な探索に貢献した。
近年は殆どハイブリッド方式を援用せず自動車で移動して現地ではもっぱら歩いている

私にとっては日常のことなので驚くに値しないのだが、今まで乗ってきたすべての自動車はMT車である。大学生時代、山口大学へ在学していたとき湯田自動車学校で免許を取得し、当時はまだAT車そのものが目新しい存在だったと思う。AT限定の免許が現れたのは卒業する頃だったかも知れない。

実のところクルマの免許の取得は自発的なものではなく渋々だった。当時はクルマが嫌いで免許は要らないと考えていた。それを社会に出て困るから時間のある学生の今免許をとっておけと親に勧められたからであった。だから免許取得後もクルマを買おうとせず、必要に応じて親父の車を運転していた。言うまでもなくそれはMT車だった。

会社勤めの身となって初めて家と会社や現場を往復するための軽四を中古で買った。当時は未だMT車が多数派だったが、運転が楽ということでAT車の導入が次第に増えていった。会社のパトロール車はAT車で、私は運転ができなかった。土日休日のパトロールは2人一組で行うことになっていて、私は常に助手席に乗って目視する役だった。それでもまったく運転しなかったわけでもなく、会社のパトロール車を自分で運転した記憶はある。

自営業になると、自分の車以外を運転する機会がまったくなくなった。AT車が主流になってMT車は今や入手自体が困難になっている中、運転するのに何ら支障はない。AT車が当たり前な人からすればかなり珍しがられるし、運転が面倒じゃないかとも言われる。全然そんなことはない。確かにAT車よりも運転に係る手順がとても多いながら、自分の中で最適化ができている。
【 運転スタイル 】
AT車では無縁なクラッチとミッション操作があるので、ハンドルは両手で持たない。右手のみで握って左手は変速の機会があるときはミッションレバーの上に載せている。


安定走行したら左手は膝の上に置く。即ち完全な片手ハンドルである。教習所時代は(恐らく今もそうだろうが)片手ハンドルは禁忌とされていた。しかし通常のスピードや道路を運転している限り、両手で大きくハンドルを操作しなければならない事態は殆どない。これだと低速でカーブを大きく曲がるとき、両手でハンドルを持つ位置を変えながら回す動作ができない。そして実際そのようなハンドル操作をしない。右手をハンドルに強く押しつけ、そのまま回すのである。近年のクルマはパワーステアリングが当たり前だから、両手で送りハンドル操作をしなくても充分に回せる。もの凄く横着で危険なハンドル操作だ。

それをするのは充分に低速で余裕があるときに限られる。市街部を50km/h 程度で走っているときは、片手でハンドルを握っている。さすがに高規格道路を70km/h オーバーで走るときのハンドル操作は両手である。安定走行になったらクラッチ操作が要らないから、左足は危険が予測される狭い区間の通過ではブレーキペダルの上に軽く乗せている。

クラッチ操作はせわしなく行っている。負荷がかからない程度にスピードが上がったらすぐに5速に切り替える。燃料を節約するためである。長い下り坂が続くときはミッションダウンしてなるべくフットブレーキを使わずに操車する。前に進もうとしているのだから、それを妨げるブレーキ操作が多いほど燃費は悪くなる。坂を下るとき前のクルマのブレーキランプがしばしば点灯するのを見るが、下手な運転だなーと思う。

クルマに限らず何でも速いのは大好きなので、全体の流れからすれば速い方についていると思う。最近、山口市までクルマを走らせることが多くなり、小郡道路をよく通るようになった。こうした高規格道路を走るとき追い越し無しで走ったことがない。スピードが上がればもし事故を起こしたときのダメージは大きくなるが、運転に集中していれば自損事故を起こす余地は殆どない。むしろ事故の確率が高いのは、高速運転中よりも混雑した中低速道路の交差点である。

運転中は常に極めて神経を張り詰めさせて前後左右を注意している。ぼんやりしていることがなく、信号が変わればすぐに発進する。運転中に眠いと感じたことは一度もない。自分の運転だけでなく他人の車に乗っていても同じで、およそクルマに乗っていて寝たことは一度もない。寝て時間をスリップさせるよりは、刻々と変化する窓の外の景色を眺めることに価値を感じるからである。夜行バスや船舶での宿泊でも満足に眠れたことがなく、移動体の中では眠れない仕様となっているようだ。
【 先々の問題 】
現在乗っているワゴンRは相当な距離を走っている。既に20万kmを超えている。ただし今のクルマは別の事故車から健全なエンジンを載せ替えているため、走行キロほど老朽化しているわけではない。

それでも今のクルマが動かなくなったり、あるいは事故で買い換えを余儀なくされる事態になったら、クルマの運転自体を諦めることを視野に入れている。それは希望するMT車の入手自体が非常に困難であり、費用もかかるからである。突然クルマが動かなくなり移動手段に支障を来すリスクを抱えている。現在のワゴンRは年式も経っているため、環境負荷が高いクルマとみなされ軽四の中でもっとも高い自動車税の支払いを余儀なくされている。

covid19 の初期に活動が著しく制限され収入が酷く落ち込み、全国民に一時金が給付される事態になった。必然的に所得が激減して市県民税や国保の掛け金も自動的に下がった。そんな中で自動車税だけ「それとこれとは別だ」と言わんばかりに、何の配慮もなく例年通りシラーッと納付書を送りつけてきたとき、あまりの冷徹さと無配慮振りに「殺意を覚えたレベル」と唱えた事実を今も撤回しない。

現状の公的支払いの重さは、自動車というものは庶民の足ではなく奢侈品だからコスト負担が出来ない貧乏人は乗るな、手放せと国主導で放言しているも同然である。自動車が要らない程度に交通網が整備された環境に身を置く為政者が唱えることだから、およそ地方の実態など見えていない。どこの地方自治体も同じと思われるが、こと地元ではクルマがなければ話にならないほど公共交通網が貧弱である。現状は収入の少ない若い世代や高齢者層は自動車の保持だけで負担が重く、こんな状況を放任しながら若者のクルマ離れが止まるわけがない。

車検も民間の努力は大きいのに、隔年という短い周期に加えて自賠責保険の負担が重くのしかかっている。この件に関して定期点検の必要性を理解しつつも「この国のクルマはそれだけ頻繁に高いコストをかけて車検を通さなければならないほど信頼性に欠けるのか?」と疑念を呈している。
《 シナリオ 》
項目記述日:2023/5/22
当サイトの管理人に限って言えば、特定の題材に関する座談会や講話を行うとき、話を展開する流れと重要項目をテキストにまとめたものを指す。
写真は2023年5月18日に桃山中学校で実施した講話のシナリオブック。


座談会のように複数人で実施する場合は、特定の話を振られてそれに答える自分の台詞などをメモする。最初期のものでは山口宇部空港のおもて宇部トークイベントのときに作成された。

単独で実施する場合、講話に充てられる時間にもよるが以下のいくつかのステージから成る。以下はまったく架空に設定された大枠の例。
ステージ適用所要時間
自己紹介3分
第1幕A地区の歴史的背景10分
第2幕A地区にある歴史遺産10分
第3幕身の回りにある実例について10分
第4幕今後に向けての課題5分
質疑応答2分
この大枠に沿って、可能な限りヴィジュアルに理解できるような地図や書籍などの客観資料や現地の写真などを選定する。今どき口頭での話のみ座談会や講話はあり得ず、データを可視化するためのノートPCとプロジェクター、スクリーンは必須である。そしてステージや全体の流れに沿って先送りキー(通常はノートPCの→キー)を押すだけで順序立てて表示されるようにファイル名を決めておく。

過去には琴芝小学校の郷土授業のように PowerPoint といったプレゼンソフトを使って作成していたが、操作性が悪いことと当該アプリケーションがインストールされているノートPCでなければ動かない問題があるため、最近ではテキスト表示や地図データは PNG 形式、画像は JPEG データをそのまま使用している。

それぞれの画像を表示させたときに話す内容をまとめたものがシナリオブックである。シナリオブックでは表示させるファイル名と、対応する重要項目が書かれている。実際には殆ど聴衆を見ながら右手でノートPCの操作とスクリーン画像の確認を行うので、シナリオブックを目で追うことはない。それでも同種の内容で別の日に講話を実施するとき、シナリオブックがあれば話の流れを呼び起こすことができる。

作成されたシナリオデータは、同じ講話を再現できるようにライブラリとして保存される。
《 自歩道 》
項目記述日:2019/7/1
最終編集日:2022/10/11
一般には自転車歩行者道の略記だが、当サイトでは自転車の通行が認められている歩道の意味で使っている部分が多い。厳密には両者は異なる概念とされる。よく見かけるのはある程度の幅を持つ歩道で、自転車通行可と記載された補助標識が掲示されている事例である。


実際にはこれらを特に区別することなく自歩道の語を用いている。自転車歩行者道では冗長なことと、そもそも自転車に関する法規に曖昧な点が多く、用語をもって厳密な区別を行う意義を感じていないからである。自歩道という語は勝手呼称ではなく相応に定着した言葉であるが、一般にはあまり用いられず「自転車も通って良い歩道」のように表現される例が目立つ。

現行法規では、自転車は車道を走ることが想定されている乗り物である。ただしいくつかの例外をもって歩道の走行が認められている。現状は例外規定の方が標準化していて、車道を走る自転車は高速走行している場合が多い。交通量の多くなった昨今では車との接触の危険を理由に自歩道の走行を勧められることもあるが、義務規定ではない。しかし高度経済成長期では車道は完全に四輪たるクルマのものであり、そのことを想定した道路造りが行われた。

当時より自転車の通行区間に対する法規は変わっていない筈だが、学校では自転車通学の生徒には歩道を走るように指導したし警察もまた然りだった。高校生のとき、産業道路を自転車で走っていてパトカーから「そこの高校生、歩道に上がりなさい」とマイクで警告されたことがある。まさか警察が道交法を知らない筈がないから、理由はおよそ想像された。自転車に乗った高校生如きがクルマの往来の邪魔になるような場所を走るなという謂われのない非難からだった。

”自転車は歩道を走るべきである”という道交法に反した勧告や指導は、平成中期でもなお続いていた。参宮通りの沼交差点から北側100m程度のところに、自転車は車道を走らず歩道へ上がるよう案内する看板が2009年になっても放置されていた。
問題視されたのかさすがに現在はこの種の標識は何処にも遺っていない


現在では工学部通りのように救いようがないほど狭く拡幅も不可能な道路を除いて、主要な道路には大抵少なくとも片側に自転車の通行が可能な自歩道が付属する。新琴川橋のように幅員が限られていて自歩道が片側のみの場合、そこを通らずに車道の左端を通行して良い。しかし現状は幅員が充分でないことから、自歩道内を通る人が多い。

常盤通りや参宮通りでは上下線に充分な幅の自歩道があり、どちらを通っても構わない。極端な話、自歩道を通らず車道の左端を通行しても良い。高速航行する自転車乗りはしばしばそこを走っている。

山大病院通りでは自歩道内に自転車側と歩行者側の通行帯を明示している。
しかし守られていないばかりか、自歩道内にポールを設置していて逆に危険な状態になっている。
ペイントは仕方ないとしてポールは危険だから除去すべき


近年では自転車を自歩道へ誘導する流れになっており、安全に通行できる環境を整える方向にある。初期の自歩道は、歩行者が歩くにはさほど支障がなくとも自転車にとっては段差がきつく走行するに決して快適とは言えなかった。近年、新規に施工される自歩道は枝道を横切る部分の境界ブロックを舗装路面と同一にして段差をなくすようになったが、全体からすればごく僅かである。通行量の多い自歩道では、出っ張った段差をコンクリートカッターで削って据え直す措置をとっているものの、参宮通りや常盤通りの自歩道のようにまったく対処されていないものも多い。

歩道から完全に切り離し、自転車レーンや専用道を設置すべきという議論がたまに上がってくる。レンタサイクルが普及して市街部の近場観光を自転車で行うようになれば、常盤通りの自歩道を通る自転車が増えることが予想される。この自歩道を自転車専用レーンの実験地とする案については当サイトもドキュメントを作成している。
《 霜降山系 》
項目記述日:2019/10/17
最終編集日:2021/4/25
市内の霜降山近辺に見られるような岩の質感を表現した語。地質学的にみた厳密な分類ではなく素人判断による勝手呼称である。しばしば「霜降山系の岩」という語で用いられる。
写真は男山地区の造成地にみられる岩。


地質学的には石英・雲母・長石から成る花崗岩の一形態である。市内では非常にありふれていてごく一般的に見られる岩質である。岩としては黄土色であるが、露岩の状態で長く晒されたものは表面が濃い茶色になっているものが多い。
【 一般的な花崗岩との違い 】
一般に花崗岩として想起されるのは、墓石にみられるような灰色でごま塩状に黒い部分が分布している石質である。そのような石材は特に御影石と呼ばれる。霜降山系と勝手呼称される花崗岩は、これに紅色の要素が加わる。白は石英、黒は雲母、そして紅色の要素は長石に依るもので、一般にはこれらがさまざまな比率で混成して花崗岩となっている。構成要素となる石英や雲母や長石は色調だけの違いではなく硬度も異なるので、霜降山系の花崗岩は御影石とはかなり異なった性質を帯びる。

田畑や道路など人為的作用が加わった場所を除けば、霜降山周辺は殆どが同種の岩やそれが風化した礫石、砂礫で占められる。砂礫まで進んだものが堆積して押し固められ層をなしたものや粘土まで細粒化したものも多い。それらは岩から細粒までサイズがまちまちだが色調はどれも黄土色系である。
【 分布 】
勝手呼称の通り霜降山系の岩は、霜降山をはじめとした裾野に普通にみられる。そもそも霜降山という山岳名の「霜降」とは、通常みられる岩に白みが差し込んで霜が降りたような外観を呈していたことに依る。非・霜降山系の岩としては鍋倉山などにみられる蛇紋岩系や硬くて緻密な黒い外観を呈する黒岩山系のものがある。上中山にある白岩公園は霜降山から極めて近いため殆どすべて霜降山系の岩である。公園の名称である白岩は、黒岩山にみられる石質と対照的であったことに由来する。

東岐波の日ノ山も同様な花崗岩だが、紅色や赤系の色調がやや強い。日ノ山の下にある若宮海水浴場の近くにある岩はピンクを帯びているものがあり、日ノ山系として細分される。逆に紅色成分が少なくごま塩状態の御影石に近いものは岩瀬戸系と細分している。

霜降山系の岩は内陸部、即ち北へ進むにしたがって稀になる。高嶺あたりでは部分的に黒岩山系が優勢である。霜降山の外周も厚東川より北側になると岩質が変化する。現在の厚東川ダムのある辺りから両岸が嶮岨となるのは、風化で削られ難い岩質によるものである。実際、ダムより北側にはかつて採石場が数ヶ所稼働していた。露岩が容易に観察できる場所として吉部の大岩郷が有名である。地表に積み重なる大岩は明白に霜降山系とは異なっていて、表面には火山性ガスの噴出によって生じたと思われる微細な窪みが無数にみられる。
【 形状 】
異なる石の混合体なので、含まれる比率や生成過程によりかなり差がでてくる。一般には不定形をしていて膨張比率の違いにより硬くて脆く、侵食されるとぽろぽろと崩れやすくなる。

霜降山系の一部に結晶性を帯びたものが知られており、同じような色調をしていながら緻密で平面的な割れ方をするものがある。
写真は城生原川の河床にみられる特徴的な色調と形状をした岩。


他種の岩との中間的な性質をもつ岩でも同様な割れ方をするものがある。それらは自然界で侵食される過程で自然と平行六面体のような形状となる。昔はこのような石をなめらと呼んでいた。[1]小字名で「なめら」や「滑」の読みや表記を含むものは、特異的に産出していたことが想像される。なめらは硬く加工が難しいが、平面を作るように割れるため石積みの石材や砥石として利用されてきた。
【 利用 】
昔からのもっとも素朴な利用法は、適当に打ち欠いて石材にするものである。霜降山系の岩が産出する付近の集落では、昔ながらの敷地の外周にこの石材が頻繁にみられる。充分に緻密な岩では自然の風雨浸食作用にも比較的耐えるので、間知石として加工された石材が石積みの形で永く遺っている場所は多い。これらの石よりも例えば石灰石が優勢な秋吉台に近い地域では、集落で敷地の外囲いに使われている石材は殆ど石灰石である。

現代では硬い岩となっているものをわざわざ破砕して石材に利用する例は少ないが、近年の代表的な事例では真締川ダムの施工例が著名である。ダムのある男山地区は霜降山の南側裾野にあたり、殆ど何処を掘削しても霜降山系の岩である。ダムサイト近辺でこれらの岩が豊富に得られることから、風化の進んだ粘土部分をコア部分に、補強部分を霜降山系の岩とするフィルダム形式が採用された。更に破砕することで間知石の製造も可能だが、現在では微妙にサイズの異なる間知石を巧妙に接ぎ合わせる石工が殆ど居ないことから、同種の施工を必要とする間知石積み部分でも中国より一定の誤差内に加工された石材を輸入している。

充分に緻密で硬いものは、石碑としての使用にも耐える。ただし表面に文字などを刻むとそこから欠けて読みづらくなることが早くから知られていたからか、霜降山系の岩をそのまま用いた道標や石碑は少ない。境界石として打ち込まれるものも長石成分が少ないごま塩風の花崗岩が目立つ。殊に石灯籠のように中空部分を含むものは破損させずに削り出すことが困難であり、稀にしかみられない。ごく少数確認されている事例では、風雨に晒されたことによる変形や欠けで表面に刻まれた文字が読み取れなくなっているものもある。

風化の過程としては、最初岩山であったものが地殻変動で割れて個々の岩となり、更に表面が割れたり削れることで砂礫が生じる。この段階ではやや鮮やかな粒をしていることが多く、一般に真砂土(まさつち)と呼ばれる。それらが厚く堆積している場所が霜降山の裾野に多く、このため昔から採土場が多かった。採取された土は黄土色で粒子が均一であり、適度に水分を含んだものは締固めが効くため、運動場の下地均しや道路工事においても路床材料として使われている。

風化がある程度進んだものでつなぎとなる微粒子が洗い流されたものは、やや大きな粒子でも脆くぽろぽろと壊れる。時には拾い上げると拳大のサイズがありながら握り締めるだけでグズグズと崩れて粗い粒子となるものもある。そのような真砂土は締固めに向かないが、水はけが良く外観が美しいため、踏み固められる機会の少ない庭園の素材として使われ、鬼真砂とも呼ばれる。細流化が最大限にまで進んだものは粘土となる。構成要素の違いによってはクレンザーのような色調の粒子になることもあり、荒削り状態にはなるが実際に金属の研磨に使うことができる。
【 防災 】
花崗岩と言えば硬い石という印象があるかも知れないが、代表的な御影石と比べて石英の含有量が相対的に低い霜降山系の岩は脆い。硬度や膨張率の異なる岩であるため、風化し崩れやすい。このことは地理院地図で霜降山の近辺を眺めることからも理解される。高嶺や川上辺りではみられないのに、善和地区あたりから井手ヶ原、持世寺にかけて雨裂を示す記号が大量に書き込まれているのが分かる。


雨裂の描かれている周辺は特に目立つ場所で、実際は山全体が霜降山系であるから不用意に山を削りそのままにしておくと、そこは絶えず雨に削られるために植物が居着くことができずいつまでも土肌が目立った状態になる。昭和40年代のモータリゼーション黎明期には男山へ車で登れるように四輪向けの登山道を整備したが、切り通し部の養生は特に行われなかったため路上へ酷い雨裂が生じていた。また、削られた土が善和交差点まで流れ込む状況だった。このルートは後年持世寺へ抜けるまで整備された後に舗装され県道西岐波吉見線へ昇格した。

河川による侵食も対処が必要である。厚東地区にある持世寺川は市の準用河川[2]だが、土砂流出が酷いため持世寺川流域自体が県の砂防対策地域となっている。昭和中期には持世寺川砂防堰堤が建設され、その上流や下流、支流にも新たに砂防堰堤が造られている。

真砂土から更に微粒子化が進んで最終的には粘土状になる。粘土となれば遮水性があるが、未舗装路では何度も踏み付けられることで粘土化した場合、降雨で表面が捏ね回され始末に負えなくなることがある。
【 その他 】
日の山にも霜降山系の露岩や堆積層がかなりみられる。構成要素の比率の違いからか、若宮海水浴場付近では桃色がかった岩が多い。市内の海に面した海岸では薄い茶色をした砂浜が目立つ。真砂土が海まで運ばれ滞積した結果であるが、最も硬度が高い石英が長く残る半面、長石や雲母は微粒化するため白色が目立つものと思われる。

市街部や地山の始まる標高の低い場所には堆積した結果と思われる土質が多い。内陸部の霜降山に向かってその傾向が強まるが、高嶺辺りとその東側はこの種の岩質があまり見られず、蛇紋岩あるいは黒岩山系の緻密で硬い岩ばかりである。中宇部から高嶺、黒岩山のラインにこの種の岩質が分布しているようである。
出典および編集追記:

1. 滑石のことを「なめら」と呼んでいる人もある。滑石は霜降山系にある花崗岩とは真逆なほどに軟らかい石材であることに注意を要する。

2.「河川の種類|宇部市
《 シェア 》
項目記述日:2019/4/26
最終編集日:2023/1/26
一般にはSNSにおいて、自分以外の誰かが行った投稿を再掲させる投稿のこと。FBでの使用が一番多い。Twitter で同等の機能を行う操作はリツイート(RT)と呼ばれる。

FBでは公開範囲を限定して投稿する利用者が多いので、シェアすることによってその人物やページをフォローしていない利用者も見ることができるため新たなアクセスが期待できる。ページでは管理者名が現れないことが多く、断り無しにシェアしても問題を生じることは少ない。他方、一個人の投稿をシェアするときは内容によっては「晒し者にしている」と逆に解釈される恐れもあるからか「シェアさせて下さい」などのコメントを伴うことが多い。

完全な誤りなのだが、くだけた場面や仲間内では「シャエしときますね〜」のように使われることがある。私の勝手呼称ではなく、キーボードのタイプミスから自然発生していたと思われる。

FBのシェアでは、シェア元は大抵テキストだけではなく画像を含んでいる。したがって「画像はピクチャーに等しく、ピクチャーは絵でもある。その絵を含む情報を写し取って他の利用者に配るわけだから、シャエ(写絵)で良いではないか」といった強弁を行う野ウサギもあるようだが、擁護する人は誰も居ない。
【 「シェアお願いしますね」 】
シェアされることで、当該投稿が閲覧される範囲が拡がる。FBの場合、シェア先の投稿に公開範囲の制限がなければフォローしていない利用者も見ることが可能になる。閲覧拡大効果を期待して、初期には末尾に「シェアをお願いします」と呼びかける投稿がかなり目立っていた。

現在では行方不明になったペットを探したいなど、広範囲から情報収集する強い理由がある場合を除いて殆ど見かけなくなった。一頃は濫用され、公式アカウントから発信されたイベント情報でも末尾にシェアを呼びかける投稿がみられていた。重要な情報は呼びかけなくても自然に伝播されるものであり、ごく普通の投稿までいちいちシェアを呼びかける使用法に違和感を覚える。

FBと共によく用いられている同義の言葉に「拡散お願いします!」がある。特に常軌を逸した写真や内容が含まれる投稿だと、この種の拡散呼びかけはチェーンメールと同じ現象を誘発する。悪気がなくてもこの種の拡散要請を含んだ投稿があまりに多いと、配信者の信頼性に疑義が差し挟まれてしまう。
【 個人のタイムラインやページのシェアについて 】
FBでは個人のタイムラインとページの別を問わず、既定でシェアはいつでも出来るような設定となっている。友達ではない他の利用者のタイムラインでは「イイネ!」もコメントも出来なくなっているのが普通だが、シェアだけは機能する。可能だからと言って全く知らない他人のタイムラインをシェアすべき理由がなく、トラブルの元となるため一般には勧められない。

Twitter ではシェアに相当する操作としてリツイートがある。見えているつぶやきはすべてリツイート可能だが、賛同ならまだしもネガティヴな評論を被せる形でのリツイートはトラブルの元である。過去にはツッコミを入れて非難して回るためにリツイートを連発する残念な利用者があった。(→RTバカ
《 塾旅 》
項目作成日:2019/5/16
渡邊塾で開催される遠方への宿泊を伴う旅行。初回の塾旅は2017年3月に開催されており、このときは鹿児島市に在住する渡邊塾メンバーの博士が所属する鹿児島大学の研究室を訪ねるのが一つの主眼であった。

現在のところ塾旅は上記の事例一つである。宿泊を伴わないで遠征する事例は、長府侍町の武家屋敷視察など数例ある。いずれの場合も移動手段は局長所有の自家用車であり、そのまま真部号と呼ばれている。
《 塾長 》
項目作成日:2019/5/16
最終編集日:2021/1/10
渡邊塾の創立者である渡邊氏の塾内での呼称。 写真は2018年に渡辺翁記念会館2階ロビーで開催された音楽祭において、スタインウェイのピアノの概要を説明する塾長。


宇部の街の基礎を創った渡邊祐策翁の曾孫にあたる人物で、渡邊翁の理念を元に当初は渡邊ゼミと呼ばれていた塾を創立した。設立当初から塾長を名乗り、企画運営と歴史関連に造詣の深い局長、そして宇部マニアックスの開祖である私が隊長と命名され、定期的に塾の会合を開いて情報交換を行っている。

塾設立以前は祐策翁自身が創立した沖ノ山炭鉱の継承となる宇部興産株式会社の機械部門に勤務していたが、定年退職後に祐策翁の足跡を辿ると共に、郷土へ尽くした祐策翁の精神を受け継ぎ郷土へ伝える活動に転換した。このときの状況は「今まで私は”会社”という組織で働いていたが、今後は”社会”に還元し伝えるという活動を進めていきたい」と表現されている。
《 習慣とした徹底主義 》
項目記述日:2019/6/29
着目している特定の事項に対して、その周辺も含めて洗いざらい調べ上げる態度。勝手呼称ではなく、過去に読んだ数学関連の書籍で訳出されている語である。[要出典]習慣とする徹底主義と書いている部分もある。

普通なら既に解決済みとみなされる物件や事象について、ときに偏執狂とも言えるほどに詳細を調べ上げようとする態度である。過去にはレクリエーション数学の問題でみられたが、最近では物件の踏査においてもはや一点の疑義も差し挟まれないほどに調査し尽くすことで示される。

当サイト管理人の一つの属性とも言える。殆どすべての事柄についてまったく興味を示さないか、人並みにあしらっておくかに二分される。残りの特に興味を示した分野や事柄に関しては、しばしば習慣とした徹底主義の元で思考・行動する。これは学童期より親や教師によって唱えられていた「やるからにはキッチリやれ」に通じる精神である。俗な言葉で表現すれば「特にこだわりを持つ分野」に近い。
収集物
項目記述日:2021/1/9
最終編集日:2021/1/12
広義には意識して手元に寄せ集めている同一カテゴリにある物品である。このうち広く認知されていて一般的にも価値あるものはコレクションと呼ばれる。後述するような価値の低いものは収集というよりは集積物と言えるかも知れない。詳細は項目に張られたリンク記事を参照。
シュシュ
項目記述日:2019/6/8
最終編集日:2019/12/28
長い髪を束ねるときに使うリング状に加工された生地やゴムのこと。シュシュはフランス語であり英語ではスクランチーと呼ばれる。写真は現在も使っているシュシュ。


長髪なのでシュシュは私にとって生活必需品である。運動するときはもちろん外出するときも人と出会ったとき違和感を持たれないようするためにシュシュで留めてポニーテールにしている。詳細は項目に設定されたリンク先を参照。
《 出典および編集追記 》
項目記述日:2023/1/29
当サイトの総括記事において、末尾の「関連記事リンク」に置かれる項目。多くの総括記事で特段の記述がない場合は以下のようになっているだろう。
出典および編集追記:

1.
総括記事を作成する以前から時系列記事があった場合には、最初に当該時系列記事への項目とリンクが置かれる。総括記事の概念がなかった初期には関連記事リンクの項目自体が整っていなかった。永らく記事を整備していく過程で現在の状態に落ち着いている。
【 出典 】
総括記事中にみられる特徴的な記述部分に対して、その根拠となった書籍や資料が記載される。ただし多くの書籍で言及されていて概ねコンセンサスが得られていると考えられる項目については出典を記載しない。

出典を記載する理由は、当該項目について更に知りたいと思う読者が参照するための情報を提供することと、当該項目の記述に至った成果を正しく前の情報提供者へ帰するためである。このため初期の記載では一次資料ではない別の書籍を出典にしている場合がある。
【 編集追記 】
当該記述について、個人的に関連性があるかも知れない内容や後日判明した情報などを盛り込むために使われる。時系列記事でも同様の使い方をしている。内容が多くなった場合は、別に「個人的関わり」の項目を設けて移動されることが多い。

いずれも該当する部分の末尾に[1]のような角カッコつき半角数字を置き、出典および編集追記の項目に対応する内容を書いている。Wikipedia では相対参照を容易にするためにリンクを設定しているが、手作業なのでさすがに面倒でそこまではしていない。
《 瞬ネタ 》
項目記述日:2020/7/19
ある特定の時期や条件を満たしたときだけ顕著に観測することができる物件を指す。例えば夏のある日の特定の時間帯だけ、井戸に真っ直ぐ光が差し込む現象が確認されるといった種のものである。特定の条件さえ満たされれば誰でも容易に観測可能であることを要するが、その頻度は特に問題とされない。
部分日食のとき見られる欠けた太陽の陰など著しく低い場合も含まれる

溜め池の水位が著しく低下したときに行う低水位調査で得られた成果や、冬場に木々の葉が落ちることで特定の物件が容易に観察可能となるような事例は、やや期間が広がる点で旬ネタとも表現される。ここでのネタとは物件のことであり、物件を指して短くネタと表現する用例は今のところこれらの用語に限定される。
情報クレクレタコラ
情報提供元に対する見返り意識が極めて希薄で、空気と同様タダで手に入れられて当然のように考え、更なる情報搾取を行おうとする態度を指す。そのような人々や組織団体に対しても用いられる。

当サイトの管理者により比較的最近作られた勝手呼称であり、痛烈な非難が込められていることは、クレクレタコラが何であるかを知ればおよそ理解される。詳しくはリンク先を参照。
《 小冊子 》
項目記述日:2022/9/16
最終編集日:2022/12/31
当サイトに限定すれば、宇部マニアックスにより発刊された初期の書籍を指す。狭義にはこの項目を作成している現時点において最初のものとなった隧道あるはずでしょう物語を指している。
写真は届いた梱包を解いて初めて当該小冊子を目にしたときの撮影。


ページ数が少なく書籍につきものの帯やカバーなどもないため、些か謙遜して小冊子と呼んでいる。題材の選定や記述、写真、レイアウト、入稿や印刷会社の選定、印刷部数と販売単価のすべてを自力で決定し行っているため小規模な自費出版である。ただしこの著作に関しては付属物や入稿向けのファイル加工など多くの方からの協力を頂いて実現した。

小冊子制作は単発ではなく、当然ながら第二作以降が念頭にある。このシリーズで制作する書籍は可能な限り同じフォーマットを維持できるように当初から設計していた。最終編集日時点では既に第二作の執筆を始めている。隧道あるはずでしょう物語が山口市題材だったので、第二作は市内題材を元に小冊子化する。これは毎月のコラムで書籍化を求める読者の声が多かったことに応えるものである。

今後制作が検討されている出版物のすべてがこのフォーマットとは限らない。写真を主体とした小冊子や学童向けの物語、基礎資料となるデジタル小字絵図、市内の地名一覧と由来、意図的に写真を抑えて読ませることに主眼を置いた小説的な刊行物も考えている。
《 ショートカット 》
項目記述日:2019/2/23
当サイトにおいては道路関係の記事を扱うため、通常走行される道に比べて距離または所要時間を短縮可能な近接する別のルートを指すことが多い。概ね距離のみを切り詰められる経路の場合は単純に近道と表現される。対価を頂いて少しでも速く安全に顧客を運送することの多いタクシー運転手により詳しく分析されている。

ショートカットを探す理由は、市街部周辺の混雑を回避することが目的である。信号の赤サイクルに引っかかりやすかったり待ち時間が極端に長い交差点などでは、それを回避するショートカットが援用されやすい。交通量の増大により避けられない部分もあるが、設置された信号機の動作が原因で無益な渋滞を引き起こしている場合が多い。適正な調整を行えば解消される可能性があり、実際いくつか着手もされているが、他方何年も前から実態を報告しても放置されているような場所もある。

当サイトの管理者は自転車と車を明確に使い分ける。自転車のときに先を急ぐことはあまりないが、車の場合は常に最短時間を求める。雨天や重い荷物を運ぶために車に乗る場合は除くとして、概ね急ぐから車を使うので、混雑したり信号が長いと分かっている場所はなるべくそこを通らずショートカットを援用する。慶進校裏にあるショートカットは、県道を走るときにかならず援用している。琴芝交差点で昼間に赤サイクルに引っかかると待ち時間が長いからである。物理的には安全に通行可能な状況でありながら信号機が設置されていて赤を示現しているために進めない状況は、道路の効用を最適化しようとしない現代社会の組織が抱える病理である。
電気代や維持管理費といった別の理由から不合理な信号機の撤去という動きも僅かながら存在する

ショートカットは狭い抜け道に四輪を誘導しがちになるため推奨はされないが、他の道路の通行と同程度に問題ない正当な運用方法である。琴芝交差点の場合、明らかに歩車分離式信号の動作が滞留の原因であり、学生の登下校で混み合う時間帯以外は通常動作にすれば回避可能でありながら県警はそれをしない。この動作が見直される様子もないため、ショートカット路の四輪通行が法的に禁止されない限り援用をやめる積もりはない。元来、一般車両の時間別・車両別の規制がない認定市道なので通行はまったく自由である。この他にも信号の変わり方や信号待ちしている車の台数など条件に応じて運用されるショートカット路が存在する。
【 地区道のショートカット 】
認定市道の途中に狭隘区間があり、後年近接して新興住宅地が整備されたために団地内を通る地区道の方が幅が広く安全に通行できる場合もある。このような場合もショートカットが援用されがちであるが、団地内道路を多くの外部車両が通り抜けると沿線住民は騒音や排気ガスに悩まされ、子どもの安全が保たれず、道路は傷みがちになりながらその負担を自治会に押しつけられるなど、住民にとって何らメリットもない状況となる。このため団地内道路が市道に接する場所に「通り抜け禁止」の看板を出していることが多い。

しかし進入してきた車が純粋な通り抜け目的か、真に団地内の知り合いに用事があるのかを判別することは不可能であるため、団地内住民が通り抜けを歓迎していないという意思が伝えられるに過ぎず、まったく抑止効果はない。正規の市道があるものの、狭隘区間や悪線形区間が改良される見込みがないため通らざるを得ない状況になっている地域もある。(市道小松原通り線沿いの六角堂付近、市道岬駅通り線の上中堀地区付近など)これらのショートカット路の援用は通行禁止の看板が出ていなくても推奨はされないが、日常的に通行していると公言しているドライバーは多い。

通り抜け問題は地域の脅威と認識されるようになってから、新興住宅地では速度を落とさず通れないように線形をわざとクランクにしたり(市道黒石中学校2号線)始めから通り抜けられないような道路配置を行ったり十字路部分を塞いで通れなくしたり(小羽山ニュータウン内の認定市道)バンプを追加設置した事例がある。道路の維持管理費のみの負担が問題であると思われる場合に地区道を認定市道へ昇格させた事例もある。
【 敷地通行のショートカット 】
交差点の角地に公的機関の施設や店舗があって双方の道路に出入口を持っている場合、しばしば無断通行の対象とされる。官庁関連では合同庁舎前T字路の西側にある県の合同庁舎と東側にある市の男女参画センターが代表格である。合同庁舎は栄町通り側に通り抜け禁止の看板が明示されている。男女参画センターも産業道路を琴芝側から走った場合、敷地内を通り抜けて市役所方面へ出られる構造になっているが、通り抜け目的であることが露骨に分かることもあって車両の通り抜けは殆どみられない。

この種の通り抜けでもっとも多発し、交通上の問題となっているのが角地に店舗を構えるコンビニエンスストアである。特に信号待ちが長い幹線道路の交差点の場合、信号を待つのが嫌でコンビニの駐車場を勝手に通り抜けて左折する車が後を絶たない。

これはショートカットと言うよりは社有地の無断通行であり、容認されない違法行為である。しかし左折して自歩道を横切り駐車場に入るだけでは、当該車両が無断通行なのか店舗の利用者なのかは判断しづらい。知能犯とも言えるドライバーでは、通り抜け目的であることを隠すために駐車場内で速度を緩めて店舗利用者を装った上でそのまま通り抜ける事例がある。

遠慮も会釈も無い事例では、速度を落とすこともなく駐車場を斜めに突っ切って左折側の道路へ出ている。この際に自歩道を2度横切るのだが、無断通行目的の車両は殆ど自歩道の歩行者や自転車など頓着していない。突っ込んできた車にはねられそうになり、それでも自転車に気付くこともないまま通り抜けたデイケアの車もあった。先を急ぐなら物理的に通行可能な場所は何処でも通り抜けて構わないというのが大方の現代人ドライバーの意識である。

角地にあるコンビニで車の通り抜け対策を施している店舗は皆無である。前述の地区道の場合と同様、容易に通り抜けられない駐車場構造が必要である。(→コンビニの抱える問題
【 キーボードのショートカット 】
前項のどれともまったく異なる話題だが、PCのキーボードにおいて当サイトの管理者が多用しているショートカットについても記述しておく。ここでのショートカットとは、コンテキストメニューを介するのではなくキーボードのキーを2つ以上組み合わせて用いる場合を指す。

Alt + Tab: アプリケーションの切り替え
Ctrl + A: すべて選択(テキストなど)
Ctrl + C: クリップボードへコピー
Ctrl + V: クリップボードからペースト

古いアプリケーションでは右クリックのメニューにコピー相当の項目が存在しなかったり、右クリック自体が機能しない場合がある。このときでも対象範囲を選択することができれば Ctlr + C 操作を行うことでクリップボードへコピーすることができる。他方、スクリプトによりこの操作を無効にしているウェブサイトもある。
《 女子トーク 》
項目記述日:2019/6/4
最終編集日:2022/1/31
そのまんま女性同士または女性を交えた雑談を楽しむこと。間柄はついさっき知り合った女性から面識が何度もある女性までさまざまである。買い物先で出会った人との立ち話などよりはずっと長く、かと言って日時を約束して特定の女性と話すデートほどではない。年齢も多彩で、高齢者の声掛け定例業務で話し込むのも女子トークとみなされる。

宇部マニ管理人は昔から女子トーク好きである。お目当ての可愛いおんにゃの子が含まれていることが多いのも理由だった。例えば埴生バド時代は参加者に女性が多かったせいもあり、後年には男性参加者が居ても常に女性軍の輪に加わって女子トークに加わっていた。後に女性トークが男性との一般的な会話と本質的に異なる部分に気付いている。

男性トークでは何かの話題が上ったとき、その主たる目的と結論が語られて終わることが多い。このため改めて別の話題を持ち出さない限りトークが続かない。これに対して女性の場合、最初は特定の話題で語っていたのに、関連する話題に繋がりながら脱線して派生事項へ次々とカオス的に飛び回る。提示された派生事項に造詣のあるメンバーが居ると、追加情報を提示することで更に話が続いていく。初期にはこの原理が理解できず「まったく女の子ってのは何処までもよくしゃべるものだなあ」と感心していたものだった。

女子トークにテレビなどの話題が入ることは少ない。自分たちの生活に関わらないせいか、トークのセッションが一区切りすると別の話題に移ることが多い。この点で女子トーク題材として好まれるのは、特定のスーパーでのみ売られている食材とか、見切り品に割り引きシールが貼られる時間帯とか、新製品の試食情報である。私がこの種の情報を豊富に持ち合わせているのは、別に女子トーク受けを狙っているわけではなく生活上欠かせない情報だからである。お得に思える買い物ができれば(金銭面やそこまで出かける手間を差し引いても)満足度が高く、買い物が日常生活の一幕となる人にとっては貴重な情報として喜ばれる。大方の男性陣は自分で買い物をしないので、会話に加わること自体が困難である。
【 女子トークの重要性 】
最近、宇部マニさんぽのガイド役を務める過程で女子トークの本質的重要性が分かったので追記する。

前述のように、女子トークは的を絞り過ぎず極端に飛び回ることもない雑談である。昔から言われてきた井戸端会議やPTAの下駄箱トークが永く話が続くことと本質的に同一だが、楽しくて愉快な内容であることが求められる。話が長持ちする点は、業務で営業担当が他社を訪問して行う営業トークとは一線を画する。それは簡潔で短時間なことが重視され、要点から外れた長話は時間の無駄である。

しかし仕事でいつもそのような話し方をしていると、話題が飛び回る女子トークに加わることは難しい。あまりにも性急に結論を求めてしまうのである。女子トークは混沌とした会話のプロセスを愉しむものであり、結論を持ち出せば話が終結してしまう。特に男性の場合、会話が一旦途切れた後でどちらか一方が腕時計をチラ見して「ではそろそろ…」となる。むしろ話をそろそろ切り上げようという意図からされることもあるが、男性にありがちなこの所作は女子トーク好きには殊の外嫌われる。

的を絞らない営業トークは時間のロスだが、トーク自体を愉しむなら多彩なジャンルに予期せずあちこち飛び回る方が面白いし話が長く続く。そのためには話題の対象となっているジャンルに限定した知識だけでなく、周辺分野やあるいは無関係なジャンルの情報を仕入れておく方がトークに厚みが出る。この辺りは居酒屋の女将が一番よく体得しているだろう。誰かが振ってくる話題に合わせてチャンネルを切り替えられるのである。

11月18日に開催された宇部マニさんぽで日の山登山のガイドを務めたとき、旧宇部市内エリアの情報を持つが東岐波地区について詳しくなかったのでトークが心配された。しかしいざ蓋を開けてみると、東岐波エリアから市内の他ジャンルへ自然に話が飛ぶことで詳細な情報を話すことができた。日の山の古名である向陽(しょうよう)山について、佐々木向陽の名(旧名は勝木圭介)はこの山に由来する話が出たとき、上宇部地区の福原家へ話題が飛ぶが如くである。登山道中に生えていてズボンにくっつくほいとに関して、その種別と名称を知っていたのでトークに加えることができた。

多くの人々と関わり楽しく暮らしていきたいなら、男性も女子トークの重要性を認識してとりとめのない話ができるように磨きをかけるべきである。自分は口下手で話が下手だからと諦めるのはあまりにも勿体ない。殊に多くの人と仕事で接する営業関連では、仕事で専門としている内容は何を訊かれても詳しく話せて当たり前で、それ以外の話が何も出来ないのはいくら業務に関して優秀でも人としての魅力は割り引かれてしまう。提供されるサービスや商品の価格や質が均一化している現代社会では、複数の中から顧客が何処の営業マンを選択するか最後の判断材料となり得る。
《 新川歴史研究会 》
項目記述日:2021/11/18
最終編集日:2022/10/5
新川地区を中心とした郷土の研究・調査のために2021年に立ち上げられた研究会である。写真は2021年11月定例会の風景。


市街部の多くは新川地区が占めている。旧新川橋の保存に尽力してきた元宇部市長藤田氏の要望を受けて、渡邊塾を拡張する形で設立された。この項目を記述している現時点でメンバーは6名である。毎月一回、概ね土日に定例会を開いて情報交換を行っている。

将来的な拡張や外部機関との連携を想定して、会則(素案)が設けられている。作成者は局長で、第二条と第三条に研究会の目的と事業が以下のように掲げられている。
第二条 この会は、宇部市中心市街地およびその周辺地域の郷土史を調査・研究し、次代に伝承することにより、郷土の発展に寄与することを目的とする。

第三条 この会は前条の目的を達成するために次の事業を行う。
1 文献資料・史跡等の調査及び研究
2 航空写真や街の写真を収集し往時のまちの状況可視化の研究
3 史跡・文化財の保護顕彰
4 その他この会の目的達成に必要な事業
市内の各地区(旧校区)には、地区名を冠した郷土史研究会が存在する。厚東郷土史研究会、東岐波郷土誌研究会などである。市街部には新川地区、見初地区、鵜の島地区などがあるが、地区名を冠した郷土史研究会は存在しない。そこで地区名として新川を代表的キーワードとし、研究範囲も郷土史に限定せず広範囲に拡げるために新川歴史研究会を正式名とすることが11月13日の会合で決定された。

定例会での議論は非常に高度で、殊に市街部における人物や地勢などの歴史的変遷に関しては間違いなく最先端を進んでいる。メンバーの誰かが精密な情報を持っており、ここに提出して誰も回答できない議論は他の何処を当たっても同じであろう。宇部マニアックスとしてこの会合で自信を持って主張できるのは、専門分野としている地名解析くらいのものである。得られた成果を研究会で公表する代わりに、このホームページに記録することで代えている。2022年秋頃の会合では研究会誌の制作も提案された。

提出された古文書や資料により、新たな事実が分かる場面が非常に多い。蛇瀬池二反田堤の築堤年に関して、従来の説を覆す資料が見つかったことで総括記事を書き換えている。詳細な資料が乏しい鵜ノ島開作について、時期を変えて開作地を拡大していった過程を示す仮説が提唱され、これに伴い宇部本川の経路や流末がどのように変遷していったかについても確からしい仮説が形成されつつある。

新川歴史研究会は渡邊塾から拡張されて発足したが、渡邊塾そのものの活動も行われている。宇部鐵道関連の計画平面図や渡邊祐策と高良宗七との書簡などはデジタルデータ化を要し、この目的のために渡邊塾として局長宅でデータ採取作業が行われた。
【 最近の話題 】
1月度の定例会に(株)宇部日報社の取材を受け、活動状況が公表された。[1]この際に旧市立図書館の売却問題に対し、歴史的価値の高い建物を保存するのみならずその利活用方法についても提言している。なお、このときの取材を元に記者が起こした記事と島の松巖園で撮影された新川歴史研究会のメンバー6人の写真が2月10日の宇部日報1面のトップに掲載された。[2]

調査を兼ねて2022年10月に旧市立図書館内部の視察が予定されている。当初は8日だったが、平日時でなければ建物の鍵と現地案内に支障があることから8日以降の平日(時期は未定)に変更された。
出典および編集追記:

1.「有志6人が新川歴史研究会、旧市立図書館保存など呼びかけ|宇部日報

2.「旧市立図書館の保存訴え|共同義会の”結晶”、市は廃止対象」のタイトルで副題に「昨年発足の新川歴史研究会」がつけられ紙面の約半分のスペースが割かれている。
《 シンクロニシティ 》
項目記述日:2023/5/13
最終編集日:2023/5/14
相互に示し合わせたわけでもないのに、ある特定の活動が異なる団体や人物などによってほぼ同時に発生し進行する現象のこと。

例えば市内のある地区で地元題材を元にしたカード制作や散歩イベントを実施し始めたとき、その情報を聞きつけることなく別の地区で同種の取り組みを始めていたような事例である。相互に連絡を取ることが容易でない筈の二者が極めて類似した概念を提唱したり、同じ場所へ向かっていたということがあり、テレパシーや虫の知らせと関連づけられることもある。

シンクロニシティは共時性や同時性などと訳されるが、いずれも定着した熟語ではない。このことは現象が認知はされていたものの、虫の知らせといった霊的あるいは超常的現象とみなされていたからかも知れない。

個人的にはシンクロニシティは超常現象とはおよそ無縁であり、場所は異なっても同じ時間軸で世相の影響を受けながら活動する一致事例の一つに過ぎないと考えている。シンクロニシティほどドラマティックではないが類似する共時現象が他にもみられるからである。
【 観測されている事例 】
covid19 以前から地元再発見をテーマとした着地型観光の需要が生じ始めていた。2023年に入ってマスク着用緩和と5類格下げが始まると、近隣地区から同種のイベントや会合の要請がかなり目立って増えている。

桃山中学校で歴史と文化に関する講話を行って欲しいという要請を受けた直後、同じ新川地区から真締川に架かる橋をテーマとした橋カード制作を行いたいので、誰か橋の写真を撮っていないだろうかという問い合わせがあった。この問い合わせがあったのは、中学校の講話の打ち合わせに行った翌日だった。

他地区でも郷土かるたを制作したり散歩イベントが実施されたりしている。この共時性はまったくの偶然ではなく、covid19 後のいわゆるリオープン活動に伴い観光や余暇の過ごし方の提案需要が増えた流れであろう。何処の地区でも生じる可能性があり、偶然の必然と言われる部類である。

歴史的にみてもある数学の未解決問題が異なる数学者によってほぼ同時に証明されたり(素数定理の証明など)ある発明の特許申請が僅か数日の差で複数提出されていたりする。それらは全て人の営みの一つであり、世相に呼応して着目しやすい対象物は割と狭い部分に集中しやすい傾向があるからだろう。
《 人生グラフ 》
項目記述日:2022/9/24
最終編集日:2022/10/5
横軸に時間の経過、縦軸にポジティヴとネガティヴの情動を取って描かれた感情の推移グラフ。自分自身の過去の時系列を振り返り、現在を考えて未来に活かす資料として、宇部フロンティア大学付属香川高校の総合学習で使われた。
下の写真は当サイトの管理者が参加したとき実際に作成した人生グラフ。


この取り組みは高校1〜2年生の生徒を対象に行われ、地域在住の志願社会人を交えて行われた。生徒も同じグラフを作成し持参する。社会人一人に対し生徒3〜4人となるグループ分けが行われ、特に社会人や先生方から3名が選出されて事前に作成された”人生紙芝居”を上演する。各グループの生徒は一人のみが残り、他は人生紙芝居を聴きに行く。この時間で各志願社会人は生徒と一対一で人生グラフを提示し合い、お互いの人生の”接点”から有用な情報を共有するというものである。

一連の詳細な情報については、対外活動セクション|個別活動で記事を作成済みである。(→セッテン!!
【 類似した過去の事例 】
時系列と共に感情の起伏を数値化したグラフは、作成したことはないものの類似するものを考えたことがあった。それはイベント毎に線で結ぶのではなく、株価の推移と同様なローソク足を使う手法である。
実際に手描きで再現された人生ローソク足。


サインカーブのように波打った曲線グラフは、人生経験がまだそれほど多くない若年層などを対象に模式化されたものである。時系列における急変動を精密なグラフで表現したい場合は、ローソク足の方が適している。人生のイベントでは、しばしば短期間の連続しない大きな変動が起きるからである。

授業で教える側の相応な年齢を経た人なら、安泰に波打ったグラフになることの方が少ない。特にネガティヴな領域へ落ち込むとき、グラフはしばしば株価の急落の如きギャップダウンを伴う。これには死別や災害など短期間に訪れるカタストロフィーが該当する。近年では covid19 に伴う絶望と諦め、そして新たな価値観醸成と立ち直りがグラフ作成者に共通して現れるだろう。
出典および編集追記:

1.「FBページ|人生ローソク足
隧道どうでしょう
項目記述日:2020/2/8
最終編集日:2022/5/22
山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」における放映企画の一つ。
写真は初回のシーズンIで宇部マニ物件として紹介された佛坂隧道へ途中の映像の放映画面接写画像。
映像で流れているのは市道横瀬八幡宮線


2019年6月にシーズンIが放映されて以来、最終編集日時点でシーズンIVまでが放映されている。出演は風景印や滝のレギュラーメンバーであるどさけんとハッセーに隧道解説人として加わる宇部マニアックスの3人で、現地案内人はシーズンIでは藤田さんが行ったが、シーズンIIからは真実ちゃんが行っている。詳細は項目に設定されたリンク先を参照。
《 すた 》
項目記述日:2019/5/14
当サイトの管理人がネット界において初期に名乗っていたハンドルネームである。これは最初期にインターネット・プロバイダで取得したアカウントが standard であったことに由来する。当初は姓と名を組み合わせたアカウントの取得を試みたのだが、姓も名もありふれていたためか取得できず、名前とは全く異なるものから作成することとなった。standard を選んだ理由は、インターネットという新しい世界へ出発するにあたって標準的な振る舞いのできるユーザーを志向したことによる。[1]

初期では掲示板の書き込みにアカウントを使用することはあったが、まだ自他共にアカウント表記以外で呼びかけられることはなかった。当時の日記にも自分のことを Mr.Standard と書いたり、後に短縮して Mr.Std などと書いている。ある時期、命名について何らの発案も動機付けもなされることなく、ある方から私のことを指して「すたさん」と呼びかける部分を含むメールを頂いた。それ以降はMr.Standardよりも柔らかで唱えやすいこの呼称が定着した。したがって私のハンドルネーム「すた」には明白な名付け親が存在することになる。
本件の詳細については限定公開の場でしか記述できない

ハンドルネームの誕生に伴い、運営していた初期のホームページも「すたのホームページ!」に改称している。このホームページの閉鎖後もリアルで知り合った仲間などからは常にハンドルネームで呼びかけられていて、運営していたバドミントンクラブのメンバーも殆どハンドルネームで呼び合っていた。この呼称は地域SNS時代に入ってもそのまま継承された。
補助的ハンドルネームである「ばにら」が誕生したのはホームページ時代である。当サイトも宇部マニアックスに改名される以前はそのまま「すた・ばにら」であった。地域SNSではばにらはサブの扱いで表に出て来なかった代わりに野ウサギ的キャラクタが周知されていたため、過去には稀に「すたぴょん♪」と呼ばれることがあった。

当サイトを宇部マニアックスと改称してからはハンドルネームの存在は影が薄くなっている。Facebook は元来実名登録制のため、FB時代に入って面識を持つようになった人々からは本名ないしは別の名称(例えば「隊長」など)で呼ばれる。廃止を意識しているわけではないが、現在の手持ちの名刺にはハンドルネームが入っていない。ただし地域SNSからFBへ移行するとき、当時の仲間では昔からのハンドルネームで呼ばれたいという希望が根強かったためか、現在でも当時の仲間からはそのまま「すたさん」と呼ばれている。初期に平かな表記で呼びかけられた経緯を保持するために、現在でも「すた」と平かな表記するのが正式である。
カタカナ表記はどうか止めてくださいな…sweat
【 すたカラー 】
色彩コード #9932CC で定義される色をこのように呼ぶ。英語では darkorchid と呼ばれる。
このような色調である。


幼少期から紫系統の色がとても好きだったが、特に薄くパステル調のこの色彩がお気に入りで早くから持ち色としていた。

持ち色の発生背景には、当時のコミュニケーション手段として多用していたチャットルームの存在がある。一部の人々のみに分かるハンドルネームを用いてチャットをしていた。ルームには複数人が入室して会話することがしばしばあり、このとき表示色を区別しなければ誰の発言が分かりづらくなることがあり、一部のチャットルームではテキスト色を設定できる機能があった。このときいち早くすたカラーを宣言して他の参加者と重複しないよう工夫していた。その習慣はチャットからメッセンジャーに移っても維持された。

当サイトでも時系列記事でしばしば地元住民や関係者とまとまった会話を収録している部分がある。このときの私の発言部分はすたカラーで表記するのが慣習となっている。(→発言色)毎回この色彩をタグで指定するのは煩雑なのでスタイルシートにより定義して用いている。[2]
出典および編集追記:

1. 第二候補は registry であった。standard は一般的な名詞なので取得できない事態が考えられ、再申請の煩雑さを避けるために第二希望として申請していた。第二希望アカウントの由来は、当時 Windows のレジストリ解析に興味を覚えていたことによる。

2. ソースを参照すると分かるように文字色に使うときは f_sta で、背景色で使うときは b_sta で id 定義されている。この定義は standard.css より呼び出される。id 定義ではなく本来は class 定義であるべきなのだが、早期に定義名を辞書登録して大量に使ってしまったため今更修正できずにいる。
《 スタンフォード版 》
項目記述日:2019/8/19
最終編集日:2019/12/9
昭和2年測図による2万5千分の1の参謀本部が使用していた地図である。名称は地図データをスタンフォード大学が所管しているための勝手呼称で、スタンフォード地図とも略記している。運営しているFBページのある読者によってその存在が突然に示された。


地図の製作時期や描写状況から、陸海軍などの参謀本部が戦略画策などを目的として使用していたことが示唆される。地理データが敵国の手に渡るのは致命的なので、機密データとして扱われていた筈である。敗戦を理由に連合国へ没収されたものが著作権の保護期間を経過したために一般公開されているのかも知れない。

実際、スタンフォード大学ではこれらの地図を丁寧にスキャンしたオリジナルデータを無償で提供している。希望者は誰でもダウンロード可能なだけでなく、営利・非営利の目的を問わず当該データを自由に使用・掲載・頒布可能であることが謳われている。日本全国すべてをメッシュで区切って地図化されているわけではなく主要な地域に限定される。しかし山口県内で宇部市周辺の地図は他の地域に比べて綿密に作成されているのは僥倖である。

戦前の地図データは絶対量がとても少ない。地図や写真などの客観データは、第二次世界大戦終結後に米軍が攻撃の成果を検証するために上空から撮影した昭和22年台の航空映像以降のものが殆どで、主なものは宇部市近辺に限定すれば戦前のものは昭和12年調製の宇部市街図、大正期に作成された宇部市新地図くらいである。スタンフォード版はちょうど両者の間を埋める昭和初期のものである。

市内で昭和初期に存在していた溜め池、道筋などが詳細に記述されている。製作時期より渡邊祐策翁が後期に手掛けた南北道路以前の道筋が明瞭に分かる。ランドマークとなる石碑や目立つ一本松のような高木まで記号化され記入されている。等高線が記載されているので、今まで過去の航空映像だけでは判別しづらかった造成前の地勢解析に新たな客観データを提供する。

楠町エリアはあまり含まれていないが、吉部の一部と当時まだ厚狭郡であった厚東村や小野村の一部が描写されている。このことより厚東川ダム建設によりダム湖に沈むこととなった鍛冶屋河内という集落の存在が明らかになった。
【 ダウンロード 】
宇部市相当エリアに関するデータは以下の5つのリンクより取得できる。
外部サイト: 58-10 秋吉58-11 阿知須58-12 宇部東部58-13 船木58-14 宇部
それぞれのリンクより5枚の地図に分割されてダウンロードされる。手順は以下の通り。
(1) リンクをクリックする。
(2) 埋め込み地図の右側に3つ並んだアイコンの真ん中(Window Options)をクリックする。
(3) ダウンロードをクリックする。
(4) イメージサイズが表示されるので、最も精密な地図を取得するには一番下の Whole Image (14411×11134)を選択する。
(5)「名前を付けて保存」を実行する。
使用と複製、著作権に関しては埋め込み地図の下に表示されている。Google Chrome の翻訳機能を用いると日本語で表示される。
《 ステートナンバー 》
項目記述日:2015/11/22
最終編集日:2024/1/5
踏査に関しては、ある特定の場所へ到達したことを示す目的でなされるサインで、しばしば到達が非常に困難だった場所や探索に手間を費やした挙げ句に見つけた場所などで行われる。
写真は常盤池の銅の入江に打ち込まれていた杭へのステートナンバー。


記述様式はSTAに始まり、以下西暦と月日(ときに時分秒も)を表すアラビア数字の列挙による。この記事を作成している現時点においては STA201511221255 となる。頭文字 STA は自身のアカウントと STAte(状態)を兼ねている。濫用すれば落書きの部類になるため、当初から以下のガイドラインをもって運用されていた。
(1) 固定物に記すときは容易に消去可能な筆記物(鉛筆やチョーク等)で行う。
(2) マジック類で記すときは除去可能な木ぎれなどに行う。
目に見える形での表記行為そのものが環境破壊につながること、新たな落書きは別の落書きを産む現象があること、そして到達が非常に困難な場所自体が極めて少なくなった現在では殆ど行われなくなった。当サイトでは常盤池の陸繋砂州への上陸を試みたときにステートナンバーを遺そうとする場面がある。近年では、2016年に蛇瀬池の低水位に乗じて初めて中の島への上陸を達成したときに露岩の一部にステートナンバーを遺している。ほぼ完全に自己満足の部類であり、現地を再訪したとき過去に遺したステートナンバーを調べたことはない。また、調べたとしても恐らく何処に記載したか分からない程度に小さくなされるのが普通である。

近年ではカジュアルな提出物やメモに成されることもある。2019年4月10日に旧吉部小を舞台に開催されたうべの里アートフェスタ・ヴァレンタイン編を訪れたときには、教室の黒板に誰でもチョークで落書きできるようになっていた。このとき黒板の端にメッセージを書き末尾にステートナンバー(STA201802101350)を披露している。[1]
指摘されるまでもなく正しくはSTA20190210350であるべきだった

踏査以外では単純に何かの記念に現在の年月日時分を記録する目的でも行われる。これは後にサインをするときの付帯物となった。
【 暫定サインとして 】
2021年4月3日、山口市白狐まつり初日のイベントに参加して宇部マニアックスとして初めてサインを求められる場面に遭遇した。サクッと書けて独自性のある格好いいサインの必要性を感じてはいたが、まさか必要になる場面が訪れるとは思っておらずまるっきり考えていなかった。そこでうべの里アートフェスタのとき思いつきで黒板に描いた宇部マニ3を暫定サインとし、更にステートナンバーを添付することとした。[2]

2022年9月に宇部マニアックスとしては初の出版物となる隧道あるはずでしょう物語を販売したとき、購入者の要望に応じてサインと共にステートナンバーを記載するようになった。
写真はハッセーの要望を受けて水性ペンで記載されたサインとステートナンバー。


この他に、この小冊子を直接手渡ししたとき要望を受けてステートナンバーを書いたものが数冊存在する。

正式なステートナンバーは、STAに続く西暦(4桁)+月日(4桁)+時分(4桁)から成る12桁の数字である。ステートナンバーのみを手描きするにも数秒を要するため、大量のサインには向いていない。概ね単発でサインを求められたときに末尾へ記載するので同じステートナンバーは存在しない。正確を期するにはステートナンバーを書く横に時計などを置き、描いている最中に分が動いてしまわないタイミングを元にステートナンバー末尾の数字を決定する。

一般にファンなどから求められて描くサインは、一筆書きなど短時間で描けるものが普通である。手間のかかるステートナンバーを含めるのは、一人一人にサインとステートナンバーを書くのは延々と流れていく時間の一瞬であり、再び同じ時が巡ることがない一期一会の意味が込められている。
【 物品の管理用として 】
近年ではステートナンバーは到達の証として現地に遺すものではなく、単にあることを実行したときの時期管理用IDとして使うことが多い。
写真は机の横に置いている燃えゴミ箱が一杯になって封印したときに書かれたステートナンバー。


ある時期、スーパーから持ち帰った段ボール箱を燃えゴミ箱として使って一杯になったらガムテープで封をして椅子や踏み台として使っていた時期があった。場所を取るだけなので現在はガムテープで封印しすぐ処分している。

外付けHDDやDVDをフォーマットしたとき任意でボリュームラベルをつけられる。後でフォーマットした時期が分かるように近年ではステートナンバーを与えている。
出典および編集追記:

1.「FBページ|2019/2/10の投稿

2. 記念品を入れた封筒にハッセーと私がサインすることを求められた。多数の来訪者へ手渡すものだったので、このときのステートナンバーは分単位まで同じものが数枚存在する。それでもサインしている間に動く時計を見ながら分の表示は変えている。
《 スマホ 》
項目記述日:2022/10/1
最終編集日:2022/10/2
スマートフォンの短縮語で、現在ではスマートフォンとそのまま呼ぶことの方が少ない。
写真はスマホ機器と表示画面。


現代人の必須アイテムであり、今では持っていないのは高齢者の一部と保有を許可されていない一部の学童くらいのものである。従来の携帯電話という通話可能なデバイスに小型のPC相当とカメラ機能を標準で備えており、通話可能なエリアであればインターネット接続も同程度にできる。カメラ機能も一頃のコンパクトデジタルカメラを凌駕する画質であり、撮影した写真をそのまま知り合いに送信したり、クラウドやSNSにアップロードして共有できる。

これほどの機能をもつデバイスなので、スマホ無しでは日常生活に非常に支障を来すという人が殆どだろう。自宅へうっかりスマホを置き忘れて外出してしまった場合、遠方でもわざわざ取りに戻る人が大半である。
【 スマホを保有しない理由 】
そうでありながら、この項目の最終編集日時点で当サイトの管理者はスマホを持っていない。手元には音声通話とショートメッセージの送受信ができる携帯電話(いわゆるガラケー)だけで、インターネットへ接続できない設定にしてある。したがって外出すればネット環境から完全に切り離される。

あれば便利なのは確かだが、今のところスマホが欲しいとは思っていない。現在のガラケーから乗り換える予定もない。この理由はいくつかある。
(1) 2022年3月末までにガラケーの使用を継続する決定をした。
(2) 機器の購入代金が高い。使用料金も今より高くなる。
(3) 外出先から急いでネットへ接続する必要性に迫られていない。
このいずれもスマホ保有が常識レベルである現代人にとって、まったく理解に苦しむ内容であろう。
【 ガラケーの継続使用 】
2022年3月末をもって3Gサービス終了を受けて、対応していない一部の機器は通話できなくなることがアナウンスされていた。この時点では手持ちのガラケーが引き続き使えるかどうか分からなかった。機種は GRATINA 4G であり、一般には4G対応であればガラケーでもそのまま使える筈である。しかし当時ネットで GRATINA を調べたところ「3Gサービスの終了・停波により当端末は利用不可となる」と書かれていた。[1]

そこで確認のため最寄りの au ショップへ出向いたところ、今の機種のままで使えるという案内がなされた。もし4月から通話不能になるならスマホに乗り換える予定だった。今のガラケーは2017年に買い換えたことが判明しており、恐らく将来的に使えなくなるという案内を受けていたようである。結果としてスマホに買い換える必要性がなくなり現在に至っている。
【 コストに係る理由 】
スマホは単純な携帯電話ではなく、それ自体がノートPCなどと同等なOSを搭載したコンピューターであり高性能なカメラでもある。このため当然ながら価格が高い。今のガラケーを使いながらスマホを追加するほど経済的に余裕はなく、ガラケーの利用を止めてスマホに乗り換えることとなる。その手続きが面倒だしスマホに変えれば費用も嵩む。そして通話よりもデータのやり取りが必然的に増えるからパケット代金がガラケーとは比べものにならない程度かかる。そうまでしてスマホに乗り換えるメリットを感じなかった。

先述のように、現在使っているガラケーもメールサービスを解約している。初期には手軽に撮影して写真をメンバーに送るなどしていたが、画像はデータ量が嵩むことから送る側も受ける側も使用料金が跳ね上がる。通常時の3倍以上の通話料金を請求されたことがあってからメールサービス部分を解約した。携帯でメールの送受信を行うことが殆どなくなった上に、使わなくても月々の基本料金がかかるからであった。
インターネットへの接続は携帯を購入した初期から自主的に接続できない設定に変えていた
【 ネット接続の必要性 】
アジトにはテレビもラジオもないから、情報の入手源は専らPCである。部屋に居るときは常にPCの電源が入っている。代わりに外出すればネット上から分断される。その生活体系に酷い不便を感じていない。道を尋ねられたときスマホで地図を表示して指し示したり、クラウドに載せた画像を他人に見せるには好都合だが、それも出来なくても特に日常生活に致命的なほどの不便をもたらさない。

外出しているときどうしても連絡を取りたいなら、携帯電話へ音声通話すれば済む。ネットには全く接続しないので、携帯が鳴るとすれば電話かショートメッセージのみである。多くの人のスマホではSNSのコメントなど新着情報があると音が鳴るが、よく気が散らないものだなーと思う。私にとって外出はネットから自らを切り離すことと同義である。特に重要な物件を調査したり撮影に熱中しているときは、携帯が鳴っていても放置して後から着歴をみて掛け直すことが多い。

病院や駅の待合室や公園のベンチでは、殆どの人がスマホを弄っている。メールのチェックや暇つぶしだろうが、私は写真撮影できる場所や時間帯であれば、外出していて暇を持て余すことがない。待ち合わせで時間が余っているなら、その周辺をうろついて何か変化がないかとか、先々で書くかも知れない記事に必要な写真を撮っている。せっかく外出しているのに、アジトでも出来るメールチェックなどを外出先でする意義を感じない。
【 直面している問題と今後の対応について 】
現代人はなべてスマホを持っていて当たり前であり、私が持たないでいることが他のメンバーへ非常に迷惑をかけていることを理解している。実際、私がスマホを持たないことに起因する問題がいくつも起きた。この中でもっとも多いのは LINE を利用できないことであった。

LINE を使っていない人などまず居ないから説明は不要だろう。このアプリは少なくともスマホを保有していることが絶対条件であり、PCのみの環境では使用できない。PCへ LINE をダウンロード&インストールすることは出来るが、メールアドレスでのログイン自体ができない。スマホでログインしているユーザーはPCからログインすることも可能であり、PCオンリーからの使用はできない。[2]

このためグループで次回の会合日時を一斉配信するとき LINE を使えない人だけは別の手段で案内する以外なく、世話役に多大な負担を掛けることとなる。あるいはグループで写真を共有するときスマホがあれば QR コード一つで容易にできるのだが、PCではそもそも QR コードを認識するデバイス自体が備わっていないので、QRコードを提示されたところでまるで無意味である。

そうは言ってもこの先々で永遠にスマホを導入せずに暮らしていける自信がない。どうしても必要な状況になれば、経済負担が増大しないことを条件にガラケーから乗り換えるだろう。LFDXアテンダントでは、地区の高齢者を対象にスマホやPCなどの活用法を提案する企画が予定されている。この取り組みに対応可能なように、説明用デバイスとして安価なガラホを導入するかも知れない。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - GRATINA|沿革
当該ページの項目には未だに誤った情報が掲載されている。

2.「Wikipedia - LINE(アプリケーション)|アカウント
以前はPC単独での使用が可能なようだったが、2020年4月13日から利用できなくなった模様。
《 成人式 》
項目記述日:2023/1/14
最終編集日:2024/1/8
一般には、20歳に達したことを祝う祝典で、全国各地で行われている。
写真は呼称変更前の成人式として開催された2019年の撮影。


成人の定義が20歳から18歳に引き下げられたことで旧来のイベントを成人式という呼称から変更する事例が増えている。宇部市でも2022年から二十歳の集いに改められた。
このイベントに関してはリンク先を参照。
【 成人式という呼称の問題 】
以下はまったくの個人的意見である。

節目としての儀式や祝い事を肯定した上で、以下のいくつかの理由で旧来の成人式という呼称を廃止すべきと考える。
(1) 20歳への到達はもはや法律で規定する成人ではないこと。
(2) 現代社会で20歳への到達を成人とみなすにはまったく早過ぎること。
(3) 喫煙や飲酒が可能となる年齢到達という考えから切り離すこと。
現状は18歳が成人とみなされる年齢でありながら、全国的に旧来の成人式に相当する祝典は殆どの地域で20歳での開催に集中している。18歳は高校を卒業したばかりで成人と言われても実感が湧かないこと、卒業後の1月は大学入試にかかる時期で式典に参加する余裕がないことが理由に挙げられている。18歳の到達はあくまでもこの国において法的な責任を負わせる線引きであって、この年齢で”人間的に成人する”わけではない。

遙か昔はこれよりずっと若い年齢で元服していたが、現代人はそれよりもずっと複雑で多様化した社会で生きている。一通りの学業を成就したという節目でしかなく、自分よりずっと上の世代の異なる考え方や意見と折り合いながら生きていくのに20歳は「人として成る」儀式を営むにはまったく早過ぎる。成人式という呼称そのものに反対する本質的な理由である。

高校を卒業後2年程度経った20歳は、同級生のその後の動向を知ったり旧交を温めるには程よい時期であるから、この種の集いを持つことは大いに賛成する。このため先述のような理由から成人式ではなく二十歳の集いという呼称がもっとも適切である。

18歳で喫煙や飲酒可能という誤った考えを否定するために、政府は「お酒とタバコは二十歳になってから」を折に触れて反復している。この項目を記述している現時点でも断定的に宣言可能だが、その主張自体も誤りであることが今後もう十数年もしないうちに理解されるだろう。二十歳になれば法的に容認されるというだけであって、お酒とタバコは何歳になろうが基本的に摂取すべきではない。人体に有害なのが明らかなこの悪習から抜け出せないのは、遙か昔に成人式を迎えた我々上の世代が「酒は百薬の長」とか「少し位ならいい」などと言い逃れして否定して来なかったからだ。

過去には飲酒して荒れる成人式が取り沙汰されてきたが、近年はメディアもまったく取り上げない。我が市の二十歳の集いもここ数年は殆ど警察沙汰もないほど穏当になってきた。公共の場で酒に酔って暴れるのが如何にダサくみっともないことを若者が正しく理解しているからであって、マスメディアが揶揄するように”子羊のように反抗せず大人しくなったから”ではない。(→習慣的な飲酒に対する考え方
《 生存報告 》
項目記述日:2023/12/10
最終編集日:2024/3/14
個人に係る内容なので詳細なことは書かないが、私が間違いなく元気に活動していることを、実際に当人の前へ姿を見せることで示す些か奇っ怪なセレモニーである。ぎりぎりまでの具体的なことを書けば、山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の視聴者さんの一人で、日常的にある場所へ訪れることで顔を合わせることで成立する。

生存報告と言い始めたのは私かその視聴者さんか今となっては分からない。報告頻度はまったく不定で月に複数回あれば数ヶ月ご無沙汰状態のこともある。そのようなときは永らく顔を見せないので元気だったか分からず、それ故に生存報告と言い始めたようである。

生存報告以前に視聴者であることが判明したのは、恐らく今のアジトへ移った直後くらいと思われる。それ以前に話をすることはあった。当時かなりネイルに凝っていて、爪を塗っていたのを指摘されたのが始まりだろう。にんげんのGO!へ初めて出演したときふざけてネイルを塗りまくって登場した記憶がある。この話をする過程で「ロケに行くとき必ず塗ってるんです」みたいなことを私が話したことで、あっその番組私視てますよーみたいな形で視聴者さんと判明したと思う。

それ以降宇部マニさんが登場する放映回の週には、生存報告を兼ねて「始まるから視てね!」と伝えるようになった。ムチャクチャ熱心な視聴者さんとは言い難いが、忙しいときは録画していると言っているし番組を視ていなければ分からない内容を話してくれることもある。2024年の新春スペシャルで阿東の餅拾い世界選手権が放映されたとき「視たよ!カメラの回ってるところに居らんにゃあダメじゃーねー」と叱られてしまった。

生存報告にその場所へ行くのはかならず正午までである。私のライフスタイルから午前中に外出することが滅多にないので、数ヶ月ご無沙汰状態になることがよくある。そのときも「ちゃんと報告に来んにゃあダメっちゃらー!」と怒られる。FBのタイムラインではその場所と本人のイニシャルだけ公開したが、全体公開状態のこのホームページではさすがにこれ以上何も書けない。
《 世界観 》
項目記述日:2020/1/3
一般的には「世界」という語で定義されるものに、個人的にどのような概念を重ね合わせるかという容態を指す言葉である。単純に世界と言って想像されるものは人によって様々であり、世界地図や地球儀といったものを想像する人もあるだろう。取り立てて意識するほどでもなかったこの語が、特に個人的に定義づけられ意識されるようになったのはつい最近のことである。

地球儀や世界地図を元に「世界とはこういうものだ」と考えるのは、いわゆるトップダウン方式である。最近、この逆であるボトムアップ的思考法による世界観を意識するようになった。即ち、まず自分を含めた個々の人間が存在し、それらが表出され時系列の進行にしたがって重ね合わされる容態すべてで客観的世界が成り立っている。主観的世界とは、今思考を続けている自分自身に限定される。

現在の時間軸でここに在り、観測し得る諸々のもので主観的世界が構成される。そして、同一条件にて観測されないものは主観的世界の外側にある。つまり、それは主観的世界の一部ではない。「観測されるもの」の範囲を自身の視覚に限定するか、それ以外の手段をも容認するのかは最初の定義により変化することとなる。

この最も極端な喩えを挙げるなら、ここに表記されている主張を正にときわ公園の正面入口前に立って眺めながら読んでいるのでない限り、すべての読者にとってときわ公園の正面入口は世界の外側にある。[1]つまり、それは観測者にとっては主観的世界にはないため現在の時間軸においてそれがどのような状態であることを知る方法はない。物理的法則によりそれは「確率高く以前見たときと同じ状況」と推察され、殆ど間違いなく実際その通りであるため取り立てて問題視されないのである。

個々の観測者が生命を全うすることで、主観的世界は終焉する。終焉していく一つの命を別の観測者がその場に居合わせていようがいまいが、別の価値観をもって生きてきた人の世界が終焉する客観的事実を知るのみである。言うまでもなく終焉を演じた人の主観的世界は、前もって何らかの形で記録されていなければ、永遠に情報を取り出すことができない。

人類の叡智は、個体の人間が営める一生涯の時間より遙かに長きに渡って積み重ねられた成果である。そこには記録し伝承されてきたことが全てである。実際には主観的世界が終焉した後のことは決して知り得ないから、どんな情報を遺そうがそれが意図していた通りに後世に役立ててもらえるという保証はない。しかし「何も無い所からは何も産まれない」限り、誰であろうが主観的世界の些末な事象でも記録しようと思うのは自然なことと感じられる。個人的には写真を撮るとか何かの記述を行ってそれを遺す活動の原点と考えている。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|『意識の超難問』に対する思考の試行(2019/6/19)」
《 セレンディピティー 》
項目記述日:2019/2/24
最終編集日:2022/10/16
耳慣れない言葉だが、一般にはある物事を観察する行為を通じて、対象物に付随するものやまったく無関係な価値あるものを偶然に発見する現象を指す。一般的な項目は[1]を参照。

当サイトのような物件探索に即して言えば、周囲の観察活動に付随して予想もしていなかった物件や出来事を偶然見つけ出してしまう現象である。2019年2月下旬に実施されたある歩行調査の過程で見つけられた石碑の例として初めて紹介された。[2]


「セレンディピティーは構えた心にしか訪れない」と言われる。屋外を散歩していて何かの価値ある発見を求めるなら、相応な感応度をもって周囲を見回していなければならない。それも単に「見えている」と「見る」は異なる。日本語ではしばしば同一の「見」の漢字で表現されるだけに違いが分かりづらくなっており、正確には「観る」ないしは「視る」である。
当サイトでもしばしば「観る」や「看る」を異なった意味のものとして書き分けている

単に目に映っている状態が「見えている」であり、睡眠時や意図的に目を瞑っているとき以外は常時情報が取り込まれている。ここで得られる情報の相当に高い比率(体感的には99%以上)が捨て去られている。「観る」とは、目に映って「見えていた」情報が既に脳内に蓄積されている別の情報を抽き出すことで改めて視線をそこへ遣る動作である。改めて見直しそこで終わるか、それを元に次のアクションを起こすかは、既に蓄積されている情報と擦り合わせた上で決定される。

大したものでもなかろうと思いつつ確認したところ、思いの外重要で相応な成果と感じられたならばセレンディピティーとなる。実際、それほど有用なものでなかったり、更には予想していたのとは全く桁違いに無価値なもの(投棄されたゴミや石碑のような形に見える自然の岩など)もある。逆に「あれはただの岩だ」と思ったり、何か重要かも知れないと思いつつ現地へ行くのが大儀だったり困難だったりの理由で通り過ぎる場合もある。

このことから、セレンディピティーの起きる頻度は構えた気持ちを前提とした上で純粋に確率依存と言える。下手な鉄砲や宝くじの大量購入と同様で、数多くこなしているとそのうちのいくつかの事例で起きる。ただし、どのような種の発見に出会えるのかは前もってまったく予測できていないので、漫然と数多く眺めていても出会えることは難しい。既に脳内にある何かの情報にヒットしなければ、それが「あれは…もしかすると〜かも?」へ辿り着けない。

脳内情報と場数を踏んで状況把握に慣れることは、発見確率を高めてくれるかも知れない。[2]この見地から、現在までの活動においてもっとも「確率的にも信じがたいほどのセレンディピティー」となった事例が眞締大橋の旧橋親柱の発見事例である。それは本来あるべき場所から十数キロメートル離れた山陽小野田市の本山で見つかった。もちろんそこに現物が存在するなどの事前情報はまったく把握されておらず、本山岬を訪れた折りに自転車で周囲をうろつき回っていて空き地にそれらしきものが放置されていることから発見されている。

しかし単純なセレンディピティによる発見として説明がつかない事例もある。まったく初めて訪れた場所で違和感を覚えた対象物が極めて重要な遺構だったり、何もなさそうな場所でふと足が停まり視線がその方向へ惹き付けられた後で探し求められていたものが発見される事例が若干数ある。上記の旧橋親柱もそうで、これは対象物となる重要な物件がみすみす見過ごされ歴史の闇へ葬り去られることを忌避するためにシグナルを発していたのではと考えたくなる事例であった。一般には偶然だとか気のせいとして片付けられるのだが、将来的には科学的に説明がつく現象かも知れないとも考えている。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - セレンディピティ

2.「FBページ|2019/2/23の投稿

3.「FBページ|人の営みから起きる遭遇の確率を操作すること(2022/10/15)
《 ゼロ価値情報 》
項目記述日:2022/10/16
最終編集日:2022/10/16
観測者に何の有用で新たな反応をもたらすこともないすべての情報を指す。主にSNSにおいてテキストの形で提供される情報に用いられる勝手呼称である。「観測者にとって有用か否か」という価値判断が定義に加わるため、ある情報がゼロ価値であるかどうかは受け取る側による主観的なものであるが、ゼロ価値と言い切っているだけにニュートラルな存在ではなくネガティヴな意味合いをもつ。情報そのものの価値がゼロでないにしても、それを査読したり他の情報を探す上での識別に時間を取られる分だけネガティヴに働くからである。自分にとって欲しい情報を埋もれさせてしまう諸々の他の情報と言うことができるかも知れない。

テキストに限定しても、当該論述文を読んで意味するところを理解できる誰に対してもゼロ価値性をもたらす情報は存在する。例えば「誰々が誰それに対して何々をした」とだけ書かれた文章は、何度反復表記されようが誰に対しても絶対的なゼロ価値情報である。特にこの場合、日本語を理解できる誰が接しても正当な構文の条件を満たしているというだけで、価値以前に情報量そのものがゼロである。しかしゼロ価値情報を考えるにあたってそこまで問われることはない。

身の回りは情報にあふれている。かつてそれほど意識されなかっただけで、情報化社会という語で形容される現代にその有用性を否定する人は居ない。遙か昔は言葉で伝え、耳で聞く種の情報しか伝播しなかった。それが紙媒体や他の手段で伝達され、その場に居なくても情報を受けられる方向へ進化した。今や情報伝達において、ネットで繋がることが可能な範囲ではおよそ距離の概念が存在しない。しかし単一の人間が一定時間に受け取って処理できる情報量は有限だから、押し寄せる情報量が指数関数的に増大するならば、何かの基準でフィルタリングしないと欲しい情報が重要度の低いその他諸々のせいで見逃されてしまう。この埋もれる原因を作っているのがゼロ価値情報である。

ゼロ価値情報は、受け取る本人にとって当面は無用な情報とも表現できる。「当面は」というのは、受け取った時点で今は要らないというだけであり、将来的のみならず少し後など時間を違えれば必要な情報に変わる可能性もある。情報そのものが無価値というのとは異なる。いつ受け取ろうが判断が変わる余地がなく否定的に受け取られるものは有害な情報である。
【 フィルタリングの必要性 】
テキスト、音声、画像など、自分の身に晒される情報の量は間違いなく自然増に向かっている。情報発信する主体が増えるというよりは、発信される頻度と高速かつ大容量の配信が容易になったからである。ニュースサイトではテキスト主体から動画配信に置き換わりつつある。全体の情報量があまりにも膨大で、今やニュースサイトの隅々の記事を読む人は誰も居ないだろう。

無意識なフィルタリングは、ネット配信以前から行われてきた。新聞を読むにしても目に留まった興味ある部分だけ読み、隅々まで全部読みこなす人は昔から僅少だった。ネット配信になった現在では、ニュース記事を隅々まで読みこなすことは決して褒められたことではない。現代を生きる人々は誰もが全てに精通している必要性がなく、単なる時間の無駄である。だから多くの人が情報の仕分けをしているのだが、それを上回る速度で情報量が増大するならフィルタリングしなければならない。人の生活時間は有限だ。

欲しい情報に限定して取り込むのを促す仕組み造りは、SNSで導入された#記号で始まるタグにみられる。しかしこれだけでは情報が絞り込まれ過ぎて抜け落ちてしまう部分が多い。逆に必要ない情報に含まれがちなキーワードを逆指定できるようした方が良いかも知れない。FBに関しては回避キーワードの設定が可能で、このアドインに covid19 などのキーワードを登録してタイムラインに列挙しないようにしている。一部の人には必要な情報なのだろうが、似たり寄ったりでどうでもいい情報の洪水のせいで、他の有用な情報を取り損ねるなんて腹立たしい限りだからだ。
《 総髪 》
項目記述日:2019/2/24
最終編集日:2019/7/3
総髪(そうはつ)とは、男性で髪を短く切ることなく後方へまとめて結わえる古典的な髪型である。室町時代までみられた男性のごく一般的な髪型であった。写真は教念寺にある親鸞聖人の童形像。


女性では総髪(そうがみ)と読んで現代ではポニーテールの概念である。もっとも現代では男性でも総髪と呼ぶよりはポニーテールと呼ぶのが普通である。

女性の総髪はまったく一般的なのに対し、男性では21世紀も進んだ今なお短髪が主流であり、後ろで引き結んだ髪型を総髪として認識されることはない。当サイトの管理人は2012年頃よりこのスタイルに移行している。ただし後ろでまとめるのみで髷を結うわけではなく、その引き結びも女性の総髪とまったく同じ髪留め(シュシュ)を用いている。髪を伸ばしても顔の前に垂れて来ることなく正面から見て他人に違和感を与えることもないので、自然なままを尊ぶ合理的な髪型とも言える。

当サイトの管理人が総髪スタイルを採ったのは、髪を短く切るのが嫌なのと散髪の手間がかからない合理性、そして男性の古典的髪型であることを理由とする。髪は頭部を保護する必要性から生えてくるので、わざわざ短く切ったり剃り落とすのは不自然と考えている。
素材
項目記述日:2021/1/18
一般に素材と言えばあらゆるものを構成する要素の元となるものを指す。当サイトにおいてはもう少し限定的に物件を構成する要素を素材と称している。したがって有形物に限定されることとなるが、形のない慣習や祭りなどについての記述が必要になる場合があり、これらは今のところ文化セクションに含めて記述している。詳細は項目に張られたリンク先を参照。
素材の絶対量評価
項目記述日:2019/6/10
最終編集日:2019/6/16
物件などを構成する要素(素材)について、市内における絶対量を評価する基準。生物種の保全状況をヒントに考案している。以前から非常に少なくなっているものを絶滅危惧種と呼ぶなど、生物保全状況に準じた表現は行っていたが、市内の広範囲を観察した結果を反映させるためにその他のランクも含めて考案した。
ランク呼称概要
1普遍豊富に存在し、現在も同種のものが製造されている。
2軽度懸念豊富に存在するが、現在は製造されていない。
3脆弱それほど豊富とは言えず、将来的な減少が予測される。
4絶滅危惧かなり少なく、明白な減少の兆候がある。
5絶滅既に存在しておらず、博物館および写真でのみ観測される。
用語やランクなどはIUCNレッドリストを参考に作成している。元から市内には存在しないか、対象物について充分な調査が行われていないものはランク0(データ無し)としている。現時点では個人的な提起であり、厳密に運用する場合は問題を議論の場へ提出する必要がある。詳細は項目のリンク先を参照。
《 組織の病理 》
項目記述日:2019/4/1
最終編集日:2019/5/12
責任分担の明確化や上意下達を効率的に行うことを目的に結成された筈の組織が、その区分形態や肩書きのようなランク、既得権益の確保などが原因で本来の目的から乖離し、組織を形成する構成員個別の総和以上の成果を得られていないばかりか、組織であることを理由とした弊害が露呈している状況を示す。理屈としては民間企業や学校[1]、官庁、自治会など複数の人々がランク付けされたり責任や権限を分担する形で構成された集合体であれば何処でも存在する。任意に結成された団体やグループ、クラブでも問題自体は起こり得る。

これは会長や代表者を頂点としたピラミッド構造や肩書きをつけられた諸々の団体の構造を全否定するものではない。そのような組織でも意思疎通が極めて良好な場合は巧く回っているものが多い。しかし実際には組織であるばかりに責任の押しつけ合いや問題のたらい回しなど、弊害が目立つものの方がはるかに多い。殊に官庁における組織の弊害が目立ち、そこへどっぷりと浸かる人々は問題意識すらない場合が多い。肩書きと自らのポストが紐付けられた椅子に座っているだけで大層な仕事をした気になっていて、傍目にも既得権益にしがみ着いているように見える。
【 個人的な対処法 】
ヒトは社会的な生物の代表格であり、他者から影響を受け影響を及ぼすことで成り立っている。したがって特定の仲間内のみならずコミュニティーや団体に所属することの重要性まで否定はしないが、その構成員が多くなったり階層付けられたりすることで弊害が大きくなりやすいと考えている。構成員が多くなれば考え方の多様化が災いして何かの問題に対する対処法がまとまりづらくなる。殊に構成員の中で役職などのランクがあると、上位ランクの構成員に遠慮して本音を言わなくなったり、波乱を避けるために多数派意見へ追随するなど、組織人として優秀だが構成員としてはまるで無能な状況を強いられたりする。

確率の問題により、構成員が増えるほど自分の意見とは相容れなかったり負の影響しか及ぼさない人に出会いがちとなる。何の目的をもって組織されたコミュニティーに加わるなら、そこに所属する構成員は誰もが単独である1以上の恩恵が得られなければならない。誰かが1以上のパフォーマンスを得られる裏で別の構成員が1以下の状態を余儀なくされるなら、それは悪いコミュニティーと考える。そしてもし自分が1以下を強いられていると判断した時点でそのコミュニティーの所属から離れる。

生活の糧を得るための組織にはある程度自分の意見を抑えてでも所属し続ける必要はあるが、そうでない任意の組織では所属すること自体が自分にとってマイナスであると判断された時点で、当該組織から退出している。実際に2018年では組織自体に問題があると判断してある地域コミュニティーから脱会した。求められれば退出についての説明責任は果たすが、決してその組織に変わることを求めない。これは「人を変えようとするのは誤りであり自分が変わるべき」の原則からである。
出典および編集追記:

1. 例えば学校、特に大学における事例として「NHKニュース|科学論文の引用回数 米中が各分野の1位独占 日本はなしを受けて「FBタイムライン|いいじゃないですか。別に1位の分野が一つもなくったってをシェア論述している。

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