開南地区のコンクリート水槽

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記事作成日:2020/3/4
最終編集日:2020/3/5
ここでは開南地区のコンクリート水槽と題して現地に存在する物件を報告する。
写真は正面からの全体像。


この構造物の位置を地図で示す。


FBページ購読者より「開マンションの近くに異様に古いコンクリート水槽がある」との報告と調査依頼を受けて知った物件である。後述するように現在のところこの物件に関して記述した書籍が知られておらず、いつ頃何の目的で造られたかなど正確なことが分かっていない。
《 概要 》
横からの撮影。
正面側に階段があり、手前両側にバルブのついた桝が付随している。


コンクリート製の階段は中ほどが折れて曲がっていた。
一見してもう使われていないことが明らかだが、周囲は特にフェンスなどは設置されていない。


階段より登ってみた。
周囲は6mくらいの正方形か。天井から配管が覗いていて上部を削り取ったような痕跡もみられた。


何の予備知識もなく現地へ来ていたので、現物を見る前はすぐ近くにある開マンションの給水関連の設備ではないかと想像していた。しかし明らかに時代が異なる。厚東川1期工業用水道関連の施設を思わせる古さがある。

そのことを感じたのは、上部に鋼板の蓋が掛かっている場所にあるバルブだった。
バルブの開度を表示するメモリがついていてそれも折れ曲がっている。


これは桃山配水池の旧1号配水池上部にあったものに似ている。時代はそれより下るかも知れないが、上水関連の構造物であると推測する元となった。

何の構造物であるかを示す手がかりが周囲には見当たらなかった。
ただ、建設期が分かるものが鋳鉄のバルブにあった。


側面に昭和十七年の陽刻が読み取れる。
異様に古い。


上部を覆っている鋼板の隙間から内部を窺ってみた。
若干の水が溜まっていた。


周囲に子どもが居るなら蓋を開けて覗き込んでいたところ転落してしまうリスクはある。しかし特段の対処はされていないことから、この周辺には幼い子どもを持つ家庭がそれほど多くはないことが推察された。
ただし撮影中に開北集会所の近くでボール遊びをしている子どもの姿はあった
《 考察 》
現地で撮影してきたばかりであり、まだ地元在住者からの聞き取りなどは行っていない。今のところこの構造物に関する記述を行っている資料がなく、未解決物件である。以下は現物の精査と手元の資料による推察である。正体が判明した場合はこの考察を編集追記し、状況によってはファイル名も変更する。
【 建設時期 】
バルブには昭和十七年の陽刻がみられたことから、戦前の構造物であることが想起される。それほど古く規模の大きな上水関連設備なら記録がありそうなものだが「宇部の水道」に記述はみられない。昭和17年と言えば平原分水槽や付随する導水路工事が始まったばかりの時期である。バルブの陽刻年からは、この構造物の建設が昭和17年以降であることしか判断できない。過去に鍛造されていたバルブの在庫を使用したり別の場所から転用した可能性も考えられるからである。

この他にも取り出し管に参考になりそうな陽刻が確認できている。


コンクリート構造物の外観などから建設時期は遅くとも昭和中期までが想像される。
【 構造物の正体 】
上部に計量目盛りつきバルブが存在すること、取り出しの配管があることから給水関連の構造物であることはほぼ疑いない。この場所は近傍の最高地点であるので、別の場所からポンプアップした上水をこの水槽に貯めておいて高低差のみで給水するための水槽と推測する。ちょうど西岐波萩原の配水塔と同様の役割である。

この給水先については、現在のところ近接する開南住宅群の可能性がもっとも強い。この水槽より西側には古い木造平屋住宅が拡がっており、昭和23年に建設された市内で最初の公営住宅とされる。翌年24年に北側へ開北住宅も建設されている。[1]公営住宅を造る場合、建物に先だって道路や上下水道といったライフラインを先行整備するものであり、もう少し早くからこの水槽が造られていたことが考えられる。ただし昭和22年の米軍撮影による航空映像を参照する限り、この辺り一帯はまだ山野であり造成が始まっているようには見受けられない。
【 構造物の所管 】
すぐ横に開マンションがあるが、この構造物とはおそらく無関係である。年代の異なる航空映像を参照したところ開マンションの建設は昭和40年代後半から昭和50年代初頭と判断されていること、この構造物に揚水設備がみられずマンションには給水不能であることによる。
ただし上部に何かを剥ぎ取ったような痕跡があるのは関連施設の跡かも知れない

この構造物と地区道の間に衝突防止のセフティコーンが置かれていて、表面には山口県のシールが貼られている。


このことから開南住宅がかつて県管理であったときに建設され、この構造物のみが今も県管理になっているのかも知れない。上水道向けの水を貯め置く水槽の鋼板に隙間があり施錠もされてないなど現在ではおよそ考えられないので、市水道局が上水道を各戸に配管した後に使われなくなったと思われる。取り壊されずに存置しているのは、コストをかけて撤去するだけのメリットがないことの他に、非常用の防火水槽としての利用の想定が考えられる。
《 Googleストリートビュー 》
開南住宅内の地区道がデータ採取されており、その途中でこの物件が写し出されている。

《 その他 》
ごく最近知った物件であり、個人的関わりも含めてここに記述する。

認定市道の自転車走行とデータ採取はかなり早い時期から行われており、この周辺地域では開マンションのすぐ下を通る市道開線と沢地を挟んで北側にある市道開北住宅線が該当する。東側がかなり高い斜面であり自転車での通行がきついこと、この路線を通って頻繁に訪れる目的地が皆無なことから通行回数は少ない。それでも開北住宅の近くにある異常な急坂を訪れたとき、相当に古そうな住宅地や集会所に興味をもって観察していた。

その後、文献[1]により開南住宅が市内最初の公営住宅として建設されたことを知った。しかし住宅地は現在も居住者があること、市道開線を起点から通るとこのコンクリート水槽は鋭角カーブを折り返した先にあることから存在自体まるで認識していなかった。

報告者はFBページの購読者であり、リアルでも市内至るところで会っている。仕事の関係で市内の至る所を訪れる過程でこの物件を発見し、たまたま出会ったときスマホで地図表示しつつ現地を教えてくれた。開マンションの存在は早くから知っていたが、このときは開南住宅のことが頭になく、精々高層マンションの給水関連の設備だろうと思っていた。そのため現地を訪れたとき見るからに古そうな構造物にかなり驚いたし、私の中では既に数少なくなった未知の古い水利関連物件に映った。
市道常盤公園開片倉線の経路途中から眺めた開マンションに関する想い出。ただし開マンションや居住者に個人的関わりは何もない。
派生記事: 市道常盤公園開片倉線|開マンションの見える風景
観察場所がまるで異なるし言うまでもなく本物件には関係がない。
出典および編集追記:

1.「厚南を生きた人たち」(江本主幹)p.128

2.「FBページ|2020/3/4の投稿

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