下浜田橋

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現地撮影日:2014/4/12
記事公開日:2014/4/14
下浜田(しもはまだ)橋という名称を聞けば、旧藤山村の浜田近くにある橋だろうと想像してしまう。実際、中山川を渡る浜田橋の存在が知られる。

ところが…
下浜田橋という名の橋はおよそ中山川とはまったく無縁の場所に見つかったのであった。


位置図を示そう。


ここは市道神原町沼線の起点を過ぎた中央公園近くで、塩田川を渡っている。
起点から見たところ。


実のところ橋の外観だけ知るならここまでの2枚の写真で足りるような橋だ。およそ特徴がない。派手な欄干や塗装がされているわけではなく、フラットな道路をそのまんま延長したコンクリート床版タイプである。もしかすると橋の名前だけという見かけ倒しに終わってしまいそうだ。

市道起点から見た下流側の親柱には塩田川の表示があった。


研磨された花崗岩プレートに陰刻されている。文字に着色はされていなかった。


上流側。


ここに「下浜田橋」の漢字表記がされている。
それにしてもプレートが新しい。ついでながらそれを塗り込めているコンクリート部分もかなり最近のもののようだ。


何の脈絡もなく下浜田という名称を与えはしないから、昔の地名ではないかと推測できる。現在では神原町という住居表示が与えられているので橋に辛うじて昔の名前を遺していることになる。
この件については地名カテゴリからも参照できるように末尾に分割して記載した。
派生記事: 下浜田について
橋を渡り反対側へ移動する途中、上流側を撮影した。
河床は二段構造になっていて、水量の少ない今は中央部分のみ水が流れている。お世辞にも綺麗な川とは言い難い。


下流側。横から流れ込む雨水の経路があるようで、二段構造の部分を浸している。
見た目は今ひとつな川でも親水機能を考えて河床へ降りられるようになっている。


塩田川の以前の状態は分からないが、現在のような河床を造り擬木の柵を設置したのは平成期に入ってからのことである。市の発注した河川改修工事の一環として施工された。[1]同時期に整備された河川や小水路には同様の構造になっているものがある。

塩田川を渡り反対側へ移動する。
その下流側には形状が異なるプレートがあった。


平かなで「しもはまだはし」となっている。
そして明らかにこの石盤だけが他のものとは異なっていた。


他3箇所の石盤はどれも白っぽい御影石で、それを固定するコンクリート部分も垂直である。この部分だけ黒っぽい石盤でコンクリート部も斜めになっているので、恐らくここだけがオリジナルで他は車が衝突するなどして壊れたので後年補修されたのだろう。

施工年を記録する反対側の石盤もコンクリートも新しくなっていた。
そこには意外な記録があった。


昭和26年竣工である。橋の外観からすればこれは想定外に古い。


常盤通りに架かる新川橋が昭和27年だから、それよりも一歳先輩格にあたる。コンクリート床版構造の実体を見る限りそれほどの古さを感じない。この石盤自体は後年取り替えられたものとしても、橋自体は当初のものなのだろうか。

竣工年の刻まれた親柱も車の衝突で破壊されたらしく新しいコンクリートになっていた。


石盤も新しくなっていることから、衝突で割れてしまったので交換されたのだろうか。

欄干部分を横から撮影している。
特に凝った意匠ではない。先輩格とは言ってもさすがに国道の重交通を担う新川橋の親柱や欄干とは格が違うようだ。


橋と道路のジョイント部分には御影石が並べられている。
昔の橋にはよく見られる構造だ。


近づいて撮影してみた。
この石材やコンクリート床版部分は架橋当時のものだろうか。


現在では道路と躯体の境目はコンクリートを打設し伸縮性のある部材を挿入することが多く、このように石材を並べることは殆どない。塩田川の更に上流部、市道神原町草江線との交差部となる塩田橋ではそうなっている。

最後に市道上の終点側から撮影。
結構車通りも歩行者も目立つので合間を見てサッと撮るタイミングを計る必要があった。


この市道はダンプトラックなどがガンガン通るような道ではないが、昭和20年代半ばという古さに見た目も華奢なコンクリート床版なので、もし架橋当時から補修されていなければそろそろ点検時期だろうか。ざっと見た限りでは新川橋ほど傷んでいる様子はないので、もう暫く現役でいてくれるだろう。
しかし国道190号の新川橋はまずい…あれは本当に早いところ点検だけでもした方がいいと思う
《 下浜田について 》
想像される通り、下浜田とは神原町となる以前のこの近辺の小字である。初期の小字絵図では、下浜田の西に浜田、南に道ヶ嶋という小字がみられる。また北では西梶返や生成(いくなり)、塩田という小字に接していた。市道神原町沼線を挟んで神原町一丁目と二丁目になったのはかなり早い時期である。現在の市道神原町草江線から南側は神原町となり、このとき神原町草江線より北側にある僅かな区域のみに下浜田という小字が残った。その後この部分も西梶返になった折りに小字は消滅している。

浜田という地名は確かに旧藤山村に存在し、現在は浜田1〜3丁目という現役住居表示を構成している。一般にも浜田と言えば市民は厚東川左岸と中山川に挟まれた地域を想像する。しかし小字絵図には浜田から派生していそうな上浜田や下浜田のような地名はみられない。そして今まで調べた限り市内の他の地域にも存在しないようだ。
出典および編集追記:

1. 身近に施工に携わった人を知っているので尋ねれば詳細が分かる。また、塩田川は「宇部市|河川の種類」で二級河川にも準用河川にも明記されていないので渡内川と共に市の管理する指定水路と思われる。

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