百菜屋

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記事作成日:2017/3/2
百菜屋(ひゃくさいや)は、かつて宇部市内に存在していた弁当や惣菜を中心に販売するスーパーである。市内には上宇部店と若松店の2店舗が存在していた。
両店舗とも扱う商品や運営方法、店舗の造りなどはほぼ共通するので、最初に店舗ごとの写真と固有情報を掲載し、後の節で共通事項を記述する。なお、一般公開に馴染まないかも知れない記述部分を限定公開記事へ移動している。
《 上宇部店 》
沼3丁目の市道沼風呂ヶ迫線に面して存在していた。
写真は駐車場からの撮影。[2014/5/31]


位置図を示す。


四輪の出入口は前面市道に対して2ヶ所存在する。同じ敷地の南寄りにキキーズ上宇部店があり、駐車場を共用する形になっていた。営業時間は午前9時半〜午後11時であった。
店内の正面向かって左側の一角に(株)東京屋クリーニング取次所が入っていた。この取次所は午後7時頃以降は店を閉めていた。
【 同場所の店舗履歴 】
市道沿いの田であった現在地を整備して最初にできた店舗は生協上宇部店と思われる。ただしその建物は現在のキキーズ上宇部店に相当する。生協時代は店舗の敷地内に駐車場が殆どなく車を市道沿いの未舗装路地帯に停めていた。その後、ママポートが手狭だった元生協の駐車場を拡げて真向かいに店舗を新築した。この店舗を内部改修して百菜屋上宇部店が使っていた。キキーズ上宇部店の入店とママポート上宇部店の建設などの時期はまだ詳しく調べていない。
《 若松店 》
若松町7の産業道路市道小松原通り線の交差点南側のブロックに存在していた。
写真は閉店直後の駐車場からの撮影。[2015/9/24]


位置図を示す。
後述するように地図でも現在はウェスタ丸喜が表示されている。


産業道路に面しては四輪の出入口がなく、小松原通りと市道鵜の島南浜町線に面して出入口があった。この構造は後の丸喜小松原通り店でもそのまま踏襲されている。
店舗の正面向かって左側にホワイト急便のクリーニング取次所があり、上宇部店とは異なり別棟となっている。
【 同場所の店舗履歴 】
市街部に近いため土地利用の履歴は近年のものしか記憶がない。昭和50年代はスーパーダイイチの店舗であった。それ以前はゴルフの打ちっ放し練習場であったと言われる。[a1]また、この場所は昭和初期まで民家一軒程度の高さで蛇紋岩の露岩である鵜の島が存在していたことで知られる。
出典および編集追記:

a1. 昭和49年度版地理院地図の航空画像による。

《 共通事項 》
店舗は平屋で、通常のスーパーと同じく生鮮品や野菜、飲み物や文具などを扱っていた。一番奥に魚肉の対面スペースがあった。特に力を入れていたのは、その屋号に通じるように惣菜と弁当類だった。

両店舗とも建物の一角に調理場があり、花の森フーズ(株)や(有)末次商店が惣菜や弁当を作って百菜屋に供給していた。店頭での売れ行きを見極めつつ惣菜を造って供給できる強みがあるため、その日のうちに消費すべき弁当も店頭に並べることが可能で、また種類も豊富だった。惣菜と弁当の種類は屋号通りの百を超えて取り揃えていた筈である。弁当コーナーの横には電子レンジが置かれていて、買い物客が自由に使えるようになっていた。弁当をレンジで温めてレジを通した上で駐車場の車内で食べる買い物客もあった。

この他に百菜屋は菓子部門が強く、レジ前には2〜3台の専用台が置かれて常時目新しい菓子が並んだ。他のスーパーでは見られない商品が多く、コンビニへ専属的に卸すような商品もみられた。これは特に若松店において顕著で、新製品の売れ行きリサーチを兼ねていたのか、チョコレート菓子や味つき牛乳などを数量限定する代わりに安い価格で売られていることがあった。

支払いは恐らく現金のみですべて有人による従来レジ方式だった。買い物の都度たまるポイントは無かったが、買い上げ金額に応じたチケットを発行していた。チケットは初期は1,000円(税込み)買う毎に、後年は1,280円(同)ごとに1枚発券され有効期限は3〜4ヶ月に設定されていた。

写真はチケットの現物。


このチケットは10枚集めるとレジを通るとき提出すれば買い上げ金額のトータルから5%引きされた。単発的にチケット倍渡しの日があったほか、毎月25日はチケット5枚で5%引きになった。チケットは有効期限ごとに橙色や緑など異なる色彩で印刷されていた。有効期限内でありさえすれば色の異なるチケットを併用することができた。チケット枚数に応じて買い上げ金額から割り引くシステムは他のスーパーにはない独自性があり、日々の買い物で少しずつチケットを貯めて値段の張る商品やまとめ買いをするときに使う買い物客が多かった。

後年にはキャンドゥという100円ショップと提携して店内に専用の陳列棚を設けて商品を置くようになった。ただし新規に陳列棚を増やしたのではなく自前で扱っていた一部の商品部門をアウトソースする形態だった。
【 突然の閉店 】
このように惣菜や弁当に特化して買い物客からは好評を博していた百菜屋だが、2015年9月24日に突然閉店した。閉店の理由は債務超過であった。[b1]買い物客向けの案内と同時に債権者向けの告知の張り紙も出されている。およそ売上げ不振というイメージがまったくない程賑わっていただけに、突然の閉店は多くの市民に衝撃を与えた。閉店を知らずに買い物へ訪れる客が暫くの間続いていた。閉店の2日前には予兆的な特売が行われていた[b2]が、この時点では閉店のアナウンスはされていなかった。
【 閉店後の影響と変化 】
24日に両店舗は閉鎖され、暫くそのままになっていた。百菜屋は両店舗共通で日替わりの特売商品を折り込みチラシで配布し、ネット上でも独自ドメインによるサイト[b3]で売り出しの広告を提供していた。ネット上の売り出し広告は24日以降も閲覧できていたので、閉店は本当にギリギリの決断だったものと思われる。弁当や惣菜の主要な調達地だったという買い物客は多く、百菜屋の閉店は大変に惜しまれた。オーナーが変わるだけで再び同種の惣菜主体の店の営業開始を望む声が多かった。

若松店は比較的早期に改修工事が始まった。以前はT字路に位置していた丸喜宇部新川店が手狭になったことを理由に若松店の位置へ移動してきた。店舗の改修は内装のみで、駐車場はオーバーレイで舗装し区画線も引き直している。移動した後、丸喜小松原通り店としてスタートし、旧店舗の宇部新川店は解体されて現在はファミリーマートとなっている。

他方、上宇部店は百菜屋の看板を外された状態で暫くそのままになっていた。若松店よりもかなり遅れて改修工事が始まった。改修工事の折に看板部分を塗装し替える過程で下地の看板にママポートと表記されていたのを見つけ、生協上宇部が撤退した後にはママポートだったことが判明した。こちらも2016年5月頃から内装と市道へ掲示する看板のみ改修して6月よりWants宇部沼店として営業を始めている。当然だが現在では百菜屋の名が残ったものは両店舗の何処にも存在しない。
上宇部店での閉店予兆となる売り出しから閉店後の建屋の改修工事までの変化を時系列で追ったレポート。全2巻。閉店に至った理由の考察も行っており、一般公開に馴染まない情報が含まれるので限定公開としている。

注意以下の2巻は限定公開記事です。閲覧するには規約の同意と申請が必要です。
(状態:執筆完了、版:2017/3/3作成)

時系列記事: さようなら百菜屋【1】
《 個人的関わり 》
初めて利用したのは野山時代まで遡る。現在の仕事で市内を車で走るようになって立ち寄ったのが最初と思う。アジトからやや離れているため、自転車で買い出しにいくことが少ないスーパーだった。若松店の利用頻度の方がやや高かった。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

出典および編集追記:

b1.「FB|百菜屋墜つ(2015/9/24)(要ログイン)
この他にもいくつかの記事がネット上に存在する。検索で容易にヒットするので一般事項についてはそれらを参照されたい。

b2.「FB|百菜屋上宇部店がエラいことになっている(2015/9/22)(要ログイン)

b3. URLは http://100saiya.com(既に存在しない)であった。

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