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勤労青少年会館は松山町一丁目にある市所有の建物で、勤労者および学生学童向けの教育施設である。
写真は常盤町一丁目交差点から見た全体像。
玄関のある場所を地図で示す。
勤労青少年会館の設立は昭和42年[1] で、当初は青少年会館と呼ばれていた。学童と学生のための学習施設であり、後に勤労青少年会館となってからは社会人も含めた生涯学習の根拠地となっている。しかしこの施設を指して現在でも青少年会館と呼ぶ市民は多く、通称名のように使われている。この記事でも以下では青少年会館と表記する。
最上階にあるプラネタリウムは市民によく知られていて、幼稚園や小学校の理科学習の過程でプラネタリウム投影に訪れた人は多い。
《 青少年会館の構成 》
青少年会館は松山町一丁目交差点の東側にあり、2本の国道と市道に囲まれる若干変形した区画に存在する。国道490号に面して正面玄関があり、裏側の通用口は区画の東側にある宮大路公園と一体化している。ここでは本館、日本間の別館と屋外にある関連する付帯設備について記述し、同じ区画にある宮大路公園については当該項目でまとめている。
【 本館 】
地階と上層は6階建て、4階部分にプラネタリウム投影用の天体ドームが存在する。メインの建物とは別に日本間の別館がある。ただし一般公開されているのは地階の多目的室と1〜5階までであり、5階の無線室も現在は使われていない。その他の会議室や別館の和室も利用するには申し込みが必要である。
1階の事務室には本館が開いている曜日や時間帯には担当者が常駐する。2階、3階は主に会議室で占められる。市の主催する文化的な講座の一部はこれらの場所が会場となる。
4階は他の階とは造りが異なっていて中央部にプラネタリウムのスペースがあって全体がホールのようになっている。周囲はガラス窓で覆われているため常盤通りなどの撮影は比較的容易であるが、近年街路樹の背丈が伸びてきたため松山町一丁目交差点付近の撮影が困難になってきている。
プラネタリウム入口前には星座など科学関連の書籍が集められた本棚があるが、書籍自体が古く殆ど参照されていない。本棚の近くに置かれているアップライトピアノは壊れていて弾けない状態のまま放置されている。
【 プラネタリウム 】
この項目は、いずれ分割し別記事に移動する。毎週日曜日の午後2時より投影が行われている。料金は大人51円。上映していないときは扉に鍵がかかっている。後述するように、青少年会館の建設当時に導入された古い機器をメンテナンスしながら現在も使っている。
5階はそれまでの階よりも小さな差し掛け構造となっており、無線室と身体障害者用のトイレがある。無線室は現在使われていない。ただし一般来訪者も5階までエレベーターと階段で到達することは可能である。同じ階の屋上にプラネタリウムの観測機器とされる特徴的な半球の構造物が見える。物理的には6階まで存在するが、エレベーター機械室として使われており6階に向かう階段には立入禁止の札が出ている。
常盤通りに面した他の公共的建物と同様、青少年会館にも地階が存在する。部分的に地下構造の一部が地上からも見えるのは宇部市役所と似たところがある。これは常盤通りが東西に伸びる砂州の上に乗っている地形に由来する。表層部の少なくとも10m程度は砂地なため、堅牢な地盤に建物の基礎を据えるには砂地を掘り下げなければならない。常盤通りに面した他の大きな建物も同様で、殆どの建物には地階があったり地下駐車場が設けられている。
【 付属設備 】
同一区画の南側、国道190号に面する側に平屋の日本間がある。本館の部屋は会議室しかなく和室がないため、着付けや茶道などの講習が行えるよう後年造られたものと思われる。和室の周辺は小さな庭園のようになっている。青少年会館の一部でありながら、実質的には勤労者ともあまり相容れない高齢者向けの施設のようになってしまっている。本館の玄関入口北側に駐輪場がある。1階の図書室で本を読んだり寛ぐ学生の来訪があり、ある程度利用されている。その奥にまだ精査されていない小屋のようなものがある。地下水を汲み上げる市所有の井戸ではないかと思われている。同種の井戸は鵜の島県営住宅近くにもみられる。
《 歴史 》
現在の青少年会館がある場所はかつて宮大路動物園だったことは今もかなりよく知られている。正面入口横に動物園があったことの表示柱と説明板が設置されているが、説明板の方は色褪せていて読めない状態になっている。[2]宮大路動物園とは宇部市民の募金により設立された県内初の動物園であり、後年の常盤公園動物園の原型となった。現在の常盤池がある場所へ動物園を遷したのは、工業の急速な発展に伴い市街部の空気の汚れが動物に明白な悪影響を与えていることが判明したからであった。
(この記述部分は宮大路動物園の項目を設定した折には移動する)
宮大路公園の動物たちが現在の常盤公園へ遷された跡地に青少年会館が建てられたのであるが、この場所に青少年の育成に関する施設が造られた背景などについてはまだよく調べられていない。昭和中期以降の建物であるため記述が少ないようである。殊に多くの市民の目と関心を夜空へ向けさせることとなったプラネタリウムの貢献は大きいのだが、一連の設備を青少年会館へ盛り込むこととなった背景は(他ならぬ私を含めて)殆どの市民には知られていない。
旧山陽町埴生にあった山陽パーク(現在は東糸根公園)には独立したプラネタリウムが存在し、西日本において最初の設置と言われている。同施設を知り利用した市民がうちの市にも同じものを造りたいといった影響を受けている可能性もある。
【 立地 】
すぐ北側を通る市道宮大路線は東へ向かってかなり下るため、市道との高低差が数メートルありコンクリート擁壁で仕切られている。この高低差は常盤通りの走る沖ノ山砂州の端にあることが原因だが、この区画付近にかつて参宮道路の端と宇部港方面へ向かう道を結ぶ経路があり、現在の道路は大幅に改変された結果である。恐らく宮大路動物園時代に平坦地を確保する目的で盛土されたと思われるが、現在の松山町一丁目交差点付近の道路の最初期状態を知ることと同程度に困難である。建物のある敷地は市公園緑地課の管理する宮大路公園となっているが、比較的近年まで青少年会館の駐車場として使われていた。公園は真砂土敷きで車が頻繁に乗り入れられる造りにはなっていないため、一時は荒れて窪地に水溜まりが出来る状態だった。
後に慈光幼稚園に隣接する区画に専用の駐車場が確保されてからは、敷地への車乗り入れができなくなっている。
(ただし物理的にバリカー等が設置されているわけではなく公園へ乗り入れる車はなお存在する)
公園内には星出の森と刻まれた石碑が据えられている。かつては彫刻も置かれていたが、後年宇部市立図書館へ移設されている。
(以上の項目は将来的には宮大路公園へ移動する)
《 青少年会館の廃止について 》
前述のように青少年会館は昭和42年に建設され、既に半世紀が経過している。この間に部分的な補修や改築は施されているものの、他の建造物のような耐震補強工事は行われていない。そして平成30年度第3回インターネット市民モニターアンケートにおいて、市としては基本的に青少年会館の改修工事を行わず廃止する考えであることが判明した。[4]ただし廃止について未だ公式にアナウンスはされていない。7月11日付で配信された市民モニターアンケートでは、青少年会館の利用状況と今後の処遇について意見が求められた。モニターが意見を提出するにあたって、以下の前提情報が添えられていた。(以下引用)
昭和45年に施行された「勤労青少年福祉法」は、平成27年に「青少年の雇用の促進等に関する法律」に改正され、地方自治体の勤労青少年ホーム設置の努力義務がなくなりました。「勤労青少年福祉法」に基づき建設された宇部市の勤労青少年会館は、築50年以上が経過しており、その役割を十分に果たしてきた施設と言えます。宇部市公共施設等総合管理計画において、本会館は、近隣公共施設との複合化や機能移転を検討しており、現在、市役所本庁舎の建て替えが進められている中、新庁舎への機能移転も併せて検討しているところです。
この前文を要約すれば、半世紀が経過して老朽化が進み利用実態も少ないため、改修や同じ施設を建て替えることをせず、可能な限り既存の施設へ統合したい意向が汲み取れる。青少年会館の建物自体を市が別の用途に転用したり、丸ごと民間へ払い下げたりというシナリオは考え難い。たとえ建造物全体の耐震基準は満たしているとしても、現代の建造物に求められるバリアフリー性が考慮されていないからである。会議室や備品の老朽化はリノベーションで対応可能だが、耐震補強のみならずバリアフリー化も求められるなら全体構造の大幅な見直しが必要となる。それよりは恐らく一旦更地に戻した上で何に転用するかを模索することになるだろう。なお、8月31日付でアンケート結果が市民モニターへ送付されると共にモニターの要望事項などの自由記述部分も公開されている。青少年会館の知名度はその立地と共に高いものがあるが、駐車場が狭くて利用しづらいこと、諸設備の老朽化が否めないこと、その割に利用料金の割安感がなく営利目的の利用が禁止されるなどの制約もあることから利用実態が著しく低いことが明らかになった。旧称の青少年会館という名称に引きずられて、社会人は利用できないと思っていたという回答も散見される。
宇部井筒屋は2018年末に営業終了し、青少年会館も利用廃止が視野に入っている。そして常盤通りを軸とした市街部は昔から駐車場問題に悩まされ続けていた事実がある。これらの場所を再開発するなら敷地の半分以上を駐車場として残り部分に小さな建物を造るか、さもなくばコンパクトシティーの流れから市街部への居住需要が旺盛となった現状をみてエムラ跡にオービジョンが建ったようにマンション建設の可能性しかなく、将来的には常盤通りを眼下に見下ろすことのできる一般人の入場可能な建物は皆無になるだろう。
《 個人的関わり 》
概ね時期別にまとめている。![]() | 以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。 |
《 記事公開後の変化 》
上記のアンケートで市の方針が確認されてから後の推移について収録する。・2018年11月4日に開催された第31回宇部まつりにあたって高所からの撮影を行おうとして青少年会館を訪ね、たまたまプラネタリウム投影開始時刻前であったため内部を撮影することができた。学童期に投影を視て以来数十年振りのことであり、投影機器を含めて既に代替部品がない[5]位に古い歴史的機材が修理を重ねつつ使用されていることが判明した。この過程で山陽小野田市埴生の旧山陽パーク(現東糸根公園)内に設置されたプラネタリウムが山口県内初であり、その半年程度後に青少年会館にも造られたことが分かった。建設された当時に天体観測ブームがあったか、山陽パークの設備を知って宇部にも同じものが欲しいといった要望が強かったのではと推察され興味深い。
・2023年2月に外壁の剥落が発見され、利用者の安全確保と利用状況を勘案して閉館を前倒しされた。同年6月で廃止され以後立入禁止となった。[6]外壁の剥落は、公共施設の存続利用において耐震性を有することが絶対条件である中で解体撤去を前倒しする充分な理由となった。プラネタリウムの投影は他に代替できない重要な施設であったものの、交換部品(例えば水銀スイッチなど)が容易に入手できず市以外の任意団体などでは維持管理が不可能なことから本体は関連メーカーに寄託された。
・時期は不定だが、青少年会館の敷地はこの頃までに民間売却が確定した。なお、前項で個人的意見として「青少年会館のような敷地が民間に売却されることは考え難い」と書いているが、数年が経過し状況が大きく変わっている。市は財政引き締めを念頭に置いており、昭和期に建てられた古い公共建造物は、登録有形文化財レベルのものでない限り基本的にすべて取り壊されると考えて良い。これは利活用されない公共施設がそのまま存置されるのは固定資産税の面で著しく無駄金になるというのも理由にある。この流れで旧市立図書館・福祉会館・青少年会館の廃止が決定している。リノベーションをかけて利活用する考えは皆無で、廃止にあたっては特に耐震性の無さが共通して理由に挙げられる。一部の建物は耐震性の有無の客観データが採取されていない。特に青少年会館では2023年に外壁の剥落を起こしており、廃館を後押しする大きな理由になった。
【 取り壊し 】
・2024年の春までには外側が防音防塵のスクリーンで覆われ、同年6月頃より建物全体が防音防塵マットで囲まれ取り壊し作業が始まった。破砕機械を屋上まで引き揚げて上層階から順次取り壊している。・同年8月の撮影時に現地で解体作業を行っている作業員に尋ねたところ、青少年会館が建っている近くの宮大路公園自体は民間払い下げの対象外で、解体撤去後は現状復帰されるとのことだった。公園には星出の森の石碑があり、公園ごと売却されたら石碑はどうなるか懸念していた。
・同年8月30日に(株)宇部日報社のサンデーうべのコラムVol.99として勤労青少年会館が配信された。
・同年9月末までに建屋部分のすべてを解体し、地下部分のコンクリートや基礎の除却を行った。
この過程で北側の市道常藤線に隣接する井戸の外側部分が見えるようになった。
情報がなく詳細は不明だが、これは市が保有する地下水源の一つと聞いたことがある。同様の井戸が市道浜通り線沿いにも見つけられており、トラックが横付けされて取水している状況が撮影されたこともある。青少年会館横の井戸は下の市道から5m以上の位置にあり、かなりの深さがあると想像される。中津瀬神社の井戸のように深部へパイプのみ挿して吸い上げているタイプかも知れない。この井戸が今後どうなるかは不明である。
・同年10月中旬の休日で工事が停まっているときを見計らって、地下部分の状況を撮影してきた。
掘削面は砂質土であるにもかかわらず底にかなりの湧水が溜まっていることが確認された。
現在の松山通り・常盤通りが東西に伸びる砂州上に乗っていることはよく知られる。それでも周辺地下には浸透した雨水がある程度保持されていて、一定以上の深さを掘削すれば周囲の地下水が移動して溜まることが分かる。
なお、FBページ側に一連の写真を投稿した後、取り壊されずに遺っていたポンプ室のようなものが宮大路動物園時代の水源井戸だったことが情報を持ち合わせた読者によりもたらされた。動物園がなくなった後も街路樹などの灌水目的で使われていたが、20年程度前に涸れてからは放置されているとのことである。[7]
出典および編集追記:
1.「勤労青少年会館の閉館について|宇部市
」
2. この場所に限らず市街部に置かれているこのタイプの説明板はことごとく経年変化で文字が褪色し読めなくなっている。(2016/10/31)
3.「FB|2015/8/11の投稿」
4.「うべ未来モニター|宇部市
」
なお、インターネット市民モニターはうべ未来モニターに名称変更され、市役所公式サイトがセキュア対応に変更されたとき令和3年度以前のすべてのデータが削除されていて閲覧できなくなった。
5. 例えば投影機の角度に応じて信号オンオフを制御する部分には水銀スイッチが使われている。
6.「勤労青少年会館閉館のお知らせ|宇部市
」
7.「FBページ|2024/10/14の投稿
」
1.「勤労青少年会館の閉館について|宇部市

2. この場所に限らず市街部に置かれているこのタイプの説明板はことごとく経年変化で文字が褪色し読めなくなっている。(2016/10/31)
3.「FB|2015/8/11の投稿」

4.「うべ未来モニター|宇部市

なお、インターネット市民モニターはうべ未来モニターに名称変更され、市役所公式サイトがセキュア対応に変更されたとき令和3年度以前のすべてのデータが削除されていて閲覧できなくなった。
5. 例えば投影機の角度に応じて信号オンオフを制御する部分には水銀スイッチが使われている。
6.「勤労青少年会館閉館のお知らせ|宇部市

7.「FBページ|2024/10/14の投稿
