エキゾチックな収集物

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記事作成日:2023/5/22
最終編集日:2023/5/27
ここでは、エキゾチックな収集物について記述する。

エキゾチックな収集物とはマニアックな収集物よりも更にコア度が高く、人によっては悪趣味の部類と映るかも知れない対象物である。収集と表現していることから分かるように、一般には価値あるものとして認識されていない。意識して集めるというよりは習慣や性癖で自然と手元に溜まっていくものが多い。ある程度の分類整理がされることはあるが、殆どコストゼロの労力のみで集められており、この意味で収集ではなく集積と言える。

以下の集積物は、惰性ながら現在も継続されているものから既に停止しているものまで様々である。収集の形態も現物が存在するものから既にデジカメ接写画像のみ残して現物が廃棄された集積物もある。
カップ麺の蓋
そのまんまカップ麺の蓋の収集である。すべてのタイプの蓋を集めているわけではなく、サイズなど一部に制限を設けている。2021年までに集められたものは紙袋に分類されているが、それ以降のものは単に集積された状態にある。詳細は項目のリンクを参照。
《 菓子類 》
甘い物好きであることから、昔から菓子や甘い系乳飲料をよく買い求めていた。特にシリーズで売られている菓子は新発売が出ると試しに買うことから集積するようになった。

菓子の現物を集めるとなると賞味期限が切れて食べられなくなるので、食べた後の容れ物を収集するようになった。嵩張るものはデジカメ接写という形で間接的に「収集」したものも存在する。
【 紙箱 】
以前は丁寧に集めていたが現在はそれほどしていない収集物として、菓子箱のパッケージがある。
写真は現在手元にあるもの。


洋菓子とケーキの中間で、紙箱に小さなケーキっぽいデコレーションを施した菓子がある。ブルボンのものが代表的で、紙箱を開けると中にプラスチックのトレーに納められた菓子が数個入っているというものである。食べた後に紙箱からもっとも内容物をよく写している部分をカッターで切り抜いて集めていた。一時期はブルボンに限定せずミスターイトウの菓子箱も集めていた。丸信の値札がついているものも含まれることから、恩田在住時代から集めていたようである。

集積のモチベーションは、カップ麺と同様どれだけの種類があるのだろうかという興味と、何かの歴史的価値が出ないだろうかという思惑からだった。ただしカップ麺は蓋をペロッと剥がして拭くだけでストックできるが、菓子箱だと必要な部分だけカッターで切り取るという作業が要ること、カップ麺に比べて高価でそれほど頻繁には買わないことから手元にある量は多くない。
【 外袋 】
同じサイズで異なる味の種類がたくさんあるものは、上記のカップ麺の蓋と同様集積の対象となり得る。ただし現物を保管するのは面倒なので該当する集積物はないが、画像採取の形で集めているものとして、チョコレートで有名な KitKat がある。
写真は2008年10月に購入されたプリン仕立て味で、手元にある画像データでは一番古い。


最初期は新しい味が出るたびに買っていたようで、上記のプリン仕立て味の他にきな粉、すいか、ほうじ茶、キャラメルプリン、温州ミカンの袋も撮影している。しかし結構高価で一袋を買うと食べきるのも大変なので最近は殆ど買っていない。

同様のことをしていたものがチロルチョコレートの外側の包み紙である。1個単位で売られているものは種類が極めて多く買いやすいために、包み紙が破れないように丁寧に開いてから本のページの間に挟んでシワを伸ばしてストックしていた。しかし数があまりにも多く整理が面倒なこと、近年多種が売られるようになって時期が経ってもプレミアムが期待できないと考え、ある時期に(デジカメ画像採取せずに)すべて廃棄した。
【 包み紙 】
10円駄菓子の筆頭格だったチロルチョコレートには、大きさが同じでいろいろな味のものがある。この外側の包み紙を集めていた時期があった。


しかしあまりにも種類が多すぎることと、アルバムなどに整理しなければ保存が大変なので結局全部廃棄している。
【 駄菓子 】
一頃、駄菓子に凝っていたとき買って食べるだけでなくそれらをデジカメ接写して保存していた。これは行きつけの駄菓子屋さんによる影響が大きい。伝統的な駄菓子の多くが名古屋で製造されており、中には後継者が居なくなって消滅するものも出てき始めていた時期だった。

食品であるため現物は手元に存在しないが、記録収集を意図してデジカメ接写された最初期の題材である。デジカメを購入し扱うようになったのは1999年で、翌年2000年の夏には駄菓子の撮影に取り掛かっている。
写真は当時撮影した駄菓子のうちの一つ。
カメラの機種が異なるため画像の縦横比率が他のものとは異なっている


梅ジャムのように既に製造されておらず、現代感覚では到底受け入れられない味(甘味がまったくない)の駄菓子も存在した。


一連の写真は永らくYahoo!フォトで公開していたが、提供サービスの終了がアナウンスされたことに加えて相次ぐYahoo!サービスの改定や廃止を受け、すべてのYahoo!サービスを利用しない方針に変更している。
【 紙パック飲料 】
中学1年生のとき短期的に経験している。昭和51年頃から従来の瓶入りや三角錐をしたテトラパック(R) から直方体をした500ml入りの紙容器で牛乳が売られ始めた。最初は牛乳のみだったが、やがてコーヒー牛乳[1]が現れ、次にそれらの1,000ml入りが出現した。ほぼ同じ頃には従来の瓶入りジュース類も同様の紙パックで売られるようになった。

当時は目新しさもあっていろいろな果汁ジュースが現れていた。それを購入した後に中を綺麗に洗い、元のようにホチキス(R) で上蓋を閉じて棚の上に飾っていた時期がある。昭和53年頃には果汁含有量が異なるものの身の回りで馴染みのある殆どの果物の紙パック入りジュースが販売されていた。棚の上へ飾っているのを当時の文通相手にも記述している。中学3年生を卒業するまではすべて廃棄している。

その後暫く収集こそしなかったものの甘い系乳飲料を嗜む習慣は変わっておらず、デジタルカメラが出回り始めた1999年頃から紙パックを写真で撮影するようになった。初期の撮影ではまったく適当に行われていたが、後に全体像と製品名、成分表をセットで撮影するようになった。特にYahoo!ブログ時代は新発売の甘い系乳飲料を見つけたら買って容器を撮影し、味がどうだったかのレビューを記事に書いていた。移行後の ameblo に甘い系乳飲料のブログ記事が多いのはこのためである。

この撮影は2007年の後半から始めたようで、この時期から紙パック飲料の画像が目立って増えている。
手元にある最も古い日付の紙パック飲料画像は2007年10月撮影のこの商品だった。


画像の整理方針に則り、これらの画像は2009年までのものは旧来フォルダへ、2010年から現在までのものは素材フォルダへ保存している。

現在では紙パックの甘い系乳飲料は、スーパーではカフェオレなど売れ筋のものしか置かれていない。多くの紙パック飲料がコンビニ限定で売られるようになったが、個人的にコンビニの利用を忌避しているため結局買わなくなった。後に砂糖の弊害が問題視され甘い系乳飲料の甘味がアセスルファムKなどの合成甘味料に置き換えられるようになった。合成甘味料では再現できない味も多く、現在ではコンビニでも紙パック入りの甘い系乳飲料は殆ど種類がない。
【 ガラス瓶入り飲料の蓋 】
小学校中学年時代あたり、ジュース類の王冠を集めていた。現在のデオデオ恩田店のある場所はかつてスカイレーンというボウリング場であり、敷地にジュースのケースが大量に積まれていた。そこへ入っていろいろな王冠を拾って持ち帰った。一部の王冠は従兄弟の家まで持っていって遊びに使っている。おはじきの代わりにして遊んでいたようである。非常に早い時期にガラス瓶入り容器と王冠が姿を消したため、それらのデジカメ接写画像は手元に存在しない。

笹山町にあった末岡酒店の敷地に入って、木枠に納められた日本酒についているお酒の栓を兄貴と一緒に集めたことがあった。このとき木枠の上に登って栓を集めていたため近所の人に叱られている。

当時の牛乳などの乳飲料は180ml入りのガラス瓶に入れられ、紙の蓋をして上に正方形の着色されたビニール袋を被せて売られていた。紙の蓋には引っ張りやすいように一部に小さな耳がついていたが、中には耳がついておらず錐で蓋を突き刺して開けるタイプのものもあった。
蓋を中へ押し沈めたり内容液が飛び散って甚だ使い勝手が悪かった

紙の蓋のサイズは瓶の規格により同一なものの、蓋に印刷されている文字色にバラエティーがあった。学校給食のとき出される牛乳の蓋とも合わせて集めていたことがある。現在も持っていたなら充分に価値あるコレクションとなっていただろう。

時代が下ってヤクルトの配達を受けるようになってから、同様にヤクルトの上部を封じているアルミの被せ蓋を集めていた時期があった。しわを丁寧に伸ばせば正方形をしていてこれも紙の蓋と同様に色のバラエティーがあった。
同種の小サイズな容器に入った発酵乳は現在もさまざまなメーカーから販売されている。
出典および編集追記:

1. コーヒー牛乳と言っても内容物はほんの僅かのコーヒー成分に水、砂糖、乳脂肪分、香料とカラメル等の着色料で調製したコーヒー擬き飲料である。牛乳偽装事件が起きた後で乳製品に関する表示が厳格化されることでコーヒー牛乳という呼称が使えなくなり消滅した。
《 自然素材 》
屋外で普通にみられる広い意味での素材である。対象物は自然石をはじめ、レンガやタイルなどの人工物、ガラス類など多岐に亘る。
これは上記の収集物と比較して同種のものが存在しないので、収集というよりは集積や性癖に近い。拾って持ち帰るモチベーションも以下のように複数ある。
【 石 】
自然界に転がっている石ころである。
写真は持ち帰られ倉庫代わりにしている台所の床に集積された石ころなど。
右側に見えている模様のある石はシダ類の化石


変わった形や色をした自然界の石を持ち帰る行為は、学童期から行われていた。これは親父の影響があるかも知れない。記念の岩石採取などが現在ほど厳格に言われてなかった昭和期では、富士登山旅行のとき親父が持ち帰った溶岩が長い間応接間の書棚に飾られていた。

自然界にある石ころは不定形をしているのが普通で、特に平面から成る立体をしているものはよく持ち帰られた。そのような花崗岩は墓石の欠片である可能性があるため親は持ち帰らないよう言い聞かせていたのだが、そのことで集積癖がとどまることはなかった。

平面から構成された形に近い石を持ち帰るのは、石磨き用の素材にする目的があった。石磨きは小学生時代から行っていた。近年、子ども向けの実物教材に使えるかも知れないという考えからいくつかを試験的に石磨きに供している。

霜降山系の石として知られるなめらは、形の良いものがしばしば持ち帰られる。ただしなめらは思いの外硬く石磨きに不適であることから、多くを自然界へ還している。
【 タイルやレンガ 】
同種の品質のものが数多く存在していながら現在では容易に入手できないもので、昭和期には普通に使われていたタイルがある。
写真は風呂場などに使われていたタイル。


タイルは現在も製造されているものの、かまどによく使われていた正方形の焦げ茶色をしたタイルは素材としては殆ど見かけない。同様に昭和期の風呂場やトイレなどに使われていた玉石モザイクタイルなども遙か昔に取り壊された民家でコンクリートが付着した状態でよく見つかるが、素材状態の綺麗なものは少ない。

レンガは従来タイプのものは海歩きの過程で波に洗われて丸くなったものはクラフト素材として使える可能性から、色や形のよいものを持ち帰ることがある。桃色レンガはモルタルが付着しておらず原形を保っているもので公地に放置されているものがあれば持ち帰るが、条件を満たす状態の良いものが殆ど見つからない。
【 砂 】
砂を集めるというのも変な話である。しかし意図的に家の中へ持ち込まれた砂のサンプルが2つある。一つは小学生時代、家族旅行で鳥取砂丘を訪れたときお茶の容器に詰めた砂である。現在は禁止されているが、当時は砂丘に自分の名前を書いたり砂を持ち帰ったりは誰もが普通に行っていた。

この砂の一部を使って夏休みの科学作品で砂時計を作っている。持ち帰ったお茶の容器を2つ合わせて中央に錐で穴を空けた。砂はそのまま使うのでは芸が薄いので、洗面器に入れて少量の水と緑色の絵の具を入れて着色した。接合するくびれの部分が巧く作れず、空けた穴も粗雑だったためよく引っ掛かった。実物が容器に入った状態で存在する。
実物が見つかったら写真をここに載せる
もう一つは比較的最近で、西岐波床波のある海岸で採取された砂である。そこは今まで観察された限りでもっとも粒子の細かな砂が溜まっている浜である。2017年3月に袋に入れて持ち帰り、水道水で洗って火に掛けて乾燥させた。百均の店で買ったダンベルの重りとして中に詰めて保存している。
【 種子 】
石ではないが、変わったものとして植物素材のジュズダマがある。よく知られる素材ながらジュズダマが自生している場所自体が少ない。均質なものを集積しておけばネックレスなど素朴なアクセサリ作りの素材に使えるかも知れないと考えている。


ガマの穂はフランクフルトソーセージを思わせる面白い形なので、持ち帰りを試みたことがある。現に自生しているものを刈って玄関などに飾る人は結構いる。ワラビやギンナン採取などに関しては、収集というよりは食材採取にあたるだろう。

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