写真は市道床波吉田線側から撮影した3連発が存在する場所。
何のことかさっぱり分からないというのが常識人である。むしろ既にご存じであったなら大変に嬉しい。うちのホームページを隅々まで読んで下さっているか、あるいは丹念にある番組を視聴なさっているからである。
現地は旧国道190号で現在は市道に格下げされている道と、丸尾方面に向かう道(市道吉田丸尾線)の三差路で、市営バスの停まる吉田バス停が存在する。それとて何の特性もみられない。
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本路線の起点は、市道床波吉田線の吉田バス停付近にある。バス停は双方の市道の上下線に時刻表を貼り付けたバス停サインが設置されている。この設置位置を利用することで、何処にでもあるようなバス停サインで面白い題材が生まれる。
そこで道路の反対側へ移動し、路側のおおむねこの辺りに立つのである。
何が起こりそうか見えてきたかも知れない。
この場所から眺めると3つのバス停サインが固まって並んで見える。バス停サインを撮影するというのにわざわざ離れた位置に立ったのは、カメラの圧縮効果を利用してこの状況を分かりやすく映像化するためである。
3つのバス停サインは観測位置に対してそれぞれ距離が異なる。離れた場所からこれらをズーム撮影することで遠近が均され、相互にあまり離れた場所にないように見せることができる。その結果、このような映像が得られる。
ファインダーを覗きながらバス停サインがなるべく等間隔に並ぶよう微調整する。実際にはそれぞれのバス停サインはこちらに正対しているのではないし、それぞれの距離も離れている。
バス停名だけを大きく取り出したければ、カメラを標準の横置きに構え替えてフレーム内へ収まるように調整すれば良い。
このように、実際にはある程度離れて立つバス停サインが恰も揃ってこちらを向いているような映像が作成できる。宇部マニでは、この場所で起きる現象を「吉田三連発」と勝手呼称している。なお好適なことに3つのバス停サインが等間隔に見えるだけではなく、吉田と書かれた文字も右下がりで比例的に並んでいる。些末な題材ながらページ投稿での読者の反応も顕著だった。[1]
詳細が分かる動画。(別ウィンドウで再生)
この場所は交通量が比較的多い。車が通らない時間帯で、かつ風が殆ど無く雑音が入らない状況での動画撮影はかなり困難である。
(これと次の画像は撮影品位が劣るため原典画像は削除している)
3つが全部見透せるので、立ち位置を工夫すればひとかたまりに撮影できるのではないだろうかという発想に至った。バス停サインは上下線の近接した位置に2つ設置されるので、2つのバス停サインが並ぶように撮影するのは容易である。しかし3つ以上となると、系統の異なるバス路線が存在していることと同じバス停名が見通しの利く場所へ設置されていることが必要なので、条件を満たす場所はかなり少なくなる。
このときは自転車を停めてあちこち歩き回り、最終的に手前のバス停サインを基準にした以下の画像を得ている。
その後、カメラの圧縮効果を用いて肉眼で見えている状態を誇張した映像を作れることに気付き、何でもない場所に面白い映像が得られる場所と銘打って記事化もしている。その初期の取り組みに市道岩鼻浜田線の「蛇の道」がある。蛇の道も宇部マニの勝手呼称だが、うねった道自体は既に多くの人に知られていた。題材として分かりやすく面白いので、早期にまちなかアートフェスタのパネル展示に提出したし、毎月執筆しているサンデー宇部のコラムでも既に写真を紹介している。[2]
いずれも他愛ない題材ではあるが、このような一風変わった眺めが口コミ効果で広まりやがて多くの人が撮影に訪れる場所になった…という現象が稀に見られる。「身近なところに観光地がなくて困っているなら作ればいいじゃないか」に呼応するジャンルであり、特に既にあるものを別の見方から取り上げて紹介すれば新規コストもかからずコアな名所を人為的に作り出せるのである。
最後の問題として、この場所には小郡方面向けに近くの商店付近にもバス停サインがある。撮影位置を工夫することで4連発が実現できないだろうかと考えるのは自然だろう。この件については「4つのバス停サインが入る画像は採取可能」ということだけが判明している。
しかし4つ目のバス停が吉田三連発に寄り添って四連発になる撮影位置は、個人の畑の中へ踏み込まなければ検証できないことが分かっているため実行していない。バス停サインは恐らく裏側にも同じものが書かれているので、真反対方向に条件を満たす撮影場所を探す手段があるかも知れない。それが可能かどうかの検証は読者にお任せしよう。
2018年総集編は山口ケーブルビジョンのスタジオで収録され、私はレギュラーメンバーが本年あったことを回顧する中で途中からメンバーに加わる形で登場した。ただ単に回顧だけでは面白くないので、この中で珍百景的題材を盛り込もうということになり、私が提出した題材候補のうちから番組制作側で選定されタイトルが与えられた。
最初にいきなり3連続でバス停サインの並ぶ写真を提示し、その後何でこんな奇妙なことになっているのかを種明かしする内容である。種明かしは制作側で作成されたマップを貼ったパネルを提示して私が行った。
この放映で使われた紅葉のきれいな写真は、この写真が原典である。
同種のネタとして他に中津瀬神社の石炭餅、川上中学校の校長室・職員室の床に貼られた周防と長門の国境ラインも放映されている。
(この他にスタジオ収録したものの時間の関係で割愛された題材がいくつか存在する)
番組中でどさけん氏が指摘した通り、この場所を観に行くためだけにわざわざ車を走らせる人など居そうにもない。しかし番組の視聴者や観察者が増えるなら、そのうちの若干人数が実際に現地へ行って同じ体験をしようと試みるのは(いつも話しているように)確率の問題である。
たまさかそのうちの誰かがSNSへ投稿し情報共有されることで隠れた名所のようになってしまう可能性もあり得る。実際、地元の人は何のことやら分からない裏で特定の題材が爆発的人気を呼び、情報を聞きつけた人がゾロゾロ現地へ向かうといった現象は世界の随所で観測されている。
度を過ぎれば小規模な観光ファディズムになってしまう危険もはらんでは居るが、実力を持つ観光地が完全に開発され場所によっては陳腐化さえしてしまっている今、別の価値観と新たな刺激をもたらす郷土ツーリズムを提供する一つの手段になり得る。
また、市道床波吉田線側にはもう一つのバス停サインがあるので、立ち位置を充分に考慮すれば4連発が成り立つかも知れない。このことは先の推測よりも早く現地確認されている。結果として4つのバス停サインが一つに入る撮影位置は存在するが、きれいな4連発を実現する撮影位置はなさそうであることが分かった。
路線が分岐する近くにバス停があるなら、同様の現象を起こす可能性のある場所が他にも存在するだろう。道路幅が広いと、圧縮効果を狙えるかなり離れた撮影位置が確保できなければならない。市外では同じバス停サインが3つ横並びに設置されている場所が知られているが、かなり昔の撮影であり現在も遺っているかは検証していない。
そこで道路の反対側へ移動し、路側のおおむねこの辺りに立つのである。
何が起こりそうか見えてきたかも知れない。
この場所から眺めると3つのバス停サインが固まって並んで見える。バス停サインを撮影するというのにわざわざ離れた位置に立ったのは、カメラの圧縮効果を利用してこの状況を分かりやすく映像化するためである。
3つのバス停サインは観測位置に対してそれぞれ距離が異なる。離れた場所からこれらをズーム撮影することで遠近が均され、相互にあまり離れた場所にないように見せることができる。その結果、このような映像が得られる。
ファインダーを覗きながらバス停サインがなるべく等間隔に並ぶよう微調整する。実際にはそれぞれのバス停サインはこちらに正対しているのではないし、それぞれの距離も離れている。
バス停名だけを大きく取り出したければ、カメラを標準の横置きに構え替えてフレーム内へ収まるように調整すれば良い。
このように、実際にはある程度離れて立つバス停サインが恰も揃ってこちらを向いているような映像が作成できる。宇部マニでは、この場所で起きる現象を「吉田三連発」と勝手呼称している。なお好適なことに3つのバス停サインが等間隔に見えるだけではなく、吉田と書かれた文字も右下がりで比例的に並んでいる。些末な題材ながらページ投稿での読者の反応も顕著だった。[1]
詳細が分かる動画。(別ウィンドウで再生)
この場所は交通量が比較的多い。車が通らない時間帯で、かつ風が殆ど無く雑音が入らない状況での動画撮影はかなり困難である。
《 発見された経緯 》
私がこの現象に気付いたのは2014年のことである。市内の地名を把握するために市営バスのバス停サインを一通り撮影していた時期があった。このときT字路の近くに3つのバス停サインが寄り集まっていることに気付いている。(これと次の画像は撮影品位が劣るため原典画像は削除している)
3つが全部見透せるので、立ち位置を工夫すればひとかたまりに撮影できるのではないだろうかという発想に至った。バス停サインは上下線の近接した位置に2つ設置されるので、2つのバス停サインが並ぶように撮影するのは容易である。しかし3つ以上となると、系統の異なるバス路線が存在していることと同じバス停名が見通しの利く場所へ設置されていることが必要なので、条件を満たす場所はかなり少なくなる。
このときは自転車を停めてあちこち歩き回り、最終的に手前のバス停サインを基準にした以下の画像を得ている。
その後、カメラの圧縮効果を用いて肉眼で見えている状態を誇張した映像を作れることに気付き、何でもない場所に面白い映像が得られる場所と銘打って記事化もしている。その初期の取り組みに市道岩鼻浜田線の「蛇の道」がある。蛇の道も宇部マニの勝手呼称だが、うねった道自体は既に多くの人に知られていた。題材として分かりやすく面白いので、早期にまちなかアートフェスタのパネル展示に提出したし、毎月執筆しているサンデー宇部のコラムでも既に写真を紹介している。[2]
いずれも他愛ない題材ではあるが、このような一風変わった眺めが口コミ効果で広まりやがて多くの人が撮影に訪れる場所になった…という現象が稀に見られる。「身近なところに観光地がなくて困っているなら作ればいいじゃないか」に呼応するジャンルであり、特に既にあるものを別の見方から取り上げて紹介すれば新規コストもかからずコアな名所を人為的に作り出せるのである。
最後の問題として、この場所には小郡方面向けに近くの商店付近にもバス停サインがある。撮影位置を工夫することで4連発が実現できないだろうかと考えるのは自然だろう。この件については「4つのバス停サインが入る画像は採取可能」ということだけが判明している。
しかし4つ目のバス停が吉田三連発に寄り添って四連発になる撮影位置は、個人の畑の中へ踏み込まなければ検証できないことが分かっているため実行していない。バス停サインは恐らく裏側にも同じものが書かれているので、真反対方向に条件を満たす撮影場所を探す手段があるかも知れない。それが可能かどうかの検証は読者にお任せしよう。
【 記事公開後の変化 】
項目記述日:2018/12/25
以上のように全く他愛ない題材であるのだが、この題材が山口ケーブルビジョンのディレクターの目に留まり、2018年総集編にあたって宇部市内の面白珍百景的な題材のうちの一つ「乗りにくいバス停」として紹介された。2018年総集編は山口ケーブルビジョンのスタジオで収録され、私はレギュラーメンバーが本年あったことを回顧する中で途中からメンバーに加わる形で登場した。ただ単に回顧だけでは面白くないので、この中で珍百景的題材を盛り込もうということになり、私が提出した題材候補のうちから番組制作側で選定されタイトルが与えられた。
最初にいきなり3連続でバス停サインの並ぶ写真を提示し、その後何でこんな奇妙なことになっているのかを種明かしする内容である。種明かしは制作側で作成されたマップを貼ったパネルを提示して私が行った。
この放映で使われた紅葉のきれいな写真は、この写真が原典である。
同種のネタとして他に中津瀬神社の石炭餅、川上中学校の校長室・職員室の床に貼られた周防と長門の国境ラインも放映されている。
(この他にスタジオ収録したものの時間の関係で割愛された題材がいくつか存在する)
番組中でどさけん氏が指摘した通り、この場所を観に行くためだけにわざわざ車を走らせる人など居そうにもない。しかし番組の視聴者や観察者が増えるなら、そのうちの若干人数が実際に現地へ行って同じ体験をしようと試みるのは(いつも話しているように)確率の問題である。
たまさかそのうちの誰かがSNSへ投稿し情報共有されることで隠れた名所のようになってしまう可能性もあり得る。実際、地元の人は何のことやら分からない裏で特定の題材が爆発的人気を呼び、情報を聞きつけた人がゾロゾロ現地へ向かうといった現象は世界の随所で観測されている。
度を過ぎれば小規模な観光ファディズムになってしまう危険もはらんでは居るが、実力を持つ観光地が完全に開発され場所によっては陳腐化さえしてしまっている今、別の価値観と新たな刺激をもたらす郷土ツーリズムを提供する一つの手段になり得る。
《 派生する問題 》
番組で紹介された位置から眺めれば3連発になるのなら、反対方向からでも可能なのではないかという推測が成り立つ。これについては最近、検証を行っている。撮影位置の高さと充分な距離が取れないため、綺麗な3連発にはならないことが分かった。また、市道床波吉田線側にはもう一つのバス停サインがあるので、立ち位置を充分に考慮すれば4連発が成り立つかも知れない。このことは先の推測よりも早く現地確認されている。結果として4つのバス停サインが一つに入る撮影位置は存在するが、きれいな4連発を実現する撮影位置はなさそうであることが分かった。
路線が分岐する近くにバス停があるなら、同様の現象を起こす可能性のある場所が他にも存在するだろう。道路幅が広いと、圧縮効果を狙えるかなり離れた撮影位置が確保できなければならない。市外では同じバス停サインが3つ横並びに設置されている場所が知られているが、かなり昔の撮影であり現在も遺っているかは検証していない。
《 結び 》
いずれにしてもこの題材を通じて「宇部マニさんってやっぱり変な(ことをやっている)人だ」を広く知らしめる効果は得られただろう。それで良いのである。だってどう見たって元々が変な人なのだ。そのことは自ら認識しているし実際に語ったこともある次の語に集約される:「私が変な人じゃなかったとしたら、一体誰が変な人になるんですか?」《 関連記事リンク 》