赤崎児童公園(仮称)【2】

公園インデックスに戻る

現地踏査日:2013/6/4
記事公開日:2013/8/20
(「赤崎児童公園(仮称)【1】」の続き)

慶進高校の裏手にある廃されたような児童公園について以前調査した。その時は一面に草が生えていて接近困難なので地区道から遠巻きに撮影しただけだった。

その後、この公園の横を通る地区道がアルク琴芝店に抜ける良好な近道であることを知り、最近は自転車で頻繁に通っている。この過程で公園が必ずしも完全に管理の手を離れたわけではないことに気付いた。


一面、草だらけだった公園は草刈りされ刈り取られた後の草も処分されていたのである。秋口以降草が枯れたら進入してみようと思っていたところが、真夏の最中に接近できることとなった。
買い物に行くときでも常にデジカメは携行している。自転車を地区道に停めて近づいてみた。

敷地の中で一番大きな設置物がこの滑り台である。
それも造りがちょっと変わっていて登る階段と滑り降りるところが同じ側についている。背面に梯子はない。


敷地に降りて横から撮影している。
滑り台にしては異様に重厚だ。ありがちなパイプを敷き詰めた滑り斜面や縞鋼板のステップではない。石材とコンクリートのみで造られている。


それも何故かお立ち台部分の下が中空になっている。
アーチの部分はモルタルだろうか…


正面から観たところ。真ん中に階段があって両側が滑るところという変わった構成だ。
滑る部分は土台になっているコンクリートとは違う素材に思える。


この滑る部分の材質は…名前を知らないので巧く表現できないが、昔の手洗い場や階段などによく使われた、小さな粒ぞろいの石材をモルタルの中に練り込んだような素材だ。最近は殆ど見かけず、昭和中期を思わせる材質でもある。

滑り台は傾斜がそれほどきつくなく、斜長も4mくらいである。子どもたちのズボンを履いたお尻で磨かれなくなって久しいせいか表面がザラついていた。今では巧く滑れないかも知れない。


ブランコは支柱だけ遺っていてぶら下がる鎖も座板もなくなっていた。


それ以前によく見ると支柱が地面に繋がっていない。


公園の端の方は慶進高校の武道館に近く、体育の授業を受けている高校生の姿が見えた。敷地内を歩き回っていると、暑さを避けて開けてある非常用口の端に座って休憩している生徒が時折こちらを不思議そうに眺めていた。
悪いけど興味がない…いや可愛い女子高生に興味無いこともないんだが…記事化するには不適切なので…^^;

周囲の目を気にしていては踏査にならない。私は初めてこの公園を見つけたときから分かっていた奇妙な遺構に接近した。


初回に見たときは半分くらい草に埋もれていてよく分からなかった。
上部の造りから大方水飲み場ではないか…と考えていたのである。


外側に排水を溜める桝があり、上部の中央に金属の配管が見えていたので恐らく水飲み場だと思う。しかし蛇口などは見当たらず、使われなくなって久しいらしい。


ここには地区道から公園に降りるもう一つの入口があったらしい。
土の斜面にコンクリート板を敷いたような痕跡がみられる。


どこまでが公園の敷地か分からないが、恐らく遊具の一部と思われる構造物が見つかった。
この奇妙なオブジェは初めてこの公園を見つけたときには草むらに埋もれて分からなかった。
奥の階段や小屋は公園に関するものか慶進高校のものかは不明


片側だけに階段がついていて反対側は斜面になっている。形状だけで言えば滑り台のミニチュアだ。
しかしいくら何でも小さい。これでは乳幼児でも滑れないだろう。


これは遊具なのかオブジェなのか…?
なかなか謎めいた公園である。設置された遊具で一般的なのはブランコくらいのもので、滑り台は他では見かけない独特なスタイルだし、このミニ滑り台のようなものも用途が分からない。
どの遊具も制作年を示すプレートなどはいっさい見当たらなかった。公園の標識柱がないし、何処までが公園かを示す塀もない。個人が近所の子どもたちを愉しませるために設置した遊具のようにも思える。

一連の遊具の位置関係である。
公園の敷地は水飲み場らしき場所が長方形の端にあたり、この滑り台ミニチュアだけが細長い領域に造られていた。


公園は地区道より一段低く、慶進高校の武道場よりは高い位置にある。確か武道館が造られたのはそれほど前のことではないから、それ以前は敷地の状態が今とは違っていたのだろうか…

ブランコと滑り台の間には砂場があったように思われた。
その周辺だけ正方形状に低くなっていて異物が散乱していたからだ。使われなくなったので土砂が流れ込んで草も生えたのだろう。


X十年昔を思い起こすかのように滑り台の上に登ってみた。
物言わぬ遊具がここに遺る以上、この滑り台に登っては滑り降りるを繰り返して遊んだ子どもたちが居たはずだ。


この公園は地元だけで管理しているか、あるいは私設の公園ではないかと思い始めた。ざっと調べたが市の公園緑地課が管理する公園リストの中には見当たらなかった[1]からだ。

似た状況に置かれた例として想起されるのが善和児童公園である。善和児童公園は市のものではなく地区の財産ということになっている。子どもが居なくなった後に公園は荒れ果て、草刈りする人もおらず遊具は藪へ飲み込まれ自然に還りつつある。

他方、この公園は民家が近接している場所にある。地区道も傍を通っており草まみれでは目について塩梅が悪いということで地元の方が協力して草刈りしたのだろう。


私にとっては数年前に市街地へアジトを移動して琴芝近辺が生活近隣区域に入っただけで、この公園との繋がりは全く何もない。ついでに言えばこの近所にも知り合いは誰一人とて居ない。
地方部ならともかく、市街部に近い場所で活用されていない土地がいつまでも遊んでいることは稀だ。遊具があるものの傍目にも利用されておらず自然に還りつつあるなら、その土地を別の用途に使おうという話が出てくるだろう。すべての遊具が撤去され、駐車場やアパートの敷地に転用されれば、公園だった頃の様子は近隣住民のみ知るところとなる。何の記録も遺されなければ、いつかは永遠に歴史の闇へ葬り去られる定めである。
何となくこの古い公園跡がなくなってしまいそうに感じて、一連の記録をここに遺した。

さて、この記事では「赤崎児童公園」と勝手に仮称している。名前があるのやらどうかも分からない。現在の住居表示で言えば西琴芝2丁目になる。
赤崎児童公園と勝手仮称したのは、この電柱に取り付けられた小字表示からだ。


家庭用の配電柱はまだ住居改訂が行われる以前に設置されたものが殆どなので、しばしば古い町名や小字が現れる。この近辺は西琴芝となる以前は赤崎という小字であったのでそのまま公園名として仮称している。
《 記事公開後の変化 》
項目記述日:2018/7/12
引っ越しにより生活拠点が変わったためこの里道をあまり通らなくなった。その後久し振りに自転車でアルク琴芝店側から通り、このエリアにあった遊具類一式がなくなっていることに気付いた。
滑り台はコンクリート製であり、撤去し処分するとなれば産廃料のコストがかかる。遊具類は跡形も無く綺麗に取り除かれていることから、この公園跡地を別の用途に使用することが考えられる。自治会の土地だった可能性が高いが、私有地に造られた私設の公園だったことも考えられる。既に存在しない公園となったので、新規に総括記事を作成し一連の記述を時系列記事に変更した。
《 赤崎について 》
赤崎(あかさき)と呼ばれる小字は市内に複数箇所存在する。この公園のある場所においては産業道路よりも一段高くなっている領域が該当する。旧市立図書館の南にもあった[2]とされ、小字絵図では現在の新川保育園のある辺りが赤崎だったようだ。


他にも赤崎と呼ばれる場所があるかも知れないものの、この2ヶ所のみにおいても昔の海に張り出した場所という共通点がみられる。現在においてここが浜辺などと想像も困難だが、本記事の赤崎児童公園で滑り台の後ろにある小さな沢地状の地形はそのまま昔の入江だったかも知れないと考えている。[3]

赤崎の「あか」とは、露出していた土の色の形容という率直な解釈と、水そのものを意味するという解釈がある。仏様にお供えする水は閼伽(あか)と呼ばれるし、小舟に浸水してくる海水はしばしば漁師たちによって「あか」と表現される。この類似性についてはラテン系のaquaとの関連を指摘する説もある。
ただし個人的には些か付会のようにも思われる

崎「さき」はそのまま海に向かって突き出ている陸地部を示す。これは赤崎に限らず市内の近辺においても尾崎、山崎、清水崎などとごく一般的にみられる。この意味で赤崎は地勢を率直に表現した地名の命名例とも言えるだろう。
出典および編集追記:

1.「宇部市の都市公園一覧」参照。

2.「琴芝小学校 三十周年記念誌」p.31〜32

3.昭和12年制作の宇部市街図では沼ないしは湿地帯として描写されている。

ホームに戻る