白岩公園・初回踏査【8】

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(「白岩公園・初回踏査【7】」の続き)

公園から引き返す筈の途中の道に再び山の方へ向かう枝道があった。その先には何かの遺構の存在を思わせる大きな石積みが見えていた。


残念ながらそれはまったく単純な土留め向けの石積みだった。
石積みの上に平場はなくみっしりと原生林に覆われていた。


ただ単に山の斜面を留めるための石積み…そこへこれほど精密で多大な手間をかけて労力を投入していた先人たちの苦労が偲ばれる。


実際そこは沢の先端で、土砂が流れるのを抑える目的で築かれた石積みらしかった。その他に人工物はなく、自然の大岩ばかりが目立っていた。

人工物と言えば…
沢の先端を横切って引き返すとき、どういう訳か落ち葉の上に野球のボールらしきものが転がっていた。


まるで見つけてもらうのを待っていたかのようにうずたかく積もった落ち葉の上にちょこんと乗っていた。
キャッチボールができるような空き地など何処にもないというのに…一体どうしてこんな所に?


白岩公園を歩き回って遊んでいるうちにポケットへ入れたボールを何処かに落としてしまった…そんな昭和中期頃の子どもの姿が想像された。

沢の対岸から写している。
この風景は先ほど小さな石橋を渡ってメインの道の対岸を下ったあの風景に似ていた。


こうして再びメインの道に復帰してこの場所まで戻ってきた。
強引に斜面を登り、水路を辿ったときに出会ったあの場所である。


カメラ片手に撮影しつつ右手には先ほど拾ったボールを持って歩いていた。
しかし連れて帰るわけにはいかない…ボールはこの石橋の上に放置しておいた。
私の後に現地踏査したある方が見つけて不思議がっていたようだ…犯人は私です^^;


さっきは上の細い水路を辿って何処に向かっているかを検証していたので、今度は水路より更に下るメインの道の方を歩いた。

メインの道は急な下り坂で上の水路との間に練積ブロック擁壁が築かれていた。これは少なくとも昭和後期の施工だろう。


なおも周囲の様子を注視しながら歩いた。もしかすると白岩公園入口を案内する標示があるかもと思ったからだ。
それっぽい岩は随所に見つかるも目立った標示は何処にもなかった。


面河内池へ向かうときに歩いたあの道へ出てきた。
ここが白岩公園に向かう入口ということになるのだが、果たしてこんな分岐があっただろうか…



面河内池に向かう道に立ってみてその時のことを思い出した。


一番初めにここを訪れたのは常盤用水路の初回踏査時だった。ここは常盤用水路を横切った先の坂道部分で、ここから右へ降りる道の途中で常盤用水路が見える。そのため初回は先に進まず右の道を降りた。
面河内池を訪れたときに初めてここを真っ直ぐ進んだ。右の分岐は覚えていたし、面河内池は真っ直ぐということも地図で把握していた。
しかし…ここを左に曲がる分岐が何処へ行くのかはまったく考えてもいなかったのである。

この分岐には何の案内板も出ていなかった。地図にも表記されていないため、この方向へ進む道がある存在が頭になかった。
もしあらかじめ知っていたら今回のような斜面登攀を始めからしていなかっただろう

かつては「白岩公園入口」のような案内標識が立っていたのかも知れない。現状を見る限りそのような痕跡さえも窺えなかった。平成初期で既に藪と化していたのだから、むしろ標識板は撤去されたのかも知れない。

荒削りなコンクリート路を下ると民家が見えてきた。


このとき懸念されていた天候が現実のものとなった。


留守番させていた自転車の元へ戻る。
大粒ではないが明らかに降り始めていると体感されるほどの雨粒が落ちてきていた。


小さな雨粒は常盤用水路に溜まった水の上に波紋を作っていた。


取りあえず撤収だ…
こうして数々の成果をカメラに収めてアジトに向かって漕いだのであった。


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さて…
一連の成果を地域SNSへ先行公開したところ、連載編の冒頭で取り上げたようにまったく知らないという方と幼少期に行った馴染みの場所という二分された意見で大変な反響があった。
「うべっちゃ|白岩公園」(記事は削除されています)
そこで見落とされてしまった「大自然」の石碑を含めてもう少し丹念な踏査を行う必要性を感じ、この3日後に再訪した。

このときに得られた成果は第二次踏査記録として追って公開される予定である。

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