塚穴川児童遊園

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記事作成日:2020/1/2
最終編集日:2020/1/18
塚穴川(つかあながわ)児童遊園は、市公園緑地課が所有し地元が管理している公園で、東梶返1丁目に存在する。
写真は地区道からみた公園の全景。


この場所を中心にポイントした位置図である。


公園の内部。
若干の遊具があるがそれほど広い公園ではない。


ブランコがありベンチがあり…ごく普通の公園である。


しかし…地元の方は寛ぎの場としてよく利用しているし、大切にされている。そのことを示す象徴的な出来事に2020年の末のこと出会った。
《 カイヅカイブキのオブジェ 》
公園の奥の方にはフェンスに沿ってサクラやカイヅカイブキが植えられている。そのうちの一本は…何とオブジェに化けているのである。


下の枝は刈られているが、上の方の枝は殆どが残され彩色されている。
一部の枝には文字やデザインが描かれている。


このイブキだけがオブジェになった経緯をたまたま地元の方に伺うことができた。
【 オブジェになった経緯 】
2020年12月のはじめに梶返地区の里道とある物件の撮影に行った。帰りにたまたま自転車を押し歩きしたとき塚穴川児童遊園の中を通った。

このときイブキの一本が派手に彩色されているのを見つけて写真を撮っていた。たまたま公園のベンチで地元在住者(自治会長さん)が休憩なさっていて声を掛けられた。以下はそのとき伺ったエピソードである。
このイブキは以前から弱っていて去年遂に立ち枯れてしまった…しかし幹そのものは丈夫で朽ちた場所もなかった…枯れた樹木は通常なら伐って処分されるがこのイブキを公園のオブジェにしてみようという提案があった…

公園は市公園緑地課の所有で管理は地元の町内会が行っている…そこで市に相談して枯れたカイヅカイブキを「改造」したいと申し出て承諾が得られた…そこで町内挙げてオブジェ改造計画が進められることとなった…

公園は子どもたちが走り回るところなので怪我をさせないことが重要である…低い位置にあった枝や突き出た節は切られ表面を触ってすいばりが立たないように樹皮が剥がされた…樹皮を剥いだとき下から表皮からは想像もつかない薄黄色の美しい木肌が現れた…当初は全体をペンキで彩色する予定だったがこの木肌を活かすため透明なニスで保護された…

高い位置にある枝や幹は梯子を掛けて大人が塗り低い位置の節などは子どもが塗った…


40日間にわたる協同作業を経て枯れて2020年11月にオブジェが完成した…こうして伐られてしまうかも知れなかったカイヅカイブキは公園のオブジェとしての居場所を与えられた…
このオブジェに関連して、公園内には奇妙な形に取り残された草の跡がある。
何をイメージしているかは若干離れて眺めれば気付く。


日本列島の形に草地を取り残してある。これらに共通するのは、誰もが気軽に訪れて寛ぎ愉しむ場を提供する「遊び心」である。これは宇部マニアックスが常々唱えているコンセプトに一致する。
【 コラム案選定の背景 】
折しもこの日の撮影は、12月度のコラム題材を何にするかを考えながら行っていた。周知のように2020年は covid19 に振り回された一年だった。12月度は2020年最後のコラム執筆になるので、郷土題材にあまり深くとらわれず読者に笑いや希望を持ってもらえるような内容にしたいと思っていた。全くの偶然で塚穴川児童遊園を通り掛かり、そこでオブジェになったカイヅカイブキの話を聞いてすぐにこれをコラム題材にすることを思い立った。

通常なら公園で立ち枯れてしまった樹木は、そのままにしておいても仕方ないからと伐採処分されるだろう。このカイヅカイブキも幹が腐って中空になっていたとか倒れそうで危険な状態だったら同じ運命を辿っていただろう。しかし枯れたにもかかわらず相応な幹径を持っていて大地にしっかり根を張っていたことがまず幸いした。そして、処分することなくこれを公園のオブジェにしようという柔軟な発想を持つ人々の存在がそれを後押しした。

一見オブジェは遊具と見間違えるような原色系で塗られている。生きた樹木をペイントするなら植物虐待だが、生命を終えた樹木がオブジェになるなら目立った位の方が良い。
現に公園内にある他の遊具も同様の原色系で彩色されている。これはオブジェが公園のパーツとして組み入れられることを意味する。


当日は公園で立ち話しをしてやや日が陰っていたので、天気が良くなった翌々日に公園を再訪してコラム向けの追加の写真を撮っている。
現地の写真と地元在住者からの聞き取りのみで構成したので、脱稿までは早かった。そして12月25日にはサンデーうべのコラムでVol.55「オブジェに生まれ変わったイブキ」として配信された。


コラムでは文字数が限られているので言及しなかったが、樹種がカイヅカイブキであることは意義深い。カイヅカイブキは市内では非常によく見かける樹で、公園をはじめ学校や空き地など至る所で見かける。比較的成長が早いようで背の高いものは十数メートルまで育つ。[1]この樹種が市内で特に多いのは、気候が適合していることに加えて戦後の復興期に「街に緑を増やす」活動の過程で選定された樹種に含まれ積極的に植えられたのも理由と思われる。
この記述はカイヅカイブキの項目を作成した折には移動する
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - カイヅカイブキ
《 個人的関わり 》
この総括記事を作成している現時点の一つ前には西梶返のアパートに暮らしていた。そこから塚穴川児童遊園は市道渡内野中線を走ってすぐのところにあり、殆どの市道を撮影し終えて路地に目が向き始めた頃から何度か訪れている。特に市道に面して数年前まで「塚穴川住宅」を案内する市の表示板が出ていたので、昔市営住宅だったのではと思い注目し撮影していた。
この案内板は既に除去されている


これは2013年10月に撮影した塚穴川児童遊園付近の写真である。
初めて訪れたときのものらしい。


2018年の撮影では、まだオブジェになったカイヅカイブキが生きていたときの状態が写っている。
写真でも他のイブキに比べて弱っていることが見てとれる。


塚穴川住宅や町内会に個人的関わりのある人は誰も居なかったが、このオブジェを介して地元在住者数名に覚えて頂くことができた。
地名としての塚穴川について
塚穴川(つかあながわ)とはこの公園と周辺の住宅地の小字名である。
写真は塚穴川児童遊園の表示板。


現在は住居表示改訂で東梶返1丁目になっているが、公園名のみならず町内会の名称にもなっている。これは公園の周辺の平屋がかつて塚穴川市営住宅であったことに依る。現在は琴芝校区であるが、かつては沖宇部村に属し、石原小村の小字名の一つであった。

類似する塚穴という小字名が同じ沖宇部村の亀浦に存在する。女夫岩池から海に流れ出る流路は塚穴川と呼ばれている。他方、東梶返1丁目にあるのは塚穴川が小字名である。

塚穴とは古代に人を埋葬した場所にできた陥没穴を意味する。昔は土葬であり、埋められた後に埋葬者が土に還った後で空隙ができる。それが崩れて穴のあいたものが塚穴である。実際、現在の石原市営住宅のある近くに平成初期頃まで古墳のような土まんじゅうがあったことが知られる。東側に隣接する小字の五三舞には五三舞古墳(五三昧の表記もある)が存在していた。

字名が塚穴川である以上、流れ出る小河川の存在が示唆される。梶返天満宮の横を通る道は、十字路を過ぎて一旦下り、常盤台に向かって登り坂になっている。その途中の一番低い場所に溝として遺っている場所があり、もしかすると塚穴川の地名の元となった低い沢地の痕跡かも知れない。

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