夫婦池

溜め池インデックスに戻る

記事編集日:2014/1/14
夫婦(めおと)池は、常盤池より本土手を隔てて下流側にある灌漑用水確保のための人造溜め池である。
写真は国道190号歩道からの撮影。[2014/1/12]


夫婦池の樋門部分を中心にポイントした地図を示す。


多くの広域地図には名前が記載されていないが、現在では夫婦池という呼称が定着しており、常盤池周辺に設置された各種案内看板などにもその名が記載されている。
これは本土手の飛び上がり地蔵尊にある案内地図である


県外や市外から常盤公園を訪れる観光客の多くは、国道190号を経て常盤公園前分岐点より正面入口に向かう。常盤公園が常盤池が中核的役割を担う公園であることは広く理解されているために、国道からも見えるこの池を常盤池の一部と誤解されることが大変多い。実際には常盤池とは成立時期も形態も異なる独立した溜め池である。地図で見ると夫婦池の北岸は常盤池と市道一つ挟んで隣接しているため繋がっているように見える。しかし夫婦池の標準湛水面は常盤池のそれより常に5m程度低い。

国道を走る車からは特に意識されないが、現在の国道190号は夫婦池の本土手に盛土した上を通っている。国道の分岐点からは、夫婦池の西岸に沿って常盤公園の正面入口前を通る市道常盤公園江頭線が伸びている。車窓からも夫婦池の一部を眺めることができるが、現地を訪れる人は殆どいない。
《 歴史 》
明治期以降、田畑の作付け面積が拡大するにつれて灌漑用水需要が増えて常盤池の用水だけでは足りなくなった。このため従来は余剰分を排出していた下小場からの塚穴川を堰き止めて夫婦池を築造した。夫婦池の誕生により、亀浦方面まで作付け面積が拡大するに至っている。

常盤池が江戸期の築堤だったのに対し、夫婦池は更に時代がくだった大正時代に造られた。まとまった川のない宇部東部の工業地帯に工業用水が必要となり、常盤池の水を利用する案が浮上した。
工業用水を供給しながらも灌漑用水の使用に支障を来さないようするために、塚穴川の下流に堰堤を築き、以前は常盤池の荒手からそのまま放出していた余剰水も貯留して無駄なく利用する夫婦池案が提出され、工業用水の主な利用主体である工場側が水利組合に夫婦池の築堤費用を肩代わりする形で実現した。[1]

夫婦池が造られる以前は、常盤池の余剰水はそのまま塚穴川に放流されていた。常盤池の本土手より下流側は深く刻まれたV字谷であったと想像される。もし夫婦池が築堤されず谷のままであったなら、国道が塚穴川を横切る部分は高さ15m近く、長さ100m以上の橋が必要だったと思われる。
《 特徴 》
常盤池には豊富な資料が遺されているが、それより時代が下る夫婦池に関して知られることは極めて少ない。以下は現地踏査の結果および近隣地区在住者によって寄せられた情報である。

・夫婦池は山間部や里山にありがちな農業用溜め池とは形態が異なり、元は塚穴川の刻む谷だった部分に本土手を築いて堰き止めて出来た谷池である。塚穴川の河口にかなり近い部分で堰き止めた状態であり、成り立ちは一般のダムに等しい。
荒手末端部の入り江などを除いて殆どの岸辺は急斜面を形成している。造られた当初のままの地形を保っているならば、細長い池の中央筋に最大水深が10mを越える部分が存在すると思われる。
本土手直下にある緩衝池との標高差からの推測

・池の周辺は殆どが原生林であり、道路に面した以外の岸辺には接近できる道はまったく存在しない。木々が汀まで垂れ込める鬱蒼とした池だけに不気味という印象を与える。
およその危険が想像されるため、亀浦近隣に暮らす子どもたちは夫婦池には近づかないよう言い含められていたという。[1]


・池の周囲は立入禁止にはなっていないが、釣りは禁止されている。しかし休日には国道下の旧堰堤部から釣りを嗜む若者の姿が散見される。遊泳禁止の立て札は出ていないものの、荒手接続部の浅瀬は別として夫婦池で泳いだなどという人の話を聞いたことがない。
岸辺から急激に深くなっているのみならず、光の届く部分は藻が茂っていて足を取られる危険が想像される。遊泳中の事故が起きる以前に泳ごうという考え自体起きそうにもない危険な溜め池と言える。

・夫婦池に流れ込む河川は皆無で、流入元は本土手樋門ないしは荒手を経由した常盤池の水である。その他は微細な沢からの雨水だけであり、このため天候に関係なく池の水位は殆ど一定である。樋門の栓を抜くことで水位を下げることは可能と思われる。
山間の浅い溜め池では冬場に水位を落として干上がらせることがよく行われるが、夫婦池では干上がった状態はもちろんのこと、水位が低下したのを見たことがない。[2]
周囲が原生林で日陰となる部分が多いので、池の水面が波打ち立つことが殆どない。透明度も常盤池に比較して若干高い。

・荒手との接続部は自然の岩場になっていて、常盤池の水位が高く余剰水が頻繁に流下していたときは滝壺を形成していたという。[3]この滝壺は現在も存在し、深さ1m程度の溜まり水となっている。この滝の落下口上部に半壊の石橋(常盤堤東荒手石橋とされている)が架かっている。


この小道は常盤池の本土手に対する近道として、昭和中期頃までは地元住民によって通行されていたとされる。[1]小道の末端部は、昭和後期にときわふれあいセンター裏手が広場として造成された折に失われたようである。

・荒手の接続する浅瀬部分は夫婦池で殆ど唯一存在する遠浅の入り江である。この入り江の中ほどを水道の本管と思しき配管が横断している。


・ときわふれあいセンター裏手からこの入り江に向かって降りる経路は、行き止まりでありながら末端部までアスファルト舗装されている。この道の存在理由はよく分かっていないが、先の水道本管工事に関する作業用路ではないかと思われる。


・前述の通り夫婦池は常盤池とは造られた時期が異なる。しかし常盤池の余剰水を貯留するなど常盤池とは密接に繋がっている。常盤遊園は夫婦池に水利権を持っているらしく、右岸側に池の水を汲み上げるための筏とポンプ室を保有している。


・常盤池の岸辺は護岸整備されており景観面で配慮されているのに対し、夫婦池は純粋な灌漑用水確保のための溜め池である。本土手部分にブロック積みと錆び付いた手すりがある程度で、殆どの岸辺は池が造られた当初のままである。池を眺める目的での遊歩道などはいっさい存在しない。
常盤池に隣接するためか、池の管理は市の公園緑地課が行っているようである。市としても池の周囲に近づくことを推奨しない案内が見られる。


・常盤公園に西日本随一を誇る初代ジェットコースターが造られたとき、常盤公園の正面入口に向かう市道常盤公園江頭線の上を2度横切り、夫婦池の水面に向かって落下するようなコース設定になっていた。この迫力は相当なもので、当時のスリルを克明に覚えている来園者は多い。その後老朽化により二代目コースター軌道が造られたとき撤去された。現在でも夫婦池の護岸や市道の遊園管理地内に基礎や鉄骨が部分的に遺っている。


詳細は以下の記事を参照されたい。
時系列記事: 常盤公園・初代ジェットコースター基礎跡
・常盤池の本土手樋門を経た水は灌漑用水に向かうが、灌漑用水非需要期にはすべて夫婦池に返されている。これは夫婦池から流出する塚穴川の河川維持放流分である。
この他夫婦池の水源としては、荒手接続部付近の沢から排出される雨水と同じ沢からの湧水程度である。

・夫婦池の本土手に降りる階段が両岸に存在する。しかし左岸側は階段前の門扉が施錠されており、右岸側は早期に常盤公園入口のモニュメントによって塞がれた格好になっている。


以下の派生記事にも関連写真が掲載されている。
派生記事: 常盤公園の標示板と塞がれた階段
・夫婦池の本土手斜面にはサツキツツジが植えられており、時期が来ればかなり壮観である。
写真は市道常盤公園江頭線側から撮影


・本土手のほぼ中央部に斜樋が存在する。ただし夫婦池は常時水位が高いために全体が水没しており位置が分かりづらい。斜樋自体は殆ど操作されていないらしく、ごく微量の水が流出している。


夫婦池から塚穴川へ流下する殆どは国道横断部より下流側にあるコンクリート製の固定堰を経て人工滝から流れ出ている。
滝の上流部にある固定堰は本土手に設置された柵より後に造られたらしく、満水状態では柵の下が水に浸かってしまう。このため殆どの柵が朽ちて汀に倒壊している。


・夫婦池が築造される以前の塚穴川には、かつて大小2つの奇岩が存在し、女夫岩と呼ばれていた。この呼称は夫婦池周辺の小字として遺っており、夫婦池の呼称の由来にもなっている。女夫岩は昭和中期頃まで存在していたが、夫婦池の本土手を拡張し現在の国道190号の前身となる県道宇部小郡線が通されたとき道路敷の盛土によって埋められたことが分かっている。[5]

・塚穴川の荒手付近に個人所有の古い祠がある。この祠の由来について常盤池本土手付近にある飛び上がり地蔵尊と似たような話が伝わっている。


この祠は殆ど顧みられることもなく放置されていたようだが、近年「ときわ観音」の立て札が設置され幾分明るい雰囲気の場所となった。
記事リンクはときわ観音の命名以前に調査したものを案内している
総括記事: 夫婦池・祠その他
・この祠のある通路の横にはコンクリート張りの家屋跡のようなものがあり、円形にペイントされたような痕跡がある。これは彫刻のうちの一作品「ロッキング・ドール」が展示されていた痕跡である。この作品は理由あって現在ではときわ湖水ホールから常盤橋に向かう通路の途中に移動し再展示されている。


・夫婦池の当初の本土手は現在ある国道190号の道路敷より4m程度低かったと推測される。現在でも築堤の一部と石積みが遺っている。また、国道が現在の4車線に拡幅されたのは昭和50年代始めであり、夫婦池の末端部を横切るボックスカルバートは上下線で仕様が異なっているのが観察される。
時系列: 夫婦池・本土手【1】
・夫婦池本土手の下流側は藪に包まれていて見えづらいが、国道からはかなりの高低差がある。
本土手の真下には余水吐を過ぎた水が流れ落ちる滝がある。この落差は5m程度あり、人工的に排水路を付け替えられた結果ではあるものの市内で常時水が流れて最も海に近い場所にある滝である。[4]この滝や荒手に関する資料は知られないが、滝へ至るまでの水路は両岸の岩を削って造られており、常盤池の荒手を参考にしたのはほぼ確実であろう。詳細は塚穴川に関する以下の記事を参照。
総括記事: 塚穴川・女夫岩滝
この滝壺に付随して緩衝池が存在し、鯉が泳いでいる。この鯉は常盤池や夫婦池の増水時に上流から流されてきた鯉と考えられている。また、緩衝池はかつて私有地だったとされる。池の造りは当時のままである。現在は市公園緑地課の管理地の一つとなっているらしく、現地までの道は倒木が多く危険なため立ち入りを制限されている。
《 その他の記事 》
夫婦池の周囲を辿ろうとした初期の取り組みの時系列踏査レポート。日にちを違えて記述している。全7巻。
なお、公開後にファイル名と記事リンクのみ修正を行っているが、記述内容は手を加えていない。現在では明白な誤りと判明している部分もそのままにしているので注意されたい。(2016/7/2)
時系列記事: 夫婦池・汀踏査【1】
夫婦池を撮影した写真。
派生記事: ギャラリー
出典および編集追記:

1.「ふるさと恩田」(ふるさと恩田編集委員会)p.47〜48
なお、この事実は地元で語り継がれているようで、亀浦地区在住民の多くが知っているようである。

2. 漏水と思われる事由で水位が下がった状態を目撃したという情報がある。このとき夫婦池の両岸が深いV字谷状態になっていることを知ったという報告を受けている。

3. 同じく亀浦地区在住民による情報で、夏場など子どもの水遊び場にもなっていたようである。

4. 時期によっては樋門からの排水のみとして荒手側に水が流れていない状況もある。

5.「校区文化財マップ」においての常盤校区(PDFファイル)を参照。
《 近年の変化 》
・2017年3月にときわふれあいセンター裏手の余剰地が造成され正面入口に次いで近い駐車場として整備された。本編にある夫婦池の小さな入江へ降りる行き止まりの道はそのままになっている。

・時期は不明だが、石炭記念館展望台の内壁に海外からの来訪者向けとして日本語の他に英語・中国語・韓国語の併記された新しい説明板が設置されている。その中でこの溜め池について女夫岩池と表記されている。


この説明板は「ビュースポットやまぐち」として設置されており、園内の他の案内板にも同様の仕様がみられる。後述するようにこの溜め池の元来の名称は女夫岩池が正しい。園内に設置されている殆どの説明板は夫婦池となっており、一般にも夫婦池と呼ばれている。昔からある正しい表記に戻すよう働きかけがあったのかも知れない。[1]

新規に設置される説明板において昔ながらの表記に戻される事例は極めて珍しい。今後園内で夫婦池の位置を記述する看板が更新される折りに女夫岩池という表記が優勢になっていく可能性がある。当面はこの総括記事を含めて夫婦池の表記を維持するが、当サイトにおいてもこの変化を支持し、状況に応じていつでも女夫岩池を正則の表記、夫婦池を従の表記に変更する用意がある。
出典および編集追記:

1.「FB|可笑しくないけど面白い石炭記念館展望台(2017/5/4)」の後半部分に記述している。
《 地名としての女夫岩について 》
女夫岩(めおといわ[1]は亀浦1丁目にかつて存在していた地名で、現在の夫婦池のある沢地に相当する。


小字絵図では明確に女夫岩と記載され、これは現在の国道と交差している塚穴川の東岸寄りにあった大小2つの奇岩に由来している。現在の夫婦池という表記は小字の女夫を現代風に書き換えたもので、元来は女夫岩池である。ただし現在では公的機関でも夫婦池の表記が正則となっている。

女夫岩という地名は上記のように小字絵図で確認されるものの地名明細書には記載がない。元々が深い谷地であり、居住者も田畑もないために明白な地名としては存在せず、奇岩に対する名称が後年小字として絵図に記載されたのではないかと想像される。今のところ女夫岩という地名を確認できる構造物などは見つかっていない。
出典および編集追記:

1. この他に「みょうといわ」「みょうぶいわ」の読みも確認されている。

ホームに戻る