![]() | 内容が古くなったので総括記事を新規作成しました。旧版は こちら をご覧下さい。旧版の編集追記は行わず将来的に削除します。 |
夫婦(めおと)池は、常盤池の南にある灌漑用の溜め池である。
写真は国道190号歩道からの撮影。
夫婦池の樋門部分を中心にポイントした地図を示す。
多くの広域地図には名前が記載されていないが、平成後期までに設置された案内看板などには夫婦池と書かれたものが多い。他方、2017年頃に県がビュースポットやまぐちとして石炭記念館の展望塔に設置した4ヶ国語対応の案内版には、本来の名称である女夫岩(めおといわ)池と記載している。
国道190号の常盤公園入口三差路付近からも見えるため、常盤池の一部と誤解されることが多い。実際には常盤池とは成立時期が異なる独立した溜め池である。
常盤池が景観を愛でられるのに対し、夫婦池は関心を持たれていない。現在は観光対象になっておらず、樋門付近以外立入禁止にはなっていないが釣りは禁止されている。常盤池より後年の築堤ながら未知の遺構もあり不明な点が多い。当サイトでは研究対象の多さから常盤池と同様に独立フォルダ(pond/meoto/)を作成し記事を整理している。名称としては女夫岩池が正式であるが、既存の看板などでは夫婦池と記載しているものが多いこと、過去の記事で夫婦池と書いたものが殆どであることから、当サイトでも当面は夫婦池と表記する。
《 歴史 》
以下の記述は、殆どを[1]に依拠している。夫婦池は大正6年(1917年)築堤の溜め池である。常盤池の築堤直後は本土手から下流側は余剰水と堰堤下東側からの沢地の水が深い谷を流れていた。
歴史的にみて常盤池は築堤後から充分に水が溜まらずしばしば渇水に見舞われていた。他方、満水時に更に雨が続くことで荒手からの水が利用されることなく谷地に放出されていた。このため常盤池の下に独立した溜め池を造って余剰水を貯留しようということになり、谷地が狭まって堅牢な岩場が多い女夫岩のある場所が選定された。築堤にあたっては、当時常盤溜池組合の頭取であった上田久氏が中心となって大正5年8月より県に指導を仰ぎ、調査を行い大正6年6月に完成した。工事代金は1万8千円余を要した。
【 灌漑用水路 】
用水の取り出し口は堰堤下部の西端にあるが、土砂に埋もれたり破損していたりでもはや使われていない。排出された夫婦池の水は用水路から漏れ出て塚穴川に流れ出ている。堰堤中央にある樋門から続いていると思われるが、他の排出経路があるかはまだ調べられていない。用水路は亀浦や恩田、笹山、芝中までを灌漑していた。
写真は堰堤下部に遺っているレンガの水路。
資料によれば途中に隧道やサイフォンを使って用水を回す高度な部分もあり、工事費用には周辺地区の炭鉱掘削による漏水で積み立てられていた補償金が充てられた。後年の宅地開発などで経路が変更されたようで隧道やサイフォンは確認できていない。下流側もコンクリート水路が住宅地の間に遺っているだけで恐らく使われていない。
【 築堤以前の地勢 】
間断なく車の行き交う国道190号の喧噪からは想像もつかないが、夫婦池以前は塚穴川によって分断された深い沢地だった。したがって塚穴川を挟んだ東西の道は、元禄期に築堤されることで往来可能になった常盤池の本土手か、塚穴川の谷底まで下って瀬戸の坂を登り直す経路しかなかった。現在では堰堤上を更に盛土することで急峻な地形は感じづらい。それでも本土手のすぐ裏側は10m近い高低差があり、昔の歩道からその高低差を観測できる。もし夫婦池が築堤されないままだったとしたら、国道が塚穴川を渡る場所には高さ10m近くの橋が必要となったであろう。この状況は現在の蛇瀬橋に近い。
(ただし蛇瀬橋ほどの高さにはならなかっただろう)
築堤から一世紀以上経過しており、夫婦池のある部分が塚穴川だった時期の地形は判明していない。居住者の有無についても判然としないが、常盤池築堤以前から川沿いを遡行する道があったかも知れない。塚穴坂に向かう道の分岐から高度を上げず川沿いを遡行する道が推定されている。常盤池築堤以前の塚穴川を利用した水運は、流域にみられる小字名からほぼ確実視されている。
《 概要 》
前半で夫婦池全体の地形的概要を、後半で付随する構造物などを記述する。夫婦池は典型的な谷池である。高低差がそれほどない谷地の下流側を堰堤で締め切って出来た皿池は水深がそれほどなく湛水面は沢地の上流を頂点とした三角形や楕円に近くなる。谷池は現在のダムに近い形式であり、湛水面が細長くなることが多い。
塚穴川の刻んだ深い谷地を堰いてできた溜め池のため、浅瀬や入り江は少ない。常盤池の余剰水が流れ落ちる東岸側に3ヶ所みられるだけで、西岸側はほぼすべて急斜面である。露岩も北側や東岸に目立ち、西岸側は顕著な露岩が殆どない。湛水の上下動によって斜面が削られV字谷となっている。
常盤池はしばしば渇水で湖底が露出しており、また過去には発掘調査が行われたこともあって地形が比較的よく把握されている。夫婦池は当初から常盤池の余剰水を貯留しておく目的もあって、水位が下がることは殆どない。最大水深がどの程度あるか、湖底の状態がどうであるかは全く知られておらず調査されたこともない。夫婦池への流入は常盤池の余水吐を介した荒手からにほぼ限定され、土砂を運ぶ自然河川がないため湖底への堆積が殆どないと考えられる。常時ほぼ満水位を保っているのは、転落した場合の危険防止も理由にあるかも知れない。
(低水位だと土肌の急斜面が露出するため転落すると岸辺に登り直すのが困難になる)
以下では夫婦池に関する構造物や遺構、近接して存在する物件について北側から順にまとめている。
【 女夫岩の滝 】
常盤池の余剰水を流す荒手の末端部にあり、5m程度の落差を流れ落ちる。通常は干上がっているが、常盤池が満水状態から豪雨が続いたときには明白な滝となる。夫婦池の余水吐から余剰水を排出する経路も同様な滝となっている。
【 水道の本管 】
女夫岩の滝がある北平の入り江の中程に鋳鉄管が渡されている。外観から水道の本管と思われるがはっきりしたことは分からない。外観はかなり古く、管自体の構造や継ぎ目部分のボルトは緑橋にある沖ノ山水道時代の水管橋に似ている。地山接続部付近には何もなく、恐らく使われていない。鋳鉄管自体は鉄骨の台座の上に載せられコンクリート基礎が入り江の3箇所にみられる。コンクリートに砕石がみられることから、この部分は昭和40年代以降の施工と推測される。本管自体は古く後付けで基礎を追加した可能性もある。
埋設経路は分かっておらず、両岸とも工事を行った形跡がない。北平の入り江に降りる行き止まりの舗装路は、この工事を行うための接続道の可能性もある。
(岩鼻公園のある大迫池西岸にある未成園路のように溜め池を周回する園路の建設途上かも)
【 最初期の常盤池の築堤跡 】
常盤池の用水を取り出す東幹線の排出口より東側の入り江にある。蛇紋岩を砕いて乱積みにしており、これは最初期に常盤池を築堤したときのものである。ただし夫婦池は水位が下がることがなく、観測されたことは数回しかない。わくわく常盤の一研究者によって撮影された写真が立て札として掲示されている。(新川歴史研究会のメンバーの功績である)
やや水位が下がったとき石積みの上部が現れるが、これは築堤後ではなく次項にある排水路の一部かも知れない。
【 大正期の排水路 】
前項の石積みに向かう途中にレンガが一列に連なっている遺構がみられる。その一部には施工者と施工時期をコンクリートに粗書きした簡素な石碑がある。一部は破損していて文字が読み取れない。
夫婦池の汀探索のかなり後になって偶然見つけた。汀探索の時系列記事を作成した当時は東幹線の排出口より市道下の汀は酷い藪で接近する方法がなかった。後にこの区間は刈り払いされ、この過程で水路の続きと汀まで降りる花崗岩の階段が見つかっている。
水位が低下すると、この水路から夫婦池へ排出する陶管と周囲を補強したレンガ積みが現れる。
【 東幹線切り捨て口 】
東幹線の排出口より20m程度下流側にある。水利関連施設に特有の水色でペイントされており、建設時期は比較的新しい。東幹線のメンテナンス時などで水流を止めて夫婦池に返す目的で操作される。ゲートは通常は東幹線水路側が全開で夫婦池の切り捨て口側が全閉になっている。
【 ポンプ小屋 】
東幹線に沿って下流側50m程度のところにある。小屋の横には桟橋があり、水面に筏が浮かべられている。恐らく常盤遊園側で雑用水を汲み上げているものと思われるが、ポンプ小屋には管理者が分かるものが何も記載されておらず役割が分かっていない。
筏は骨組みが残っているだけであり、合板を載せてボート乗り場として使っていた可能性がある。
【 初代ジェットコースターの基礎跡 】
常盤公園にあった初代ジェットコースターは、園外に出て道路の上を2度横切り夫婦池の汀まで達していた。2代目コースターでは園外のコースが廃止されたが、当時の軌道の鉄骨や基礎コンクリートが遺っている。東幹線の経路を辿っていたときに見つけ、後に周辺を調査している。園内にあった2代目コースターやミニコースターは動物園リニューアル工事にかかり地形レベルで改変されたため全く遺っていない。【 塞がれた階段 】
市道常盤公園江頭線の起点付近、常盤公園の金文字が刻まれたコンクリート壁の裏側にある。夫婦池樋門に下る階段は2ヶ所あり、そのうちの一つ。コンクリート壁が階段を塞ぐように降り口前に設置されているため、使わなくすることを前提にかなり早い時期に塞いだようである。現在は歩道に面してネットフェンスが設置されているため完全に使えなくなった。【 堰堤 】
夫婦池の堤体部分で、他の溜め池と同様に幾度か改造されている。最初期の堰堤がどの程度の規模だったかは分かっていないが、亀浦水路の取り出し口の高さから推定して現在の国道路面より5m程度低かったと思われる。現在の国道の対面交通化で堰堤の幅が広くなったため、亀浦用水の取り出し口側の開渠だった区間にコンクリートを打ち継ぎ足して暗渠にしている。側面の間知石積みも同じ時期だろう。
4車線化では夫婦池側を埋める形で道路幅を拡げている。汀にある凸の字型のコンクリートブロックは恐らくこのときの施工で、堰堤が幅広になった分だけ樋管を延長している。同型のブロック素材が宇部丸山ダム湖にみられることから、同時期となれば昭和50年前後であろう。初期の構造が内部に遺っているか更新されたかは分かっていない。
【 女夫岩 】
堰堤の東側端にあったとされる顕著な露岩。溜め池の名称の由来となっている。国道の道路工事によって路床下に埋もれたと言われている。4車線化工事のとき夫婦池側に数メートル拡張して堰堤を築いているので、対面交通時代までは露岩が見えていたかも知れない。今のところ女夫岩を撮影した写真などの客観資料は知られていない。【 ときわ観音 】
堰堤東岸側にある祠で、飛び上がり地蔵尊のような言い伝えが知られている。木版画などが掲示されていたが、近年はそれらも傷んだ状態で放置されており看る人が居なくなっているかも知れない。【 御堂跡 】
ときわ観音の歩道入口横に数本の石碑が埋もれており、一部に沖宇部村において炭鉱の功績があった人物名が刻まれたものがみられる。地元在住者によれば、かつて御堂があったものが道路拡幅工事にかかるためここに存置されたと言われる。御堂の台座となる形状の石があるため、かつて夫婦池の水神様や女夫岩をご神体とした御堂があったのかも知れない。今のところ関連する資料がまったく知られていない。
【 荒手 】
夫婦池の余剰水を流す排水路で、常盤池と同様に蛇紋岩を削って流水面まで切り下げることで実現している。ほぼ直線で側面は丁寧に削られていることから常盤池の荒手の手法をそのまま導入したことは確実である。常盤池には人工的な余水吐が造られていて湛水面の上限が明確だが、夫婦池には余水吐がなく満水になれば自然に荒手を流下する設計である。工事簿が知られていないので以下は推測だが、この場所が選定されたのは塚穴川が刻む深い谷地で、西側に顕著な露岩があったことに依る。これより海側は西側(右岸側)は同程度の高度がある岬だったのに対し、東側(左岸側)はやや高度が低い。このため女夫岩が存在した東側の露岩の位置に堰堤を設定して強度をもたせると共に堰堤の延長をできるだけ短くしたようである。この辺りの設計は後述する余水吐の構造と共に、先例となった常盤池や蛇瀬池の構造を踏襲した部分がみられる。
《 関連記事リンク 》
夫婦池の周囲を辿ろうとした初期の取り組みの時系列踏査レポート。日にちを違えて記述している。全7巻。なお、公開後にファイル名と記事リンクのみ修正を行っているが、記述内容は手を加えていない。現在では明白な誤りと判明している部分もそのままにしているので注意されたい。
時系列記事: 夫婦池・汀踏査【1】(2016/7/2)
《 地名としての女夫岩について 》
女夫岩(めおといわ)は亀浦1丁目にかつて存在していた小字名である。画像はデジタル小字絵図(沖宇部村)からのキャプチャ。

字女夫岩は現在の夫婦池の領域にほぼ一致する。名称の由来は、現在堰堤がある東側に顕著な2つの岩があったことに依る。夫婦池築堤以前は常盤池からの余剰水が流れる深い谷地で、地名明細書に記載がないことから居住者はなかったようである。
女夫岩は道路工事によって路床の下に埋もれている。現在の国道190号のこの区間が4車線化されたのは昭和40年代後半であり、拡幅以前あるいは府県道時代は現在より5m程度低い堰堤上を通過していたから、その頃までは部分的に遺っていたかも知れない。

」