![]() | この記事は河川の塚穴川について記述しています。 東梶返に存在していた小字名としての塚穴川については こちら を参照してください。 |
塚穴(つかあな)川は夫婦池の余剰水落下口より瀬戸内海まで注ぐ市の指定水路である。名前はこの川が経由する小字の塚穴に由来する。
(現在の亀浦2丁目および5丁目になる)
現在の流路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。●は上流端、矢印は下流端を表している。
(流路のGeoJSONデータは こちら
)この流路は市の管理区間を示しており、実際の流路は夫婦池の余剰水排出経路(荒手)から国道190号の下をボックスカルバートで通過し、岩場を削ってできた人工の滝から落下して緩衝池に至っている。管理上流端は緩衝池から流れ出るコンクリート護岸からである。
管理区間はほぼ3面張りのコンクリート水路であり、物件としての興味は殆どない。ここでは夫婦池から管理上流端に至るまでの区間や、夫婦池や常盤池以前に存在していた河川も塚穴川として記述する。
《 成り立ち 》
上記地図でポイントされた水路は夫婦池の余剰水の排出口として人工的に造られたものであり、夫婦池以前はただの岩場だった。常盤池の築堤は江戸期、夫婦池は大正期である。これらの溜め池が造られる以前は、塚穴川は黒岩山の南の麓の水を集めて流れる自然河川だった。
【 夫婦池以前の川筋 】
常盤池築堤後で夫婦池が築堤される前の大正初期以前は、常盤池の余剰水を流す荒手からの流水が主体だった。荒手の末端部は滝となって北平の入り江に流れ落ちていた。東に伸びるこの入り江は周防と長門の国境道が先にあるため流入は僅かである。現在の国道が堰堤上を渡る東側にも小さな入り江があり、特に南寄りには女夫岩と呼ばれる顕著な露岩があった。夫婦池は堅牢な露岩があって谷地が狭まるこの場所に築堤して建設されている。この入り江からの流入も僅かである。
東側には顕著な沢地がない。しかし明治35年製版の国土地理院地図では北側に幾分広い沢地がみられ水田の記号も多いことから、早期に西側の高台を削って地形が変わっているのかも知れない。
(出典:国土地理院地図)
現在の夫婦池領域の川筋に人が住んでいたかどうかは記録がなく分かっていない。
【 常盤池以前の川筋 】
常盤池は流入する主要な河川に乏しく、歴史的にみて何度も渇水に見舞われてきた。昭和初期には複数回の干魃で池がほぼ干上がった。このときに湖底の史跡調査が行われており、常盤池以前の大方の地形が判明している。北側には3本の入り江(土取・高畑・金吹)が伸びており、このうち中央の高畑の入り江に注ぐ小河川がもっとも北側まで伸びているので、もし常盤池・夫婦池の双方がない自然河川のままだったら、高畑に注ぐものが塚穴川の本流の上流端になるだろう。
《 地名としての塚穴について 》
塚穴(つかあな)とは現在の亀浦2丁目付近に存在した小字である。「山口県地名明細書」では沖宇部村の亀浦小村配下に小名として記載されている。写真は宇部線の塚穴第1踏切。
この地名の由来は古墳や古代の墓にまつわる穴である。大正期まで北に向かって古い穴が空いており、穴の蓋と思われる平らな石が転がっていたという。[1]
東梶返地区には塚穴川住宅として知られる塚穴川という小字があった。両者はまったく異なる場所であるが、古墳にまつわる地名である点では共通している。塚穴川より北側の丘陵部斜面にはかつて五三舞古墳があった。
古代は土葬が一般的であり、人を葬った場所の至る所に存在していそうに思えて塚穴および塚穴川という地名は今のところ市内の他には知られていない。
《 関連記事リンク 》
塚穴川を夫婦池から海まで辿った踏査記録。時系列記事: 塚穴川【1】(2012/1/30)



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