常盤池・本土手樋門

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現地踏査日:2012/1/8
記事公開日:2013/7/26
常盤池には用水を取り出す場所が2ヶ所ある。一つは常盤池の本土手右岸側に設置されたもので、ここからの用水系統は下小場と呼ばれている。[1]
もう一つの樋門は後に切貫へ設置された上小場である

写真は現在本土手右岸に設置されている樋門小屋である。


明治期に作成された「常盤溜井之略図」によれば、本土手の樋門として「木樋ヨリ出水ノ処」と記載されており、現在と同じ右岸側に設けられていたことが分かる。


当時造られた木製の竪樋は現在は既になく、[2]昭和10年代に常盤用水が整備された折りに現在の樋門小屋から出水量を調節する仕組みに置き換えられたようだ。

本土手の樋門小屋は下の地図でポイントした位置にある。


ここから樋門を操作する鉄棒が水中に伸びており、揚場など周辺からも見ることができる。
遠方から眺めるだけなら、揚場からちょうど樋門小屋の背面を観ることができる。[2013/1/23]
もっともこのアングルから同じ写真を撮るのは容易ではない


ズーム撮影。
樋門小屋の背面を安全に眺めることのできるのはこのアングルのみである。


横から見る形になるが、飛び上がり地蔵尊のある本土手では樋門小屋から伸びる鉄棒が近くに見える。
樋門を操作する鉄棒の先には水位を示す標識が立っている。
斜めに水中へ伸びるネットフェンスの設置は樋門小屋への侵入阻止と思われる


2組2条の鉄棒が水中に向かって伸びている。構造としては蛇瀬池の樋門小屋と同じだが、傾斜はやや緩い。


取水用樋門の恐らく一番下に立っていると思われる水深標識。
設置されてかなりの年月が経つらしく、薄汚れて目盛りが殆ど読み取れない。[2009/8/28]


樋門小屋に向かう一つの経路として、飛び上がり地蔵尊の近くの市道常盤公園江頭線樋門入口と記された石版付きの門扉がある。


この鉄門扉越しに樋門小屋の横を見ることができる。ただし樋門入口は現在では常時閉鎖されておりここから出入りすることはできない。


一連の写真を撮っていた初期の頃は、本土手から樋門を操作する鉄棒および樋門小屋の側面を眺められるだけで、樋門小屋に近づく方法が分からなかった。暫くの間経路が分からず、樋門入口から内側は管理区域内で一般の立ち入りができない場所だと諦めていた。
門扉はそれほど堅牢なものではなく、周囲は有刺鉄線の伴わない簡易なネットフェンスである。しかしこの周囲は飛び上がり地蔵尊への参拝客や市道の往来が結構ある。まさか門扉を跨いで中へ入るなど挙動不審が出来る場所ではない。

数回目の訪問時、樋門入口の門扉越しに観察しているとき石炭記念館の横からこの近くを歩いている来園者の姿を見た。それで探し方が不十分なだけで、樋門小屋へ近づける経路がある筈だと気付いた。
《 アクセス 》
樋門小屋に近づくには樋門入口周辺からではなく、遠回りになるが一旦正面入口を経由する必要がある。
正面入口を過ぎて白鳥湖の方へ歩き、市道常盤公園開片倉線の立体交差をくぐると右側に石炭記念館が見えてくる。


石炭記念館の入口から左側には石炭搬出に使われたトロッコなどが野外展示されている。その奥は何も案内板などは出ていないものの芝生の広場になっている。
通り過ぎた後に振り返って撮影している


同じ場所のほぼ正面に樋門小屋が見える。
休憩用のベンチも設置されているので元から来園者が訪れても良いようになっている。ただこれといった展示物がない場所なので近づく人が少ないだけだ。


こうして樋門小屋が近くに見える場所までは行くことができる。


樋門小屋から市道に面した樋門入口まで未舗装路が伸びていて、入口のすぐ裏側まで行くことができる。
ダブルトラックが遺っているので現在でも作業用の軽トラの通行があるようだ。
メンテナンス業者による資材搬入や刈り取った雑草の搬出などに使われている


樋門小屋に接近はできるが、建屋の周囲はトラロープが張られ立入禁止の札が出ていた。
特に樋門小屋から伸びる棒が設置された斜路には手前にバリケードが設置されていた。


樋門小屋はコンクリート製建て屋で、ざっと見て縦3m、横6m、高さ3mくらいの直方体である。
横には灰色に塗られたトタン板風の扉が見える。入口には半円形の土間があり、外壁の下側には本来の機能とは関係なさそうな意匠が施してあった。
機能一点張りの建屋にもある程度の装飾を施すあたりに時代を感じる


トタン張りの扉にはチョークで覚え書きのようなメモがあった。
かなり掠れているが、どうやら開栓した日にちと開栓時間をメモ書きしたようだ。


壁には窓と言うか開口部が2つあり、ガラスではなく板で塞がれていた。
建て屋全体は盛土した上に乗っており、周囲は間知石が数段積まれている。


木の板で塞がれた近くの壁にも何やらペイントでマーキングされていた。
左側は21.3.18 のように読み取れる。右側の文字は読み取れなかった。


反対側にも入口があるようで庇が見えかけていた。しかしトラロープの内側なので接近することはできなかった。
窓が板で塞がれているので、内部の様子は分からなかった。

本土手の樋門は灌漑用水と宇部興産(株)常盤工業用水の給水を担当する。したがって常盤池水利組合と宇部興産(株)による管理となっている。水中に伸びる2組2本の鉄棒は、それぞれ灌漑用水向けと工業用水向けの樋門操作用である。蛇瀬池の樋門と同様で、小屋の中に設置された開閉用のハンドルを回すことで出水口を塞ぐ弁が開閉するものと思われる。
通常水位では弁は水面下に没しているので見えないはず

一般にポンプなどの動力に頼らない自然流下方式の樋門は、出水口よりも水位が下がると用水を取り出せなくなる。実際、歴史的にみても常盤池は何度も給水不能になる渇水に見舞われている。特に昭和初期の大渇水ではポンプの介添えを経て灌漑用水を取り出す事態に見舞われている。[3]
昭和18年に常盤用水路が完成してからは、末信ポンプ所を動かして厚東川の水を供給できるようになった。したがって厚東川の末信潮止井堰からも取水不能となるほどの著しい渇水とならない限り、昭和初期のように常盤池の底まで干上がる事態は起こり得ない。

常盤公園内にあるとは言っても樋門小屋は灌漑用水向けの設備で来園者向けの展示物ではないので、周囲には何の説明板も立っていない。したがって樋門小屋の正確な竣工年月は分からない。

樋門を経た用水は、灌漑用水向けは常盤水路の隧道出水口より吐き出され、宇部興産(株)向けの工業用水は隧道出水口に隣接して設置されたバルブ室を経て管渠に向かう。しかしその正確なメカニズムや経路も不明である。
特に隧道出水口の奥がどのようになっているかは想像がつかない


出水口の詳細については以下の派生記事を参照。
派生記事: 常盤池・下小場出水口
周囲は縄張りされており、鉄棒の伸びる斜路は接近自体が危険なのでバリケードが設置されている。したがってこれ以上の詳細な仕様などは分からない。

この記事の制作時点で、常盤灌漑用水と宇部興産(株)工業用水は共に現在も供給され続けている。園内の目立たない場所へひっそりと佇んでいながら、昭和期以降も宇部の発展を縁の下で支え続けている立役者と言って良いだろう。
《 その他の記事リンク 》
派生記事: 常盤池・本土手樋門【1】|【2】
出典および編集追記:

1.「ときわ公園物語」p.10
下小場は草江、岬、笹山、恩田、野中方面の灌漑を計画されて造られた。ただし現在では下小場という表現は殆ど使われず常盤用水路の西幹線などと呼ばれている。

2.「ときわ公園物語」p.231 に樋門の木栓と除去するための道具の写真が掲載されている。かつては木樋の孔に木の栓をして、出水するとき先に鉤の金具がついた棒で引き抜いていたようである。
一連の機具が何処に保管されているかは分からない。

3. 昭和初期の渇水はとくに深刻で、本土手付近の溜まり水にポンプを据えて灌漑用水を給水した。低水位時期にポンプで水を汲み出す過程で本土手の一部が崩落して現れたのが飛び上がり地蔵尊の石仏とされる。

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