市道小羽山中央線・横話【2】

市道インデックスに戻る

以下に述べる内容は、元記事の「市道小羽山中央線【2】」から呼び出される。元記事にそのまま埋め込むと冗長になるので、相乗せ記事として本編にまとめている。

---

(「市道小羽山中央線・横話【1】」の続き)
《 小羽山中央公園 》
記事作成日:2013/7/11
最終編集日:2014/6/29
小羽山の中核部とも言える市道南小羽山線とのT字路上にかなり広い敷地がある。


この空き地は小羽山中央公園と呼ばれている。[1]
地図で位置を示そう。


敷地の北側は派出所に接しており、壮大な藪の向こう側は崖になっている。
普段は車止めが設置されているが、散歩する人などは自由に出入りできる。もっとも入ったところでベンチを含めて寛げるものは何もない。


近隣センターバス停のすぐ裏側になる。
長方形状の空き地で、一見すると何も活用されていないように思える。


しかしたまたま今人影が見えていないだけで、小羽山中央線を通る限り結構地元のクラブやサークル活動に利用されている。
もっとも野球などボール遊びをする人はあまり見かけない。道路にボールが転がり出るし、先ほど見た「壮大な藪」の外側は深い谷地だ。サッカーボールならまだしも、ソフトボールのファウル球が谷地側に飛んだら藪に紛れてまず回収不能になるだろう。

小羽山中央公園が一年で最も賑わうのは、恒例の夏祭りの日である。
祭りは毎年8月最初の土曜日に決まっているようだ。
6月下旬に撮影


車止めが外され、会場や屋台設営のための車が乗り入れる。大きなステージが中央に設置されて現在のひっそりした状況とはまるで想像もつかない祭りの会場となる。

祭りには東・南・北とある小羽山全地区からわんさか押し寄せるので規模は結構大きい。祭り開催中は小羽山中央線をてんで勝手に渡る人々で収拾がつかなくなるので、公園前の横断歩道にボランティアの交通整理人が出て歩行者を誘導する位に賑わう。

仕事柄よく北小羽山に出向き、今までに数回この祭りに接することができた。巡回セールスマンなど運悪く祭りの開催日に訪れてしまうと全くの無駄足になってしまう。小羽山地区を巡回しても団地から個人住宅まで何処を訪ねても大抵が留守状態になるからだ。

もし次回祭りに接することができたなら、遠景からでもその様子を撮影してここに載せておくことにする。
《 小羽山ふれあいセンター 》
記事作成日:2013/7/11
最終編集日:2014/6/29
小羽山ふれあいセンターは、市道小羽山中央線の近隣センターバス停前に存在する。
詳細は市のホームページに案内されている。[2]

写真は本路線の反対側、派出所前に背を向けて撮影している。
右側の細い路地が市道北小羽山4号線で、その右側に小羽山郵便局がある。


北小羽山のT字路に向いて撮影。入口に交通標語の塔が建っている。
これはふれあいセンター設置後に交通標語3部門の公募により選出されたものである。[3]


十数台停められる駐車場があり、センターの建物が奥にある。


入口の扉の横に海抜31.7mを示すサインが貼られていた。
今のところ調べた限りで市内にあるセンターの最高海抜である。


なお、この日は天気が良かったので蛇瀬池の撮影を行い、蛇瀬池に関する資料(小羽山まちづくりサークルによる小冊子)を頂くことができた。
郵便局と蛇瀬橋の間にあった蛇瀬池に関する由来の説明板がなくなっている件についても尋ねたが、当時の担当者が既に異動なさっているため詳細は不明なままである。
《 小羽山郵便局 》
小羽山郵便局は、北小羽山町4丁目にある特定郵便局である。


小羽山地区が昭和50年代に誕生した新しい居住区域なだけに、郵便局も相携えた歴史を持つことになる。開局は昭和56〜57年頃で、市内にある古参の郵便局の中では新しい部類に入る。

局舎の映像。
休日に撮影しているので人影はない。開局当時に比べて全小羽山地区の人口が増加したものの局舎や駐車場は昔と変わっていないし、小羽山地区には他に郵便局が存在しないので、いつ行ってもかなりの来訪者があり、駐車場は殆ど満車状態となる。


これはある平日の午後撮影したショットである。
駐車場は局舎入口側に面して並列式に停めるようになっている。正面に見えるのは市道北小羽山4号線で、市道入口部分が転回スペースになっているが、並列駐車だと出入りは非常に苦労する。それでも駐車は4台が限界だ。


このため最後の駐車スペースが埋まった後は、次の郵便局利用客が車で訪れたとき停められる場所がない。
塩梅悪く郵便局の真向かいは派出所でさすがに路上駐車は躊躇われるらしい。結局、駐車場が空くまで路上で待機せざるを得ない状態になっている。

小羽山郵便局との個人的関わりは古く、開局された昭和50年代後半にまで遡れる。未だ小羽山へ一度も行ったことのないときからある種のことで関わりがあった。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

現在は仕事で小羽山地区を訪れることは結構あるが、郵便局が閉まっている時間帯なので利用したことが殆どない。
《 姿を消した蛇瀬池の由来板 》
記事編集日:2013/1/11
小羽山郵便局と蛇瀬橋の間の歩道に蛇瀬池の由来を伝える説明板があったと思うのだが、気が付いたら行方不明になっている。

確かこの辺りで、ガードレールの外側に建っていたと思う。


説明板の存在は分かっているし、写真にも撮っている。これは 今から4年前に撮影した写真である。


残念ながら正確に何処へ立っていたか今となっては思い出せない。由来板それ自体の拡大写真は撮影してあるのだが、周囲の景色を入れた写真を一枚も撮っていなかったのである。蛇瀬池がなくなることなど考えられないから、由来板も撤去されようとは露ほども思わず、細かな撮影をしていなかった。

手元にあるたった一枚の写真を見ると、支柱部分の錆び付きが目立つ。もしかすると古くなって倒壊の危険があるということで一旦撤去されたのかも知れない。小羽山ふれあいセンターへ立ち寄ってこの件について尋ねたが、既に当時の担当者が異動しており詳細が分からないということであった。
由来板の内容は、あの記述以上に書きようがないほどよく纏まっていた。補修のみ済ませて同じ場所へ再設置されることを願いたい。
【 項目記述後の変化 】
項目記述日:2018/12/17
その後もこの説明板の顛末についての情報はまったく得られていない。ふれあいセンターへ再度問い合わせるようなことはせず、FBにおいても誰からも情報は提供されなかった。
したがって説明板が撤去された理由は何も分からない。前述のように老朽化しているわけではなく、文字が読み取りづらいという状況でもなかった。末尾にあるふるさと運動推進委員会が解散したから撤去したなんてこともないだろう。

現地周辺には基礎部分すら残っておらず、説明板が何処に存在していたかも分からないほど丁寧に除却している。故にそこへ何か別の施設を造るとか新しい説明板を設置するための撤去でもない。記述内容に問題箇所は(謎めいた部分が含まれているものの)何もなく、私が関知する限り市内でせっかく詳細な説明板が設置されていながら理由も分からないまま処分されてしまった唯一の事例である。
換言すれば文字がさっぱり読めないのに現地へ放置されたままの説明板が無数に存在する

本件とは直接の関連はないが、ふれあいセンターでは担当者が異動したことを理由に詳細が分かっていないことを非難し、引き継ぎすることもなく闇へ葬り去るような杜撰な処理が許されるのなら、ふれあいセンター関連すべてを市の直営ではなく担当者の異動がない指定管理者制度にすべきと意見を市に対して提出している。[5]
《 東小羽山沈澱池 》
小羽山小学校の入口に面して、正方形状をしたプールのような池がある。ちょうど蛇瀬橋を渡り、急な坂が始まる場所だ。

四方はコンクリートブロックで斜面が造られており、内部は草だらけだ。


地図で中心部分をポイントしている。


地図では水を張ったプールのように記載されているが、実際は写真の通りでごく一部に溜まり水ができているに過ぎない。これは貯水目的のプールではなく雨水に含まれる砂塵を落とすための沈澱地である。
小羽山小学校の敷地内にある水色の長方形は本物のプールである

東小羽山地区に降った雨は雨水側溝を経て大方はここに集められる。
独自に別の方向へ流れていく経路も存在する


このような調整池は広大な開発行為を行った地域には必ず設置される。土の地面を取り去ってアスファルトなど吸水性に乏しい素材で覆われているので、降った雨水が地上に滞留することなくすぐ流れていく。こうした雨水をここで受け止め、砂塵を落とした上で流す緩衝地帯として働く。
雨水を溜めて流水中に浮いた砂塵を鎮めて排水するので、運ばれてくる砂塵は溜まる一方である。既にその土を栄養素にして植物が繁茂している状態だ。
砂塵を排除する必要があると思うがどうも管理されているようには見えない

通常、このような設備は調整池と呼ばれる。しかしこの場所にあるものは沈澱地という呼称になっている。
小学校入口に押しボタン式信号機があり、その近くに立てられた住居マップにもそのように記載されている。


沈澱地は小羽山小学校のすぐ近くにあるので、好奇心の塊みたいな子どもたちが入り込まないよう厳重に有刺鉄線付きフェンスで囲まれている。
しかし…隠しても調べれば容易に判明するので敢えて提示すれば、有刺鉄線付きフェンスを越えるなど脱獄犯みたいなことをしなくても沈澱地へ接近する方法は存在する。

蛇瀬池に面して沈澱地からの排水管が伸びている場所がある。
この場所はいずれ関連記事で語るので今は詳細を述べない


見たところ狭苦しいヒューム管に見えるが、実際は大人の背丈に近いくらいの管径がある。
市道小羽山中央線の下を横断しており、長さは20m程度で沈澱池に向かって緩やかな勾配になっている。


これは2年前にこの近辺を踏査したときついでながら採取した動画である。

[再生時間: 54秒]


「子どもが真似をするじゃないか」って言われそうだけど、事改めて私が指摘するまでもなく目ざとくこのヒューム管を見つけて中に入ってみた子どもや大人はそう少なくもないだろう。

ただ、動画で観ても分かる通り、沈澱池側に出てみたところで先には一歩も進めず、まして周辺はタクシー運転手の定番休憩地となっているせいか常に人の目がある。どうしても…という方は自己責任だろうが、せめて子どもが真似をしないよう行動を起こすタイミングの配慮は必要だろう。
言われなくても行く人なんて誰も居ないよね

経路は調査していないが、この沈澱池を通った雨水は蛇瀬川へ注がれる。北・南小羽山地区の雨水を処理する沈澱池はこれよりも規模の大きいものが存在する。詳細は以下の記事を参照。
派生記事: 南小羽山沈澱池
【 記事公開後の知見 】
項目記述日:2017/2/22
国土地理院の撮影した単写真の解析により、このヒューム管が出ている少し北側に大きな沢地があったことが判明した。[4]

上の地図では東小羽山沈殿池をポイントしているが、その北側に蛇瀬池の小さな入江があり、常盤用水路が沢地末端部に沿って大きくカーブしている場所がある。かつてここから西山の最高地点へ向かって深く長い沢地があったらしい。東小羽山地区の造成にあたって高台を削り、その土砂を沢地へ押し出している。蛇瀬池に面する沢地末端部の練積ブロックは高さが5m以上あり、現在の宅盤は盛土によりかつての沢地よりも恐らく10m以上高い。

沢地の末端部からは沢を遡行する形で西山方面へ行く山道があったらしい。この道は蛇瀬池の余水吐付近を渡る石橋の続きの道と思われる。したがって造成以前は西山あたりの水も沢地を介して蛇瀬池へ流れ込んでいたようである。現在は東小羽山地区へ降った雨水はこの沈殿池に流れ込んでいると思われる。
《 東小羽山の急坂 》
市道小羽山中央線は、蛇瀬橋を渡り終わった坂の麓から400mに満たない短い距離で高度を20m以上稼いでいる。都合5%以上の縦断勾配がついていることになる。


古くから通行された道なら特定の名前が発生していただろうが、昭和期に入って造られた道だけにこの坂道に対する呼称は現在のところ存在しない。

交通量の少ない道ならまだしも、小羽山地区を縦貫する幹線道路に匹敵するレベルの道としては、車の性能が向上した現代とてなお過酷だ。どうしてこれほどの急坂になってしまったのだろうか…もっと安全かつ快適に通行できる道造りはできなかったのだろうか…という疑問が生じる。素人考えでいけば、北小羽山側から少しずつ盛土を高くして遠くからの登り坂にするか、東小羽山側の丘陵部を削って低くする手段が有ったのでは…と思えてくる。

まず、北小羽山側を盛土で更に高くするのは現状で既に限界だろう。蛇瀬橋の架かる北小羽山側は蛇瀬池の本土手より数メートル高い。更に盛土すれば蛇瀬橋の橋脚が今以上に高くなり、施工コストや道路の安全面などから採用されなかったと考えられる。
東小羽山側を削って低くするのは、道路部分だけなら有り得ただろう。しかしそうすると蛇瀬橋を渡った先が深い堀割となる。堀割には両側に法面が必要でその部分の土地は死んでしまう。コストをかけて山を切り拓き造成した土地なら有効利用したいと考えるのは自然だ。

結論的に言って、蛇瀬川の刻んだ谷地を隔てて南北の小羽山と東小羽山を結ぶ道を造るなら、今の急坂は避けられなかった構造のようだ。
人や獣が通ることで発生した道は経験的に通りやすい場所を選択するので、大抵は経路に関して最適化されている。しかし山を切り拓き人が住むための場所を造り、その後で道路を整備するならどうしても地形を無視した力業の道造りになりがちだ。特に北小羽山に対して東小羽山側の方がずっと高いという特性がある。

東小羽山の急坂は、元から道もなかった山の中に、高低差の著しい二つの地区を結ぶ道を腕ずくで造った宿命である。
現在ならあるいは進んだ工法や設計思想を経て、別の道路を造っていたかも知れない。小羽山地区の造成は昭和50年代であり、現在ほど工法や資材の選択肢が広くない時代背景から致し方なかったのだろう。


新興住宅地で同様に強引な道造りを行った場所は他にもある。それらは居住者が日々の生活で通る程度なので、きつい坂があっても走行延長や交通量がそれほどなくあまり問題にならない。他方、小羽山中央線は広大な地域を縦貫する路線であり、事実として居住者のみならず外部からの通過ルートとしても頻繁に利用されている。現在の道路構造からすると、設計当時はそれほどの通行需要を想定していなかったのかも知れない。
テクノロードの開通も小羽山中央線の通行需要後押しに一役買った筈だ

小羽山地区が昔ながらの山野のままとして、あの急坂を避けることだけを目的とした道造りを今行ったらどうなるだろうか。この近辺の国土地理院地図に仮想的道路を書き込んでみた。


蛇瀬橋を渡る場所は現在と同じという前提なら、緑色のようなルートが有り得るだろう。これは等高線をなぞるような経路なので、適度な切土・盛土で縦断勾配の小さな道になる筈だ。ただしこのルートの場合、蛇瀬橋を渡ってすぐきつい左カーブという悪線形になる。更に現実的な問題として現在と同じ宅盤配置にした場合、東側に位置する住宅はバスの通るメインの道まで相当歩かなければならないだろう。
【 記事公開後の知見 】
項目記述日:2017/2/22
上記の項目は数年前のデータに乏しい状況からの推察である。その後、年代別の航空映像を解析することにより、東小羽山町全体の造成前の地形がかなり詳細に把握されている。[4]

現況では市道は北小羽山側から進む場合、蛇瀬橋の東小羽山側が既に高くなっており、橋を渡ってからカーブを伴う急な坂となっている。前項では強引な道造りと評しているが、これでも東と北の高低差を可能な限り均した結果で、当初は東小羽山側がもっと高かったことが明らかになった。

かつては現在小羽山郵便局がある辺りは蛇瀬池の堰堤に向かってなだらかに下っていく地勢だったようである。この辺りは東小羽山との高低差を解消するべく盛土している。東小羽山側では現在小羽山小学校前の沈殿地がある辺りに標高48.3mのピークがあり、それより北側には西山の最高地点(国土地理院の三角点がある場所)の南側(字西山・堀溝)に向かう長い沢地があった。可能な限り高い部分を沢地へ向かって押土し、残土が生じないよう均した結果南西側に向かって傾斜した領域を雛壇状に区割りすることで住宅地としている。地勢改変は既に地理院地図にも反映されていて、等高線から昔の地勢を読み取ることができなくなっている。

急坂に相当する周辺のかつての地名は、小羽山小学校付近が字高尾、そこより埋め潰された沢地を挟んで北側が字西地今坊・東地今坊であった。地今坊(ぢこんぼう)は上宇部村の北の端に位置する小村の一つであったが、東小羽山ニュータウンの造成により地形が改変された上に住居表示変更も敷かれたため、現在では郷土資料でも殆どみかけない絶滅地名となっている。

(「市道小羽山中央線・横話【3】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 市の都市公園一覧には小羽山中央公園の掲載がない。

2.「宇部市|小羽山ふれあいセンター(小羽山出張所)

3.「FB|2014/6/29のタイムライン」のコメントによる。

4.「FB|東小羽山の坂道付近の地形解析(2017/2/20)

5.「インターネット市民モニター」p.18

ホームに戻る