写真は正面からの撮影。
位置図を示す。
国道190号の自歩道から亀浦方面を向いて撮影した映像。
夫婦池の余剰水排水路に沿う形でガードパイプが切られ出入りできる通路がある。
ときわ観音はこの通路の奥にある。なお、ガードパイプに沿って鉄平石のようなものが張られたスペースが見えているが、これは「ロッキング・ドール」なる彫刻が据えられていた土台部である。彫刻自体はさまざまな理由あって常盤公園内の湖水ホール近くに移設されている。
入口通路から見たところ。
左側には後述するときわ観音の立て札がある。この立て札はこの数年のうちに設置されたものである。以前は立て札がなく薄暗い場所で、立ち寄って良いものかどうか分からなかった。
通路と排水路の間には2本の石柱が放置されていてそのうちの1本には文字が刻まれている。ときわ観音に関連あるかどうかは分かっていない。
派生記事: 未知の石柱
御堂は入口の国道側に背中を向けた位置、即ち夫婦池を向くように設置されている。奥まった場所に建築ブロック造りの建屋のみが見える状況なので、古い公衆便所ではと勘違いしていた人は多い。
一旦この建屋の横を通り過ぎて振り返ると御堂であったことが分かるような造りである。
御堂の中には立像や石仏数体が祀られている。いくつかの立像は破損している。
初期は誰が何のために創設した御堂なのか分からず、祀られているものもこのような状況だったので薄気味悪い感じのする場所だった。しかし入口に案内の立て札が設置されたと同じ頃、この地へお参りする方を歓迎するような文言などが見られるようになった。
御堂の上部に板材に水彩画を施したような扁額が飾られ、来訪者を歓迎する文言がみられる。
ときわ観音に特徴的なのは、扁額にあるような水彩画の木版が多数みられることである。
例えばこの左側にある裸婦が髪を梳いてもらっている構図は、小林古径の「髪」として知られる作品の模写であろう。[2]
夫婦池の堰堤東側にあり、常盤池の本土手にある飛び上がり地蔵尊を想像させる。実際、後述するように飛び上がり地蔵尊に類似する伝承がある。
《 歴史 》
この御堂の建設には亀浦在住のある方が深く関わっている。夢枕に不動明王が現れ、近くに放置されたままになっている仏像があるので探して祀るようにとのお告げを元に創設したと言われる。[1]ただしその仏像および発見された過程が夫婦池にまつわるものかはまだ調べられていない。設立の経緯や飾られている木版の存在からも私設の御堂であることが示唆される。《 名称について 》
国道の歩道に面してときわ地蔵尊ともときわ観音様とも読み取れる立て札が設置されている。この立て札は数年前にはなかった。平かな表記の「ときわ」であることから、御堂の創設者によって近年与えられた呼称ではないかとも思える。現地の字名は女夫岩であるが、常盤公園に近い場所柄「ときわ観音」の名称をつけたのだろう。最初期にどんな名称があったのかは分からない。
御堂の裏側にはときわ観音と読み取れる札が架かっていた。
このため記事ファイル名は暫定的にときわ観音としている。
出典および編集追記:
1. 亀浦在住者からの情報提供による。詳しくは以前作成されていた総括記事を参照。
2. 切手趣味週間の15円切手「髪」として1969年4月20日に発行されている。切手で知ったという人は多い。
1. 亀浦在住者からの情報提供による。詳しくは以前作成されていた総括記事を参照。
2. 切手趣味週間の15円切手「髪」として1969年4月20日に発行されている。切手で知ったという人は多い。
《 Googleストリートビュー 》
国道190号の上り線を走行しているため、入口部分が僅かばかり見える。立て札が設置される前に採取された映像のようである。
《 関連記事リンク 》
以前公開していた総括記事。初めて現地を訪れて撮影したときはまだときわ観音の立て札がなく名称が分からなかった。画像が外部依存(OneDriveのリモート参照)であり内容も古くなっているので、溜め池カテゴリの夫婦池関連の派生記事のままとしている。
時系列記事: 夫婦池|祠その他