岬明神川

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記事作成日:2015/4/2
記事編集日:2015/12/13
岬明神(みさきみょうじん)川とは末広町を経て岬町、明神町を流れる排水路である。[1]
写真は現在の排水路と旧河川路が分岐する地点。


この分岐点の位置をポイントした地図を示す。


岬明神川は市の管理する指定水路であり、呼称は岬町と明神町に由来する。明神川とも呼ばれているが、現在では宇部市において明神川と言った場合は恐らく厚南地区の2級河川中川の上流分岐にある排水路を指すことが多い。

八王子近辺は昔から主要な河川と呼べるほどの川が存在しない。昭和後期までに殆どがコンクリート張りの三面水路に置き換わり、交通需要の拡大に応える形で近年ではボックスカルバートのような函渠ないしは排水管となっている。岬明神川も前述の分岐点から下流側は道路下を流れる函渠へ置き換えられている。しかし元の排水路部分は埋め潰されることなく殆ど雨水が流れることがない廃河川状態となって遺っている。後述するようにこの廃水路の下流部には昭和初期かそれ以前に造られた古い構造物がみられる。
【 成り立ち 】
昔から主だった河川が存在しなかったとは言え江戸期より現在の宇部岬駅のある近辺より北側は陸地で、2本の自然河川が存在していた。明治初期の沖宇部村において五拾目山小村および岬村にはそれぞれ中川浴筋、明神堀筋という小名が現れている。[2]昭和12年に作成された宇部市街図にも現在の宇部岬駅の東西に2本の川筋が記載されている。両川筋は駅前通りにて落ち合い明神川として海に注いでいた。

かつての明神川の注ぎ口は現在の八王子港である。昭和49年度の航空映像で河口部を中心にポイントした地図を示す。


南北に伸びる道からやや離れて流れ、港に注いでいる様子が窺える。現在はこの場所は完全に埋め立てられ八王子港も100m程度海側へ後退している。この付近の旧河川筋がどうなっているかはよく分かっていないが、暗渠部の上は私有地であり地表部からの確認はできていない。河口部と推測される港部には排出口らしき遺構さえも見つかっておらず、恐らく塞がれていると思われる。

八王子近辺は昔から地山であったが、その周辺は石炭の採掘に伴って発生したボタを押し広げる形で陸地を拡大しているため旧来の地山ラインが分かりづらくなっている。埋め立ての初期には雨が降ったとき水浸しにならないよう部分的な溝状領域が残されていた。明神川もかつて明神堀川と呼ばれていたように海へ向かっての傾斜が緩く、海水の遡行などで堀のような形状を呈していたようである。それらの埋め立て地を居住空間とするために最後まで遺っていた溝状領域を埋め潰して出来た地が見染(みぞめ)であり、この地名は溝埋めに由来すると考えられている。後年見染は見初と表記されるようになった。
【 現在の岬明神川 】
宇部岬駅付近から前述の分岐点までは現在も開渠であるが、昭和後期までには鋼矢板護岸をもつ水路に整備されている。駅より上流側は市道岬駅通り線の下を流れる函渠となっている。
県道と松山通りを連絡する市道空港線の下をくぐった後旧河川はそのまま南下するが、現在の明神川は旧河川より低い位置を流れており、分岐点ですぐ西側を通っている市道岬八王子線の真下に設置された函渠へ接続される。旧河川は分岐点より200m程度南下した後、進路を南南西へ振って市道岬八王子線と交差する。この交差部では現行の函渠は旧河川より1m程度低い位置を流れ、旧河川は完全に分断されている。函渠は八王子港付近にあるポンプ場へ接続されていると思われるが詳細はまだ調べられていない。
《 個人的関わり 》
幼少期を含めてテーマ踏査活動以前は名称も存在もまったく知らなかった。最初期に岬明神川に関する写真を採取したのは、小字を実地に遺す構造物の調査過程で宇部線の宇部岬駅横を通る岬明神川の橋りょうについてのこの写真であった。
後の調査によりこの区間は岬明神川ではなく中川になることが判明した


この過程で鉄道交差部が橋りょう構造ではなく既にボックスカルバートに置き換えられていたことから、昭和中後期に改修工事が行われたと結論付けている。
上流部は中川および松尾水路に向かっているらしいことは判明していて、それらの排水路は幼少期から知っていた。しかし下流側はこのときの調査においても追跡しておらず、廃河川状態となっていることを知ったのは最近である。

岬明神川の廃水路区間の発見は2014年9月のことで、たまたま市道岬駅通り線を北へ向いて走っていたとき、道路を斜めに横切っていながら奇妙に干上がっている水路を見つけたときだった。


このとき道路に近い下流側に廃水路でありながら井堰のような構造があることに気づいていた。
それは見たことのないレンガ積みの堰で、水路も幅広ながら中央に小さなコンクリート側溝が埋め込まれているだけで鉄道の廃線跡のようだった。


実はこのときは内部へ降りることなく、道路の反対側を見るにとどめている。
上流側には酷く錆び付いた鋼製のゲートがみられた。


この日は帰宅の途中で時刻が午後5時を回っていたこともあり、十分には調べておらずこの一枚のみを撮影し立ち去っていた。


2015年に入って八王子方面へ向かっていたとき、この廃水路のことを思い出して経路を詳細に調べてみようと思いついた。このとき市道交差部から水路の内部へ降り、下流側へ歩いたことでレンガ積みの隧道河口を見つけた。
分断された旧河川は数十メートル程度の開渠を経て若干左へカーブし、その先でレンガ積みの隧道へ向かっている。隧道はレンガ数段巻きの堅牢なもので、土被りは1m足らずしかなくすぐ上は民家の庭先となっている。この隧道は2015年現在において最大の驚愕物件である。


一旦この隧道部分を詳細に撮影して持ち帰り、改めて地図で確認した。その後分岐点から開渠区間を一通り精査してこの区間が水路としては廃用状態になっていることを知った。
レンガ積みの隧道は未だ詳しいことが分かっていないものの、市内では他に類似する物件がなく存在意義は極めて大きい。この記述の必要性から岬明神川を独立記事として作成することとした。隧道の詳細は以下の記事を参照。
時系列記事: レンガ巻き隧道
現役の岬明神川自体は、分岐点より上流側は何処にでもあるような普通の水路である。[2015/4/5]
市道岬駅通り線から下流川を撮影


分岐点より下流側の函渠化された区間は道路上からの追跡しかできないので、本編では当面分岐点より下流側の旧河川区間のみを記事化する。
上流部にあたる松尾水路は岬明神川とは切り離して別途作成を予定している
市道岬八王子線交差部より初めて廃水路の中に降りて下流・上流部を辿ったときの時系列記事。この過程でレンガ積みの隧道を見つけている。全3巻(予定)。
時系列記事: 岬明神川【1】

市道空港線横断部分から廃水路部分を追跡したときの記事。レンガ積み隧道の行き先も調査している。全2巻(予定)。
時系列記事: 岬明神川【4】
複数回の踏査を行う可能性もあるが、当面は上記すべてを時系列記事として連載形式で作成する。特にレンガ積みの隧道について新たな情報が得られた場合には独立記事とするかも知れない。
出典および編集追記:

1.「宇部市|宇部市防災マップ」の岬校区に相当する地図に岬明神川として掲載されている。(岬校区マップ
また、上記防災マップではこの旧河川部分は重要水防箇所として指定されている。

2.「山口県地名明細書」p.135

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