山陽本線・山中経由シミュレーション

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記事作成日:2022/1/23
最終編集日:2022/2/10
ここでは、山陽本線の厚東嘉川間を山中地区経由ルートにした場合のシミュレーションについて記述している。
《 シミュレーションの背景 》
鉄道の敷設経路の選定は、時代を超えて地元の利害や政治的な権力が反映されてきた。純粋に合理的な輸送効率や建設コストを考慮するなら、現地の地形や乗降客の需要に見合った経路が選定されるものである。実際には有力者の在住地へ駅を造るために遠回りするなど不合理な経路となっている事例は全国至るところにある。

このことより、不自然な経路になっている鉄道区間は、しばしば何かの政治的理由があったのではという憶測が働く。山陽本線(初期は山陽鐵道)の市内通過区間では、昔からの宿場町であった船木を経由しなかった。この理由として、当時の民家は専ら茅葺きであり石炭を動力とする汽車が走れば、吐き出される火の粉で火事を誘発するから地元民が反対したという説明がよくなされる。
個人的には船木を通さなかった最大の理由とは考えていない…詳しくは後述する

もう一つのよく語られる区間は、厚東本由良嘉川間の線形である。厚東を出た列車はゆるきとうと呼ばれる狭隘区間を通り、そこからは国道2号から離れて南下している。
写真は対岸から撮影したゆるきとう。


このまま国道2号沿いに進めば、船木と同様に宿場町として栄えた山中地区を通る。もしその経路であったなら山中駅が造られたであろう。しかし現在の経路は南下して善和地区を通り、焼野の峠を越えて本由良を経由して小郡に向かっている。地図で見ても不自然に南へ曲がった経路である。厚東本由良間は山陽本線において駅間が長い区間の一つで、かつて善和信号場上清水信号場が存在していたが、駅は存在していないし私の知る限り駅の誘致運動も聞いていない。

何故山中経由が選定されなかったのかは、実際に現在ある地勢を考慮して鉄道敷設をシミュレートすることで理解できる。以下、山中を通るシミューレートされた経路を山中ルート、現在の経路を現行ルートと表現する。
【 シミュレーションにあたっての条件 】
何も制約がなければ、山中地区を通るような鉄道建設は無条件に可能である。実際、山陽新幹線は高架橋を駆使して厚東からほぼ直線的に経路選定している。興味の対象は「現在の山陽本線とほぼ同規格で山中地区を通るように建設したらどうなるか?」であろう。そこで以下の条件をつけてみた。
(1) できるだけ建設コストを安くする。
(2) 設計速度や縦断勾配などは現況の規格に準ずる。
(3) 現地の地形を考慮して経路を選定する。
建設コストを下げるために、隧道や橋りょう、架道橋が少なくて済む経路が優先される。経路にある田畑の用地買収コストや民家の立ち退きも考慮し、それらが少なくなる経路を選定する。車の往来する道路ではある程度きつい坂道やカーブが許容されるが、鉄道では縦断勾配やカーブの曲率に制約があるため、この条件としては既存の山陽本線と同等以上になるよう設計する。

ただし、山陽鐵道が建設された当時は田畑と疎らな民家だけだったものの現在では民家が建ち並んだり当時は存在しなかった高規格道路が縦横無尽に通っていたり、あるいは広範囲に企業の敷地や土採り場になっていたりする。そのすべてを考慮に入れると経路設定が困難になるので、以下の例外的条件も追加した。
(4) 他に有効な経路選定ができない場合に限り経路に支障する作業場や民家を移転させる。
誤解の余地などないと思われるが、これはあくまでもお遊び的シミュレーションである。将来的にこの経路が計画されているなどといったことは全くなく、新区間建設の提案などを行うわけでもない。経路にかかってしまった企業や民家には申し訳ないが、(4) の条件にしたがって”無慈悲に”鉄道を敷設した。

シミュレーションは、地理院地図と航空映像の情報のみに頼って行っている。選定された経路中には地図に現れない障害物があったり高低差が著しかったりする可能性がある。この辺りも厳密な現地検証などは行っておらずお遊びの範疇である。里道との立体交差や踏切は考慮しておらず、主要な橋りょうやトンネル名は最寄りの小字名などからの仮称とした。
《 経路の詳細 》
以上の条件によってシミュレートした経路を示す。
既存の山陽本線経路と比較する地図。
経路のGeoJSONデータは こちら


以下に経路の詳細を4分割し、厚東駅から東に向かって進む前提で状況説明する。

厚東駅を出た列車はゆるきとうを通過後、一旦国道2号から離れるように東進する。それから進路を北に変えて厚東川からやや離れた瓜生野地区の田の中を進む。
既存の山陽本線は周囲より3m程度高い盛土上を通っており、この高度を維持する。


経路は田の中央を南北に伸びる農道を援用する。ただし農道の往来を補償するため、分岐点から厚東川横断箇所までは盛土ではなく直下を農作業車が通行可能な連続橋りょう形式とする。国道490号の立体交差箇所は桁高を確保するため、既存の道路を若干掘り下げたアンダーパスとする。

既存の山陽本線との分岐点付近。
ゆるきとうを通過した後、落合橋りょうの手前で左カーブして分岐することになる。


厚東川を新厚東川橋りょうで斜めに横断後、二俣瀬小学校の東側を通すために前後を緩やかなカーブとする。この区間は盛土で、市道田の小野車地線寮ノ河内橋りょうにて立体交差する。これより先は山側を片切掘削して線路敷を確保し、勾配は甲山川の河川勾配に準じて決定する。

山中の下市集落は、甲山川の南側に沿って進む。張り出した尾根を第三下市ずい道第二下市ずい道第一下市ずい道で通過後、上市集落に到達する。


二俣瀬橋から下市地区までの高低差が20m近くあるので、縦断勾配が大きくならないように二俣瀬小学校裏あたりから長いスロープとなるように設計する。

上市地区では地元の要望に応じて県道25号山口防府線下横大道橋りょう付近に山中駅を設置する。

山中駅を出た後、縦断勾配をやや緩めながら東進する。途中で甲山川第二橋りょう甲山川第一橋りょうで河川を横断する。この地点では甲山川の屈曲が大きく、コストがかかるが橋りょう設置はやむを得ない。
割木松地区に入る手前で甲山川が北側へ流路を変える付近に本路線の最高地点を設け、それより宇部市と山口市の境を今坂峠ずい道で抜ける。


極端に長い隧道となってしまうが、これは今坂峠の割木松側坑口付近が60m近い高度であるのに対し、山口市嘉川側では20m程度しかない片峠であることに由来する。即ち割木松側坑口から一貫して下り勾配となり、縦断勾配を一定範囲に抑えるためには峠のかなり手前より沈み込むような隧道設計としなければならない。

山口市嘉川側の隧道坑口を何処に設定するかは困難であるが、往来の多い国道2号との位置関係を入れ替えられるように北側へ配置し、なおかつ既存の山口宇部道路の取り付け道路や河川と競合しないように選定する。


地図では国道2号と山口宇部道路の立体交差およびインターチェンジの間へ無理やり経路を描き込んでいるが、間には溜め池からの流水路もあるため鉄道を敷設するだけの幅が確保できないかも知れない。

その後緩やかな下り勾配を経て今津川の手前で既存の山陽本線と合流する。
《 山中ルートが採用されなかった理由 》
地図で見て明らかなように、山中ルートは現行ルートよりも短い。山口宇部道路の嘉川I.C.付近は高規格道路と山陽新幹線が交差し新規布設となると困難だが、最初期に山陽鐵道を建設するならそれらの困難は考慮を要しなかった。街道に沿って敷設する方が合理的だし、もし山中ルートになっていたなら宿場町であった山中は現在の厚東駅並みの居住者を持つ集落になっていただろう。

山中地区を通すことを地元住民が反対したなどの人的要因があったなら別として、山中ルートが採用されなかったのは今坂峠のトンネルが長くなることが理由ではないかと思われる。現行ルートの焼野越えは深い堀割によって標高50mに抑えているのに対し、山中ルートでは甲山川から離れる地点で既に標高60mである。焼野越えの堀割は600m程度であるが、もし今坂峠越えを堀割にするならその倍以上の延長を必要としていただろう。

峠越えのトンネルを短く切り詰める経路選定は一応存在する。宇部線の上嘉川駅付近から経路を北寄りにとって尾根を斜めに登らせることでトンネル坑口を西側のもう少し高い場所へ寄せることができる。限界まで堀割で施工して国道2号と位置を入れ替える峠部分のみトンネルにすれば長さを3分の1程度に切り詰められるかも知れない。

この推論は地図で読み取れる地勢にのみ依存している。鉄道関連の書籍はいっさい参照していないので、山中ルートが選択されなかった理由が明記されているかも知れない。あるいは山中地区の長老で山陽鐵道の経路から外された理由について語り継がれている可能性もある。
【 類似する問題 】
山陽鐵道が宿場町たる船木を通さなかったのも、上記と同等の理由が考えられる。国道2号の吉見峠(船木峠)は現在でも交通の難所であり、縦断勾配に弱い鉄道を敷設するなら非常に長い隧道を掘らなければならない。長大トンネルを効率よく掘る技術も機械も充分でなかった当時は、隧道の掘削は最後の手段であった。

昭和中期以降に入ってある程度技術が確立し、また高速輸送が必要とされて山陽新幹線が建設されたときも、吉見峠越えは市内では2kmを超える峠山トンネルで通過している。しかも瓜生野や厚東駅の上を長い高架橋で通過しており、この仕様はトンネル長を短くすることに貢献している。山陽鐵道時代に同様の規格で吉見峠越えルートで建設すれば3kmを超える隧道になってしまうだろう。厚狭までを考慮すれば、更に西見峠を越える隧道も必要である。

厳密な客観資料はまだ手元にないが、船木を通さなかったのは冒頭述べたような火災の危険を理由とする説もある。しかし鉄道輸送の利便性が評価されていたのは、後に船木鉄道が建設されたことからも明らかである。結局、山陽鐵道は人口密度の高まりつつあった宇部と小野田の中心部を外れて建設され、代わりにこの部分は別に単線を敷設することで代えた。ちなみにこのうち宇部線の経路選定に関しては、他のより優れたルートのシミュレーションを思い付かないほど合理的と思われる。
《 類似するシミュレーション 》
同様のシミュレーションを行った事例として、厚東区立熊にかつて建設が検討されたことがある大坪ダムがある。こちらは遊びごとではなく厚東川第3期利水事業として真面目に議論されたし、現在の宇部丸山ダムには先行して建設したものの使われることがないまま廃物になっている取水塔が知られる。

分野は異なるが、かつて国道2号の吉見峠前後の道路線形が悪いことを指摘したとき、この急な峠と悪線形を改良した吉見バイパスの候補ルートをシミュレートしたことがある。こちらはより現実的で実際の改良が求められるものだが、昭和50年代頃に一度検討課題として上がっただけである。
出典および編集追記:

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