持世寺温泉の廃看板【2】

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現地踏査日:2011/4/23
記事公開日:2015/3/10
(「持世寺温泉の廃看板【1】」の続き)

この日はハイブリッド方式で厚東郵便局まで車を走らせ、そこで自転車を降ろして厚東区内の探索を行っていた。あの看板の反対側にあたる場所をおよそ調べてあったので、もしかしたら見えるかもと思って一旦厚東郵便局の前を通り過ぎ、残量少ないデジカメのバッテリー[1]をおして見えそうな場所まで自転車を漕いだ。

国道2号を離れて厚東変電所の近くにある踏切を渡る。
まだ山裾にはそれらしきものは何も見えていない。


万治踏切の映像。反対側から撮っている。
田畑への農道同然の道なので車が入ってくることはない。


踏切を渡り、農道を突き進む。
左の方に「東建」の看板が見える。これも道路や鉄道から見てもらうための同趣旨の看板である。


まだ対岸の山の斜面にはそれっぽいものは何も見えない…と言うかどの辺りだったかが分からなくなっていた。
デジカメのバッテリーが殆ど残っていないのでカメラを構えたままズームで探し回ることなどできない。


下流の方に持世寺温泉上の湯の建物と屋上に設置された看板が見えていた。それよりもずっと上流側の筈だから…


山裾をじっくり眺める。そして初回撮影時に携帯会社の電波塔を見つけたことを思い出した。あの近辺の筈だ…
更に農道を先まで進むことはできたが、そうすると手前の厚東川の土手が邪魔になってむしろ対岸の斜面は見えづらくなった。


見渡す限り緑一色である。看板が見えるなら白地に黒の文字だ。
やっぱり無理か…
この日は見つけることができないまま一旦帰宅した。

アジトに帰り地図で場所を再度調べ直したところ、看板の位置は上の写真のアングルよりもう少し上流側らしいことが分かった。翌日また厚東区を訪れる便があった[1]ので再度行ってみた。

電波塔の位置を参考に、看板らしきものが見えないか目を凝らした。
もしかして…あれでは…
読者はこの写真からターゲットを見つけだすことが出来ただろうか


ズーム撮影…
あった!!
あれに間違いない!!
藪から僅かに正方形看板の上部が見えている。この位置に見える正方形の人工物と言ったらあれしかない。この見え方からすると、恐らく「寺」か「泉」の漢字だろう。

原典画像から核心部分を切り出した映像。
看板の上端とハッキリ分かる部分が見えている。


持世寺温泉の看板は、何とか厚東川右岸からも一文字だけを確認できた。しかし今や車窓から眺める旅行者には全くその存在をアピールしないほど藪に埋もれてしまっていた。

土手の上へ登ればまだ近づくだろうが、土手より高く伸びた右岸側の竹藪に遮られて見えなくなるのが分かっていた。それで一旦下流側へ移動して藪の切れ目から見えないか試みた。


藪に遮られず見える場所は下流側にしかなく、ターゲットからは再び離れてしまうため見えなかった。


看板がいつ、誰の手によって建てられたのかは不明だが、そのことは今もある温泉宿なりに尋ねれば判明するだろう。それよりもむしろ気になるのは…
いつ頃まで「持世寺温泉」の文字は
道路・鉄道から見えていたのだろう?
国道2号のこの近辺は、子どもの頃から親父の運転で頻繁に通っていた場所だ。当時は車窓からも見えていた筈だ。しかし自分の中ではこの看板が見えていた記憶が殆どないのである。車窓の景色については相当に敏感だったのにおぼろげな記憶しかないのも変だ。当時は何処にでも普通に見かけたので印象が薄かったのだろうか。

今は完全に存在を忘れられた持世寺温泉をアピールする文字看板。いつの日か再び見直され、装いも新たに湯治客の目印となる役割を与えられるときが来るのだろうか…
「あの看板が見えていたの覚えてるよ!!」って人…居ないかなぁ…

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2015年の3月に所用で持世寺温泉を尋ねたとき写真を撮り直してきた。
発見的内容はないので続編の扱いとしている。

(「持世寺温泉の廃看板【3】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 23日、24日と連続してアジトからそう近くもない場所を尋ねることができたのは、23日に厚東川左岸接近計画を試みてバッテリー切れで撤収を余儀なくされた事態に依るものだった。24日も快晴だったので再度ハイブリッド方式で厚東区を訪れている。時系列としては市道厚東駅線の道路レポート向け撮影を行った後、万治踏切を渡ってこの看板の撮影に成功している。

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