遺構と廃物について

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記事作成日:2024/3/31
最終編集日:2024/4/1
遺構・廃物カテゴリが作成されていながら、近年まったく新規記事の掲載がない。この総括記事を作成している現時点では remains ディレクトリに遺構と廃物という2つのセクションに分類された地区(旧校区)別の記事が置かれている。ここでは、当初これらの記事やカテゴリが設置された背景と今後の扱いについてまとめている。
《 歴史的背景 》
当サイトで遺構・廃物関連の記事を収録する remains ディレクトリが作成された時期は、バナー付きのウェブサイトで運営していた geocities 時代まで遡れる。ホームページの公開が2011年なので、おそらくほぼ同時期に作成している。掲載可能なウェブスペースが50MBまでに限定されていたので、多くの記事がドキュメントのみをサイトに置いて嵩張る画像を OneDrive からリモート参照する形式になっている。

初期は遺構・廃物の区別なく、当該物件が存在する場所をファイル名に設定して順次連番を与えていた。当時はまだ物件の厳密なカテゴリ分類が定義されておらず、ファイル名の場所も適当だった。後にこれを遺構と廃物の2セクションの分割し、物件を記述したファイルも地区ごとに並べ直した。それでも短期にかなりの記事が作成されたのは、当時は踏査モチベーションが歴史的意義を見出すことよりも、俗に「廃モノ」と総称される物件への興味が出発点だったからである。

remains というディレクトリ名も「現在は使われていないもの」への総称から生まれた。一旦記事を特定のディレクトリへ置いてアップロードすると、後から場所やファイル名を変更するとリンク切れを誘発する。このため物件のカテゴリ分類が確立されてからは該当する写真はそれぞれのカテゴリへ移動されたが、記事は現在も初期状態のままである。
【 遺構と廃物について 】
この総括記事の作成現時点で、遺構と廃物の区別を以下のように定義している。
遺構近代化産業遺産や歴史的価値のある構造物
廃物昭和中期以降の比較的歴史の浅い構造物
この区分は初期の記事群に基づいて設定されたが、現在となっては遺構と廃物を区別する意味はほとんどないというスタンスである。ホームページ設立当初よりもはるかに広い物件やそれ以外の題材を扱うようになっていることと、それらを記載したドキュメントの構成要素である写真や地図などの客観資料の分類も当時より洗練されてきたからである。

現在では純粋に遺構・廃物カテゴリへ入れる以外ない物件は、まったく正体が分からないものか既存のどのカテゴリ分類にも入らないものに限定される。ホームページ設立当初は興味本位での探索が多く、正体不明なものでも敢えて調べようとしない態度がみられた。現時点では市内で現に観測されるもので真に建設時期や用途、正体すらまったく分からない物件はほんの一握りしかない。殆どが物件を定義する10のカテゴリに入るか、非物件である文化カテゴリに属する。謎めいたコンクリート塊や設立記事の不明な看板は、文化カテゴリの中の素材に分類される。
【 まだ記事化されていない物件 】
テキストばかりでは味気ないので、総括記事を作成したついででもあり当サイトでまだ記事が作成されておらずアクセス可能な外部記事でも紹介していない物件をいくつか掲載する。以下の記述は、当該総括記事が作成された折りには移動する。

温見地区にある補助水源井。


厚東川ダムが建設される以前、昭和初期の大渇水時に掘削されたもので、汲み揚げられた井戸水は末信水源地へ送水された。周辺に数ヶ所掘削されたが充分な水量が得られず、昭和中期頃までに殆どが埋め潰され現存するものはここだけである。サンデーうべのコラムでVol.45「温見の補助水源地」として紹介した。

雀田炭鉱の火薬庫。
JR小野田線の第3原踏切より山側に入ったところに存在する。


荒れ地の中に古いコンクリートの倉庫が存在する。たまたま近くで農作業をしていた地元在住者に尋ねて、これが雀田炭鉱の火薬庫であることが確認できた。[1]付近には炭鉱住宅もあったらしいが、現在は一つも遺っていない。

未来湖の湖底に現れた旧道に付随するガードレール支柱。
2024年2月の渇水期に撮影。


未来湖の水位低下時に、山陽自動車道の真締川第一橋下に旧道の痕跡らしきものが現れることは早くから知られていた。2月は近年ない低水位時で、広範囲が調査された。男山地区へ向かうダム建設以前の旧道のものと思われる。
《 今後想定される変化 》
変化のテンポが急速な現代社会は、遺構のままで捨て置かれる物件自体が少ない。現在使われていないものが遺構や廃物ならば、それらは平成期以前のものに限定される。令和な今の世は、使われなくなったものをそのまま存置させるほど寛容ではない。宇部井筒屋の建物などは、現役時代から閉鎖後まで記録していたが、近年すべて解体撤去され現在はコンクリート殻などの搬出を行っている段階にある。

こういった物件は、最初から建物カテゴリへ入れておくのが妥当である。琴芝地区赤崎にあった廃公園は、遊具が撤去されるだけでなくこちらもつい最近沢地の先端が埋め立てられて管理企業の駐車場に変化している。現在の遺構・廃物カテゴリへ存置するよりは、公園カテゴリへ移動すべき物件だろう。

remains ディレクトリに置かれた記事は、その殆どが画像を OneDrive から参照する形で作られている。外部依存の問題により、OneDrive がサービスを完全停止したら画像が見えなくなるため一連の記事はまるで意味が分からなくなる。構成要素の画像は各カテゴリに保存されているため、記事と画像を同一カテゴリへ置いて再構成することが必要である。remains ディレクトリには立て札のような既存のどのカテゴリにも入らず、非物件である素材を元とした記事のみが置かれることになるだろう。
出典および編集追記:

1.「FBページ|2022/4/7のタイムライン

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