真締川・火力発電所の排水口【3】

インデックスに戻る

(「真締川・火力発電所の排水口【2】」の続き)

堆積した泥濘は内部で次第に高くなっていた。先の方はそのまま閉塞しているようだ。
貝殻の付着度はこちらの方が大きい。
フラッシュ強制オン撮影画像はこちら


上流側の方の排出口を動画撮影してみた。
体勢を整えつつカメラを構えて内部に押し込む動作で両腕が攣りそうだった。

[再生時間: 24秒]


断面に小さな石が見えているので、この部分はコンクリートかも知れない。しかし管の一部なのか護岸なのかさえ分からない状況だった。

もの凄い量の貝殻である。大量に付着していながらそのうちのどれとして剥がせなかった。貝殻と同じ成分のものを出して一体化しているかのようである。


穴蔵ばかりに気を取られていたが周囲の様子も写しておかねばなるまい。
河床の護岸寄りから撮影した寿橋である。


対岸側の様子。足を停めてニヤニヤしながら私の挙動を眺めている人など居ない。そもそも車が通るだけで通行人をあまり見かけないのである。
対岸にある直方体の穴蔵が気にはなるが…あれは止めておいた方がいいだろう…


下流側。真締川の水は対岸の塩田川ポンプ場寄りを流れていてこの辺りは小さな砂溜まりとなっている。


正面から一連の排水口を撮りたかったが、背面は足元が悪く充分な距離を稼げなかった。
足元に転がっているやや大きめの岩はコンクリート護岸以前の石積みの一部だろう。


カバンを肩に提げたままだとしゃがんで覗き込むときバッグの下が水に浸った地面に接触するので外していた。


最初に観察した正体不明の排水口は比較的近づき易かったので再度眺めてみた。
タービン冷却水の排出口ほど砂に埋もれておらず管径の半分程度残っている。


コンクリート護岸の内側に鉄板らしきものが付着している。
これは何か意図的に取り付けた感じだ。


反対側には貝殻に覆われて正体不明に見えるが鉄筋が突き出ていた。
潮が満ちれば自然に閉まる蓋が取り付けてあったのだろうか。


改めて観察して少なくとも石積みの中を通過する部分だけはコンクリート管らしいことが分かった。素材に特徴的な小石が管の断面部に現れていたからだ。
しかし奥の方は鋳鉄管だったように見えていた。この違いは何だろうか。


排水管にまつわる素材のうち何処までが当初からのオリジナルだろうかと考えたとき、すべてが明治期とは言えないかも知れないと考え直した。
新川は当初から今あるままの幅をもって掘削されたのではなく、明治43年に幅を拡げたことが分かっている。電気会社ができたのはその前年の明治42年のことだったから既に火力発電所タービン冷却水の排出口は存在していたことになる。[1] 川幅を拡げるとき両岸を石積みとしたなら、このとき排水管の先の方を延伸した可能性があるかもと考えた。

一連の排水管の内部をフラッシュ撮影した限りでは鋳鉄管のような外観だった。どちらかの岸辺を削って幅を拡げ、後年間知石で補強したとき護岸に埋もれることになった部分はコンクリートで誂えたかのかも知れない。石積みの中を通る部分は鋳鉄管よりも類似するコンクリート素材にした方が親和性があるからだ。

火力発電所が稼働停止してから年月が相当経つのに排水管部分は塞がれることなく残っている。
それも後からコンクリート護岸を外側に継ぎ足すときもこの部分を開口部としている。


この理由についてはかなり明白に推測できる。明治期の遺構に敬意を表して埋め潰さずに残したと言うよりは、コンクリート護岸を設置する際に強度を保つために敢えて塞がず空けておいたと思われる。
コンクリート護岸はそれ自体が2m程度の立端があり、排水管はその一番下に埋設されている。今後再使用するあてがないなら前面を潰して護岸を設置するのが簡単だろう。しかし鋳鉄管による空隙を残したままだと、周囲から水が染み込んだとき内側から水圧がかかり護岸が脆弱になる。そこで管の一番奥だけを封鎖してむしろ河川の水が出入りするよう開放状態にしたのだろう。
現に新川護岸の低い位置にみられる排水管の殆どがそのような状態になっている。奥だけしっかり塞いでいれば河川の水が護岸から漏れ出ることもないので、わざわざ管の中にコンクリートを押し込んで潰すこともなかったものと思われる。

さて、そろそろ戻ろうか。

誰が積んだとも知れない瓦礫の山。
これ自体が既に数十年を経過して新川の水の流れと海水に洗われてきたものだろう。
シジミ採りの人たちが積んだのかも知れない


次に再び撮影に来るかも知れないときのために近くの石を積んで「嵩上げ工事」しようかとも思ったがやめた。昔よりは随分と綺麗になっている新川とは言っても泥濘まみれの石を触るのは気が引けたので。

降りるときとは逆順でまずショルダーバッグを護岸の上に投げあげた。護岸の天端に両手は届いてもそのままでは自分の身体を引き上げられない高さだった。しかし…大丈夫。この程度の高低差なら体重移動で何とかなる。
積まれた石の上でジャンプすると同時に護岸へついた両手を押し下げた。護岸には足掛かりがないので両腕だけで自分の身体を押し上げ天端に足を掛けた。
子どもや腕力に自信のない人は梯子などの道具なしに降りるのは止めておいた方が良いだろう

ミッション達成をメールした。
やや困難の伴うタスクをやり遂げて一定の成果が得られたときのお約束だ。
河床に居る間に排水口を撮影して添付すれば良かったのだが…頭になかった


最近行った別のある場所とは対照的にここではまったく通行人の目が気にならなかった。河床は県の管理地であり、よっぽど危険だとか立入禁止になっている場所は別として私有地ほど踏み込みに後ろめたさを感じることがないので。
一連のデータを採取後、自転車に跨がって更に新川沿いを下って行ったのだった。
---

さて、一部の画像に不満な部分はあるが、今すぐ再撮影に行くほどのものではない。現役の道路や橋などと異なり今すぐなくなる心配がないので。平成期に入って行われた樋ノ口橋から上流部の護岸改修が下流域まで及ばない限り一連の排出口は安泰だろう。

管の奥が閉塞しているのはかなり明らかにしても、更に奥の方がどうなっているかはそれなりに興味の対象である。内科医が胃カメラで使うファイバースコープをデジカメに接続できるアタッチメントがあればこういった狭い穴蔵での撮影に威力を発揮するだろう。
そこまで行かなくてもスマホの自撮り棒にデジカメを固定できれば、カメラを内部へ送り込んでフラッシュ撮影すれば更に詳細が分かるだろう。但し自撮り棒から脱落すればカメラは回収不能になるリスクを負うが…
出典および編集追記:

1.「宇部ふるさと歴史散歩」p.41 および p.45
このとき現在のヒストリア宇部にあった中津瀬神社を現在地に遷したとされる。

ホームに戻る