樋ノ口橋

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記事作成日:2014/12/7
最終編集日:2021/12/10
樋ノ口(ひのくち)橋県道琴芝際波線が真締川を渡る橋である。
写真は真締川東岸下流側からの撮影。


橋の中心をポイントした地図を示す。


橋名の樋ノ口とは真締川左岸側、現在の西琴芝および琴芝町にかつて存在していた小字名である。詳しくは以下の派生記事を参照。
派生記事: 樋ノ口について
県道琴芝際波線は産業道路と呼ばれている東西の道筋の一部で、国道190号に次いで交通量が多い。橋の前後には真締川に沿って市道真締川東通り線西通り線が接続[1]し、右折レーンが設置されているため橋の上は車道3車線相当と幅広の自歩道が上下線に設置されている。このため橋はその長さとあまり変わらない程度の幅をもつ。

橋の左岸側下流部から撮影。
ここの親柱に橋の竣工年月を示す石盤が設置されている。


平成17年10月完成であるからかなり新しい。
この石盤と後出する他の3つを比較することで見えてくるものがある


完成からの年月が浅いのは、同時期に真締川の護岸整備が行われたからである。老朽化していた石積みを上流の新西ノ宮橋から樋ノ口橋近辺にかけて再整備し、両岸側には親水を意識した公園も造られた。
護岸整備に並行して真締川の流下水面から橋の高さを確保するために前代の樋ノ口橋よりも1m程度高く架け直された。

橋のやや右岸寄りから下流を撮影している。
JR宇部線の新川橋りょうが見えている。


地図でも上の写真でも分かるように、真締川は樋ノ口橋から下流は新川橋りょう付近で若干屈曲している。特に地図ではここ樋ノ口橋で僅かに東へ線形をかえた後に西側へ屈曲している。この屈曲の原因は遙か昔の新川掘削以前の河川線形によるものではないかと考えている。前身となる間占川(宇部本川)は樋ノ口で大きく屈曲して現在の産業道路筋に近い線形をもって居能方面へ流れていたことはよく知られる。

右岸側下流部の親柱は漢字表記で樋ノ口橋となっている。
親柱の拡大写真はこちら


上流側の右岸には河川名の真締川を示す石盤が設置されている。
親柱の拡大写真はこちら


冒頭にも掲載した写真のように右岸上流側の側面に橋の諸元を記載したプレートが貼られている。


プレートでは何故か「樋口橋」と部分的に平かな表記になっていた。


プレートと親柱にある橋の名前が異なるのは割とよくあることらしい。身近なところでは常盤池の白鳥大橋がそうなっている。

橋上の様子。
自歩道は脱色アスファルトで舗装されていて欄干はアルミ3本掛である。機能最優先で特にデザイン面で考慮した様子はない。


左岸上流部には平かな表記で「ひのくちはし」の石盤が設置されている。


近接撮影している。
これと真締川という河川名、樋ノ口橋と漢字表記された石盤に対して、冒頭の竣工年月を記した石盤の素材が異なることが分かる。


親柱のプレートとして竣工年月・河川名(漢字表記・平かな表記)・河川名の4つが設置されるのは標準的である。このうち冒頭に掲載した竣工年月のプレートのみ石盤がかなり新しいことに気付く。
このことから、竣工年月プレート以外はすべて旧橋のものを流用したと考えられる。同じ場所に同じ名前の橋を架け替えたために流用ができたわけである。後述するような事情があるが故に旧橋の一部でも継承されていることは喜ばしい。[2]

左岸上流側から橋の下を撮影している。
護岸の天端はそのまま遊歩道を兼ねていて、周囲の道路よりは一段低くなっている。この差分ほど橋および周辺の道路が高くなっていることを意味する。


護岸と道路との間にできた段差には階段が設けられ護岸の天端まで降りられるようになっている。

護岸の上を歩いて橋の下を覗き込むように撮影。
ちょうど床版の真下にコンクリート基礎や鉄骨の先端が露出している。


現在の橋は河床部に橋脚を持たないので、これは前代の橋の橋脚跡か撤去作業のときの仮設物と思われる。前代の橋は中央に橋脚を持っていたと思う。遺された理由は不明だが、恐らく河床深くに打ち込まれて除去しきれなかったのだろう。

橋の左岸寄りから上流を撮影。
護岸の天端が遊歩道のように整備されている。


橋の高度を上げたことにより周辺の道路にも変化が現れている。
最も目立つのは県道部分で、道路を擦り付けるために橋の前後でかなりの縦断勾配がついている。
雨水が駐車場へ流れ込まないようにこの部分だけ歩道上に縦断側溝が設置されている


県道をスロープ状に擦り付けたことで橋に近い場所にある事業所や店舗は道路よりも低い位置に取り残されることとなった。
敷地より道路の方が高くなると車での出入りがしづらくなる他、店舗内が暗くなるなどの影響がある。実際、橋が架け替わった後で前後の道路が高くなり敷地が低く取り残された状況は車で通行するときにもかなり違和感があった。聞いた話ではないが橋前後の道路がかなり高くなる計画を近隣住民に承諾して頂くのに相当苦労したのではないかと想像される。
出典および編集追記:

1. かつては真締川の西側・東側双方に市道が通じていたため樋ノ口橋の前後は昔からかなり混み合っていた。山大病院のヘリポート設置により西通りの一部区間が廃道化処理されたことで幾分緩和されている。

2. ただし旧橋の竣工年月プレートは撤去されてしまったらしく現地には何処にも見つからなかった。処分されてしまったものと思われる。
《 旧樋ノ口橋 》
現在あるものより一つ前の世代の樋ノ口橋(以下「旧樋ノ口橋」と呼ぶ)は昭和40年代半ばに架橋されている。
写真は竣工したときの印画紙をデジカメ接写した画像。
工事関係者が写っている。


昭和12年度版の宇部市街図にも既に樋ノ口橋として記載がみられる。このときの橋の素材(木造かコンクリート造りか)は分からないが、初代のものとは言えない。樋ノ口橋は真締川のうちの新川区間において最初に架けられた橋である。

前代の橋は両岸の道路と同じで、橋の中央部分がやや盛り上がるかまぼこ型だったと思う。橋の欄干部分はコンクリート製で、縦に幾本もの筋を持つ構造だった。欄干の高さも現在の橋にあるアルミポール製よりも若干低かった。
平成17年に新しい橋が架け替えられたとき旧樋ノ口橋の親柱にあった石盤がそのまま流用されている。
《 個人的関わり 》
父親が前述の旧橋架橋工事に携わっており、何度か工事現場を訪れている。以下、幼少期の当時の記憶と聞き取りを行った結果を記述する。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

地名としての樋ノ口については以下を参照。
派生記事: 樋ノ口について

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