岬明神川【1】

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現地撮影日:2015/3/22
記事作成日:2015/4/5
岬明神川と書いてはみたものの実のところ名前については総括記事でも載せた宇部防災マップの表記で初めて知ったのだった。川とは名ばかりで実体は排水路である。市街部に近い場所だから春の小川のような眺めとは無縁で表に出て来る部分でも三面張りコンクリート水路、それも雨水のみを流すようになって溝普請という地元在住民による管理からも離れれば、大抵は上を蓋で覆い道路や通路として転用されている。市街地に近い殆どの排水路がそうだから、岬明神川も特に言及すべきネタもないものと思っていた。

去年の秋口、市道岬駅通り線を自転車で通っていて奇妙な溝状領域の遺っている場所のことは頭にあった。やや気にはなっていたが事改めて別便で自転車を走らせるほどのものでもないと思い、しばらく放置状態になっていた。
2015年の3月、この日は市南東部にあるデパート(と言えば想像はつくと思うのだが)に入っているスポーツ店へ行く用事があった。急ぐ用事でもないので、何となく海を見たい気持ちから久しぶりに亀浦の海岸へ向かった。その後に山口宇部空港建設事務所をたまたま訪れ、旧庁舎の荒廃ぶりを写真に収めてそろそろ目的の買い物地へ向かおうと思っていた。途中八王子漁港の風景を撮影し、その後で前回中途になっていた岬明神川の水路跡のことを思い出し、通り道だから立ち寄って追加の写真を撮ることにした。

市道岬駅通り線との交差部分である。前回は一応自転車を停めたものの数枚撮影しただけで立ち去っていた。


この場所を示した地図である。
上の写真では南を向いて写していることになる。


初回訪問時にはこれを含めて数枚撮っただけだった。
季節柄周囲が雑草だらけで容易に近づけなかったというのも理由にはあった。


水路が市道の下をくぐる部分は割と最近ボックスカルバートになったのだろうか…正規の橋としての親柱はなく、県仕様の黄色いガードレールが設置されているだけだった。
この溝状領域の道路際に奇妙なレンガ積みが見られるのである。

そのレンガ積み部分。逆光になるので水路横の空き地から撮影している。
水路の天端までレンガが積まれている。まるで細い鉄道の橋脚を模したようだ。


レンガ積み構造物それ自体は全体的に見れば特に珍しいものではない。今でも民家の境界がレンガ塀になっている事例を見かける。しかしレンガ塀以外となると、通常目にする場所は山陽本線の橋台部分のような鉄道関係が多くなる。建物や倉庫となるとレンガ積みのものは今やかなり稀少だ。それも今後は絶対数が減るのみである。

そこへ来てこの干上がった水路部分の側面構造は奇妙である。
道路横断部分と河床部こそコンクリート造りになっているが、下流側は間知石積み、そしてこの場所だけ何故かレンガ積みの出っ張った壁があった。


石積みの高さは2m程度。飛び降りることはできるにしてもここから登り直すのは甚だ困難な気がする。
降りるにしても確実に戻って来れることを調べてから行動を開始するのはいつもの所作だ。


このレンガ積み部分のみを観察するなら別にリスクを冒して降りることはなかった。上からでも充分に眺められる。もう一つ気になるのは道路交差部の構造と下流側がどうなっているかの興味があったからだ。特に道路下へ目の細かい大型のスクリーンが掛けられているのが奇妙に思われた。
上流側にスクリーンがあるのなら分かる。ゴミなどが流れ込まないように設置することもあるだろう。しかし下流側に置いたところでこちらから流れ込む余地はない。どうも別の理由があるからのように思われた。

水路の反対側へ回り込む。
レンガ積みとスクリーンの間にはやや低いコンクリート側壁があって、そこから昇降できそうだ。


もっともただちに行動へ移すにはちょっと塩梅が悪い状況があった。ファインダーからは外しているが、この割と近くにこの近所在住と思われるお二方が立ち話なさっていたのである。古い水路の中へ入ること自体何も問題はないだろうが、おかしな人と思われるのは否めなかったので。

お二方が立ち去られてから行動を開始した。
その時までにガードレールの隙間が少し空いていて入れるのを確認できていた。


やましいことは何もない。純粋に調査する目的で入っているまでだ。
ただし危険が予測される場所なので真似をしてしまう子供が周囲に居ないかだけは気をつけておいた。
この写真を撮った時点ではまだ後述する物件には気づいていなかった


石積みよりは低いと言っても1m以上ある。上がり直すのは一苦労するかも知れないが…まあどうにかなるだろう。


コンクリート側壁の上に腰掛け足を降ろそうとする途中に撮影している。
どうもスクリーンの内側の様子がおかしい感じだ。別の水路が通っているように見える。


水路に降り、まずはスクリーンの内側の様子を窺った。
やはり…古い水路部分は上流側から続いてはいない。より低い水路によって分断されている。


スクリーンは固定式で何処にも門扉構造はなかった。点検や清掃を含めてここからの出入りを想定していないようだ。むしろ子どもが入り込むと危険だから塞いでいるのだろう。

ちょうど市道に沿うように一段低い函渠があり、上流側から来た僅かばかりの雨水はそこへ流れ込んでいた。
この写真だけで構造が分かるだろうか。


明るさ調整を行ってズーム撮影している。
1m程度低いところを市道沿いに流れる函渠へ合流していた。下流側にも同様の溝が中央に切られているがこちらへ流れて来ることはない。


概ね状況が読めた。
以前は雨水排水路として現在立っている水路を利用していた。しかし幅が狭いとか流下速度が遅いなどの理由から新たに市道の下に効率の良い函渠を埋設して岬明神川の流れを切り替えたのだろう。1m程度低くなっているということは、より早く海まで流れ出るよう勾配をきつくしているようで、その段差がここで現れている。
3月に入り少しずつ暖かくなっているせいもあって函渠内部からは軽い排水由来の臭いがした。小さな羽虫も飛び交っている。しかし未処理の汚水が流れているわけではない。
現役の構造物にも目を向けるとは言ってもさすがにこれ以上追求する気はない。道路に沿って函渠が続いているだけだろう。どうなっているかの興味はあるが、鉄格子を回避してまで覗きたいとも思えず、次の対象に移った。

このレンガ積みである。
よく見ると上流側には縁取りするような形で石柱が設置されていた。
実はスクリーンを背に振り返って撮影した時点で後述するものの存在に気づいていた


高さは2.5mくらい。当初からレンガ積みだけだったらしい。金具などの付属物の痕跡はなかった。


上流側に向けてやや転ぶ形状でレンガ積みに沿わせるように花崗岩柱が立っていた。


これは堰板を当てるためのものだったのだろう。
花崗岩の石柱の縁は堰板を固定するためと思われる溝が切られていた。


堰板で堰いて水位を上げる目的は灌漑用などの利用である。この位置に堰板を置いて水を汲み、洗濯や灌水に使っていたのだろうか。
灌漑用なら分岐する水路が上流側にある筈だが、そのような痕跡も見つからなかった。
今でこそ岬明神川は排水路だが、かつては通常の川とあまり変わらない水が流れていたのだろう。現在ではどぶ川のように見られている渡内川も当初は幅が広く水量も結構あって夏場は学童も泳いでいたという。[1]岬明神川もはじめは春の小川のような河川で、昭和中期以降の高度経済成長期に他の川と同様に生活排水で汚染されたどぶ川となり、後に下水管が敷設されてからは雨水渠となって最後に現在の廃水路として遺ったのだろうか…

両側の石積みは恐らく最初の河川改修時のものだろう。
市道下の函渠に流路が変更されてからはこのエリアには降雨時の水しか溜まらなくなったので、河床部をコンクリートで固めて雨水量に見合ったU字溝のみを設置したようだ。


上流側は後で立ち寄るとしてまずは廃水路に沿って下流側を歩いてみた。
地図で見てもどうなっているのかよく分からない部分があり、現地で調べたいと思っていた。そしてそれは殆ど予測もしなかった構造になっていた。


うわー、何じゃこれは!!


廃水路の開渠区間は民家の敷地へ突き当たったところで唐突に終わっていた。そこから先は…まるで鉄道の廃線トンネルみたいなレンガ巻きの隧道が口を開けていたのである。
何で?
こんな市街地にレンガ巻きのトンネルって?
恰も昭和初期のまま取り残されたような空間がそこにあった。

(「岬明神川【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「琴芝小学校 二十周年記念誌」の口絵部には昭和33年頃の渡内川のモノクロ写真が掲載されている。

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